追跡
米軍の空襲の後、山本は被害状況を確認する為菅谷丸に乗り込んだ。座礁している菅谷丸の姿は更に哀れなものになっていたが奇跡的に電探と無線機、それに非常用の発電機は被害を免れていることが分かった。そして爆撃のあった翌日に岩佐と高橋は菅谷丸の艦橋に呼ばれた。
「どうしましたかな? 」
「岩佐少佐、電探にて敵の航空機を補足しました。どうやら我々の近くを飛んでいます」
艦橋には山本技術少尉の他に数名の将校と水兵がいた。一人の将校が無線機の前で受話器を耳に当てている。彼らの前で高橋はまた敵の爆撃機が飛んでくるのかと思いちょっとうんざりしていた、勿論態度には出さないように表情は毅然として前を見据えたままではあったが。すると受話器を手にしていた将校が叫んだ。
「敵は平文で交信しております! どうやらラバウル方面の友軍を攻撃した米軍爆撃機が機体に損傷を負いつつ友軍の基地へ帰投しようとしているようです! 」
その将校は英語が聞き取れるらしい。おそらく米軍のパイロットが被弾した自機を操りどうにかして基地へ帰投しようとしている間に誤ってカーテレット諸島の近くまで飛んできてしまったのであろう。制空権を米軍が握っているこの状況下ではわざわざ暗号文で自機の状況を伝える必要もあるまいと判断した敵の無線を我々がキャッチしたと推測される。すると岩佐がその将校に尋ねた。
「敵は一機のみか? 」
「はい!おそらく一機かと思われます! 」
すると山本が横からこう言った。
「電探によると敵機の速度は二百km程です。機種は分かりません。ブーゲンビル島に新しく建設されているであろう米軍の飛行場へ向かっているようです。」
「ここからの距離はどれぐらいです? 」
高橋がそう尋ねた。すると山本が答える。
「現時点で我々の西方約五十kmのところを飛んでいる。進路は南東で天候は……曇りのようだな。ところどころスコールが発生しているかもしれない」
「……今すぐ飛び立てば捕捉出来るな」
岩佐が静かにそう言った。高橋が間髪入れずに言葉を続ける。
「少佐! 行きましょう! これは好機です! 艦長の仇討ちになります! 」
「しかし昼間の飛行は危険だ」
山本は高橋を落ち着かそうとするようにそう言った。だが高橋は引き下がらなかった。
「敵は単機ですので攻撃したらすぐに離脱します! それに万が一新手の敵機と遭遇したら近くのスコールに逃げこみます」
「うむ……」
山本は黙った。そこへ岩佐がこう付け加えた。
「今回のケースは我々が先制攻撃を仕掛けられる千載一遇の好機かもしれません」
岩佐がそう言うともう誰も何も言わなかった。岩佐は改めて山本の方に向き直るとこう続けた。
「我々は出撃したいと思います」
すると山本が頭をやや前に垂れてこう言った。
「岩佐少佐、後ろ向きな意見を言って申し訳ありません。私は丸山艦長とは長い付き合いがありました。彼が指揮を執った菅谷丸に配属された岩佐少佐が戦果を挙げることは丸山艦長の誇りでもあり我々の誇りでもあります。何卒宜しくお願い致します」
山本はそう言って敬礼をした。岩佐も敬礼でそれに応える。こうして零観の出撃が決まった。岩佐と高橋は菅谷丸を降りるとすぐに入り江の方に向かう。零観のカモフラージュが解かれエンジンがすぐに回された。
「燃料は満タンです! 機首の機銃も弾丸装填OK! 」
零観の操縦席に座ろうとする高橋の横で神田がそう声を掛けた。高橋は「ありがとう」と言って操縦席にその身を滑り込ませる。
「油断しているアメ公に我々の意地を見せつけて下さい! 」
神田が高橋の耳元でそう叫んだ。高橋は黙ったまま笑顔を神田に向けて敬礼をする。答礼をした神田はその後慌てて零観の翼から飛び降りた。整備兵が総出で零観を海の方へ押しやる。高橋は伝声管越しに岩佐に言った。
「離水します! 」
「うむ」
高橋はエンジンの回転を目一杯上げた。零観は海面を気持ちよく滑っていく。数秒後に零観はふわっと浮き上がり南洋の海上を南南東に向けて飛んでいた。岩佐が高橋に指示を出す。
「この進路を維持せよ。今回は敵のレーダーに備えて低空を進む」
「……敵の電探はかなり性能が良いかもしれませんからね」
「今回は敵地に近づく進路だからな。念の為だ」
「了解です」
「上空の監視も怠るなよ」
敵のレーダーの性能が高橋達の想像以上に良くもしブーゲンビル島に既に設置されていれば単機とはいえ高橋達の零観はすぐに探知されるかもしれないのだ。岩佐はそのことを不安に思ったのだろう。もしレーダーに見つかれば敵戦闘機がすぐに飛んできてしまう。そうなれば零観なぞ文字通り飛んで火にいる夏の虫なのである。今回の任務は速やかに敵の傷ついた爆撃機を探し出して撃墜し帰投することであった。高橋は岩佐にこう言った。
「傷ついた敵にこっそり忍び寄ってバッサリいくっていうのは……あまり正々堂々ではないですね」
「そうだな。だが敵も我々の気付かぬ高高度から一撃離脱の攻撃を仕掛けてくるじゃないか、お互い様だよ。それに物量で劣る我々は敵の弱いところを突かなければ勝てない。我々は自分達が出来る最も有利な戦い方をしなければならないのだ」
「はい、分かっております! 」
零観は速度を増して敵機の予測進行方向に近づいていった。すると周囲に雲が増え始める。岩佐少佐が算出した敵機との接触時間の十分程前に零観は高度を上げて雲に紛れた。菅谷丸は敵機の位置を暗号で零観に知らせてきているようで岩佐少佐が伝声管越しに高橋にこう言った。
「よし、もうすぐ敵機が見えてくる頃だぞ。見張りに注意しろ」
「はい」
雲の切れ間から周囲に目を配る。すると前方に黒い雲が広がっているのが見えた。そしてその黒い雲の手前、髙橋達の遥か下方で太陽の光にきらりと何かが反射した。髙橋は反射的に伝声管に叫ぶ。
「前方に敵機発見! 」
「いたか。だが今攻撃しようとすると雨雲に逃げられてしまうな。敵に見つからないように雲の合間を飛べ」
岩佐少佐がいつも通り冷静にそう言った。髙橋は岩佐の指示に従い機体を雲に隠しつつ敵機を追った。
「敵機が雨雲を迂回するかどうするか、少し様子を見よう。高度と速度は現状を維持せよ」
「了解です」
零観は雲に紛れて暫くの間敵機を追った。青く塗られた機体の翼に星のマークが見える。敵機の機種はドーントレス急降下爆撃機だ。飛び方もどこかふらふらしているし速度も出ていない。火や煙は噴いていないがどこか被弾しているのは間違いないであろう。菅谷丸で聞いた通りだ、と髙橋は思った。
「あいつ、雨雲の中にそのまま突っ込んでいくな」
「……そのようですね」
激しいスコールの中を飛ぶのを嫌がる飛行機乗りも多い。だが燃料に余裕が無かったり自機が傷ついていれば普通の飛行機乗りなら最短コースを飛びたくなるであろう。それにスコールの中であれば会敵する危険も少なくなる。そんなことを考えつつ髙橋は岩佐の指示を待った。すると敵機は岩佐の言った通り黒い雨雲の中に入っていってしまった。
「少佐、どうしましょう? 」
「髙橋、目の前の雨雲はそれほど大きくないように見える。おそらく雨雲の中に突っ込んでもすぐに突っ切ることが出来るだろう。雨雲から出た瞬間が勝負だ。その時にばっさり殺るぞ」
「はいっ! 」
「高度を下げて敵機の後方下より攻撃をかける。ドーントレスは後部座席に旋回機銃が装備されているからな、後方上より攻撃すると反撃を喰らう可能性が高い。下から潜り込むぞ! 」
「了解です! 」
髙橋は岩佐の指示の的確さに内心感心しつつ機体の高度を下げた。機体はやや速度を増しつつ青い海に近づいていく。そして零観は黒い雨雲の中に入った。激しい雨が機体に激しく打ち付けられる。髙橋は敵機の想定高度より低い位置まで機体を降下させると水平飛行に移った。
「後は雨雲を抜けるまで待つだけだな」
岩佐の落ち着いた声が伝声管を通して髙橋の耳に響く。髙橋はじんわりと滲む額の汗を手で拭った。