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動き出す日々

成埜の地をめぐる日々は、思ったより早く動き始めた。


翌日から、リオたちは数日にわたってあの土地へ通うようになった。


最初の目的は、開拓ではない。

理解することだった。


どこまでが外縁なのか。

どこに魔気の流れが偏っているのか。

水はどこにあり、魔獣はどこに集まり、何が危険で、何が危険ではないのか。

断崖の中心地帯へ近づかずとも分かることは、意外と多かった。


朝に出て、昼をまたぎ、夕方に戻る。

そんな調査の日々が続く。


最初の数日は、騎士団も同行した。


ゼルク、サイラス、四天槍。

彼らはまだ“保留”のままだったが、その保留はもはや距離ではなく、責任に近いものへ変わっている。


成埜の地の外縁で、何が起きるかを見る。

オルビス・ノヴァがどう動くかを見る。

そして、必要であれば王国側の動きへ繋げる。


そういう役目を、自分たちなりに引き受け始めていた。



最初に見えてきたのは、成埜の地が「危険地帯」だけではまったく説明できない場所だということだった。


魔気は濃い。

だが、濃いだけではない。


流れている。


どこか淀みながらも、完全には腐らず、土地の呼吸と共に動いているような奇妙な流れだった。


ノアは上空から見て、よく言った。


「この土地の魔気は、“溜まっている”というより“巡っている”に近いです」


リュメリアはそれを記録する。


「固定された呪域ではない」

「むしろ、生態系の一部として成立している可能性があるわね」


ヴァルは草を踏みながら笑った。


「面白いじゃないか」

「腐ってない魔境って感じだ」


「その言い方、少し嫌ね」

とリュメリアは返すが、否定はしなかった。


リオは、実際に歩きながらそれを感じていた。


危険な場所はある。

魔気が急に濃くなる場所もある。

昨日の魔神がいたような気配の残る区画も、たしかにある。


だが一方で、穏やかな場所もある。


小さな水辺では魔虫が羽を休め、

林の縁では敵意のない小型魔獣が草を食み、

風がよく抜ける草原では、ただ陽の光だけが揺れていた。


「……やっぱり、いい土地だな」

リオがぽつりと言う。


ラルラゴは短く返す。


「そうだな」


その一言が、妙に重かった。



数日も経つと、今のメンバーだけでできることも、少しずつ見えてきた。


夕方、小さな城へ戻るたびに広間の机へ簡単な地図が広げられ、

その日分かったことを皆で持ち寄る。


ノアが空から見た魔気の流れを話し、

リュメリアがそれを区域ごとに整理し、

ヴァルが実地の感触と照らし合わせ、

ラルラゴが短く切って本質だけを残す。


そしてリオは、自分の足で歩いて感じたことをそのまま口にする。


「この辺りは大丈夫そうだった」

「ここは妙に静かすぎる」

「この水場は使えそう」

「こっちの林は、入ると嫌な感じがする」


最初、サイラスはその言葉の曖昧さに少し眉をひそめていた。


だが、数日も経つ頃には誰より早く気づいていた。


リオの“なんとなく”は、

かなりの確率で合っている。


「……また当たったな」

と、サイラスが低く言うと、リオは少し困ったように笑った。


「自分でも、まだ理屈は分かってないんだけどね」


ゼルクがその様子を見て、静かに目を細める。


理屈が先ではない。

感覚が先に正答へ届く。


それは、武人としても厄介で、同時に恐ろしい才能だった。



成埜の地に対して、今のメンバーだけでできることも、自然と整理されていった。


水場の確保。

比較的安全な導線の確認。

危険区域の仮区分。

魔気の強弱による一時的な境界線。

仮拠点の候補地。


「中心の断崖には、まだ触れない」

リュメリアが改めて言う。


「ええ」

ノアも頷く。

「近づかないと決めているからこそ、今は見えていることもあります」


ヴァルは大きく頷く。


「うむ。焦らん」

「珍しい」

と、リオがすぐ返す。


「私はいつだって、必要な時には焦らん男だ」


「必要ない時に余計なことするから信用が薄いのよ」

と、リュメリアが切る。


そんな会話をしながらも、彼らは実際に動いていた。


成埜の地はまだ誰のものでもない。

だが少しずつ、オルビス・ノヴァの中で“どう向き合うべき土地か”の形ができ始めていた。



一方で、王都でも変化は起きていた。


それは、ゆっくりではなかった。

むしろ、驚くほど速かった。


王の命が下り、貧民街の一角にはまず炊き出し用の屋台が増えた。

粗末だった路地の脇に、雨風をしのげる簡易の屋根が作られた。

衣類を集め、配るための場所もでき始める。


最初は誰も信じなかった。


一時の気まぐれだと思った。

どうせすぐ終わると思った。


だが、三日経っても、五日経っても、それは続いた。


温かい食事がある。

昼に食べる分もある。

夜に冷えをしのげる布がある。

汚れた服を替えられる機会がある。


それだけで、人の見た目は変わる。


子どもたちの頬に少し赤みが戻り、

大人たちの目から濁った死に色が少しずつ消え、

路地の匂いすら、前より少しだけ変わっていった。


リオたちが通るたび、

「また来た」ではなく、

「来たぞ」と迎える声が増える。


前にうずくまっていた者が立つ。

俯いていた者が目を合わせる。

焚き火の周りで黙っていた者たちに、少しずつ会話が戻る。


それは急速な発展と呼ぶには、まだ小さい。

だが、確実な変化だった。



レインの変化も、その中にあった。


最初の頃は、相変わらず壁際にいた。

輪の外で、少し離れて見ている側だった。


だが、一週間も経つ頃には、

配る側の近くで荷を持っていた。


二週間も経つ頃には、

新しく来た者に「並べ」と言えるようになっていた。


三週間も経つと、

鍋のそばで手伝いながら、ヴァルに雑に絡まれ、

それを雑に返せるくらいにはなっていた。


「おいレイン、その顔で黙ってると怖いぞ」

「うるさい」

「よし、元気だな」

「何がだよ」


そんなやりとりが、路地のあちこちで小さく笑いを生んだ。


リオはその様子を、特に何も言わずに見ていた。


まだ“接続”の話を深くはしていない。

けれど、レインの目が前より少しだけ世界へ開き始めていることは分かった。



そして、小さな城にも変化が生まれた。


最初は報告と会議の場だったその広間に、

いつからか別の意味が加わるようになる。


週に一度。

多い時は二度。


夜になると、小さな城に灯りが増えた。


長机が並べられ、

簡単な食事と酒が置かれ、

騎士団の誰かが来る。

王国側の役人が来る。

商人が顔を出す。

たまに職人候補が連れてこられる。

時には貧民街から、様子を見に来た者まで混じる。


それは宴というほど華やかではない。

だが、ただの会議でもない。


情報が交わる。

噂が届く。

土地の話が広がる。

人と人が顔を覚える。


いつしか皆、それを自然に夜会と呼ぶようになった。


ヴァルは毎回のように上機嫌で杯を振り、

リュメリアは呆れながらも人の流れを見ていて、

ラルラゴは相変わらず多くを語らない。


ノアの光は、その場にいるだけで不思議と空気をやわらげた。


そしてリオは、その中心にいるつもりもないのに、

気づけば誰かしらに話しかけられていた。


「成埜の地は今どうなってる?」

「貧民街の次はどこを変えるつもりだ?」

「王国はどこまで関わる?」

「次の調査はいつだ?」


そんな問いに答えるたび、

小さな城は少しずつ“住処”を超えていく。


オルビス・ノヴァの拠点。

王国と成埜の地を繋ぐ場所。

そして、王都のあちこちから何かを変えたい者が集まり始める場所へ。



こうして、気づけばひと月以上が過ぎていた。


成埜の地は、まだ謎のままだ。

中心の断崖も、奥の影も、魔神の言葉の意味も、何ひとつ解けてはいない。


だが、何も進んでいないわけではなかった。


土地は少しずつ輪郭を見せ、

王都は少しずつ変わり、

貧民街は少しずつ息を吹き返し、

小さな城には少しずつ人が集まり始めていた。


窓の外で、夜の風が灯りを揺らす。


その光景を見ながら、リオは小さく息を吐いた。


「……なんか」


ノアがそばで揺れる。


「はい?」


「思ってたより、ずっと動いてるんだな」

リオは静かに言った。

「成埜の地も、王都も、人も」


ノアの光がやわらかく揺れる。


「はい」

「きっと、それは良いことです」


リオは頷く。


まだ何も終わっていない。

むしろ、ようやく始まったばかりだ。


それでも。


動き始めたものが、もういくつもある。


その事実だけで、前へ進むには十分だった。

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