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敵艦見ゆ

山本の一声ですぐにカーテレットからの撤退の準備が始まった。カッターボートが海の上に浮かべられ皆が忙しく動き始める。小型のカッターボートでこの島にいる全員を駆逐艦までピストン輸送しようというのだ。何度かこの砂浜と駆逐艦の間を行き来する必要があるだろう。カッターボートの漕ぎ手には比較的元気な水兵や整備兵が選ばれた。皆嬉しそうで時折大きな笑い声まで聞こえてくる。そんな中で高橋は神田と共に零観の整備に携わっていた。


「零観の燃料は満タンです。ちょっと勿体無いですが余った航空燃料や60kg爆弾はここに置いていきます」

「カッターに爆弾なんて積めないしな。仕方ないだろう」

「機銃の弾丸は取り敢えず目一杯装填しておきますね」

「あぁ」


零観の基本的な整備がある程度終わったのは駆逐艦が迎えに来る日の昼頃で高橋はその後夕方まで寝ていた。他の水兵や整備兵達も出発の準備を整えて夕方になると後は駆逐艦が到着次第カッターボートに乗り込むだけとなっている。夕暮れの砂浜で特にやることが無い高橋は零観のすぐ傍の砂浜に座り込んで何となくぼんやりと時を過ごしていた。するとそこへふらりと現れた人物がいた。カーテレットに辿り着いてからはほぼ顔を合わせることがなかった細居が高橋のところへ突然やってきたのである。細居は高橋の前に立つとこう言った。


「零観の整備……終わったようだな」

「……えぇ」


高橋はそう返事をしながら立ち上がって細居に敬礼をしたがすぐに背を向けると零観のエンジン脇に立てられた脚立に足を掛けカウルをボロ布で拭き始めた。だがその背後に立った細居はそういった高橋の態度に怒ることもなく話しを続けた。


「敵機撃墜か、凄いな」

「……」


高橋は返事どころか振り返りもしない。この男はそのうち岩佐の死を責める言葉を発するつもりなのだ、ということを高橋は予測していたからであった。普通に会話を始めてもいつの間にか人の触れられたくない部分を突いてくる、高橋にとって細居はそんな嫌な奴でしかなかった。だが今日の細居は少し雰囲気が違っていた。


「なぁ高橋、頼みがある」


高橋は無言で振り返った。今更何を自分に頼むというのだろうか? 高橋は怪訝な表情のまま細居を見つめた。


「岩佐少佐は戦死された。零観の後部座席に搭乗した経験があるのはもう俺しかいない。俺を後ろに乗せてくれないか? 」


高橋はその言葉に少し驚いたが表情は変えずにこう続けた。


「細居少尉、あなたは私より階級が上です。お好きになさって下さい」

「高橋、今まで君には嫌なことばかり言って済まなかった」


細居が急にそう言って高橋に頭を下げてきたので高橋は内心更に驚いて細居を見た。


「私は君にずっと嫉妬していたのだ。君の操縦士としての能力の高さを私はずっと妬ましく思っていた」

「……」


高橋の睨みつけるような視線の先の細居はいつもの細居ではなかった。高橋の視線の鋭さも少しずつ柔らかいものになっていった。


「菅谷丸がこの島の沖に座礁した時私はまだ生きていられることを嬉しく思った。おまけにあろうことかもう戦いをしなくて済むのではないか、と安堵していたのだ。だがこんな無人島に来ても君は少佐と戦うことを止めなかった。最初は君達が戦いを継続することを妬ましく思っていたが今は違う。私はこの島に来てからの自分を軍人として情けなく思う」

「……少尉」

「君が戦果を挙げる度に大喜びをしたり戦死された岩佐少佐の姿を見て泣いたりする整備兵達を見ていて私は思った。私もしっかりと自分の責務を全うしようと」


細居が嘘を言っているようには高橋には思えなかった。高橋はじっと細居の言葉に耳を傾けた。


「次は俺を後部座席に乗せてほしい。本職は操縦士だが旋回機銃ぐらいは撃てる。……頼む」


細居はそう言って頭を下げた。あのいつも傲慢だった細居が階級が下の高橋に頭を下げるとは余程思い詰めていたのであろう、高橋はそう思った。そして高橋は自分の細居に対する今までの心の蟠りを全てここで水に流すことを決めた。


「細居少尉、分かりました」

「良いのか!? 」

「良いも何もそれは将校のあなたが決めるべきことです。それに……そこまで言って頂いてありがとうございます。一緒に頑張りましょう」

「勿論だ、全てにおいて全力を尽くすよ。高橋……ありがとう」


二人は笑顔で握手をした。そしてその後夕陽が沈み夜になった。後は駆逐艦の到着を待つだけであった。






「駆逐艦が来たぞ! 」


夜中に誰かがそう叫んだ。砂浜でうとうとしていた高橋はその声で飛び起きる。時計を見ると時刻は午前二時半を少し回ったところであった。


「……遅かったな」


高橋がそう呟くと横にいた細居がこう言った。


「夜間にこの小さな島を見つけること自体かなり難しいのだろうな」


砂浜には航空燃料が撒かれてそれに火が着けられている。敵に見つかる可能性も高いがこうでもしなかれば駆逐艦は我が方を見落とすと誰かが判断したのであろう。


「では順番にカッターに乗込め! 」


山本がそう叫ぶと負傷した兵士から順番にカッターボートに乗り込んでいった。一人で満足に動けない重傷者はまだ元気な水兵や整備兵がその乗込みを手伝っている。暫くするとカッターボートは懐中電灯で駆逐艦に発光信号を送りながら海岸を離れていった。その様子を見ながら細居が高橋に尋ねた。


「俺達はどうするんだ? 」

「今駆逐艦に向かったカッターボートは後2回この砂浜と駆逐艦の間を往復します。カッターボートが最後にこの島を離れると同時に我々も飛び立ちます。そして駆逐艦の目的地に先に向かうことになります」

「そうか」


だが島の周囲が浅瀬ということもあり駆逐艦までの距離はそこそこあるらしくカッターボートの往復には思ったより時間が掛かっていた。最後にカッターボートがカーテレットの砂浜に残っていた人員を全て乗せようとする時には周囲がほんの僅かではあるが明るくなってきていた。


「次が最終便です! 皆さん乗り込んで下さい! 」


神田がそう叫んだ後山本達士官数名がカッターボートに乗り込もうとする。それを見ながら高橋が細居にこう言った。


「少尉、我々もそろそろここを飛び立ちましょう」

「分かった」


零観のエンジンが回された。神田達の整備は完璧でそのエンジン音はいつもの零観のそれと何ら変わりがない。高橋は零観の操縦席に駆け上がろうとした。だがその時大きな双眼鏡を手にした山本が慌ててカッターボートから降りて砂浜から高橋のところへ駆け寄ってきた。


「どうかされましたか? 」

「高橋、ちょっと見てくれ」

「えっ? 」


高橋は山本から手渡された双眼鏡を手にして山本が指差す洋上を見た。最初は薄暗くてよく分からなかったが暫くして目が慣れてくるとほんの僅かに明けてきた水平線の彼方に艦船の艦橋と煙突らしきものから吐き出される煙が髙橋にも見えた。


「くそっ……! 」


高橋は思わず小さく呟く。するとその場にまだ残っていた神田達整備兵が集まってきて口々に高橋と山本に尋ねた。


「敵ですか!? 」

「近いのですか? 」


駆逐艦の方でも敵艦の接近に気が付けば救助活動を中断してすぐに逃げだしてしまうかもしれない。皆それが気になっているのだろう。高橋はこう言った。


「神田、60kg爆弾を積んでくれ。菅谷丸の乗組員が全員雪風に乗る為には敵艦を接近させてはまずい。俺が敵艦に爆撃を行うよ。山本少尉、駆逐艦に救助活動は続行するよう伝えて下さい」

「高橋、単機で攻撃するのか? 」

「それしかありません」

「大丈夫か? 」

「何とか時間を稼ぎます。雪風への乗艦を急いで下さい」

「分かった」


砂浜に残っていた神田達整備兵が大慌てで60kg爆弾を零観に搭載する。高橋も操縦席に座り細居が後に続いた。そして山本が再び叫ぶ。


「敵艦は軽巡洋艦クラスだ! 」


すると次の瞬間小さな爆音と振動が響いた。


「敵艦はこちらに気が付いているぞ! 」


振動と爆音の正体は敵艦の砲撃だったのだ。敵の砲弾は友軍の駆逐艦に命中はしなかったものの近くの海面に大きな水柱を立てていた。その直後神田が零観の翼の上の操縦席の横まで素早く飛び上がり高橋の耳元でこう叫んだ。


「爆装完了しました! 」


そう一言告げると神田は高橋に背を向けて翼下へ飛び降りようとした。零観が今まさに飛び立とうとしているからである。だが高橋が突然神田の背中を掌で叩いた。神田は何事かと振り返り叫ぶ。


「どうしました!? 」

「神田!ちょっと待ってくれ! 」


高橋はそう言うと胸元から小さな手帳と短い鉛筆を取り出しその手帳をめくると何かを書き込んだ。そしてその手帳を神田に渡した。


「これは何です? 」

「お前が持っていてくれ! 」


高橋はそれだけ言うとエンジンの回転を上げた。もう飛び立つのだ。神田は訳も分からず高橋から受け取ったその手帳を胸ポケットに押し込み零観の翼から飛び降りた。


「細居少尉、出ます」

「わ、分かった」


雪風にいつ敵艦の砲撃が命中するかもしれないのだ。高橋は離水を急がねばならなかった。


「神田!早くカッターに乗り込めよ!」


高橋はそう叫びながら零観のエンジンの出力を更に上げた。そして零観は海面を滑り出す。その後あっという間に零観は空中へ飛び立っていった。


「高橋、ぶちかましてやろう! 」


細居が後部座席でそう勇まく叫んでいるが高橋は冷静だった。周囲は徐々に明るくなってきている。仮に敵艦に爆弾を命中させても明るくなって無線で敵戦闘機を呼び寄せられたら零観は簡単に撃墜されてしまうだろう。これが最後の飛行になるかもしれない、高橋はそう覚悟して操縦桿を操っていた。

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