15.
「どこに行っていた?」
大広間に戻ると、大勢の人たちがかわらず思い思いにすごしている。
マイケルに声をかけられたのは、大広間から廊下に出たタイミングだった。
振り向くと、彼は美貌に不機嫌そうな表情で廊下に出てきた。
東屋で見た彼は、その美貌にやさしい笑みを浮かべていた。
彼との付き合いは長いけれど、あんなにやさしい表情は見たことがない。一度たりとも、である。
子どもの頃に初めて会ったときでさえ、彼は美しくて可愛い顔を不愉快で染めていた。
『おまえには負けない。おまえは好きじゃない』
彼のわたしに対する第一声である。
敵意と闘争心を剥き出しにされ、困惑したことをいまでもはっきり覚えている。
それはともかく、彼はあのときからまったくかわらない。というか、ますますひどくなっている。
そんな彼のやさしい表情を思い出した。
東屋では、ある意味動揺してしまった。しかし、わずかでも時間をおいたいま、あのやさしい表情は新鮮とさえ感じる。
なぜかドキリとした。心臓がドキドキし始めたのだ。
きっとわたしとのギャップがすごすぎるからだろう。小説に出てくるヒーローと同じである。強面とか不愛想なヒーローが、愛するヒロインの前ではデレデレしたりしおらしくなる。
そんな描写を読むとドキリとしてしまうから。けっしてうらやましいわけではない。ただ単純にヒーローのギャップっぷりが可愛らしいからである。
それと同じことに違いない。
「アーノルドがひとりでいる。もう一度挨拶するぞ」
彼は、一方的に告げた。わたしの答えや反応は不要なのだ。
さっさと大広間に戻って行った。
慌てて追いかける。
それもまた、いつもと同じこと。
パーティーが始まって間もなくの頃、アーノルドと対面した。が、ホストの父親として挨拶まわりをしていたので、ほんとうに顔をあわせる程度だった。
パーティーが終盤にさしかかったいま、彼も落ち着いているようだ。
いまは近くに護衛が数名いるだけで、ひとり酒を飲んでいる。
いかにも傲慢で抜け目のない上流貴族といった外見の彼に、いよいよ接触できるわけ。
緊張と不安とがイヤでも高まってくる。
マイケルは、一応妻であるわたしをエスコートすることさえ飽きたか鬱陶しいらしい。
前を足早に歩き続けている。
(いまはマイケルよりアーノルドのことよ。集中しなきゃ)
心の中で気合いを入れ直した。
やっとマイケルに追いついたとき、彼はすでにアーノルドと会話を始めていた。
とはいえ、最初はごくありきたりな内容。
それを聞きつつ愛想笑いを浮かべ、マイケルの横に立った。
「楽しんでいるかね、侯爵夫人?」
「お蔭様で全力で楽しんでいます、公爵閣下」
「だろうな。うちの料理はどれも最高だろう? 今夜は、王宮から料理人を呼んでいるんだ」
「ええ。どれも最高級です。この美味しさを独り占め出来て光栄です」
よく見ていると思った。意外だ、とも思った。
だけど、わたしも負けてはいない。
全力の笑みで応じた。
一瞬、アーノルドの下膨れの顔の中にある狡猾そうな細い目がキュッと細められた。
「思い出した。きみが『レディのくせに領主気取り』している輩か?」
それから、いくつかのハラスメント的言葉を投げかけられた。
(マイケルのように『おまえ』ではなく、『きみ』あつかいされるだけまだマシかしら?)
とはいえ、『輩』あつかいされるいわれはないけど。しかも領主気取りなんてしているつもりはないし。
っていうか、領主気取りってどういう意味?
ワガママ放題しているってこと? それとも、違う意味で言っているの?
「バークレー公爵閣下。僭越ながら、わたしは王都で王家やモーリス王国のすべての人々のために身を粉にして尽くしている夫にかわり、サンドバーグ侯爵領にひきこもって好き勝手させてもらっているにすぎません」
やわらかい笑みとともに応じた。
アーノルドが悪女や悪妻としての噂をもとに嫌味を投げつけてきたのだと信じて。
「ほう……。そのわりには、ずいぶんと派手にやっているようだな」
細い目がさらに細くなった。
こちらを探っている。
「たしかに噂通りかもしれませんわね。夫も手を焼いていますし。ですよね、あなた?」
わざとマイケルに同意を求めた。
マイケルは、わかっているのかいないのかわからない。しかし、とりあえず不機嫌そうに鼻を鳴らしただけだった。それから「そろそろ失礼します」とアーノルドに一礼し、さっさと去ってしまった。
「サンドバーグ侯爵領にひきこもっていますと、夫に秘密がたくさんできてしまいますわ。たとえば、領内の鉱物資源のこととか」
アーノルドの耳にささやいた。
「すてきな婚約披露パーティーでしたわ」
それから、身を翻してマイケルを追った。
背中にアーノルドの視線を感じながら。
手ごたえを感じながら。




