半年後の街道
あの夜会から、半年が過ぎていた。
時間は、思ったよりも速く流れた。
成埜の地へ向かう街道の整備は、最優先事項として進められていた。
最初はただの獣道みたいなものだった道も、今では馬車が通れる幅へ少しずつ広がり始めている。
もちろん、簡単な工事ではなかった。
木を伐り、
石をどけ、
ぬかるみを固め、
水の流れを読み、
魔気の強い場所を避けながら、
少しずつ、少しずつ、道を通す。
普通なら何年かかってもおかしくない。
だが、それは想定よりもはるかに速い速度で進んでいた。
不思議なことが、いくつもあった。
街道を作っている最中、魔虫や魔獣たちは、ほとんど襲ってこない。
木の上からこちらを見ている。
草の陰で木の実や果物を頬張りながら、じっと人の動きを見物している。
水辺の魔獣ですら、作業音に顔を上げるだけで、敵意を見せない。
「……やっぱり不思議だな」
リオは、切り開かれつつある街道の先を見ながら呟いた。
脇の木に止まっていた小さな魔虫が、ちょうどその声に反応したみたいに羽を揺らす。
敵ではない。
少なくとも今は。
まるで、この土地の生き物たちが
“誰がこの土地に手を入れているのか”
を見ているみたいだった。
だが、すべてが穏やかというわけでもない。
王国から派遣されてきた一流の建築家、一流の職人たち。
あの夜、ラルラゴが要求した“最高”の人材たち。
彼らの一部からは、妙な報告が上がっていた。
魔虫に襲われる。
魔獣に威嚇される。
道具だけを壊される。
あるいは、作業区域に足を踏み入れた途端、何かに押し戻されたようになる。
同じ場所でも、リオたちやグレイランから来た手伝いの者たちは何もされない。
なのに、一流と呼ばれる職人たちだけが“拒まれている”ような動きを見せる。
理由はまだ分からない。
だが、ラルラゴの言葉だけは、嫌になるほど思い出せた。
「最高の知識を持つ者たちが、“あの土地は無理だ”と言うはずだ」
あれは、やはりわがままではなかった。
もうひとつ、不思議なことがある。
グレイランから来た手伝いの者たちの動きが、妙にいい。
最初は誰も気にしていなかった。
ただ必死なだけだと思っていた。
だが違う。
覚えが早い。
理解が早い。
間が鋭い。
危ない場所を、なぜか本能で避ける。
魔気の濃い区画での引き際が、職人たちよりもうまい。
鍬を持つのが初めてのはずの者が、数日で土の流れを掴む。
運搬しかしていなかった者が、数週間で現場の段取りを整える。
何かを“教えられた”というより、最初からどこかで分かっていたみたいな動きを見せる。
そして、その先頭に立っているのは――
「レドア! こっち、次の石材どうする!?」
「そのまま通すな! 左に逃がせ!」
「傾斜が死ぬ!」
返ってきた声は、短く、鋭い。
工事や建築には本来まったく無縁だったはずの男。
それが今では、現場の最前で全体をまとめていた。
レドア。
筋骨たくましいわけではない。
派手な声を張り上げるわけでもない。
なのに、彼が立つと流れが整う。
人の配置。
材料の流れ。
無駄な動きの削り方。
危険の避け方。
職人たちの癖の見抜き方。
まるで、どこかで一度やったことがあるみたいに。
そのおかげで、街道整備は想定の倍以上の速度で進んでいた。
半年。
まだ半年しか経っていない。
それなのに、成埜の地へ続く街道は、もう“始まり”ではなく、“形”になりつつあった。
リオは切り株に腰を下ろし、少しだけ遠くを見た。
「……あれから、もう6か月か」
感慨というより、不思議さに近い声だった。
成埜の地。
王国。
グレイラン。
小さな城。
夜会。
レドアたち。
レインとミア。
全部が一気に動き出した半年だった。
その隣に、静かに誰かが腰を下ろす。
リオが横を見る。
そこにいたのは、レインだった。
見違えていた。
あの日、夜会に人を連れて現れた時点でもう変わり始めていた。
だが今は、それよりさらに変わっている。
服は簡素だが清潔で、よく手入れされている。
背筋は伸び、目つきには以前の刺々しさとは別の鋭さがある。
顔立ちも少し大人びて見えた。
そして何より、腰にはちゃんとした剣があった。
あの夜の次の日から、レインは本当にリオのもとへ通い始めた。
最初はぎこちなく、悔しさばかりを前に出していた。
だが半年も経てば、剣の持ち方も、立ち方も、息の置き方も、もう別人に近い。
「……似合ってきたね」
リオが笑う。
レインは少しだけ目を伏せる。
「そうですか」
話し方も変わった。
ぶっきらぼうさは残っている。
けれど、前よりずっと上品で、謙虚さがある。
無理に作っているのではなく、周りの空気と共に育ってきた感じだった。
しばらく二人で街道を見ていると、レインがぽつりと口を開いた。
「自分では」
「いまだに、自分が何族なのか分かりません」
リオは黙って聞く。
「初期スキルも使えない」
「接続なんて、自分には意味がない」
「……ゴミスキルです」
その言い方には、以前ほどの投げやりさはなかった。
でも、長く染みついた自己否定がまだ消えていないことは分かった。
リオは静かに返す。
「そうは思わないけど」
レインは、わずかに笑った。
「あなたは、そう言うと思っていました」
それから少しだけ間を置いて、続ける。
「でも」
「誰にも言っていなかったことがあるんです」
リオが見る。
レインは前を向いたまま言った。
「二次スキルが、あるみたいなんです」
「……え?」
リオの目が少し丸くなる。
「どうしてそれを?」
レインは苦笑する。
「ミアが教えてくれました」
「あいつ、最近は……見たものまで“聴こえる”らしいので」
その言い方に、リオは少しだけ目を細めた。
聴界。
やはり、あれはただ“耳がいい”だけでは終わらない。
「どんなスキルなの?」
レインは少し言いにくそうにしたあと、口にした。
「……聖獣魔幻」
「は?」
リオが即座に返す。
「何それ」
「分かりません」
レインは首を振る。
「何も感じないし、何も使えない」
「名前だけです」
「ちょっと待って」
リオは眉を寄せる。
「それ、かなり変だよ」
「ええ」
レインは淡々と答えた。
「それで……もうひとつあります」
リオの顔が、少しずつ真面目になる。
レインは静かに言った。
「自分が何族かも、ミアが言っていました」
「……何族なの?」
レインは、ほんの少しだけ息を止めるようにしてから答えた。
「怪神族、らしいです」
「……え?」
リオの目が、完全に止まった。
風が吹く。
街道の先で誰かが石を動かす音が遠くに響く。
だが、その瞬間だけ、そこだけが切り離されたみたいに静かだった。
レインは、視線を落としたまま続ける。
「だからなんだって話かもしれません」
「でも……」
「貧民街の中でも、自分がいつも一人だったのは、それが理由なんです」
リオは黙る。
レインの声は低かった。
「変わってるから」
「何が?」
と、リオがすぐに返す。
その問いに、レインは少しだけ笑った。
自嘲に近い笑みだった。
「何も変わらないって言ってくれるんですね」
「普通だって」
「普通だよ」
リオは迷わず言った。
「少なくとも今は」
レインは首を振る。
「鱗が、生えたり消えたりするんです」
「指が一本増える日もあれば、一本少なくなる日もある」
「皮膚の色が、夜だけ少し変わることもある」
リオは何も言わない。
レインは、さらに小さく続けた。
「自分でも思います」
「気持ち悪いって」
その言葉には、長く積み重なった孤独があった。
「グレイランの人たちは、みんな優しいです」
「今は協力してくれるし、前よりずっといい」
「でも、やっぱりどうしても駄目みたいだ」
「俺みたいなのとは、少し距離を置く」
レインは、自分の指先を見た。
「でも分かるんです」
「自分でも、同じことをすると思うから」
沈黙。
リオは、少しだけ空を見上げた。
何かを探るみたいに、記憶の奥を手繰る。
それから、ゆっくりと呟いた。
「……あれ」
レインが顔を上げる。
リオの目は、さっきまでと少し違っていた。
「聞いたことがある」
「え?」
「怪神族の中でも」
リオは言葉を選びながら続けた。
「変形を自由に操れるのは、限られたやつだけだ」
「その片鱗は、幼い頃に現れるって……」
レインの目が見開かれる。
「……何ですか、それ」
リオ自身も、言いながら少し驚いていた。
どこで聞いたのか。
いつ知ったのか。
はっきりしない。
でも、知っている。
夢記録の奥か。
誰かの言葉か。
あるいは、まだ繋がりきっていない記憶の残滓か。
それでも、たしかにその断片はあった。
リオは、レインをまっすぐ見る。
「レイン」
「はい」
「それ、ゴミなんかじゃない」
その声は静かだった。
でも、ひどくはっきりしていた。
「まだ分かってないだけだ」
「たぶん、お前の中には、思ってるよりずっとおかしいものが入ってる」
レインは言葉を失う。
半年間、剣を教わってきた。
少しずつ変わった。
少しずつ前を向けるようにもなった。
でも、自分の“変”だけは、まだどこかで切り離せずにいた。
それを、今、リオは真正面から否定した。
ゴミじゃない。
気持ち悪いだけじゃない。
まだ分からないだけだと。
街道の先では、レドアの怒鳴り声が飛んでいた。
「そこ違う! 石を立てるな、寝かせろ!」
「はいっ!」
「お前、今の理解早すぎるだろ!」
「なんとなくです!」
笑いが起こる。
その音を聞きながら、レインは少しだけ目を伏せた。
「……やっぱり」
「あなたって、変ですね」
リオは吹き出す。
「よく言われる」
風が、二人の間を通り抜ける。
成埜の地へ続く街道は、まだ途中だ。
でもその途中で、
またひとつ、誰かの正体が、ほんの少しだけ顔を見せ始めていた。




