婚約破棄に向けて
放課後、すぐに帰宅し、宿題とお妃教育の課題を済ませるとすっかり日が落ちる時間になる。そして、夕食までのこの時間は一日で最も落ち着いた時間。
この一時を、自室で一人静かに過ごすのが、私のお気に入り。
「でも、ジェームズ先生、本当にお怪我が無かったのかしら。」
きっと先生のことだから、事前に防御してたとは思うけど、あの火球が見た目よりかなり威力の高い魔術だったことは感覚で分かった。
そして、あの威力のものを手のひらサイズに収束させるのが難しいことも。
「でも、闇属性イコール悪という訳じゃ無いというのは良かったわ。」
そう、私は悪役令嬢。そして魔力属性は、お前におあつらえ向きだろうと言わんばかりの闇。自分の運命の糸が容易に断ち切れるものではないと思い知らされるようで、嫌だったし怖かった。
でも、今日の先生の一言で、少しだけ救われたような気がした。
周囲の方々も納得した様子でしたし、これが運命を変える最初の一歩になってくれれば。
「そうなると、次は婚約破棄に向けた作戦が必要ね。」
正攻法は公爵家と王家双方の合意だけど、お父様が婚約破棄など認めるはずはない。
そうなると、殿下か私に瑕疵が必要になるが、殿下は品行方正で清廉潔白なお人柄なので、期待はできない。
ゲームでは私に瑕疵ありまくりだったけど、そのせいで処刑されたのよね。ああいうのは加減が難しいので、違法行為はダメね。
「成績不振、は教育係やお父様にこっぴどく叱られるわね。」
では、病気や怪我・・・は痛くて苦しいからボツ。
「では、殿下が私のほかに。」
その最有力候補は、聖女ルシア・ウォルフォードであるが、それはゲームどおりなので恐怖しかない。
もちろん、彼らの恋路を邪魔して退室するつもりは無いけど、そこは穏便にしたいし、殿下の方から婚約破棄を提示してくれないと、お父様は納得しない。
「結局、ゲームの強制力の可能性を考えると、殿下と聖女様が自然に惹かれ合うのを邪魔せずに、私が静かに身を退くパターンしか考えられないのよね。」
しかし、聖女様が別のルートに入ってしまえば、少なくとも処刑は避けられる。
「でも、どのルートでも私が悪役なのよね。」
そう、この悪役令嬢、自分に関係ないところでも積極的にしゃしゃり出てきて聖女様をいじめ抜く。
一体、聖女に何の恨みがあったのかは作中に描写は無いが、平民だからとか婚約者のいる殿方に、とか本当にライフワークのように情熱を注いでくれる。
その結果、殿下に婚約破棄されて国外追放や修道院行き、生涯幽閉、身分剥奪などの憂き目に遭う。やられ方のバリエーションも豊富なのだ。
「だから、どのルートに入ったのかも重要だし、婚約破棄が避けられないのなら、早めに穏便な形で収束させるほかないのよね。」
自分で考えていて凹んでくるが、最悪を回避できれば御の字、そう自分を納得させるほかない。
「それではまず、するべき事は何かしら。」
なかなか良い考えは思い付かないが、聖女と攻略対象に近付かないのが必須条件だ。
特に、ジェニファーはイベント時に余計な事を発言して顰蹙を買っていた。
イベントが起きる場所に居合わせないことも必要だろう。
人間、何はなくともまずは周囲の信用と評判が良くないと生きていけない。
「それと、取り巻きを作らないことね。」
これは、王妃となる立場の者をしては、失格レベルの行動であるが、どうせ婚約破棄される予定なら、支障はあるまい。
「でもこれでは、楽しさとは無縁の学生生活になりますね。」
また気持ちが落ち込むが、命がかかっているのだから仕方が無い。
それに、悪役令嬢の我が儘に、ほかのクラスメイトを巻き込むこともできない。
以前のジェニファーなら不可能でも、私ならきっとできる。
コンコン!
ドアを優しくノックする音、これはメアリーね。
「どうぞ、お入りになって。」
「失礼いたします。夕食の時間が迫って参りましたので、お召し替えに参りました。」
「制服のままでもいいのよ。」
「本日は旦那様もご一緒とのことですので、ドレスにお着替えなされた方が良いと思いまして。」
「あなたが大変だから、少し、髪を整えてくれるだけでいいわ。」
「はい、それでは失礼いたします。」
私がドレッサーの前に座ると、鏡に映るメアリーに話しかけられる。
「お嬢様、最近何かお悩みごとなど、ございますでしょうか。」
「年相応に悩みはあるわ。でも、心配するほどのものではないから安心して。」
「そうですか。最近、お嬢様がとても変わられたと感じますので、つい、心配になりまして。」
「こんな私を心配して下さって、本当にありがとう。」
ゲームの中では散々な目に遭っていたメアリー。
ジェニファーに一番近い所にいたのは彼女で、きっと作中で語られない苦労も多かったはずだけど、彼女は最後までジェニファーに寄り添ってくれた。
プレイしながら、聖女より聖女だ、なんて思ったりもした。
こうして実際に会えたからには、彼女に恥じない主でいたいと思う。
「いえ、お嬢様は本当に素直で、心根のお優しい方です。誰が何を言おうとも、このメアリーの気持ちは変わりません。どうか、どんなお悩みがあっても、ご安心下さい。」
「ありがとう。あなたの優しい思いに今まで全く応えなくて本当にごめんなさい。これからは、メアリーが自慢できるような主になるから、少しだけ時間を頂戴ね。」
「はい・・・」
メアリーは涙ぐみながら髪をとかしてくれる。
悪役令嬢にも、周囲にはこういう人もいたのよね。
きっと、私が真っ当な振る舞いをすることで、救われるのは私だけじゃない。
そんな静かな決意とともに、もう一人の専属であるドロシーと、半年以上遠ざけている従者のブレンダにも謝らないといけないなあ、などと思う春の夕暮れ。