20.
(どうしてこうなったのかしら? これはどういうこと?)
マイケルとわたしはいま、王都郊外にある牧場に向け馬を走らせている。
マイケルは、彼の愛馬ライトニングに。わたしは、ブラックローズに。それぞれ跨り、連なる山の方角へと街道を走り続けている。
もっとも、マイケルは宰相という立場上護衛が数名ついている。彼らは、距離を置いて馬で続いている。
それでも、ほぼふたりきりに違いはない。
今朝、朝食が終わりかけた頃のことである。
いつものように先に席を立ったマイケルが言った。
「乗馬服を着用して厩舎に来い。レッドヒルに行く」
彼はそう言い残し、食堂を出て行ってしまった。
レッドヒルとは、王都から馬で二時間ほどの距離にある丘で、サンドバーグ侯爵家が出資している農園や牧場のことである。広大な敷地では、じつにさまざまな作物や乳製品や肉や加工品やたまご類が作られており、王都に出荷されている。
サンドバーグ侯爵家の食材も、ほとんどがレッドヒルから運ばれている。だからこそ、日々新鮮な食材を使い、口にすることができる。
(マイケルはいったいどうしたの? というか、どうするつもりなの?)
馬上、彼の背を見ながらいろいろ推察してしまう。
が、なにひとつ浮かんでこない。
マイケルが何を考えているか、彼のみぞ知るということ。
ふっきることにした。
王都独特の空気や雰囲気から解放されたのである。どうせなら解放的なこの空気を堪能した方がいい。それに、レッドヒルに行くのは何年かぶりのこと。さまざまな体験や見学をしたい。
楽しもう。
そう決めた。
レッドヒルでは、生産しているだけでなく、さまざまな体験ができたり、バーベキューや試食、敷地内にある湖で釣りやボート遊びができたりと、一日中遊ぶことができる。王都から遊びに行く人も多い。いわば観光スポットである。
それだけではなく、職業訓練や人材の育成なども行なっている。
連日、大勢の人々で賑わっている。
この日も王都からやって来た家族連れやカップルなど、大勢の人々で賑わっていた。
レッドヒルの管理人に出迎えられた。
マイケルが事前に訪問することを伝えていたのだろう。
ライトニングとブラックローズを預けると、コテージでお茶とケーキをいただいた。
目の前に広がる青々とした牧草地。太陽と草の入り混じったにおい。動物たちの鳴き声と人々の笑い声。
全身で開放感を味わう。
お茶とケーキをいただきつつ、ときおり目を閉じてそれらを実感する。
ふと前を見ると、小さなテーブルをはさんでマイケルがいる。
いつもより断然距離が近い。
そのとき、彼が視線を上げた。
彼の碧眼とわたしの黒い瞳がぶつかる。
ドキリとした。
想定外の事態に緊張したに違いない。
「チーズ作りとパン作りをやる」
マイケルは、つぶやいた。
それから、立ち上がりつつ管理人に案内を頼んだ。
彼を追いかけつつ、驚いていた。
じつは、嫁いだばかりで領地に行く前、マイケルに連れられてレッドヒルに来たことがある。
そのときには馬車だった。
そのとき、生まれて初めてチーズを作り、パンを焼いた。他にも、農園や果樹園でイモやオレンジの収穫をしたけれど、チーズ作りとパンを焼くのが楽しすぎてはしゃいでしまった。
いまでこそサンドバーグ侯爵領の屋敷でチーズを作り、パンを焼いているけれど。
(マイケルは、あの時わたしが楽しくてはしゃいでいたことを覚えているのかしら?)
そう考え、すぐに考え直した。
(そんなはずはないわね。偶然よ、偶然)
彼がわたしのはしゃぎっぷりを覚えているなんて、そんなことは妄想にすぎない。
頭を左右に振り、苦笑してしまった。
チーズ作りやパンを焼くのは、サンドバーグ侯爵領の屋敷で日常茶飯事的にやっている。
サンドバーグ侯爵領は、鉱山があるだけではない。広大な土地は肥沃で、農業や林業や牧畜業が盛んである。
歴代の当主のお陰で、他の領地より文化や福祉も充実している。
屋敷じたいも、農作物をはじめ牛や馬やトリを育てている。ほぼ自給自足である。
毎日のようにやっていても、チーズもパンもそのときによって作り方や焼き方が微妙に違う。
その匙加減がまた、難しくもあり楽しくもある。
レッドヒルを訪れた人たちと協力して作るのは楽しすぎる。
親子連れ、老夫婦、若いカップル、友達どうし。
みんなとワイワイ話し、騒ぎながら作業を進めていく。
傲慢な貴族やワガママ放題の子息や令嬢などはいない。
それもまたいい。
サンドバーグ侯爵領に帰った気になる。
全員、レッドヒルが準備したエプロンを着用している。




