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#7 眼鏡男子にときめいて

 朝餉を終えると、あたしは新一に連れられて蔵書室に向かった。


 今日の新一は縁の薄い眼鏡をかけているので、ちょっとしたインテリに見える。

 あたしが眼鏡男子好き(フェチ)なら、直ぐによろめいていたかもね。


 この部屋はいわゆる『個人所有の図書館』で天井近くまである特注の本棚に、あらゆるジャンルの書物が所せましと並んでいる。


 大体が【帝王学】とか【論語】という背表紙(タイトル)の分厚くて小難しそうな本ばかりだけど、博物館に飾るような国宝級の絵巻物なんかもあるから、あたしはあまりこの部屋に立ち入ることは許されていなかったのよ。


 字を読むのは苦手だから、無理して入りたいとも思わないけどね。


 鍵を開けた新一に続いて部屋に入った瞬間、本のインクの匂いが鼻の奥を刺激した。

 いつも思うんだけど、インクって独特な香りよね。


 あたしは何故か、お腹がキュッとなってお手洗いに行きたくなるんだけど、みんなはどうかしら。


 用意された長机の席に着いた途端、新一が尻上がり気味の口笛を吹いた。

「【食事のマナー】は完璧だったな。」


「フン、冗談でしょ。」

 あたしは彼の下品な行為を鼻で笑った。


「こちとら、十五年間公爵家に奉仕してきた女中なのよ。

 特に食事の作法は女中が指導することが多いから、知ってて当たり前だわ。」


「華族の女子が習う貴婦人教育は良妻賢母に等しい。

 女中仕事を経験してきた分、そこは合格だ。

 正直、学が無い分花嫁教育よりも貴婦人教育が先だと思っていたが、見た目以外は菊子様の影武者になれると豪語しただけある。」


「たまには素直に褒めてくれるのね。」


 あたしは家事・育児はお手のものだし、人を立てることや媚びへつらうことも大の得意よ、えっへん。

 俯瞰して見るとあたしって、よくよく公爵家の令嬢に相応しい人材じゃない?


 容姿と体型以外はね・・・。


 新一は出窓に腰掛けると長い脚を折り曲げて、おもむろに眼鏡を外して弦の先を唇に咥えた。


 絵画を切り取ったような色男のポーズに胸が勝手にときめいてしまうわ.

キュンキュン!


 あたしの胸の内を知ってか知らずか、新一はその恰好のままあたしを見ると、ズルい顔で囁いた。


「ただ、お前は食べ過ぎだ。       

 朝から白飯三杯は淑女(レディー)の食べる量ではない。

 今日から腹筋百回に加えて、減量(ダイエット)のための食事制限も追加しよう。」


 はうッ、死刑宣告ですかあッ!?


 あたしの趣味とストレス発散は、ほぼ食べることなの。

 それを簡単に減らせというのね・・・。。


 や、やっぱりあんたになんか、キュンしていないんだから!


 完全に魂の抜けたあたしを無視して、新一は話を続けた。


「365日しか時間が無いから、手間が省けるのはありがたい。」


 そういうと、新一は私の横の席に座り、洋紙の帳面を差し出した。


「これが花嫁教育のレジュメだ。」


 促されてページを1枚めくった途端、几帳面な字体がノートをびっしりと埋めつくしていたことに驚いたの。


 見たことが無い文字の羅列に、あたしはめまいでクラクラした。


「ウ、ウチのおばあちゃんの遺言で、魂が抜けるから沢山の文字は読むなと言われているのよ。」


「分かりやすいウソをつくな。

 知ってるぞ、お前のばあさんはまだ近所で生きているはずだ。

 字が読めないなら読んでやろうか、お嬢ちゃん?」


 新一の美しい顔が嫌悪に歪み、あたしは冗談すら言えない環境に涙が出た。


「読むわよ、読めば良いんでしょ!」


 もう、漢字が多すぎて頭が痛いわ!

 めまいに吐きそうになりながらアリの行列のような文字を追うと、この文字列が一週間の時間割を示しているということを理解した。



菊子(かめ)様の花嫁教育】


 月曜… 習字 / 和歌 / 一般教養


 火曜… 英語 / 憲法 / 皇室史 


 水曜… フランス語 / 礼儀作法


 木曜… 宮内庁制度 / お心得


 金曜… 神宮祭祀宮・宮中祭祀 / 宮中慣習


 土曜… 宮中儀式及び行事 / 宮中儀礼 / 外交



「この時間割、ハードすぎじゃない?」


 あたしは背中を冷や汗が流れるのが分かった。


「神道の祭司の中で一番格式が高く、一番最古の家に嫁ぐのだから、酷なのはやむを得まい。」


「あの、皇室の方に嫁ぐという話は聞いているのだけど、皇室のどの方に嫁ぐ予定なのかは聞いていないと思うのよね。」


 自分で言ってから思ったけど、これってものすごく重要なことよね。

 皇室の方々は皆さん雲の上のお方だけど、その役職によっても心構えが変わってくるし、対応も変えなきゃならないじゃない。

 

「安心しろ。」

 新一が眼鏡越しにあたしを見つめる視線は、とても穏やかだった。

 

「お前が嫁ぐ方は、神道最古の家における唯一無二の高貴なお方だ。」


「唯一無二の・・・。」


「東宮鷹仁様、つまり皇太子様だ。」


「ここここ、皇太子さまぁ⁉」


 初対面の新一が、あたしに皇太子様の名前を知っているかと聞いてきたけど、このための伏線(フラグ)だったの?


 名前は知らなくても、東宮が次期皇位継承者の第一順位に当たる皇子の宮だということくらいは、女中のあたしにも分かる称号だ。


「つ、つまり、このレジュメは一般的な花嫁教育というよりも、皇妃(プリンセス)教育の内容ということよね。」


「ご名答。」


 涼しい顔で答える新一の態度に胃がキリキリと痛い。

 

 どうりで憲法だの宮中儀礼だのと見なれない漢字が飛び交っているわけよね!


 さあ、大変だわ!

 あたしは一体、ここからどうやって逃げたらいいの⁉


「慌てるな、髪をかきむしるな、荷物をまとめるな、大声出すな。

 まず落ち着いて、ここに座れ。」


 挙動不審なあたしを一旦座らせると、新一は目の前にフワッとひざまずいた。

 上から見ると、カールしているまつ毛の長さがやたらと目についた。


 全方位(どこからみても)色男って、無敵よね。


 そして新一はあたしの右手のひらを自分の両手で挟み、指圧(マッサージ)を始めた。


「ここは労宮。気分が落ち着くツボ。」


 ぐいいッと手のひらの中心部に新一の指が入ると、痛さと爽快感が腕を突き抜けた。

 うわ、じんわり痛いわ。


 ツボって整体術で押す経穴のことよね?

 確かに痛いけど、それが気持ち良くて、なんだか落ち着く。


「痛い・・・けど、気持ちが良いわ。」


 すると新一は手の甲の親指の付け根をゆっくりと押し、ゆっくりと円を描くように離した。

 あら、ここも気持ちいいわ。


「ここは合谷。肩こりや腹痛のツボ。」

 

 手のひらを押されているだけなのに、胃の辺りがポッポと温かくなってきた。

 そして最初は痛いけど、押されているうちに気持良さが上回っていくのが不思議なのよね。


「落ち着いた?」


「ええ、ありがとう。

 でも不思議ね。手を押されるだけなのに、こんなに気分が落ち着くなんて。」


「ツボは生命エネルギーの出入り口なんだ。

 それぞれが臓器と深い関係にあるから、即効性がある。」


「あんたは何でも知っているのね。」


「髪結いは医学にも通じるところがあるからな。

 もし整体術を学びたければ、花嫁教育に加えてやろうか?」


 あたしは笑顔を張りつけたまま、死んだ魚みたいな目で首を横に振った。


 いーえ、結構よ。

 これ以上科目を増やされたら、あたしの大事な三食と寝る時間が削られそうで怖いのよッ!


 心と体がスッキリしたあたしは、新一に質問した。


「新一は普段は皇室で働いているのよね。東宮様はどんなお方なの?」


「凪の海のように穏やかで、とても情け深いお方だ。

 慈愛に満ち溢れていて、常に国民の幸せを気にかけている。」


「良かった。」


 菊子様が帰ってきたら嫁ぐかもしれない人が、怖い人だったら可哀想じゃない。

 菊子様の信者としては、東宮様の真実を見定める必要があるわよね。


 やっぱりあたし、影武者になって良かったわ。


「ありがとう、新一。

 ちょっとだけ楽になったわ。」


 ようやくあたしの手を離した新一が、立ち上がりながら前髪をかきあげた。


「安心しろ。

 俺がお前を守ってやるよ。」


 な、なによその台詞。

 まさかあたしに惚れたとか?


 激しく高鳴る鼓動とツボ押しで血流が良くなったせいで、あたしは耳まで赤くなった。


「お前を太らせる要因の甘味と白飯の魔の手から、必ず守ってやる。」


 ああ、この男ってホントに、論ずるに値しないわあ・・・!

 誰か、今すぐ無駄口をきけなくする経穴を教えてッ‼

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