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#8 なんだか怪しい旧公爵邸

 新一の皇妃教育が始まり、あたしは朝九時から夕方の三時まで蔵書室で五時間軟禁をされるという一週間を過ごした。

(いちお、十二時から一時間のお昼休みを挟むのよ。)


 訳の分からない外国語や特殊な礼儀作法、興味のない皇室の歴史や難しすぎる憲法の勉強に、頭のキャパは限界突破(キャリーオーバー)よ。


 あたしは来る日も来る日も、何度も何度も逃走を目論んだのだけど、その度に新ニと新三郎がどこからともなく湧いてきて、結局は蔵書室に連れ戻されるの。


 それから寝るまでは、ひたすら運動。

 屋敷内を端から端まで歩かされたり、筋肉を付けるために重りを持ったまま上下運動をしたりするのよ。


 ゆっくりやっても必ず手や足が攣ってしまうから、向いていないんだと思う。


 テニスやゴルフなんてスポーツもあたしには初めて体験で、ルールも分からず球も打てず、ひたすら新一にダメ出しをされるだけの時間だった。


 そして三日に一回は入りたくないお風呂に強制的に入らされ、唯一の楽しみの食事は雀のナミダほどしか味わえない。


 わーん、あたしは囚人じゃないわ!

悪夢のような日々に、さすがのあたしもゲッソリよ。


「何故だ。

 痩せるはずなのに、数字が増えているじゃないか!」

 新一があたしが乗った体重計を見て、冷や汗をかいた。


 オカシイわね。

 体感的には一週間で十キロは痩せたと思っていたのに。


 この体重計、壊れているんじゃないかしら。


「夜中に隠れて、食品庫を漁っているのではないのか?」


「失礼ね。」


 あたしは憤慨した。


「新しい料理長の湯川さんが減量しているあたしを可哀想に思って、夜な夜なおにぎり3つを届けてくれるわけがないじゃない!」


 新一の周りの温度が、一気にマイナス零度まで下がったのが分かった。

 その視線、背筋がゾクッとするほど冷たいのよ・・・。


「料理長に釘を刺してくる。」


 さっさと台所に向かう背中を見て、あたしは今すぐ五寸釘を呪いの藁人形に打ちつけたかった。


 クッソ、何で信じてくれないのかしら!


 ※


 少ないお昼ご飯を時間をかけてゆっくり食べたあと、あたしは昼からの授業までの間に旧公爵邸(はなれ)を訪ねることにした。


 旧公爵邸の裏の和館は旦那様が体調を崩されてからは、旦那様と奥様が慎ましく住まわれる場所になっているけど、葛丸様が生まれる前はこちらが本丸の住まいだったそうよ。


 料理長の湯川さんが午後はこちらの厨房でお仕事をされていると聞いて、謝りに来たの。


 だって、あたしのせいで新一に説教されたなら、申し訳ないじゃない。

 それに、夜食のおにぎりを今後どうするかの相談もしたかったからね。


 え、謝りに来たんじゃないのかって?

 人間は本音と建て前で出来ているのよ、覚えておいてねッ!


 ※

 

 敷石が並べられた細い連絡通路を突き抜けると、やがて視界が広く開けて、色とりどりの花や草木が目の前に現れた。


 この英国(イギリス)風の庭は【イングリッシュガーデン】と呼ぶそうよ。


 一見、無造作に植えられた植物が剪定もされずに伸び放題になっているように見えるけど、自然のありのままの姿を大事にした様式の庭造りなんだって。


 人間も植物もありのままが大事って共感できる。

 だからあたしも、白飯を毎食三杯は頂きたいわ。


 ここから南にまっすぐに突っ切るのが、旧公爵邸へのショートカットなんだけど、自由奔放な植物に阻まれて、道なき道を行くしかない感じね。


 あたしは背丈より少し低いくらいの草をかき分けて、彼方に見える旧公爵邸の屋根を目印にしながら歩いた。


 しばらくすると、薔薇をアーチ状にしたコーナーが見えてきた。


 薔薇で周囲を囲い芝生を敷いた空間に、テーブルと椅子を置いているので、晴れた日には外でお茶会が出来るスペースになっているの。


 ココだけは迂回しなきゃ。


 菊子様の大事な着物を薔薇の棘に引っ掛けるわけにはいかないものね。


 左手を向いた時、薔薇の中から会話が聴こえてきた。


 薔薇と低木が入り組んでいて姿は見えないのだけど、公爵家に十五年給仕しているあたしには、声で誰かは分かるわ。


 葛丸様と旦那様の葛人様だ。


 旧公爵邸に移られてからはあまり顔を合わせる機会が無かったのだけど、あたしはお嬢様の後ろにいつも居たから、旦那様にはよくお声をかけて頂いたのよ。


 華族としての威風堂々とした所作と姿は、いつ見ても当主としての気品に満ちていらしたわ。


 愛する娘が駆け落ちして、女中が娘の影武者をやっているなんて由々しき事態に、旦那様はさぞかし落胆されているだろう。


 もしかしたら、あたしの顔を見たくないかもしれない。


 そう考えると、見つかってしまうのを躊躇してしまい、すぐには動けなかった。

 結果、二人の会話の内容を盗み聞きする形になってしまったけど、しょうが無いわよね。


「来月の元老会議では、普通選挙が議題に上がるだろう。」


「何を今さら。

 今までも議題には上がっていても、却下されていましたよね。」


「ロシア革命の影響により物価高に不満を持つ人々の中で、民主主義の気運が高まっている今、元老会でもこの話題は避けられないだろう。

 米騒動がいい例だ。

 日に日に平民の水面下の不満が政府、ひいては日本社会へと向けられている。

 だからといって普通選挙が採択されれば、華族の政治的立ち位置や存在意義自体も危うくなるかもしれん。」


「華族は皇室を護る立場。それがおびやかされるということは、皇室もまた危うくなる可能性も・・・?」


「その可能性がないとは言い切れない。だから、事前に予防線を張らなくてはな。

 葛丸、お前も何か策を講じてくれ。」


 普通選挙に米騒動、ロシア革命に物価高・・・。


 新一の授業で出てきたワードのような気がするけど、ちんぷんかんぷんよ。

 もしかしたら魔法の呪文かしら。


 二人が立ち去るまで動かないつもりだったけど、急に目の前の薔薇の木が揺れてドキッとした。


 頭にタオルを巻いた作業着の庭師が現れたせいで、あたしは慌てて近くの木の陰に飛び移った。


 ヒュ~、危ない危ない。

 寿命が縮まるわね。


 こっそり木の陰から覗くと、薔薇の葉に薬液を()()()()で振りまき始めた男の腕はたくましく、薄い金色の腕毛が生えているのが見えた。


 何だか見覚えがある腕なのよね・・・。


 え・・・!

 ちょ、待って。


 ただの庭師だと思って見ていたけど、あたしはあることに気づいて声を上げた。


 エ ド じ ゃ な い⁉


 ここからは逆光で顔がよく見えないけど、あの腕毛は菊子様の家庭教師のエドよ!

 あたしは日頃から、その腕毛を面白がって触らせてもらっていたのよ。


 嘘でしょ、お嬢様と一緒に駆け落ちしたんじゃなかったの⁉


 事件よ、事件。

 誰か来てッ‼


 思わず悲鳴を上げそうになったあたしの口を、だれかの手が後ろから塞いだ。

 フゴォ・・・・・・。


 鼻まで塞がれたまま、あたしはその人物に引きずられて草むらにうつ伏せに押し倒された。

 口はともかく、鼻まで塞がれたら息ができないのよ、死んじゃうのよォ!


 犯人の顔を見るために、あたしは必死に指に噛みついてやった。

 ガブッ‼


「豚だと思っていたが、犬みたいに噛むんだな。

 まだまだ調教(しつけ)が足りないようだ。」


 解放されたあたしが振り向いた先に、押し倒した犯人がいた。


「新一?」


 新一は美しい顔を少し歪めると、あたしの涎と歯型が付いた人差し指を自分の口元に当てて、シーッと口をすぼめた。


「い、いきなり後ろから人の口と鼻を塞いで押し倒すなんて、酷いじゃない。

 あんたこそ学習院出のくせに(マナー)違反よ、変態よッ!」


「お前が旦那様と葛丸様の会話を盗み聞きなんかしているからだ。」


 新一は草だらけになりながら、呆れた顔であたしを責めた。

「いいか、今ここにお前がいて二人の会話を聞いていることがバレたら、影武者の話は無しだ。

 お前は闇に葬られるぞ。」


 こ、怖いわ。


「ここには二度と立ち入るな。」


 コクコク。承知いたしました。


「ところであたし、エドを見たの。」


「エド?」


 あたしは膝に付いた草や土を手で払いながら先ほどの庭師を探したけど、もうどこにも姿がなかった。


「菊子様と駆け落ちしたイギリス人家庭教師のエドよ。

 もしかしたら帰ってきているのかもしれないわ。

 菊子様も近くにいらっしゃるのかも?」


「確かに新しい庭師に外国人が何人かはいたけど、見間違いだろう。

 もし、菊子様がお戻りになれば真っ先に葛丸様か私に連絡が来るはずだ。」


 でも、確かにあれは・・・。


「お前はイギリス人とアメリカ人の見分けがつくのか?」


 うう、悔しいけどそう言われると、確かに自信がないかも。


「二度と、ここには来るな。」


 新一はしつこく念を押してそう言うと、振り返って言った。

「料理長にも二度とお前に夜食を与えるなと言っている。

 交渉しても無駄だぞ。」


 この男、人の頭の中を見通す力でもあるのかしら。

 あたしはガッカリしながら旧公爵邸を後にした。

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