聴こえた答え
夕暮れの色が、成埜の地へ続く街道を長く染めていた。
半年をとうに越え、さらに歳月が流れた今、
道はもうただの街道ではなかった。
踏み固められた土。
整えられた石。
荷を運ぶ者たちの往来。
途中途中に作られた休憩所。
そして、その先――
断崖絶壁の上には、国を守るための長く高い防壁が、ほとんど完成に近い姿を見せていた。
どこまでも続いているように見える。
高く、広く、重い。
それでいてただの壁ではない。
その全体には、ノアの結界が幾重にも重ねられていた。
昼には淡く。
夜にはうっすらと光を帯びる。
外から見れば美しい。
だが、近づけば分かる。
これは、絶対に抜けない。
そんな確信を抱かせる壁だった。
リオは、その防壁を見上げながら小さく息を吐いた。
「……ほんとに、ここまで来たんだな」
隣ではレインが腕を組み、同じように上を見ている。
少し離れたところでは、レドアがまた誰かに怒鳴っていた。
「そこ、角度が死んでる!」
「防壁は飾りじゃねえんだぞ!」
「はいっ!」
声が飛ぶ。
笑いも起きる。
グレイランから来た者たちは、もう最初の頃の“手伝い”ではなかった。
現場の一角を担う、立派な働き手になっている。
それどころか――
「……おかしいよな」
レインがぽつりと呟いた。
「うん?」
リオが見る。
レインは前を向いたまま言う。
「グレイランにいた奴ら」
「尋常じゃない」
リオは黙って続きを待った。
「何でこんなに、異能みたいなスキル持ちが多いんだ」
「しかも、前は誰も使えてなかったのに」
「今は、急に開き始めてる」
それは、ずっと皆が薄く感じていたことでもあった。
妙に勘が鋭い。
妙に理解が早い。
妙に成長が速い。
身体に馴染む速度が、普通ではない。
一人ひとりを見れば小さな違和感だ。
だが、それが何人も、何十人も重なると、もう偶然では済まない。
「たしかに」
リオが静かに言う。
「前から思ってた」
その時だった。
少し後ろで、ずっと黙っていたミアが、小さく口を開いた。
「……たぶん」
二人が振り向く。
ミアはすぐに目を逸らした。
前よりは声が出るようになった。
それでも、こうして自分から話し始めるのは、まだ少し勇気がいるらしい。
「たぶん、ですけど」
レインが少し目を細める。
「ミア?」
ミアは指先をぎゅっと重ねながら、それでも続けた。
「理解されなかったんだと思うんです」
風が吹く。
工事の音が遠くで響く。
誰かが笑っている。
道具の触れ合う音がする。
その全部の中で、ミアの声だけが、なぜかはっきりと届いた。
「不気味で」
「変で」
「ハズレだって思われた」
「だから……親に、捨てられたんです」
「グレイランに」
レインの顔が少しだけ固まる。
ミアは、目を伏せたまま続ける。
「本当は、ゴミスキルなんかじゃなかった」
「でも、誰にも分からなかった」
「本人にも、周りにも」
「だから、一生そのままだと思われた」
声は静かだった。
でも、その中にはずっと聴いてきたものがあった。
「グレイランにいたら、きっと一生」
「ゴミスキルって言われたまま終わってたのかもしれない」
レインの喉が、わずかに鳴る。
ミアはそこでようやく顔を上げた。
その目は、昔みたいに怯えてばかりではなかった。
悲しみを知っている目のまま、少しだけ前を見ている。
「でも今は違う」
その言葉に、リオの表情がやわらかくなる。
ミアは、今度ははっきりと言った。
「リオたちが、光をくれたから」
レインが息を止める。
「ご飯があって」
「眠る場所があって」
「怒鳴られなくて」
「殴られなくて」
「気持ち悪いって、すぐに捨てられないで」
「初めて、ちゃんと“いていい”って思えたから」
ミアの声は、少し震えていた。
でも、止まらなかった。
「だから、今になって」
「ゴミだと思ってたスキルが、少しずつ光り始めたんです」
遠くで、グレイランから来た若い男が、ありえない精度で資材の落下位置を読んでいた。
別の女が、誰にも教わっていないはずなのに魔気の濃い区域を避けて歩いている。
レドアの指示は鋭く、無駄がなく、まるで最初からこの仕事を知っていたみたいだった。
ミアは、その光景を見ながら言った。
「みんな、ずっと“発揮できなかった”だけなんです」
リオは何も言わない。
ミアはさらに小さく続ける。
「聴こえるんです」
「前とは、音が違うから」
「前のグレイランは、諦める音しかしなかった」
「でも今は」
「うまく言えないけど……」
「生きようとする音が、する」
沈黙。
レインは、その言葉を聞いたまま動かなかった。
やがて、少し掠れた声で言う。
「……それ」
「お前、前から思ってたのか」
ミアは頷いた。
「ずっと」
「でも、怖くて言えなかった」
レインはしばらく口を開けないままだった。
それから、ふっと笑う。
「……なんだよ」
「俺より、お前の方がちゃんと見えてるじゃないか」
「見えてるんじゃなくて」
ミアは静かに言う。
「聴こえただけ」
その返しに、レインが少しだけ肩を揺らす。
リオはそこで、ようやく口を開いた。
「……そっか」
短い言葉だった。
でも、そこにはいろんなものが入っていた。
グレイラン。
捨てられた者たち。
ゴミスキル。
理解されなかった子どもたち。
それでも消えなかったもの。
リオは街道の先を見た。
防壁がある。
結界がある。
国の形ができつつある。
でも、本当に変わり始めていたのは、
たぶんこういうところだった。
「じゃあ」
リオが静かに言う。
レインとミアが見る。
「ここからは、“ゴミだった”って言葉ごと変えていこう」
その一言に、ミアの目が少しだけ見開かれる。
リオは笑った。
「グレイランってさ」
「もしかしたら、“捨てられた場所”じゃなくて、“まだ見つかってなかった場所”だったのかもしれないね」
レインが目を伏せる。
「……ずるいな」
「何が?」
「そういうこと、普通に言うとこ」
ミアは、泣きそうな顔で少しだけ笑った。
風が、防壁の上を抜けていく。
その風の向こうで、成埜の地は今日も静かに息をしていた。
そしてその手前で、
グレイランから来た者たちは、
ようやく自分たちの力を、自分たちの人生を、
少しずつ取り戻し始めていた。




