62.
ガクッと頭が落ちたタイミングで目を覚ました。
一瞬、ここがどこかわからなかった。が、すぐに思い出した。
(夢だったのね?)
膝を抱えた姿勢から、右側の壁にもたれてしまっていたようだ。その姿勢から、前のめりになってしまったらしい。
いつの間にか眠っていたのである。
(子どもの頃の夢なんて、ほんとうにいつぶりかしら? というか、ほとんど思い出すこともなかったわ)
あの頃は、マイケルとわたしの間に意思疎通があった。そのほとんどが口論ばかりで、たまに取っ組み合いのケンカをしていたけれど。それでも、わたしたちの間にはちゃんとしたコミュニケーションがあったのだ。
しかし、いまは違う。
いま、わたしたちの間になにもない。憎しみがあるだけで、それ以外のものは存在しない。
(だけど、わたしにとってレッドヒルでの滞在やその帰りに夕陽を見たのは、最良の出来事だったわ)
マイケルとふたりで、王都郊外にある体験型の牧場兼農場ですごした。その帰路、マイケルが夕陽を見に連れて行ってくれた。
マイケルが誘ってくれたことじたい、わたしの中では想定外のことだった。もっと驚いたのは、彼がわたしの前で一日中機嫌よくすごしていたことである。
きわめつけは、「見せたいものがある」といって見せてくれた夕陽。
たしかに、夕陽は美しかった。感動以上のものだった。
しかし、わたしにとっては、夕陽以上にマイケルが見せてくれたということの方がはるかにおおきかった。
マイケルが見せてくれた夕陽は、一生忘れられないだろう。これからさき、どのような光景を見たり感じたりしようと、あの夕陽を越えるものはない。
そう断言できる。
そこまで考えたとき、いまいる狭くてジメジメした空間の向こう側に気配を感じた。
残念ながら、わたしは凡庸である。小説のヒーローのごとくなにかしらの能力のようなものは持っていないし、開花や覚醒する予定もない。
だけど、空気感というか緊張感というか、そういうものを感じるようなときがある。
それをいま感じているのである。
たしかに、複数名の気配を感じる。
気配を殺し、迫ってくる威圧感をひしひしと感じるのだ。
うなじのあたりは、チクチクどころか指圧されているかのような圧迫感をともなっている。
この感覚は、これまでで最大の危機を知らせているに違いない。
「ヒュッ!」
「ビュッ!」
空気を切り裂く音。
目の前の壁を通じてさえ、その複数の音は鋭く感じられた。
「くそっ! もぬけの殻だ」
「やられた。あのちんちくりんはどこだ?」
かなりちいさかったけれど、静寂の中でもはっきり聞こえてきた。
それは、男たちの「してやられた感」満載のつぶやきだった。
(ちんちくりんって、卑劣な襲撃者たちに言われたくないわ)
むかっ腹を立てている自分の冷静さに驚きを禁じ得ない。
「あらあら、こんな夜中にレディの寝室に徒党を組んで夜這いを仕掛けるだなんて、紳士にあるまじき行為ね」
ひときわ大きな声が聞えてきた。それから、豪快な笑い声も。
(ナンシー?)
この大きな声と豪快な笑い声は、ナンシー以外に考えられない。
「貴様っ! 何者だ?」
「そうか。貴様もおれたちと同類か?」
最初と同じふたつの声には、動揺と困惑が入り混じっていた。
声だけを聞いているので、冷静に分析できるようだ。
「あんたたちみたいな三流の殺し屋と一緒にしないでもらいたいわね」
「ギャッ!」
「グワッ!」
スーパーレディーのようなナンシーの台詞が終わらない内に、尻尾を踏まれた猫のような悲鳴が上がった。と同時に、大理石の床に重いものが落下した音がした。
「天蓋の上に潜んでいるとはな」
襲撃者は、まだいるのだ。
違う声が聞えてきた。
「わたしのよく使う手よ。あんたたちに未来はないから、手の内を教えたり見せてあげてもかまわないでしょ? これからの戦法も含めて、ね」
「ふんっ! 優位に立っていると思うか? だとしたら、貴様はかなりおめでたい奴だ」
「よくそう言われるわ。おめでたいとか能天気とか楽観的すぎるとか」
ナンシーの声には、緊張や不安や恐怖心といった負の感情はいっさい感じられない。
それどころか、彼女のいつもの大声には余裕さえ感じられる。
(ナンシー、あなたっていったい何者なの?)
いますぐここから出て行き、彼女に問い質したい。
ついでに、わたしを殺そうとしている連中の顔を見てみたい。
(ダメダメ。この隠し部屋にいなければ。ジッとおとなしくしておかなければ)
ナンシーは、わたしをこの隠し部屋におしこんでそう命じた。
この割り当てられた客間でずっとすごしていたのに、室内にこんな隠し部屋があるだなんて思いもしなかった。




