17.
わたしも一応は王都で生まれ育った貴族令嬢。王宮には何度か訪れたことがある。
しかし、単独で王族のだれかから招待されたことはなかった。これまでは、舞踏会や夜会や大規模なお茶会など、大勢の人が集まる中のひとりだった。
とにかく、王宮は規模が違う。馬車でも自分の足でも乗ったり歩いたりする距離が半端ない。
急すぎた上に物理的な距離もあり、約束の庭園の東屋に到着したのは時間ギリギリだった。
さいわい第三王子アンソニー・ウィンザーは、まだ来ていなかった。というか、当然王族よりかははやく来なければならないのでヤバかった。が、彼はまるでわたしが到着するのを近くから見ていたかのように、ほぼ同時に現れた。
東屋に向かってくるアンソニーは、太陽をバックに光り輝きよく見えない。王族らしく、十数人を引き連れている。そのほとんどが将校服姿で、あとは王宮付きの侍女。
アンソニーを迎える為、東屋の入り口に控える。
「王子殿下、本日はお招きいただきありがとうございます」
ドレスの裾を上げ、礼をとる。
領地に帰る前のクソ忙しい中、しかも「いますぐ」的な迷惑この上ない招待に迷惑している、とは言えるわけもない。
「アン・サンドバーグ侯爵夫人、急な招待に応じてくれて感謝する。ぜひとももう一度話がしたくてね」
(え?)
聞いたことのある声。
「アン、アンソニー・ウィンザーだ。第三王子よりも将軍として動いている。だから、殿下と呼ぶのはやめて欲しい」
まばゆい陽光の中から現れたのは、先日のパーティーでぶつかり、庭のベンチで笑い合ったトニーだった。
「ト、トニー?」
さすがのわたしも愕然としてしまった。
(アンソニー……)
アンソニーの愛称はトニー。
彼は、愛称を名乗ったのだ。そして、三男坊と自己紹介したのも嘘ではない。
たいしたことのない家、というのは嘘だけど。
「アン、だまっていてすまない。先日のパーティーは、お忍びで出席していたんだ。おっと、そんなに畏まらないで欲しい。今日のこのお茶会も非公式なのだから」
アンソニーは、近づいてくるとわたしの手を取り軽く口付けした。そして、テーブルへと導いた。
テーブル上には、すでに美味しそうなスイーツやサンドイッチが並んでいる。
侍女がお茶を淹れている間、沈黙が訪れた。
その間、アンソニーはこちらをジッと見ている。
見られることに慣れていない。しかし、不思議と不快ではない。むしろしだいに緊張が和らいでいく。
やさしくてあたたかいアンソニーの視線。
左反面は金髪で隠れているけれど、その下の左目も右目同様ルビー色に輝いているのだろう。
「あらためて、アン。招待に応じてくれてありがとう。きみが領地に帰ってしまうかも、と考えてね。今回ばかりは王族としての権威を振り翳してしまった」
ティーカップが置かれたタイミングで、侍女と護衛のほとんどが下がってしまった。
ティーカップからほのかにバラの香りが漂ってきた。
ローズティーは、わたしの好きなお茶のひとつである。
「殿下、いえ、将軍閣下。先日の無礼、心よりお詫び申し上げます」
まずは謝罪をしなければならない。
侯爵夫人たるもの、自国の第三王子の顔も知らなかったでは済まされない。
たとえそのほんにんが謎に包まれているとしても。
「アン、そう堅苦しくならないでくれ。おれは、たいしたことのない家の三男坊なのだから」
(あなたはそうでも、わたしはそうはいかないのよ)
心の中でため息をつく。
「素敵な香りですね。とても美味しいです」
アンソニーの言ったことには反応せず、違うことを言った。
「王宮のバラ園のことは知っているだろう? サンドバーグ侯爵家が管理してくれている」
「はい」
「そのバラ園のバラのお茶だよ」
王宮のバラ園は、サンドバーグ侯爵家が管理を任されている。
微笑みとともにうなづいておいた。
「ほんとうは、先夜のように楽しく話をしたいところだけど、いまはもうきみはそれが出来ないだろう」
そう言ったアンソニーのルビー色の右の眼は、ドキッとするほど寂しげに見えた。
東屋のテーブルはおおきくない。向かい合っている距離は近い。
物理的にも精神的にも、マイケルよりもずっと近い。
そう考えると、急に怖くなった。なにか自分が不貞でも働いているかのような気になる。
「マイケルとは軍で一緒だったんだ」
ハッとわれに返った。
マイケルの名が出てきたからである。
「彼にはいろいろ助けられたよ。いまも、だけどね。おれの母上のこと、知っているだろう? だから、おれは野心なんて微塵も持っていない。しかし、王族としての責務は果たしたい。というわけで、できるだけ王子と知られぬよう軍の学校に入学した。どちらかといえば政に携わりたかったが、あの世界は政敵たちの道具にされるか、あるいは簡単に潰されるだけだ。それならば、武で支えられればと考えた。同期のマイケルとモーリスは、おれの正体を知る数少ない親友。ライバルでもある。卒業してからも、軍で競い合った。マイケルは宰相へと転身したが、そのあとでも協力し合っている」
「そうだったのですか」
初めて知った。
王子という身分を伏せて将軍までのぼり詰めているということは、アンソニーもまたマイケル同様優秀なのだ。
第三王子が優秀だというのは、噂ではなくほんとうだったのだ。
「まっ、マイケルが将軍職を譲ってくれたんだけどね」
両肩をすくめて気恥ずかしそうに告白したアンソニーが、可愛らしかった。
「アン、その笑顔だよ。その心からの笑顔が素敵だ。愛想笑いなんかよりずっとね」
「も、申し訳ございません」
笑ってしまっていた。
慌てて謝罪した。
彼の右のルビー色の目と合った。
ふたり同時に笑い出した。
あのパーティーの夜のように。
「じつは、あのパーティーに参加したのは理由があるんだ」
アンソニーは、笑いがおさまると切り出した。
「以前より、バークレー公爵が私兵を増やしているという情報があってね。具体的には、周辺国の傭兵ギルドに傭兵を要請している。その数は、長期間に渡ってじょじょに増えつつある。そのことで、マイケルと警戒していたんだ。先日、その彼から興味深い情報を得たわけだ」
「ということは、夫はバークレー公爵領で行われていることを閣下に?」
アンソニーは、無言でうなづいた。
マイケルがバークレー公爵領で行われている不正などについて、王子であるアンソニーに話しをした?
マイケルは、よほどアンソニーのことを信頼しているのだ。
(というか、マイケル自身すでにバークレー公爵領の情報を入手していたに違いないわ)
そうとしか考えようがない。
考えてみれば、マイケルがこのわたしの情報だけを鵜呑みにするわけはない。もしかすると、決め手くらいにはなったかもしれないけれど。
「それで、きみ自身はどう感じた?」
「じつは、バークレー公爵に暇乞いをしたとき、彼の耳に囁いたのです。領内の鉱物資源などについて秘密がある、みたいなことを」
このことは、マイケルに話せていない。
彼に意図的に話していないのではない。彼に話そうにも本人に会えないから話せていないのだ。
「わたしの感触では、『当たり』だと」
「いや、アン。それは危険だったのではないのかい?」
「わたしがバークレー公爵領内のことを嗅ぎ回っていることは、バークレー公爵も気がついているでしょう。しかし、わたしは悪女で通っています。バークレー公爵もそう思い込んでいます。彼は、わたしがつかんだ情報をもとに彼を強請るつもりだ、くらいにしか考えていないでしょう。実際のところ、わたしのことをかなりバカにしていましたので」
「そうだとしても危険だ」
「大丈夫です」
アンソニーは、心配しすぎである。
(ああ、そうか。わたしが調査の邪魔になったのね。勝手なことをして、ということかしら? わかっているわよ。マイケルとアンソニー。このふたりの邪魔はしないわ。たぶん、だけど)
「ご心配にはおよびません」
この話はもう終わりとばかりにピシャリと言った。
アンソニーは、何か言いかけたけれど口をつぐんだ。
もうそろそろお暇しなければ。
招待されているとはいえ、アンソニーは忙しいはず。
というか、正体を知ってしまった以上、気を遣わずにはいられない。
「アン、しあわせかい?」
アンソニーのその問いにかたまってしまった。
マイケルは、何もかも完璧だ。しかし、妻であるきみに敬意を払っているようには感じられない。彼から、きみのことを一度も聞いたことがなかったんだ。それに、アンジェラ・オールブライト伯爵令嬢のこともある」
「はぁ……」
としか反応しようがない。
「もしかして、いま流行りの契約結婚かい?」
「いいえ、けっしてそのようなものでは……」
正直なところ、きっちり期限を設けて夫婦ごっこをするその方が気が楽である。
「閣下」
「トニーと呼んで欲しい。あの夜のように」
「……。とにかく、夫もわたしも淡白で、人前でベタベタしたり、他者におたがいのことを褒めたりするのを好みません。それに、家門を辱めることがなければ、おたがい自由気ままにするというのが方針なのです。ですから、わたしが領地内で何をしていようが彼は気にしていませんし、わたしも彼が王都で何をしていようと気にしません」
「だったら、先夜の涙は……。いや。それなら、きみもまた、誰と会って何をしようとマイケルは気にしないということになる」
「おそらくは」
というか、マイケルは絶対に気にしない。
とはいえ、このわたしが、だれかとケンカすることはあっても馴れ合うことはまずない。
「アン、このことであらためて話をしても?」
バークレー公爵領のことなら、調査の進捗状況など知りたい。
「もちろんですとも」
即座に快諾した。
「また連絡するよ。それと、くれぐれも気をつけてくれ」
「はい。お待ちしております」
アンソニーとのお茶会は、無事に終了した。




