忍び寄る影
「少尉、エンジンの調子はどうです? 燃料はもちそうですか? 」
「ロバート、大丈夫だよ」
アメリカ海軍のドーントレス急降下爆撃機がゆっくりと雨の中を飛んでいる。その中にはジミー少尉とロバート軍曹という二人のアメリカ海軍軍人が乗り込んでいた。彼らは今までに何度もペアで出撃してきた歴戦の猛者である。だが今日は日本軍基地への爆撃任務中に乗機のドーントレスが対空砲火を受けエンジン付近に一発喰らってしまったのだ。その為エンジンの回転を上げられず仕方なく低速でブーゲンビル島北の海上を飛んでいた。
「ジミー少尉、飛行場まであとどれぐらいです? 」
「そうだなぁ、あと四十分ぐらいかな、だがエンジンもなんとかもつだろう。それにここはもう我々アメリカ軍のテリトリーだ。もし落ちたってパラシュート降下すれば大丈夫さ」
彼らの機体に搭載された無線機は今は調子が悪くなり使えない状況になっている。だが彼らは無線機が使えた数分前に自機のおおよその位置や速度、そして進路を友軍に知らせていた。万が一不時着しても友軍がそれらの情報を元に必ず助けてくれる、ジミーはそう考えていた。
「少尉、早く本国へ帰りたいです」
「……そうだな」
「なかなかジャップもしつこいですよね」
「確かにな、だがいずれ音を上げるさ」
そう言いながら操縦桿を握り前部コクピットに座るジミーはふと胸ポケットから写真を取り出した。そこにはにこやかに微笑む美しい女性が写っている。それはジミーの帰りをアメリカ合衆国のミネソタで待つジミーの妻であった。ジミーはふと小さく呟いた。
「……ジャネット」
「また奥さんの写真を見てるんですか? 」
後方銃座に座るロバートにジミーの呟きが聞こえてしまったらしい。ロバートがそう声を掛けるとジミーはこう返した。
「最後に会ったのが一年前だ。彼女も淋しく過ごしていると思う」
「そうですね……早く本国へ帰りましょう」
「ふふ、そうだな」
ロバートも会話をしつつ自分の母親のことを考えていた。早く家に帰って母親の得意料理であるパイを食べたい、そんなことを思ったりした。二人の間にどこかしんみりとした空気が漂う。するとジミーが突然大きな声でこう言った。
「さあ、頑張って基地へ戻るぞ!もうすぐ戦争が終わるかもしれないのに今死んだら馬鹿みたいだぜ! 」
すると次の瞬間彼らの乗るドーントレスは雨雲を抜けた。眼下には碧い海が広がり太陽が強烈な光を彼らに照らす。雨雲を抜けるとそこは別世界かと思われるほど快晴であった。ジミーの頭に被っている飛行帽の隙間からはみ出た彼の金髪が陽の光を浴びて綺麗に輝いている。
「良い天気だ! 」
「さあ、帰りましょう! 」
だが二人がそう叫んだ直後であった。機体に突然ガンガンガンと大きな振動が響いた。ロバートが驚いて叫び声を上げる。
「うわっ! 何だ!? 」
「銃撃だ! 」
ジミーは反射的に機体を左へ急旋回させた。だが次の瞬間機体が更に激しく振動して大きな爆発音が二人の耳を劈く。ロバートが慌てふためいて叫んだ。
「うわぁ! 」
周囲に敵影は見えない。おそらくドーントレスは下方から攻撃を受けているのだとジミーは思った。機体を左へ旋回させながらジミーは叫んだ。
「ジャップはどこだ!? 」
「いました! ピートだ! くそったれめ! 」
機体を左に傾けて旋回しているドーントレスの後部座席に座るロバートの視界に日本軍の戦闘機が目に入った。大きなフロートを胴体下に吊り下げ翼に赤い大きな日の丸を描いた水上機であった。
「くそっ! いつの間に!? 」
「叩き落としてやる! 」
ロバートはそう叫ぶと後部旋回機銃を日本軍機に向けて撃ち始めた。ガガガガ! と大きな機銃弾の発射音が響き薬莢がロバートの足元に飛び散る。だが日本軍機は軽快でドーントレスの下側に潜り込んできた。機銃の射界に入らないようにしているのだ。
「くそったれ!! 少尉! 下です! 下に回り込んできます! 」
軽快な零式観測機はまるで蝶のようだった。ロバートを嘲笑うかのようにひらりひらりと舞っている。
「畜生! こんなところで死ねるかよ! 」
ジミーも機体を急旋回させたりして自分達の下方にぴったりとへばりつき攻撃のチャンスを窺っているであろう日本軍機からの銃撃を受けないように機体を操っていた。だがジミーの乗るドーントレスは既に傷ついているのだ。その上最初に受けた銃撃とそれによる爆発の為にエンジンの回転が更に少しずつ下がり始めている。ふと速度計を見るとその針は時速150kmにまで落ちていた。ジミーはスロットルレバーを上げてエンジンの出力を上げようとしたが機体の速度は落ちていく一方だった。ジミーは決断した。
「ロバート!脱出しよう!さすがにもう駄目だ! 」
「分かった! 」
「ジャネットが待ってる! 妻が待ってるんだ! 」
ジミーがそう叫んだ次の瞬間だった。タタタタ!と機銃音が聞こえたかと思うとまた大きな爆発音が響いてジミーの眼の前に真っ赤な炎が噴き上げてきた。コクピットに座るジミーは一瞬で炎に包まれた。
「ジャネット! 」
燃え盛る炎の中で反射的にジミーはそう叫んでいた。