#41 この世の果て (最終話)
真冬のある日。
あたしと新一は上野駅から青森駅まで走る急行列車に揺られていた。
新一に、唐突に旅行に行くと言われたからよ。
しかも行先は明かされず、長旅になることと寒い地域に行くということだけは教えてくれた。
新一は毛皮の襟のついた二重廻し外套に毛皮の耳あて帽、あたしはメリヤス地の膝まである角巻に耳あてのついた毛糸の帽子、それから底にすべりどめのついたブーツに革の手袋という完璧な防寒着の出で立ちだった。
うーん。一体、何を考えているのかしら。
新一の美しい横顔を盗み見ながら列車にゆられること十七時間!
流石にお尻がツラくて、旅に出たこと自体を後悔したわ。
やっぱり寝台列車に乗れば良かった!
事前に新一が提案してくれていたのだけど、目が飛び出るほど高い運賃だから遠慮してしまったのよね・・・。
こういう時は意地を張らずに甘えるべきね。
おリボンをつけて可愛くねッ!
それから青函連絡船に乗り換えて船の旅。
あたしは船に乗るのは初めてだから、最初は嬉しくてはしゃいでいたのだけど、最終的には船酔いで気持ち悪くなり、ずっと横になってのびていた。
チーン。
船とは相性が悪かったみたい。
下船した後も揺れている気がして、波を見るだけでもオエッとなりしばらく気分が悪かったもの。
函館に上陸してからはまた急行列車に乗り、丸一日かけて最東端の根室に着いた。
根室からまた小さな船に乗り、日本で最大の砂嘴である野付半島に下船したわ。
どうやら、ここが新一の目的地のようだった。
キンと冷えた限りなく澄んだ青い空に、荒涼とした野付湾。
それは目が覚めるように真っ白で、広大な平原のよう。
あたしは、こんなにハッキリとした色の景色を見たことがなかった。
「すごいわ。海が凍るなんて。」
生まれて初めて見る絶景にあたしは心が震えた。
海の下の魚たちは、どうやって生活しているのかしら?
寒くても平気なのか、春まで一緒に凍ってるのか、海の下を覗いてみたいわ!
「【この世の果て】にようこそ。
正確には、日本の果ての一つだけどな。」
新一は気取って毛皮の耳当て帽子を取り、一礼をした。
「あれは冗談だと思っていたのに。」
あたしは、彼があたしとの些細なやり取りを覚えていてくれたことが、たまらなく嬉しかった。
のろけるけど、新一のこういうところが好きなのよね。
「海の上を少し歩こう。」
えッ、海を歩くの?
あたしは腰がひけてたじろいだ。
「怖いわ。氷が割れて落ちたらどうするの?」
「この時期の野付湾の周辺は、何メートルも分厚い氷の層になっているから、歩ける場所があるんだ。
怖かったら手を繋ごう。落ちるときは一緒だ。」
どちらにしても、落ちるじゃないの!
説得力のない言葉だけど、あたしは新一と手を繋ぎたいから素直に手を出したわ。
色男でも安全装置にはならないから、勘違いしないでねッ!
グルリ360度見渡しても、遮蔽物のない海の上を歩くのはとっても神秘的!
下を見ても海が透けて見えたりしないから、やっぱり氷が分厚いのね。
しかも氷と言ってもツルツルしている道ではなく、海風が作り上げた粗削りな氷の表面だから滑って転ぶ心配はなさそうよ。
※
やがて、あたしたちは【トドワラ】と書かれた看板がある場所に着いた。
トドワラって何かしら?
「海水と潮風に浸食されたトドマツ林が枯木郡に変化したものなんだ。」
「終末感があるわね。」
厳しい寒さの中に、あちこちに朽ち果てた白い大木の死骸が点在している。
その荒廃した絶景は、青と白のコントラストと相まって、不思議な絵本の世界に迷いこんだ気持ちになる。
「あれ、人かしら?」
五メートル先の黒い人影を指さしたあたしは、次の瞬間驚いた。
人影だと思っていたものが、不意に大きな翼を広げて羽ばたいたのよ。
それは天高く舞って、太陽にその姿を晒した。
「オジロワシだ。」
「あれが鳥? 人だと思った。かなり大きいわよね!」
鷹狩で見た鷹も大きかったけど、このオジロワシはその何倍もあるわ。
恐るべし【この世の果て】
「見て! 鹿がいるわ!!」
ススキの影に二頭の鹿を見つけたあたしは、興奮して跳びはねた。
「そんなに跳ねたら氷が割れるぞ。」
新一がニヤニヤしながらあたしを見た。
「最近は計測していないが、公爵邸に居た時よりも明らかに・・・。」
あたしは新一を無視して鹿を目で追った。
「親子かしら。」
「恋人かもしれない。」
「恋人にしては、片方が小さいし、ずんぐりしているわ。」
「じゃあ、俺たちと一緒だね。」
恋人というワードが一緒なのか小さくてずんぐりが一緒なのかはあたしはあえて聞かなかったけど、新一の肩を思い切り平手で叩いてやったわ。
どこまでも続いて見える【氷平線】とあたしたちの日常が重なる。
たわいのない会話をしながら、新一とならどこまでも歩いていけそうな気がした。
「ねえ、いつからあたしを好きになったの?」
あたしはふと、ずっと聞きたかったことを聞いてみたの。
大蒼はともかく、新一は全然そんなそぶりを見せなかったから。
新一の凍った長い睫毛に白い霜がついていて、目を伏せた時にきらめいて見えた。
「最初から。」
「嘘よ。だって、あんなに何度もあたしのことを芋虫と・・・。」
「俺はね、芋虫が好きなんだ。」
新一はあたしの冷たくなった頬を両手で挟んで、ニヤリと笑った。
「俺が最初に目をかけて、手塩にかけて育てた芋虫だからな。
まるまると太らせて、食べちゃいたいくらい可愛いと思っていたよ。」
「あんなに痩せろとうるさかったくせに・・・!
意地悪なことばかり言い続けていると、あたしはいつか蝶になって飛んでいくわよ!」
あたしがむくれて横を向くと、新一は急に真面目な顔をした。
「じゃあ、そろそろ首輪をつけなきゃならないな。」
げげッ。
またペットにするなんて言わないでよ?
新一は、あたしの手を取って太陽にかざした。
太陽の周りには虹が出来ていて、まあるい大きなプリズムみたい。
光が眩しくて目を細めていると、あたしの左指に違和感が・・・。
んん?
指輪・・・?
「お前を愛してる。
いつまでも俺の側に居てくれ。」
白い息を吐いた新一があたしを後ろからぎゅっと胸に抱いた。
寒い外気温と対照的に、熱い新一の体温が心地よい。
あたしはドキドキしながら新一を見上げた。
「これって、まさか婚約指輪?」
「それに鈴もつけられたら完璧だったんだけどな。」
「もう、鈴はお断りだわ。」
あたしたちは、どこまでも続く氷平線の上で口づけをした。
あたしはもう、女中でも、影武者でもない。
でもこうして自分を必要としてくれる人を、愛し愛され生きることが素敵だと素直に思える。
左薬指にはめてもらった指輪を太陽にかざすと、まるで太陽が二つになったみたい。
あたしたちは寄り添いあいながら、また手を繋いで歩き出した。
〈完〉




