19.
翌日、キースがやって来た。
てっきり乗馬服を届けに来てくれたのだとばかり思っていた。
たしかに、それも届けてくれた。
だけど、それだけではなかった。
キースは、わたしを屋敷から連れ出したのだ。
彼の馬車で向かった先は、王都の大広場で月に一度行われる定期市。
そこには、ダリス王国中からさまざまなものや人が集まってくる。
建国当初から続いている、王国民の楽しみのひとつ。
わたしも子どもの頃には何度か訪れたことがあった。しかし、進学するとその機会もなくなった。
現在はサンドバーグ侯爵領にいるし、王都に来ても定期市の開催日とかぶることはまずない。
「たまにはこういうデートも楽しいだろう?」
「ええ。ほんとうに何年ぶりかしら」
キースは、いつもの粋なスーツではなく、シャツとジャケットとズボン姿。わたしもシャツにズボンと、ふたりともカジュアルである。
大広場は、中央公園内にある。
中央公園は、ほんとうに広い。そこには、図書館や美術館や植物園など、公共の施設がある。
大広場もかなりの広さで、そこに何千という店や出し物などが出ている。
二日間にわたって早朝から深夜まで開催されているけれど、すべてを回りきるのはまず不可能。店が多いだけでなく、多くの人で賑わうので見てまわるのが難しい。
わたしたちは、お昼前から見てまわった。
「ねぇ、美味しそう」
「まぁ、面白そう」
「興味深いわね」
「最高じゃない?」
まるで子どもみたいにはしゃぎまくってしまう。
キースもまた、一緒になってはしゃいでいる。
というか、そのふりをしてくれている。
ランチは、あらためてとらなかった。というのも、いろいろな屋台で購入しては食べながら見て歩いたからである。
結局、半分もまわれなかった。
二日間開催されるが、明日は来ることができない。
空が赤色に染まりつつある頃、定期市を後にした。
夕食は、キースお薦めの店へ行った。
(先日の誘いは、社交辞令だとばかり思っていたのに……。こういうところは変わらないわね)
キースは、子どもの頃から有言実行の人だった。それは大人になり、環境が激変してからでも変わっていない。
「貴族ご用達の名店の気取ったコース料理もいいけどね。ここは、庶民向けなんだ。単品をいくつも頼んで、みんなでシェアするってわけ」
「その方がたくさんの料理を味わえるわよね。わたしもその方が気楽だわ」
お店自慢のシチューやパイや魚のフライやサラダなど、ふたりで驚くほど食べた。
料理は、どれもこれも美味しすぎた。食材の持ち味をいかし、絶妙な味付けがされている。
マイケルと離縁した後、というか彼に放り出された後、どこかで料理でもして生活費を稼ぐということを手段のひとつに考えている。
この店の料理人にレシピを教えてもらいたくなった。
料理が美味しいだけではない。
キースと会話したり笑ったりしながら食べる、ということが楽しすぎる。
それこそ、時間が経つのを忘れてしまうほどだった。
こんなに楽しい食事は、いったいいつぶりだろう。
思い出せそうにない。
「アン。きみは、相変わらず大食漢だな」
「悪かったわね。運動量がすごいから問題なしよ」
食後、デザートにアップルパイを堪能した。
「アン、しあわせかい?」
丸テーブルをはさんだ向こう側で、キースはティーカップを持ち上げ、それ越しに尋ねてきた。
ドキリとした。
まったく同じことを、つい先日アンソニーに尋ねられたばかりだから。
「え? どうしてそんなことを尋ねるの? わたしって、そんなにふしあわせそうに見えるわけ?」
「……」
キースは、わたしの問いに言葉を返さなかった。
しかし、その美貌にはあきらかに「ふしあわせそうに見える」と刻まれている。
「そうなのね」
無意識のうちに溜息が出ていた。
「アン、おれは気がついているんだ。きみとサンドバーグ侯爵、いや、マイケルとの関係を。学園のときからずっとかわらない。というか、いまの状態はもっとひどい。きみは、いまのままで耐えられるのか?」
「キース、あなたが思っているほどひどくないの。ほんとうよ。領地で好きなようにさせてもらっているし」
「そのことだってそうだ。きみが好きなようにしているのは、あくまでもマイケルに代わってサンドバーグ侯爵領を守り、発展させるためのことばかり。噂になっているような好き勝手とは次元が違いすぎる。だいたい、マイケルはそんなくだらないを否定するどころか黙認している」
キースの怒りように困惑してしまった。
「アン。きみは、長年に渡って彼や領民たちに充分尽くした。もういいんじゃないのか?」
「どういう意味?」
「それは、きみ自身が一番よくわかっているはずだ。マイケルとの離婚後のことは、なにも心配いらない。おれが責任を持って面倒をみる。だから、マイケルとは……」
「キース、ほんとうに大丈夫。大丈夫だから。それよりも、そろそら帰らないと」
キースから予期せぬ言葉を投げられ、困惑を通り越して動揺した。
席を立っていた。
これ以上、彼の言葉を聞きたくなかったから。
キースは、わたしの意図を察してくれた。
彼は、昔からいつもわたしの意図を察し、わたしの意に添うかのように行動してくれる。
というか、わたしがわかりやすい性格やかんがえをしていて、それらが表情に出ているのかもしれない。
とにかく、キースは、これ以上マイケルとのことは話さず、わたしをサンドバーグ侯爵邸へと送ってくれた。
「キース、今日はほんとうにありがとう。楽しかったし美味しかったわ」
馬車から降りる際、キースにお礼を言った。
「おれも楽しかったよ。アン、領地へはいつ戻るんだい?」
「いまのところ明後日かしら。じゃあ、おやすみなさい」
「アン、待ってくれ」
いままさに馬車から降りようとしたタイミングで、キースに右腕をつかまれた。そうと認識した瞬間、彼の方へと引っ張られた。
馬車が大きく揺れた。
「キース、危ないじゃないの……」
キースに抱き止められていた。離れようにも、彼の両腕が力強くて抜け出せない。
「もうっ! いたずらにもほどがあるわ」
キースは、昔からいたずら好きでもある。
「アン。おれは、きみのことが……」
「どうした? なにかあったのか?」
キースがなにか言いかけた瞬間、開いたままの馬車の扉にマイケルが現れた。
文字通り仰天してしまった。
「な、なんでもありません。わたしが馬車から転げ落ちそうになり、キースがひっぱってくれたのです」
とっさに嘘をついていた。
走り去る馬車を見送った。
マイケルは、屋敷の内へと消えていた。




