12.
マイケルは、表向きは妻のわたしをエスコートして馬車から大広間へと移動した。
その間、彼はわたしに対して一度たりとも口を開いてはいない。
それどころか、目を合わせることもないし、愛想笑いさえ見せない。
「鉄壁の銀狐」という異名通り、美貌を険しくしてわたしをエスコートし続けている。
だれもがこちらを見る。
談笑をしていようと人間ウオッチングをしていようと、それらを中断してこちらに視線を送ってくる。
訂正。こちらではなく、マイケルを、である。
たくさんの目。数えきれないほどの視線。
そこにあるほとんどは畏怖。それだけではない。敬意や敵意や害意。そういうものも感じられる。
ほんのすこしだけ誇らしくなった。
マイケルのことが、である。
人々が彼のことをどう思っていようと、これだけの影響力があるのだから。
見た目だけではない。そのすべてに影響を与えている。さまざまな功績を残している。
わたしとは違う。
誇らしく感じるとともに、わずかながらのやっかみとうらやましさとがよぎった。
人々の視線、それからひそひそ話。
マイケルは慣れている。しっかりと前を向いたまま動じない。
一方、わたしは違う。まずこれだけ大勢の人じたいに慣れていない。
落ち着かないどころの騒ぎではない。
このままマイケルの腕を振り払い、回れ右をして走りだしたい。
つまり、逃げだしたい。
いったんその衝動に駆られると、本来の目的などかすんでしまった。というか、消え去った。衝動ばかりがおおきくなっていく。バルーンのようにどんどん膨れ上がっていく。
(しっかりするのよ、わたし。ここで逃げだしたら、マイケルに恥をかかせることになる)
わたし自身が笑われ、後ろ指をさされるのはかまわない。
しかし、マイケルがそうされるのはぜったいにイヤ。
彼に恥をかかせたくない。これ以上、彼を失望させたくない。
なにより、これ以上憎まれたくない。
「大丈夫だ」
そのとき、マイケルがわずかに顔をよせて囁いてきた。
「たいしたことはないだろう? おまえだからな」
そして、なぜか煽ってきた。
マイケルは、こんなときまでわたしを挑発してくる。
(ふつう、勇気づけたり慰めたりするわよね? それを煽ってくるって、どういうつもりなのかしら?)
彼らしい、と思った。
だけど、彼のお蔭で人々の目が、意識が気にならなくなった。
しっかりと前を向き、胸をはってマイケル・サンドバーグ侯爵、「鉄壁の銀狐」と異名を持つ名宰相の妻を演じることができた。
が、堂々とすればするほどつぎは違う意味で注目を集め始めた。
マイケルに対してではなく、わたしに対してである。
男性たちからは好奇の目を、レディたちからは嫉妬の目を、それら双方に晒されている気がする。
男性たちは、まるで珍獣でも見ているみたい。そして、レディたちはあからさまな敵意で見てくる。
周囲に人々が集まってきた。
マイケルは、わたしから離れてそんな人たちと談笑している。
彼はわたしを紹介するわけではないし、人々もわたしなど気にかけていないみたい。
とにかく疎外感が半端ない。
ここは、居場所ではない。ここに来てはいけなかったのだ。
すぐに察した。
多くの人は、サンドバーグ侯爵夫人は領地にひっこんで好き勝手をしている。贅沢三昧している。そう思い込んでいるに違いない。
悪女と名高い伯爵家の令嬢で、幼馴染で約束だからとマイケルが妻にしてやった。お情けで手厚く世話をしてやっている。
それが、世間の常識となっている。
もっとも、それは間違いではない。すべてがではないけれど。
そんなわたしが、三大公爵家筆頭であるバークレー公爵の不正を訴えるために王都にやってきただなどと知ったら、ここにいる人たちは驚くに違いない。
人々の驚きの表情を想像すると、疎外感や腹立たしさがいっきにふっ飛んだ。かわってワクワクしてきた。
そのとき、周囲の人垣が崩れた。
「やあ、マイケル」
現れたのは、アーノルド・バークレー公爵その人だった。
が、その瞬間いよいよ主役のふたりが現れた。
バークレー公爵の娘のキャサリンとその婚約者の第二王子レオナルド・ウインザーである。
バークレー公爵は、恰幅がよくて「いかにも上位貴族」といった外見をしている。白髪はふさふさと光り輝き、威厳と上品さを持ち、顔はたるみまくってはいるけれど、ひとつひとつのパーツは悪くない。
そんな公爵の娘であるキャサリンは、あきらかに母親似のようだ。
金髪碧眼でとにかく美しい。この国一番だとか大陸一だとか、そういうレベルをこえた美しさである。
『美神殺し』
そういう異名がある。
わたし自身、彼女と親交はない。というか、今夜初めて見た。
噂通りの美しさに圧倒されてしまった。
もっとも、ド派手でド官能的なドレスにも圧倒されてしまったけれど。
そして、美しい彼女の婚約者である第二王子レオナルドもまた、美貌である。上品で洗練されている美しさといった感じだろうか。
第一王子が数年前に急逝し、有力な王太子候補になっている。キャサリンと正式に婚約したいま、バークレー公爵の庇護と加護を受けて動きだすだろう。
というのも、第二王子派と第三王子派でし烈な争いがおこっているらしい。
第三王子アンソニーは、身分の低い側妃の子でありながらかなり優秀という。
それはともかく、今夜の主役のふたりは、とにかくキラキラしている。
というか、キラキラ輝いているだけである。つまり、うわべだけのように見えなくもない。
ふたりは寄り添ってはいるものの、おたがいを思いやったり気遣いやったりという感じではなさそう。気にかけあっているという感じさえない。
もしかすると、大舞台に緊張しているのかもしれない。多くの祝福に対応するため、それどころではないのかもしれない。
それを差し引いても、わたしにはこのふたりが愛し合っているようには感じられない。
(ダメね。自分がそうだからって、みんながそうとはかぎらないのに)
たしかに、上流階級の婚約や結婚は、本人の意思に反するケースが多い。しかし、キャサリンとレオナルドがそうとはかぎらない。
わたしとは違う。
ふたりはきっと、わたしとは違うのだ。
マイケルとわたしとの関係とは異なるのだ。
キャサリンとレオナルドの周囲から人々が少なくなってきたタイミングで、マイケルが彼らに向って歩き始めた。
慌てて追いかける。
こういうちょっとしたことでも、アイコンタクトで知らせてくれればと思ってしまう。
マイケルにしてみれば、わたしが彼に合わせるべきだと考えているのだろう。というか、合わせるのが常識だと認識している。
追いついたときには、彼はすでに祝辞を述べたあとだった。
「あら、侯爵夫人もいらしゃっていたの?」
キャサリンが気がつき、声をかけてきた。
「なんてことだ。彼女が噂のサンドバーグ侯爵夫人?」
レオナルドもまた、たいていのレディがよろこぶであろう笑みを美しい顔いっぱいに浮かべてこちらを見た。
「バークレー公爵令嬢、第二王子殿下。このたびは、ご婚約おめでとうございます。ご挨拶が遅れましたこと、心よりお詫び申し上げます。わたしは、マイケル・サンドバーグ侯爵の妻アンです」
「ありがとう、侯爵夫人。噂はかねがねうかがっているわ。それよりも、ずいぶんとかわったデザインのドレスね。幼児体型でボーイッシュなあなたにピッタリだわ」
美の女神をも唸らせる美しさを持つキャサリンは、性格は残念なようである。
「いや、おれはイケてると思うがね。だってほら、多くのレディがみんな型にはめたような美しさだろう? サラッサラの長い髪。いかにも素顔を隠してますっていう濃い化粧。枯れ枝みたいな体。それをド派手でセクシーなドレスで包んで……。彼女を見てみろよ。小柄で健康的。それに、頑丈そうだ。このドレスだって奇抜でイケてるじゃないか」
レオナルドは、なぜか興奮気味で力説した。
彼の言葉の真意は、わたしは男っぽくて風邪ひとつひかないバカで、さらには無作法でちんちくりん、ということ。
もっとも、彼の読みはまったくのハズレではない。
「殿下、なんですって? こんなのが好みなの? こんなののどこがいいっていうの?」
キャサリンに「こんなの」扱いされてしまったけど、気にしない気にしない。
「『こんなの』とは、聞き捨てならんな。これでも一応わたしの妻。妻を侮辱することは、サンドバーグ侯爵家を侮辱することになる」
マイケルがピシャリと言った。
彼もまたわたしを「これ」扱いしたけれど、言ってくれた。
「おおっと、マイケル。キャサリンだから許してやってくれ。アンに対してだけじゃない。だれに対してもそうだから。それよりも、きみがアンを領地に隠している気持ちがわかったよ。さぁ行こう、キャサリン。まだ祝福したいって連中はいるんだからな」
「ちょっと、まだ話は終わっていないわ……」
レオナルドは、キャサリンの肩をつかむと連れて行ってしまった。
(キャサリンとレオナルド。どっちもどっちだわ)
いまのでふたりのおおよそのことが知れた。
マイケルにとっては、父親であるアーノルド同様、不利益にしかならないふたりとわかった。
とはいえ、邪魔程度にしかならないでしょうけれど。




