ハズレスキルと呼ばれた少年
朝の市場は、いつだって忙しい。
野菜を運ぶ怒鳴り声。鉄板の焼ける匂い。荷車の軋む音。値切る声。笑い声。舌打ち。
その喧騒の中で、一人だけ妙に遅い少年がいた。
「おーい、リオ! また荷運びか!」
背中に木箱を抱えた少年へ、通りの端から声が飛ぶ。
「……はい」
「お前、ほんとそれしか仕事ねぇのか? 朝から晩まで荷物、荷物、荷物ってよ」
げらげらと笑いが起きる。
リオは怒り返さない。ただ、抱えた箱を落とさないように、足を止めかけた。
止まりたい。
その衝動を、喉の奥で飲み込む。
止まれば、体の奥に力が満ちる。
心臓の鼓動がゆっくりになって、筋肉の芯が熱を持つ。視界が澄む。握力も、脚力も、ほんの少しだけ上がる。
けれど——
動いた瞬間、その全部が霧みたいに消える。
「……ゆっくり運べば、少しは楽になるから」
小さく答えると、男たちは顔を見合わせた。
「は? 何だそりゃ」
「またあれか。“停止時能力向上”」
「動かなきゃ意味ねぇじゃん」
「荷物運びで立ち止まるやつ初めて見たわ」
笑いがまた弾ける。
リオは黙って箱を抱え直した。
言い返したところで、何も変わらない。もう何度も知っている。
立ち止まるほど強くなる。
けれど、立ち止まっているだけでは何も守れない。
そんなスキルが、この世界で歓迎されるわけがなかった。
◇
「リオ坊、また来たのかい」
雑貨屋の店先で、白髪混じりの店主が呆れ半分に声をかけてくる。
「はい。これ、裏口まで運べばいいですか?」
「ああ、頼むよ。……でもあんた、ほんとに毎回律儀だねぇ」
店主は手拭いで額をぬぐいながら、リオを見た。
「ギルドに行っても笑われる。市場でも笑われる。それでも毎日働いて、毎日鍛えてる。普通なら、とっくにふてくされてるよ」
「……僕には、これしかないから」
「それにしたってねぇ」
店主は箱を積み上げるリオの手元を見た。
途中で一瞬、リオの動きが止まる。
すると、細い腕に不釣り合いなほど、ぐっと箱が持ち上がった。
「……おや」
「すみません。少しだけ……止まってました」
「いや、見りゃわかるよ」
店主は眉をひそめる。
「止まってる間だけ力が上がる。確かに嘘じゃないんだろうさ。でもねぇ、リオ坊」
「……はい」
「世の中、動かなきゃいけない時ばっかりなんだよ」
「……そう、ですね」
返事はした。
けれどリオは知っている。
自分のスキルは、たしかに弱い。使いづらい。馬鹿にされても仕方ない。
でも——完全な無意味ではない。
それだけは、体が知っていた。
◇
昼前。
冒険者ギルドは、いつものようにざわついていた。
依頼書の張られた壁。酒臭い冒険者たち。剣を背負った男。鎧姿の女。獣人の斥候。ローブの魔術師。
誰もが、自分より強い仲間を探している場所だ。
「次の方ー……あ、リオくん」
受付嬢が、少しだけ困ったように笑う。
「今日もパーティ募集、出すの?」
「……はい」
差し出した紙には、何度も書き慣れた文字が並んでいた。
募集:短期同行可能な方
依頼難度:低級採取・討伐のみ希望
所持スキル:《停止時能力向上》
備考:補助・囮・荷運び可
受付嬢は紙を見て、そしてリオの顔を見た。
「毎日出してて、ほんと偉いとは思うんだけどね……」
「……だめ、ですか」
「だめっていうか……このスキルを見て、一緒に行こうって人がなかなか……」
受付嬢は言葉を選んだ。優しい人だ。
だからこそ、余計につらい。
「戦闘中に止まるって、普通は怖いから」
「……わかってます」
「しかも、動いたら効果が消えるんでしょ?」
「……はい」
「うーん……」
受付嬢は小さくため息をつくと、紙を掲示板の端へ貼った。
目立つ場所ではない。けれど、貼ってくれるだけありがたかった。
「ありがとう、ございます」
「お礼を言うほどのことじゃないよ。……リオくん、あんまり無茶しないでね」
「……はい」
そのとき、近くで依頼を見ていた冒険者たちの声が耳に入った。
「また“停止のリオ”か」
「まだ諦めてねぇのかよ」
「止まって強くなるって、石像にでもなりたいのか?」
「いや、石像の方が壁役にはなるだろ」
「はははっ」
笑い声が広がる。
リオは俯かなかった。
俯いたら、きっとそのまま立ち上がれなくなる気がしたから。
だから掲示板だけを見続けた。
自分の紙が、隅で揺れている。
誰でもいい。
一度でいい。
このスキルでも、一緒にやれると言ってくれる人がいてほしかった。
◇
しばらくして、一人の青年が声をかけてきた。
「あの……リオさん、で合ってますか?」
年は二十歳前後。革鎧を着た、駆け出しの槍使いだった。
「……はい」
「えっと、その……本当に止まってる間だけ強くなるんですか?」
「……うん。止まってる間なら、少しだけ。でも、動くと消える」
「なるほど……」
青年は微妙な顔をした。
それでも帰らなかった。
「低級依頼なら、試せるかもしれません。採取の護衛くらいなら」
リオは目を見開く。
「……いいの?」
「一回だけ、ですけど。正直、興味本位もあります」
「それでも……ありがとう」
その言葉だけは、心の底から出た。
◇
結果は、最悪だった。
森の浅層。
依頼自体は簡単な薬草採取だった。だが、運悪く群れからはぐれた牙狼が一匹、茂みから飛び出してきた。
青年が叫ぶ。
「リオさん、後ろ!」
リオは反射的に足を止めた。
瞬間、体に力が満ちる。
いつもよりずっと鮮明に、世界が遅く見えた。
いける。
受け止められる。
そう思った。
けれど次の瞬間には、青年を庇おうとして一歩踏み出していた。
力が消える。
牙狼の体当たりが、まともに脇腹へ入った。
息が潰れ、地面を転がる。
「っ、ぁ……!」
「リオさん!?」
青年が慌てて槍で追い払った頃には、リオは土と血でぼろぼろだった。
帰り道、青年はずっと黙っていた。
ギルド前に着いて、ようやく口を開く。
「……わるいですけど、今日で終わりにしましょう」
リオの喉が詰まる。
「……ごめん」
「いや、謝られても困ります」
青年は責めたいのを堪えるような顔だった。
「止まれば強くなる、それは本当なんでしょう。でも……仲間と動きを合わせられないのは、やっぱり致命的です」
「……うん」
「リオさんが悪い人じゃないのはわかります。でも、このスキルと組むのは厳しい」
それだけ言うと、青年は頭を下げて去っていった。
取り残されたリオは、しばらく動けなかった。
止まっている間だけ強くなる。
けれど、今は何も上がった気がしなかった。
◇
「リオくん……また解散?」
受付嬢の声は、もう慰め慣れてしまっている。
「……うん」
「怪我、ひどいじゃない。治療院には?」
「平気。慣れてるから」
「慣れてるで済ませないでよ……」
小さな包帯と消毒薬を渡され、リオは頭を下げた。
「……せっかく来てくれたのに、守れなかった」
「それはリオくん一人の責任じゃないよ」
「でも、僕が動いた瞬間……全部なくなった」
握った拳が震える。
「もっと止まれてたら、もっと強くなれてたかもしれない。
もっと強ければ、ちゃんと守れたかもしれない」
「……」
「僕、まだ諦めたくない」
受付嬢が息を飲む。
何度失敗しても、何度笑われても、この少年はそこだけは折れない。
「みんなは“動けなきゃ意味がない”って言うけど……」
リオは、包帯の巻かれた手を見つめた。
「それでも、僕はこの力を捨てたくないんだ」
◇
夜。
薄い毛布。軋むベッド。外から聞こえる酔っ払いの怒鳴り声。
リオは仰向けのまま、天井の染みを見つめていた。
「……止まるだけで強くなるスキルが、どうしてこんなに難しいんだろう」
誰も答えない。
「僕は……本当に役に立てる日が来るのかな」
まぶたを閉じる。
すると、いつもの夢が来た。
暗い。
けれど真っ暗じゃない。
どこまでも広い場所に、無数の光が浮かんでいる。
星のようで、文字のようで、記憶の破片みたいな光。
その中心に、誰かが立っていた。
輪郭は曖昧で、顔は見えない。
それなのに、なぜか懐かしい。
『——まだ、そこか』
低く、静かな声が響く。
リオは夢の中で眉をひそめる。
「……だれ?」
『止まることしか知らぬ者は、いずれ止まったまま朽ちる』
「……」
『だが——“記録”を辿る者は違う』
意味がわからない。
いつもそうだ。この夢は、肝心なことを何一つ教えてくれない。
「記録……?」
『お前は、まだ自分の始まりすら知らない』
声と同時に、遠くの光がひとつ弾けた。
剣。
血。
空を裂く魔力。
泣き叫ぶ誰か。
そして、自分ではないはずの“自分”の背中。
リオは息を呑む。
「な、に……これ……」
次の瞬間、夢は唐突に途切れた。
◇
がばっと身を起こす。
部屋はまだ暗い。窓の外が、かすかに白んでいた。
胸がうるさいほど鳴っている。
「……また、あの夢」
ただの夢。
そう片づけるには、妙に生々しい。
ベッドの端に座り、手のひらを見る。
昨日負った傷。
荷運びでできた豆。
何の変哲もない、自分の手。
なのに、夢の余韻だけが残っていた。
まるで——
自分の知らない何かが、この中に眠っているみたいに。
外では、もう市場の準備が始まっている。
今日もまた笑われるだろう。今日もまた、何も変わらないかもしれない。
それでも、リオは立ち上がった。
「……行こう」
止まっていれば強くなる。
だけど、止まったままじゃ何も始まらない。
少年はまだ知らない。
自分が“ハズレ”だと思い込んでいるその日々が、
遠い昔から続く記録の扉に、すでに触れ始めていることを。




