或る春の晴れた日
昔、ほんの少しだけ、先輩に恋をしたことがあります。
今でもそのときの光景がふとした瞬間に思い出されるのですが、それは決まって、晴れた日の午後でした。
これは、そんな記憶を形にした短い物語です。
私が16の時、当時通っていた高校で一番美人と名高かった先輩と付き合うことができました。それはそれは美人で、まさに北国美人という言葉がぴったりな人でしたが、いかんせん付き合い始めたのは12月の末。私自身は早生まれでしたから、その頃にはもう高校2年生も終わりかけており、その先輩、仮にS先輩としましょう。S先輩は函館の大学への進学が決まっていたので、すぐに遠距離になってしまうという、そういう塩梅でした。
付き合ったとはいえ、最初から「もうすぐ離れ離れになる」とわかっている関係というのは、どこか奇妙なものでした。 冬休みのあいだに何度か会いましたが、S先輩はどこか浮ついていて、それでも時折見せる横顔に、私はひどく惹かれていたように思います。
「卒業したら、どうしようか?」
付き合い始めてからというもの、この話は何度も話し合ってきましたが、結論にはなかなか辿り着けませんでした。遠距離、しかも年齢も違い、車も持たないとなれば、会うこと自体がひどく大変です。私の住んでいた町から函館まで行くには、車なしではどうにもならず、札幌経由の高速バスか、苫小牧で電車に乗り換えるしかありませんでした。それはもう大変なことで、着く頃には10時間近く経っている、なんてこともザラでした。
そんな状況で「付き合い続けられるのか」という疑問は、二人とも心のどこかで感じていたはずです。けれど、それでもなお、当時の私たちにとって最愛の人を手放すことは容易なことではなく、そのままずるずると、S先輩の卒業式の日を迎えてしまいました。
S先輩の卒業式は3月1日にありました。桜は例年通り間に合いませんでしたが、雪はほとんど溶け切っていて、美しいほどに快晴で──春先の北海道としては珍しく、少し暖かかった記憶があります。
本当はその日に会う約束をしていたのですが、私は校内で行われた部活動の送別会に出席していたため、送別会が終わってから会おうということになっていました。 しかし送別会が思いのほか長引いてしまい、私はS先輩に「遅くなるから、先に帰ってほしい」とメッセージを送りました。返事はありませんでしたが、そのときは特に気にも留めていませんでした。
送別会が終わり、校門を出ようとしたときです。 もう帰ったものと思っていたS先輩が、校門の右端──ちょうど学校名が刻まれた石の前に、静かに佇んでいました。
言葉をかける前に、S先輩のほうがこちらを振り返りました。相変わらず整った顔立ちで、でもどこか疲れているようにも見えました。制服の襟元には卒業式の花がまだ挿されたままで、それがどうしようもなく眩しく見えたのを覚えています。
「……待っててくれたの?」
思わずそう尋ねると、S先輩は少し微笑んで「うん」とだけ答えました。
それだけで、もう何も言えなくなってしまいました。
沈黙のまま、私たちは並んで歩き出しました。特に行き先があるわけでもなく、学校の周りをぐるりと回って、やがて、何をいうわけでもなく駅のほうへ向かいました。 空はすでに夕方の色に染まりつつありました。
「卒業、したよ」
ぽつりと、S先輩が言いました。私は「おめでとう」と返しました。それ以上、言葉が出てきませんでした。
「函館、行くの楽しみなんだ」
「うん」
「でも……こっちは、やっぱりちょっと、名残惜しいね」
そう言って笑った顔は、泣いているようにも見えました。
駅の改札前で、私たちは足を止めました。あのときの空気は今でも思い出せるくらい、はっきりと冷たくて──でも、ほんの少しだけ春の匂いが混じっていました。
「……また会えるかな?」
S先輩がそう呟いたとき、私はすぐに「会えるよ」と言いたかったのに、どうしても声が出ませんでした。
だから、代わりにうなずいて、ぎこちなく笑ったような気がします。
S先輩は小さく手を振って、改札をくぐっていきました。振り返らないまま、まっすぐに。
電車の発車ベルが鳴って、それが遠ざかっていくまで、私はホームの端で、ただ立ち尽くしていました。
結局あの日から、私たちは一度も会っていません。連絡もそのうち少なくなって、自然と途切れてしまいました。男というのは非情なもので、連絡を取らず1ヶ月もすると他の子へと興味が移っていきました。
あれから、もう十数年経ったと思います。
でも、三月一日のあの晴れた日のことだけは、なぜか今でもずっと、私の中に残り続けています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
冬に始まって、春を前に終わるような恋。
その儚さが、いつかの記憶と重なる方がいたら、嬉しく思います。