14.
「ケガはありません。どこも痛めていません」
何度も確認してくるのが、ちょっとだけ鬱陶しい。
「では、どうして涙を流しているんだい? 泣いているのかい?」
そう指摘され、そのときはじめて自分が涙を流していることに気がついた。
泣いていることに気がついたのだ。
庭園にあるベンチに座ることにした。
ぶつかった彼に座らされたといっていい。
いずれにせよ、泣いたまま大広間に戻るわけにはいかない。時間を置いた方がいい。
だから、彼に言われるまま座った。
「おれは、トニー。たいしたことのない家の三男坊さ」
「アン・サンドバーグです」
隣あって座り、自己紹介し合った。彼が左側に座ったのは、わたしに左半面を見せない為なのだろう。
「サンドバーグ侯爵夫人?」
「はい。噂高い悪女です」
苦笑とともに言うと、彼は慌てて首を左右に振った。
「悪女だなんて……。しかし、これほど美しくて知性のあふれる人だとは思いもしなかった」
トニーは、って、愛称でどこの貴族かもわからないけれど、とにかく、彼は憐れんでそう言ってくれた。
「もしよければ、理由を尋ねてもいいかい?」
泣いていた理由を尋ねられた。
「たいしたことではないのです。月を見ていたら、なぜか切なくなってしまって……。慣れない王都の華やかなパーティーで疎外感を感じていて、領地が恋しくなってしまったのです」
まったくの嘘ではない。
というか、泣いていたことのほんとうの理由は自分でもわからない。
だから答えようがない。
「わかるわかる。おれも同じ。だからこっそり抜けだして、ウロウロしていたんだ。そうしたら、きみをふっ飛ばしたってわけ」
彼は気がついている。
わたしの答えがほんとうの理由ではないことを。
それでも気がついていないふりをし、おどけてくれた。
わたしが彼の左半面に気がついていないように、彼も気がついていないふりをしてくれている。
「そうですよね。苦手なんです。社交界って、自分の居場所じゃありません」
「まさしくそうだよ」
トニーとは、そのことで盛り上がった。
時間を忘れるほど、社交界のウザさについて冗談を言い合い、笑い合った。
それは、わたしにとっていいリフレッシュになった。
キースと接するのとはまた違う意味で。
キースとは、幼馴染のようなものだから心やすく接することができる。彼の性格が裏表がなく、やさしくて気遣い抜群で人懐こいというのもあるのだろう。しかし、幼馴染だからこそ、昔から仲がよかったからこそ、かえって気を遣ってしまう面もある。わたしの事情を知られているということもあり、やりにくい面もある。
トニーは違う。
初対面で見ず知らずの彼である。責任もなければ遠慮もいらない。事情や内情のすべてを話すつもりはない。いまのところは、だけれど。しかし、バカなことやくだらないことを話すくらいなら問題はない。
というわけで、散々笑い話やドジっぷりを語り、笑われたり笑ったりできたわけ。
「ところで、その、こんなことを言うのもなんだけど……」
もうそろそろ大広間に戻った方がいいというタイミングで、トニーが言いにくそうに切り出した。
「きみと出会う前、サンドバーグ侯爵を見かけてね。彼は、アンジェラ・オールブライト伯爵令嬢といっしょだった」
ピンときた。
東屋でマイケルといっしょにいたあの感じのいい美女のことだ、と。
(オールブライト伯爵令嬢……)
社交界にはほとんど顔を出さないときいたことがある。それから、キャサリンとは違うジャンルの美人だとも。
『真の淑女』
政治的なことを抜きにすれば、アンジェラ・オールブライト伯爵令嬢の方が評価が高い。
男性たちの憧れ、といってもいい。
(なるほど。マイケルの『ほんとうに愛する人』にピッタリね)
ストンときた。
納得できた。
「アン、大丈夫かい? すまない」
納得しすぎてトニーが呼んでいることに気がつかなかった。
「ご、ごめんなさい。大丈夫です。ほんとうに大丈夫ですから」
自分でも驚いた。そう答えた自分の声が震えていたから。
「アン。ひさしぶりにこんなに笑ったり話したりできたのは、きみのお蔭だ。また会えるといいんだけど」
トニーは、いまのも気がつかないふりをしてくれた。
顔を上げた瞬間、森の方からだれかが歩いて来るのが見えた。
マイケルに違いない。
なぜかそう確信した。
「失礼します」
「ア、アン?」
他の男性といっしょにいるのを見られたくない。
そういうわけではない。ただ談笑しているだけなのだから。なにもやましいことはないのだから。
ただ、マイケルと顔を合わせたくない。
そういうわけなのかもしれない。
トニーが呼ぶのを無視し、逃げるようにして去っていた。




