#9 北極星の行方
あの日以来、あたしは旧公爵邸で見た庭師のことが頭から離れなかった。
あれがエドなのか確認したい!
そして、菊子様の安否が知りたい!
あたしはどうにかして旧公爵邸に行く口実を、四六時中考えていた。
おかげで全く皇妃教育が手につかなくて何度も新一を激怒させたけど、しょうがないわよね。
金色の腕毛を持つ日本男児や外人がありふれているなら見間違いだと諦めるけど、そうそうお目にかかれる腕毛じゃないんだから。
みんなが思っているよりも、もっとフッサフサの剛毛なんだからね!
でも新一に釘を刺された以上、よっぽどの理由が無いと旧公爵邸には行けないから、あたしは黙ってチャンスを窺っていた。
エドを探すことが菊子様を見つけ出す近道なんだから、ほんの少しの可能性だっていい。虱つぶしにやってやるわ。
だって、菊子様が家出されてからもう一か月も過ぎたのに、未だに行方が分からないのよ。
これって絶対に変よね。
絶世の美女の菊子様だけでも人目につくのに外国人のエドとともに行動しているならば、何かしらの目撃情報があってもおかしくないはずよ。
それともあたしを影武者に据えたことで、みんな安心しきって捜索をサボっているとか?
もしもあたしが捜索隊なら、草の根一本ずつ引き抜いてでもお嬢様の痕跡を探すのに。
菊子様、今頃どちらにいらっしゃるの?
あたしは寝所から身を起こすと、カーテンと窓の扉を少し開けた。
さえざえと肌を蝕む夜の寒さが、あたしの体温を徐々に奪っていく。
今夜は星がたくさん見える。
零れ落ちてきそうなほど無数の光のキラメキが、夜空を埋めつくしていた。
寝る前に雲ひとつなく晴れていたら、出窓を開けて必ず夜空を見上げることにしているの。
この空の下のどこかに必ず菊子様がいて、同じ月や星を見ているかもしれないから。
あれはひときわ星が輝く冬の夜、お嬢様が庭園で天体観測をしていた時のこと。
大きな天体望遠鏡という筒機械から目を離したお嬢様が、寒さに揺れる星のひとつを指さしながらあたしに話をしてくれたことがあったわ。
『かめ、あれをご覧なさい。
あの柄杓のような星とジグザグに五つ輝いている星の真ん中にあるのが北極星よ。
いつも正確に北をさしているから、旅人の守り人と呼ばれているの。
わたくしもいつか、あの星だけを頼りに自由気ままな旅に出てみたいわ。』
今なら、どういう気持ちで菊子様が星の話をされたのか分かる気がする。
今すぐにこの夜空を飛んで、お嬢様を見つけたら抱きしめてあげたい。
羽を切られた籠の中の鳥みたいに、公爵邸から出られない自分が情けなくて、涙が止まらなかった。
かめは、かめはお嬢様に会いたいのです。
今日もあたしは菊子様の残り香が薄れていく枕掛布を涙で濡らしながら、眠れない夜を過ごすのよ。
鼾が恐ろしくうるさいと、夜中、隣の部屋の新一にたたき起こされるまで、いつの間にかぐっすりと寝てしまったことには全く気づかなかったのだけど。
おかしいわね。どうしてなのかしら?
※
そのチャンスは、思っていたよりも早く訪れた。
「舞踏会ですって?」
夕餉に出た豆の汁物を、できるだけゆっくりと味わいながらすすっていると、突然、食卓の間に入って来た葛丸様が、あたしに「舞踊が出来るか」と質問してきたのよ。
「【出来る出来ない】はさておき、習得をしている段階ではあります。」
舞踊の授業中に何度も新一の足を踏んづけてしまうあたしは、消え入りそうな声で葛丸様に報告した。
「では、【できる】ということで話を続ける。」
な、何でそうなるのよ?
葛丸様って場の空気が読めない人なのかしら。
「今月の十五日に公爵邸で舞踏会を主催することになった。
もちろん、菊子も参加するように。」
それからあたしと豆のスープを見比べると、葛丸様は微笑んだ。
「毎日頑張っているようだな。
少し痩せたようだが、身体は大丈夫か?」
「若いから、体力にだけは自信があります!」
本当は心身ともに疲れ果てているのだけど、から元気で答えるあたしの肩に、葛丸様がそっと片手を置いた。
「期待しているよ。
舞踊会には菊子のドレスを試着してみたらいい。
合わないようならすぐに職人に作らせるから、遠慮なく言ってくれ。」
と、尊すぎるんじゃ~‼
男女の差はあれど、柔和なその微笑みや仕草は、やはり菊子様の兄上ね。
神々しいわあ・・・。
人って自尊心が満たされると、普段の二~十倍の力が出せるものなのよ。
褒められるって、かなり大事。
だって嬉しいんだも~ん♪
ルンルンしながら衣裳部屋で新一にドレスを出してもらうと、一気に現実の波が押し寄せてきて、あたしは涙の海で溺れそうになった。
どれ一つとしてあたしの身体を包んでくれそうなドレスは一枚も無いし、いくら引っ張ってみても布は一ミリも伸びなかったからよ。
わーん、あんなに頑張ったのに‼
「ようやく芋虫が現実を理解したようだな。」
冷めた目で新一が放った矢が、見事にあたしのぽよんぽよんのお腹をグサリと突き刺した。
「分かったら、今夜からもっと自制しろ。運動をサボるな。真面目に取り組め。」
「これ以上食事を減らしたら、骨と皮になるわ。」
「そういうことは、骨と皮になってから言うんだな。」
間違いないわ。
ド正論。
正論ほど人を傷つけるモノはないわ。
大体のことはフワッとでいいのよ、フワッとで。
「いいか、とりあえず十五日までに破かないでドレスを着られるように努力しろ。
人は人を裏切るが、努力は人を裏切らない。」
「合わないなら作らせるって、葛丸様が言っていたわ。」
「葛丸様の言葉に甘えるな。
舞踏会には、侯爵家や伯爵家の令嬢も参加する。
令嬢全員が皇妃候補でお前のライバルだ。
ドレスを着るのは第一関門で、まだまだ試練があると思ってくれ。」
あまりの衝撃に、あたしは試しに足を通そうとしていたドレスの裾を踏み抜きそうになった。
「皇妃候補は菊子様だけじゃないってこと?」
「公爵家が順列で一位なだけで、皇太子さまの御心ひとつでいかようにも覆る。
そのために、準備は万全にしておくべきだ。」
「じゃあ、準備ができてから参加しましょうよ。」
「公爵家主催の舞踏会に主役が居ないのは不自然だろう。
それに、敵と接触して、相手の手の内を知るのも戦略のひとつだ。
このチャンスを逃すわけにはいかない。」
出たわよ、折れない新一め。前世は鋼だったのかしら。
可愛くないったらありゃしない。
ん? チャンスといえば・・・?
あたしはハッとして口を大きく開けたまま固まった。
公爵邸で舞踏会が催されるなら、旧公爵邸の使用人の配備は手薄になるはずよ!
みんながウフフ、オホホと踊っている間に、あたしはそこを抜け出して【エド探し】をしたらいいわ。
「確かにこのチャンスは逃せないわね!」
思わず口から出た本音に、新一は嬉しそうに喜んだ。
「ようやくやる気になってくれたか。」
ポジティブな新一の思考に助けられ、あたしは胸をなでおろした。
ひええ、危なかった。
自分から計画をバラすところだったわ。
新一とあたしの計画の本質は違えど、ようやくあたしたちは一丸となって目的のために力を合わせることにしたのだった。
頑張るから、お願いよ。
無理に袖を通してしまったドレスが、悲しい叫び声をあげて破れたことは二人だけの秘密にしてよねッ。




