恋文
「高橋さんは我々を逃がす為に敵艦に突っ込んで行かれました。その瞬間を見ていた我々は涙が止まりませんでした」
「……」
「その後敵艦は我々を追ってきませんでした。高橋さんの攻撃のお陰です。我々はその後無事友軍の基地まで帰ることが出来ました」
美怜はずっとハンカチを目頭に当てていたが暫くするとゆっくりとこう言った。
「あの人……仲間の為に……一生懸命頑張ったのね……」
美玲がそう言った後に神田と美玲がいる部屋の隣から障子越しに誰かが啜り泣くのが聞こえた。おそらく使用人達が神田の話を聞いていたのであろう。するとその時不意に子供の声がして障子が突然開いた。
「お母様……どうしたの?」
神田の背後の開かれた障子のところに丸い顔をした女の子が立っている。歳は十歳ぐらいであろうか、背はやや高く目がぱっちりとしていておかっぱの可愛らしい少女だ。そしてその顔には亡き父の面影があった。それを認めた神田はまた大粒の涙を頬に垂らした。
「どうして私を見て泣くの?」
その問いに神田は何も答えられなかった。ただ泣きながらその子の顔を見つめるだけだった。するとその子はこう続けた。
「お母様も泣いてる……もう泣かないでってあれだけお願いしたのに」
そう言って怒ったような、それでいて寂しそうな顔をするその子を見ていると神田の涙はますます止まらなくなった。美怜も手にハンカチを持ったまま大粒の涙を零し続けている。だが美怜は声を振り絞った。
「……未来虹、ごめんね……お母さんまた泣いちゃった」
美怜は立ち上がると娘の未来虹のところまで歩いていって彼女をぎゅっと抱きしめた。そして自分の娘にこう言った。
「こちらの方はお母さんのお友達よ。今とっても素敵なお話をしてくれたからお母さん泣いちゃったの」
「どんなお話なの?」
「それは未来虹がもう少し大きくなったら教えて上げるわね」
美怜は神田の対面の位置に戻って座り直すと未来虹を横に座らせて神田にこう言った。
「神田さん、今日はとっても良い話を聞かせてくれてありがとう。やっぱりあたしは……あの人を愛して良かった」
そう言いながら美怜は涙を必死に堪えている。すると未来虹がまた怒ったような表情になってこう言った。
「今してた素敵なお話ってお父様のお話でしょ?ねぇ、おじさん、お父様のお話はもう止めて」
「えっ?……どうしてだい?」
「だってお父様のお話をするとお母様が泣くんだもん。それにあたしはお父様のお話をされてもお父様のこと覚えてないんだもん」
そう言って口を尖らせる悲しげな未来虹の顔を見て神田は思った、この娘も父親の死を幼いながらにその心に受け止めて淋しさに耐えているのだ、と。神田は目頭を手で拭い続けざるをえなかった。
「もうお父様の話しはしないで」
「……そうね。分かったわ」
美怜は頬を涙に濡らし鼻を赤くしながらも笑顔を作っている。
「でもね、たまにはお父様のことを思い出してあげてね。あなたのお父様は本当に素敵な人だったわ。あたしには勿体無いぐらいね。未来虹、あなたもいつかそんな素敵な旦那様を見つけてね」
そう言われて未来虹は少しポカンとしている。そのあどけなさがまた切ない。
「神田さん……今日はわざわざ来てくれて本当にありがとう」
美怜がほんのりと笑顔を浮かべたまま会釈をする。未来虹も美怜と同じように頭を下げた。二人が揃って礼をしているのが神田には微笑ましい。神田もどうにか笑顔を作って頭を下げつつこう言った。
「実は私、戦争が終わって日本に帰ってきてから結構大変でした。その日の食事にも困るような生活だったんです。そんな中で漸く仕事を見つけることが出来ました。今でも生きるだけで大変ですが生活が少しでもまともになってくると私は自分がやり残したことがあることを思い出しました。その写真をあなた達に届けることです。遅くなりましたが今日あなた達に会えて……本当に良かった」
その後神田は美怜に案内されて隣の部屋に行きそこにある仏壇の前に座った。すると美玲が仏壇に神田から受け取った写真をそっと置いた。その前で神田は正座をして目を瞑り合掌した。
「高橋さん、奥様はあなたのことを考えながら立派に生きていらっしゃいますよ」
神田は心の中でそう呟いた後に合わせた掌を解いて美玲と未来虹に向き直ると頭を下げながらこう言った。
「奥様、今日はお時間を頂きありがとうございました」
すると美玲が笑顔でこう言った。
「こちらこそわざわざ本当にありがとうございました。今日は素敵な写真と恋文を頂いちゃって……それだけでもあたしはこれから強く生きていけます」
すると未来虹が仏壇の写真を見てこう言った。
「お母様、綺麗。横の人はお父様? 格好良い人だったのね」
「うふっ、男前でしょ。それとあたしが抱っこしてるのが未来虹、あなたなのよ」
そう言って微笑み合う二人を見て神田は思わず呟いた。
「来て……良かった」
神田はその後美玲に別れの挨拶をして帰路についた。その表情は数時間前とは比べられない程明るく彼の心は充実感に満ち溢れていた。