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出撃

時は昭和十七年十一月に遡る。


ガンルームと呼ばれる鉄で囲まれた部屋の中に十人程の男が集まっていた。一人の男が大きな地図の貼られた壁の前に立ち残りの男達は皆部屋の中に並べられた椅子に腰を掛けて地図の方を向いている。皆の前に立つ男は地図を時折指差しながら大きな声で喋っていた。


「本日二六◯◯時、我が水上機隊は出撃、ブーゲンビル島西方のタロキナ岬に展開するアメリカ軍上陸部隊へ爆撃を行う。ブーゲンビル島では既に帝国陸軍とアメリカ軍との間で激しい地上戦が始まっているが我々の今回の作戦の目的は帝国陸軍への援護である。陸軍さんは手酷くやられているようだ」


カーキ色の航空服に見を包んだその男は皆を見回しながら喋っている。彼の名前は岩佐といい水上機部隊の隊長で階級は少佐であった。皆真剣な眼差しで彼を見つめている。


「現在菅谷丸はブーゲンビル島の北80kmに位置している。水上機隊各機は60kg爆弾を二発抱いてブーゲンビル島へ北側より侵入、タロキナ岬を爆撃する。投弾後はブーゲンビル島南方へ一旦飛び去った後北方へ引き返して菅谷丸へ帰投するのだ。なお菅谷丸からのタロキナ岬への爆撃は今回が最後となる。敵の制空権はもはや揺るぎない。これ以上の爆撃はたとえ夜間といえども危険だ。水上機発艦後菅谷丸は全力で北西へ移動を開始する」


この時戦況は日本軍にとってどんどん不利になっていた。米軍の圧倒的な物量の前に日本軍は消耗し制空権、制海権の主導は既に米軍が握っていたのだ。敵制空権下を日本軍の艦船が航行し大馬力を誇る米軍機が飛び交う中を貧弱な日本海軍の水上機が飛び回ることは限界になりつつあった。夜間に細々と爆撃をするぐらいしか日本海軍の水上機部隊に出来ることはなかったのである。


「菅谷丸は水上機が帰還する頃にはカーテレット諸島付近まで離脱している筈だ。偵察員はチャートでその位置をよく確認しておくように」


菅谷丸というのは我々水上機部隊を搭載している特設水上機母艦の名前だ。元々は民間の貨物船であったが軍がそれを徴用し改造したのであった。水上機を八機搭載可能だが今は三機しか積んでいない。乗組員も全部で七十名程度の小さな船である。


「ではこれより搭乗員の割当を発表する」


作戦の説明を終えた後岩佐がそう言った。身長は五尺を少し超える程の小柄な体格でやや下がった目尻が優しい印象を与えるが真面目で自分にも他人にも厳しい男だった。その後彼は手元のメモを覗き込んでそこに書かれた内容を読み始めた。


「一番機の操縦員は高橋上等兵曹、偵察員は私だ。二番機の操縦員は吉村上等兵曹、偵察員は宮脇一等兵曹。三番機の操縦員は基一等兵曹で偵察員は肥塚少尉、以上だ」


名前を呼ばれた者は皆「ハイ」と大きな返事をしてその場に立ち上がった。全員の顔を岩佐が暫く眺めている。すると不意に岩佐が一人の若い操縦員に声を掛けた。


「高橋、大丈夫か? 」


声を掛けられた高橋という男は階級が上等兵曹で部隊の中では一番操縦技術に長けていた。若いが実戦経験も豊富である。彼は岩佐に向かって大きな声を喉から絞りだした。


「ハッ! 大丈夫であります! 」


その後岩佐は高橋の顔を再び覗き込み少しの間を置いてこう言った。


「……お互いしっかりやろうな、高橋」

「ハイッ! 」


その後打ち合わせは終わり名前を呼ばれた搭乗員は自分の乗機の元へ掛けていく。一番機の操縦を担当する高橋もそれに続きガンルームを出ようとすると部屋の隅にいた一人の男から呼び止められた。


「おい、高橋」


声を掛けてきたのは細居という少尉だった。年齢は二十歳で高橋と同じだが士官学校出身ということで階級は高橋より彼の方が上だった。高橋は敬礼をしつつ「ハッ! 」と返事をして立ち止まり細居の方を見た。身長は二人とも五尺七寸程で当時の日本人としては体格に恵まれている方であった。


「飛行機を壊すなよ」


睨むような目つきで細居がそう言った。高橋はそんな細居の眼を真っ直ぐに見返すとこう返事をした。


「了解であります! 有難う御座います! 」


それだけ返事をすると高橋は軽く会釈をして細居の前を走り去った。そして通路を通り抜け甲板に上がる螺旋階段を登っている時に小さくこう呟いた。


「面倒くせえ野郎だ」


高橋は夜間爆撃には何度も経験している。だが細居は階級は上とはいえ菅谷丸に配属されてきたのがほんの三ヶ月前であり実戦経験も殆どない新米操縦士なのだ。その為細居は岩佐から操縦士としての信頼はなく出撃となると岩佐が彼を指名することはなかった。細居はそれが不服で階級が下である高橋にしょっちゅう嫌味を言うのである。「飛行機を壊すなよ」というのは以前高橋が出撃した時に敵の対空射撃で自らが乗る水上機に命中弾を喰らったことがあったのでそのことをネチネチと叱責しているのだった。高橋はそんな細居にうんざりしていた。


「よっ! 今日も出撃だな。爆弾を敵さんの頭の上にばら撒いて無事帰ってこようぜ! 」


苦い顔をしている高橋の背中からそんな声が聞こえてきた。振り返るとそこには吉村という高橋と同い年の男が立っていた。チリチリした癖っ毛で色の白いその男は高橋とはどういう訳か妙に気が合い階級が同じということもあって二人はいつもざっくばらんに話せる仲であった。


「何かあったのか? 」


高橋の顔を見て吉村がそう言った。


「また細居だよ。いつもの嫌味をかましてきやがった」

「あんな新米野郎ほっとけよ、出撃メンバーに選ばれないからイライラしてるんだろう」

「まぁそうなんだろうけどな」


吉村と会話して高橋は少しほっとした。そして先ほどのミーティングでの岩佐のことを話題に変えた。


「そういえば、さっき岩佐少佐が俺の顔を覗き込んでいたの、見たか? 」

「ああ」

()()こと、実は気にしているのかな? 」


高橋は何度も夜間爆撃には参加している。だが夜間爆撃というのは文字通り暗闇の中で爆弾を落とすという行為なので戦果がはっきりと認識出来ることは稀なのだ。爆弾を落としても機上から爆風を感じる程度で爆弾によって発生する炎すら視認出来ないこともある。それなのに乗機は激しい対空砲火に晒され撃墜される危険は常に搭乗員に付き纏う。高橋は数日前に搭乗員同士の雑談の中で「敵機を撃墜するとか、敵の艦船を撃沈するとか、そんな任務をもっとやらしてくれたらなぁ」と思わず言ってしまったことがあった。高橋はしばしばそういう軽はずみな発言をしてしまう。髙橋の若さと操縦技術が高い故の思い上がりが発言に出てしまったのだ。その上髙橋はしょっちゅう周囲の操縦士仲間に「死にたくない、生きて日本に帰りたい」と漏らしていた。こちらも思い上がりがある故の周囲に気を遣わない発言なのだが当時は自分の命など顧みないというのが軍人の建前とされており髙橋の態度を快くないと思う人間は勿論存在していて細居もその一人であった。あのことというのは細居が高橋の発言の全てを岩佐に密告したことであった。


「貴様の任務に対する心構えはなっておらん。お前を任務から当面外すことを岩佐少佐に進言しておいた」


細居から得意気にそう言われた時高橋は青ざめた。高橋はすぐに岩佐のところへ行くと軽口を叩いたことへの謝罪と今後自分の態度を改めること、そして自分が態度は別として常に全力であらゆる任務に当たっていることを改めて説明した。だが岩佐はその時は何も言わなかった。高橋は岩佐がそのことを気にしているのではないか? と思ったのである。すると吉村は笑顔でこう返した。


「あの人はそんなに小さい人じゃないぜ。お前にやる気があることは分かってくれている筈さ」

「……だと良いが」

「気にするなよ、今日も頑張ろうぜ」


そう笑って高橋の肩をポンと叩く吉村を見ていると高橋はいつの間にか笑顔になっていた。


「そうだな」

「そうさ、じゃあな」

「あぁ」


その後二人は握手をして別れた。菅谷丸の甲板の上に出ると強い風が吹き潮の匂いに満ちている。ほんのりと月明りが照らす甲板の上を髙橋は愛機へと急いだ。髙橋が乗る予定の零式観測機は既に船上のカタパルトの上に載せられている。高橋は一番機に乗り込んだ。するとすぐに岩佐も後部座席に乗り込んできた。一番機の機長は階級が上である岩佐である。一番機の発動機は既に整備員によって始動されていた。プロペラの音が煩くて機上では普通に会話は出来ない。機内の通話装置を耳と口に当てて会話を行う。


「発動機の出力を最大にしろ。一番機、すぐに出るぞ」

「了解です」


プロペラの回転数が上がり更に音が大きくなる。いよいよ出撃だ。この瞬間はいつでも緊張する。高橋の頬を汗が伝って落ちた。


「準備完了です」

「発艦! 」


岩佐がそう言って艦上の作業員に合図をすると二人の零式観測機はカタパルトから射出された。高橋は衝撃で座席に押し付けられる。数秒の後、二人は真っ暗な海の上に飛び出していた。髙橋は失速しないように上手く乗機を操りつつ高度を徐々に上げた。


「針路百七十度、変針」

「了解」

「高度を三千mまで上げよ」


岩佐の指示に従い機体の向きと高度を変え高橋は飛んだ。今宵は雲一つないようで頭上には満天の星空と月が浮かんでいる。日本で見るのとは違う、南海の美しい夜空が高橋は好きであった。


「よし! 今夜もやってやる! 」


高橋はそう叫ぶと操縦桿から両手を話し自分の両頬をパチンと叩いた。


「……そして生きて帰る」


その言葉だけは髙橋は心の中で呟いていた。

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