使わなかった理由
庭での手合わせが終わったあとも、夜会の熱はしばらく冷めなかった。
SSギルド《ヴェルド・クレスト》の副長セイラ・ノクスが、本気で踏み込み、そして本気で敗れた。
それを目の当たりにした夜会の参加者たちは、しばらく誰も落ち着いた顔をできずにいた。
だが、騒ぎがそのまま夜明けまで続くような空気でもなかった。
夜はもうだいぶ更けている。
灯りの数も少しずつ減り、
杯の音も、さっきまでよりゆるやかになっていた。
ヴァルが大きく伸びをしながら言う。
「よし」
「ひとまず中に戻るか」
「ええ」
リュメリアも頷く。
「このまま庭で次の話を始めるには、少し夜が深すぎるわ」
ラルラゴは何も言わず、先に城の中へ向かった。
リオもそれに続く。
ノアの光は、今夜もやわらかく彼のそばを漂っていた。
ヴェルド・クレストの面々も、少しだけ硬い表情のまま後に続く。
さっきまでの手合わせで完全に心が折れたわけではない。
だが、格の違いは、もう言い逃れできない形で刻まれていた。
広間へ戻ると、そこにはもう最初の賑わいはなかった。
残っているのは、
深夜の手前にある、少しだけ静かな熱だ。
長机の上にはまだ茶と軽食が残っている。
だが誰も、さっきまでみたいにがつがつ食べたりはしなかった。
今夜のうちに決めるべきことだけを確認する。
ラルラゴが短く言う。
「今後の予定だ」
その声に、全員の意識が自然と集まる。
ゼルクがまず口を開いた。
「我ら騎士団側は、引き続き成埜の地に関する観測と外縁の警戒に協力する」
「深入りはせぬ」
「だが、異常があれば即座に共有する」
サイラスも続ける。
「王国側の動きとも繋ぎます」
「職人候補の選定、人の動き、流通、貧民街――グレイランの整備状況も含めて」
ガルスも、静かに頷いた。
「ヴェルド・クレストも加わる」
「ただし、勝手な先行行動はしない」
「成埜の地に関しては、お前たちの方針に従う」
ヴァルがにやりと笑う。
「いい返事だ」
「ようやく協力らしくなってきたな」
リュメリアが静かにまとめる。
「成埜の地の再調査は、今後も段階的に」
「中心断崖はまだ触れない」
「グレイランの整備は王国主導、こちらは必要に応じて口を出す」
「人材選定は、来た者を見てから」
「妥当だ」
ラルラゴが短く落とす。
そこで、リオも頷いた。
「うん」
「じゃあ今日は、そこまでにしようか」
夜が更けすぎている。
今ここでさらに詰めても、良い案より眠気の方が勝つ。
それはこの場の誰もが分かっていた。
ゼルクが深く一礼する。
「承知した」
「これで正式に、協力体制は整ったと見てよろしいか」
リオは一瞬だけ仲間たちを見る。
ヴァルは笑い、
リュメリアは静かに目を細め、
ラルラゴは何も言わなかったが、その沈黙は否定ではない。
ノアの光も、やわらかく弾んだ。
「うん」
リオは答える。
「よろしく」
その言葉に、
騎士団も、
ヴェルド・クレストも、
この夜ここにいた誰もが、
ほんの少しだけ空気を変えた。
小さな城の夜会から始まった繋がりは、
ついに“正式な協力”という形を持ったのだ。
話し合いがひと区切りつくと、広間の緊張も少しずつほどけていく。
セイラはまだ静かだった。
負けを抱えたままではあるが、顔はもう折れていない。
レインは壁際でその様子を見ていたし、
ミアは誰の声でもなく、夜そのものの揺れを聴くみたいに目を伏せていた。
リオはそこで、ふと思い出したようにリュメリアを見た。
「……ねえ」
「何かしら」
リュメリアが視線を向ける。
リオは少し首を傾げる。
「どうして魔術を使わなかったの?」
広間が、ほんの少しだけ静かになる。
ヴァルの口元が面白そうに動いた。
ノアの光がぴくりと揺れる。
リオはそのまま続ける。
「火とか氷とか、使えるんでしょう?」
「さっきの手合わせ、そっち使った方がもっと早かったんじゃないの?」
セイラの眉がわずかに動く。
たしかに、その通りでもある。
あの手合わせでリュメリアは、いわゆる“魔術師らしい魔術”を一度も使わなかった。
火も。
氷も。
雷も。
風も。
ただ立って、触れて、崩して、終わらせた。
リュメリアは、数秒だけ沈黙した。
それから――
ほんの少しだけ、肩をすくめる。
「だって」
その声音は、あまりにも軽かった。
「私は、弱い通常属性魔法しか使えないもの」
沈黙。
一拍。
二拍。
それから、ヴァルが思いきり吹き出した。
「ぶっ……!」
「おい!」
「今のは駄目だろう!」
「その顔でそれを言うのは反則だ!」
「本当のことでしょう?」
リュメリアは涼しい顔のままだ。
セイラは真顔で固まり、
ガルスは目を閉じて額を押さえ、
ゼルクは視線だけを一度天井へ向けた。
サイラスが低く言う。
「……その発言を許されるのは」
「大陸を半分焼いても“牽制です”と言える者だけだ」
「大げさね」
と、リュメリアが返す。
ヴァルはまだ笑っている。
「大げさじゃない!」
「お前の“弱い通常属性魔法”は、世間では災害扱いだ!」
リオがきょとんとする。
「え、そうなの?」
今度はノアが小さく笑った。
「はい」
「おそらく、その認識で合っております」
「……いや、待って」
リオはリュメリアを見る。
「じゃあ、火とか氷とか普通に使ったら、どうなるの?」
リュメリアは、少しだけ考えるような顔をした。
「そうね」
「火なら、少し大きめの流星雨くらいかしら」
「氷なら、一帯を凍らせる程度」
「風はあまり好きじゃないけれど、街区ひとつくらいなら更地にできると思うわ」
また沈黙。
レインが、遅れて口を開けた。
「……それのどこが弱いんだよ」
「だから、通常属性魔法としては、よ」
リュメリアが当然のように返す。
「通常の意味が壊れてるんだよ」
と、ヴァルが笑いながら言う。
ラルラゴはそのやり取りを黙って見ていたが、
やがて短く言った。
「使う必要がなかった」
全員の視線がそちらへ向く。
ラルラゴは続ける。
「相手の本気を見たかった」
「だから、見える形で終わらせた」
リオは、その言葉を受けてゆっくり頷いた。
「……そっか」
たしかに、
もしリュメリアが火や氷を本気で使っていれば、
セイラが何を持っていて、どこまで踏み込めるかを見る前に、ただ押し潰して終わっていたかもしれない。
リュメリアも、そこで小さく笑う。
「そういうこと」
「燃やしたり凍らせたりして終わらせても、あまり意味がないでしょう?」
セイラはその言葉に、悔しさとも呆れともつかない息を漏らした。
「……つまり」
「手加減されていたわけですね」
「手加減とは少し違うわ」
リュメリアは静かに言う。
「あなたを見ていたの」
「壊すより、その方が価値があると思ったから」
その一言で、セイラはもう何も言えなくなった。
完全に上から見られている。
だが、不思議と侮辱された感じはしない。
むしろ、きちんと“見てもらえた”ことの方が重かった。
リオはそんな空気の中で、少しだけ笑った。
「なんか」
「やっぱり、みんな基準がおかしいな」
「今さらです」
ノアがやわらかく返す。
「今さらね」
リュメリアも頷く。
ヴァルが笑いながら杯を掲げる。
「ようこそ、今さらの世界へ」
その言葉に、広間のあちこちから小さな笑いがこぼれた。
夜はさらに更けていく。
協力体制は整った。
成埜の地の再調査も続く。
グレイランも変わり始めている。
そして、SSギルドさえも、この小さな城に出入りするようになった。
その全部の中心で、リオはようやく少しずつ気づき始めていた。
自分がいる場所は、
思っていたよりずっと高くて、
ずっと危うくて、
そしてずっと面白い場所なのだと。




