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5.

「やあ、アン。あいかわらずきれいだね」


 小柄で小太りのモーリスは、とても可愛らしい顔をしている。それから、すべての行動が愛くるしい。


 モーリスは、話を中断するとわたしに近づいて来て手を差し出した。


「ほんとうにひさしぶりね、モーリス。あなたもあいかわらずぬいぐるみみたいね」


 彼とマイケルとわたしは、子どもの頃からの友人でもある。


 訂正。マイケルとわたしは、子どもの頃から学生時代を通し、ずっと憎しみ合っている仲。ライバルというにはおこがましいけれど、すべてを競い合っていた。


 というわけで、マイケルとわたしは友人関係には相当しない。しかし、モーリスとはそうではない。すくなくとも憎しみ合っている仲ではない。


「だろう? ひさしぶりにハグしても?」

「もちろんよ」 


 本来なら、ハグなど控えるべきである。しかし、ぬいぐるみみたいに可愛らしいモーリスとはそれが許されるだけの仲である。


 夫であるマイケルの前であろうと、モーリスもわたしも気にはしない。


 彼がギューッと抱きしめてきた。というよりか、わたしが抱きしめるといった方がいいだろう。


 彼の金髪が、灯りを吸収してキラキラ光っている。


「時間のムダだ。はやくしろ」


 なにより時間を大切にするマイケルに一喝されてしまった。


「まったく、きみはせっかちだな、マイケル? アンとひさしぶりに会えたのに、ハグも満足にさせてくれないのかい?」


 モーリスの茶色の瞳とわたしの黒い瞳がぶつかった。


 そのとき、なぜか彼の茶色の瞳になにかがよぎったような気がした。


「貴重な時間を割いてやっているんだ。さっさと用件を言え」


 マイケルは、いらないことを考える暇など与えてはくれない。

 

 モーリスから離れ、マイケルの執務机の前に立った。


 長椅子に座るということは、腰を落ち着け長居をするイメージがある。 


 その為、マイケルはそれを嫌う。


「アン、ごゆっくり……」


 わたしのうしろでモーリスが出て行こうとした。


「モーリス、まだ話は終わっていない。ここにいてくれ」


 マイケルは、わたしとふたりきりになりたくないのだ。


 ふたりきりになれば、彼はタガが外れ、わたしが立ち直れないくらい非難するだろう。わたしに対し、非難中傷や悪口雑言のかぎりを尽くすだろう。


 それを防ぐため、マイケルはけっしてわたしとふたりきりになろうとしない。つねに使用人やモーリスを側にいさせる。


 たとえ内密の話だろうと門外不出の秘話だろうと、マイケルは憎いわたしとふたりきになるよりかは、そういった秘密が他者の耳に入った方がマシなのだ。


 それがわかっているから、わざわざ「内密の話」とは繰り返さない。


 もっとも、マイケルにとってモーリスはこの世で一番信頼がおける人物。わたしよりも彼を信頼し、尊重し、大切にしている。


 ここにいても問題はない。


 そういうことになる。


 とはいえ、モーリスに関してはわたしも同様だけれど。


 彼がいなければ、マイケルとの関係はもっとひどいはず。というよりか、関係さえまったく築けていないはず。


「時間のムダでしょうから、単刀直入に申し上げます。隣接するバークレー公爵領で不正が行われている可能性があります」


 ズバリ叩きつけた。


 マイケルの冷え切った美貌に。


「鉄壁の銀狐」と怖れられている銀髪碧眼の容貌に。


「証拠は? おまえはいま、可能性があると言ったが、その目は確信している目だ。わざわざ王都に来たからには、可能性を論じるためではない。確信しているからだ。違うか?」


 わたしを探るような、厳しくて冷たい視線。


 いいや。責めるような弾劾するような目。


 途端に怖気づきそうになった。気がひけてしまいそうになった。


 しかし、ここでひきさがってはならない。


 そのために調べ上げ、証拠もそろえたのだ。


 わたし自身のためではない。


 バークレー公爵領では、領民たちがありえないほど搾取されている。そして、過酷きわまりない労働を強いられている。


 ひいては、マイケル自身やサンドバーグ侯爵家のため、さらにはこのダリス王国のためにもなる。


 あらゆる人々の為、いまはこのプレッシャーに持ちこたえ、耐え忍ばねばならない。


 そのことも留意しつつ、マイケルの射るような視線を受け止めた。


「そうですね。根も葉もない噂やちょっとした好奇心で言っているのではありません。それから、ありえない推測やいいかげんな思惑などでもありません。信頼のおける情報や訴えをもとに、学者やわたし自身の調査の結果で申し上げています」


 そう言いながら抱えている資料をマイケルの執務机の上に置いた。


 それはけっして軽くはない。むしろ膨大ともいえる量である。


 物理的、事実的にも。


 マイケルは、一冊を手に取り目を通し始めた。


 わたし同様、彼も速読が得意である。しかも彼は、わたしと違って理解力や処理能力は高い。


 読み終わった一冊をモーリスへ差し出し、二冊目を手に取る。


 それの繰り返しである。


 そして、すべて目を通した。


 その間、無言のままで。


 さほど時間はかかってはいない。


 年単位をかけて緻密に調査し、丹念に記載した資料。


 マイケルは、それをあっという間に目を通してしまった。


 そこはすごいと思う。

 

 実際のところは、だけれど。


 わたし自身、この沈黙は長かった。


 緊張と不安とで押しつぶされ、倒れてしまうのではないかと思えるほど長かった。


「モーリス、手配を頼む」

「了解。『鉄壁の銀狐』秘蔵の諜報員たちの腕の見せ所だな」


 こんな時間だというのに、モーリスは足早に執務室から出て行った。


 愛くるしい顔に不敵な笑みを浮かべつつ。


「なにを突っ立っている? 話は終わりだ。出て行け」


 マイケルは、わたしと目を合わせることなくそう命じた。

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