#27 もつれる糸と捜査線
「ききき、きくこおじょーさまァ‼」
不用意な言葉を吐き出すとあたしの大声は裏返ってしまい、周囲の人々が次々に振り返った。
でも肝心の振り向いてほしい相手はというと、一度足を止めたのだけど隣の連れに促されて小走りに駆けだしたの。
逃げるなんて怪しすぎる!
「待って!」
すぐに追いかけようとしたあたしは、新一の手を引っ張った。
あ、ゴメン。
手をつないでいたのよね。
「あれが菊子様なのか?」
新一は疑問の念があるようだ。
確かに今の女性は、公爵令嬢には見えない。
出で立ちはまさに流行のモダンガ―ルだ。
「帽子に隠れていたから顔はほんの一瞬しか見ていないわ。
でも、大丈夫よ。信じて。」
「ふむ。信者の目は誤魔化せないか。」
妙な納得の仕方をした新一と、そんな新一に納得がいかないあたし。
ムム・・・まあいいわ。
あたしたちは怪しい二人を追いかけて、全速力で走り出した。
「あの人が脇を通った時に、あたしが作った松の精油が香ったの。
それに見て。小指を立てて左右に手を振りながら走るクセは、間違いなくあたしの菊子様よ!」
人が多い浅草の街を人波をかいくぐって駆け抜ける。
怪しい二人も人が邪魔で思うように逃げられず、あたしたちはすぐに彼女らを見つけた。
ハァ、ハァ・・・。
あたしは脚に力を込めて地を蹴った。
ダイエットのために屋敷内を走っていたのが、ここで役に立つなんてね!
ついに声をかけられる距離まで近づいた時、辺りに耳をつんざくブレーキ音が響いたの。
「危ない!」
新一の腕に制止されたあたしは足を止めた。
幌付きのタクシーがあたしたちを分断するように乱暴に横付けされて、それに二人が乗り込んだのよ。
キャア! 嘘でしょ?
車が歩道に乗り上げるなんて!
「どうしよう!」
騒然とする人々を嘲笑うかのようにタクシーは急発進して、大通りを颯爽と走り去る。黒く煙る車の排気ガスを見送りながら、あたしはパニックになった。
せっかく菊子様を見つけたのに・・・!
「これで追いかけるぞ。後ろに乗れ。」
声に振り向くと、大型二輪車に新一が跨っている姿だった。
「えっ? そんなの、いつの間に用意したのよ。」
「今、借りた。」
大型二輪車の持ち主の男は新一に渡された紙幣の枚数を数えてにやけている。
時は金なりとはよく言うけれど、ホントに世の中って金なのね~。
あたしが後部座席に跨ると、新一があたしの手をグイッと自分の腰に誘導した。
キャッ! 腰が逞しいわ‼
「振り落とされないように、ここにしっかり掴まって。足もブラブラさせずにステップから降ろすな。
何かあったら声は聞こえにくいから、肩を叩いてから喋ってくれ。」
あたしは言われた通りに新一の腰に腕を回してしっかりとしがみつく。
こんなときなのに、密着した頬に新一の背中の温かさが感じられて、涎をつけてしまわないか気がかりだわ。
新一がフットペダルを数回蹴り上げると、爆音とともにエンジンがかかり細かな振動が四肢を揺らした。
そしてスロットルを回して二輪車が車道を走り出した時、あたしは本音を吐露した。
「二輪車に同乗するのは初めてなの。よろしくね。」
「俺も人を乗せるのは初めてだ。よろしく。」
※
大型二輪車は流星のように大通りを駆け抜けた。
牛車や馬車、自転車や自動車が忙しく走り回る道路の、隙間をぬって上手くすり抜けていく。
「新一、いま何哩で走っているの?」
あたしは精一杯大きい声で聞いたけど、風に流されて新一の耳には届いていない。
二輪車って四輪車に乗るよりも風をまともに受けるせいか、めちゃくちゃ速く感じるのよ・・・。
公道は確か二十五哩で走るきまりなのに、追いかけているタクシーもこの大型二輪車もグングン周りの車を追い抜いているから、それ以上は疾走している。
(あとで聞いたら五十哩も出していたそうよ!)
ついに大型二輪車がタクシーに並走したタイミングで、新一が脇に抱えていたステッキを思い切りタクシーの右前輪に突き刺した。
タクシーはハンドルを制御できずに右に流れて勢いよく回転し、反対車線に飛び出すと後ろを向いて止まったの。
対向車が居たらと思うとゾッとしたわ。
「手荒すぎるわ! 菊子様が乗ってらっしゃるのに‼」
新一はブレーキをかけると、冷たく微笑んだ。
「止まる気がないものを止めるには足枷が必要だ。」
ドSめ。
新一で冷凍庫を作ったらどうかしら。よく冷えて売れそう。
あたしが新一に抗議している間に、タクシーのドアが開いて小柄な影が飛び出した。
あっ、大変! 逃げちゃうわ‼
影が路地に逃げ込んだのを確認すると、急いで二輪車から飛び降りたあたしは、夢中でその後を追いかけた。
※
「待ってください!」
袋小路まで影を追いつめたあたしは、後ろ姿に悲痛な叫びを上げた。
「菊子さま・・・ですよね?」
肩でそろえられた髪を揺らして逃げていた女性が、気まずそうに振り向いた。
「ごめんなさい・・・。」
間違いない。
目の前に居るこの人は徳川公爵家令嬢でありあたしの推し、菊子様だ。どんなに髪型や服装が変わっても、お慕いしている女神は目を奪われるほど美しい。
もう逃げた理由とか、駆け落ちしたとかはどうでも良くなった。
あたしは半年間の鬱積していた気持ちを巴投げして、菊子様を愛でたの。
美少女って、最強よ。
「会いとうございました・・・!」
ほとばしる涙と嗚咽であたしはその場に崩れ落ちた。
そんなあたしに菊子様はそっと寄り添い、頭を撫でてくれたの。
「かめ、泣かないで。」
「ずっと、安否が分からず心配でした・・・。でも、菊子様がお変わりなくて何よりです。」
ひしと菊子様をこの腕に抱きしめたあたしは、色んな言葉を思い浮かべては頭の消しゴムで消した。
この再会にはいかなる言葉も無粋で、ただ、菊子様の実体を感じているこの一瞬が愛おしいから。
事情は分からなくても、菊子様が今この場に居ることがなによりの喜びなのよ。
「かめ、あなたはずい分変わったわね。」
あたしの涙をハンカチーフで拭いながら、菊子様がそう言った。
「今はとても素敵な淑女ね。もしかしたら、恋でもしているの?」
こ、恋?
その単語にあたしはドキッとした。
確かに恋は人を美しくするというけれど、最近ときめいたといえば・・・。
・・・うーん・・・。ときめきがありすぎて悩むあたしを責めないで!
色男が多いのが悪いのよ‼
「お嬢様の影武者を葛丸様に任じられて、皇室お抱えの髪結いに改造されている最中なんです。」
「お兄様が、かめを?」
菊子様は途端に顔色を変えた。明らかに動揺されているようだ。
「私・・・そんなの聞いていないわ。
てっきり、かめは公爵家を解雇されたあと報奨金を貰って、髪結いの専門学校に通っていると思っていたのに。」
どういうこと?
菊子様は使用人が全員解雇されるのを知っていた?
「ああ、ああ・・・かめ。
本当にごめんなさい。大好きなあなたを巻き込むつもりはなかったの。」
菊子様の混乱ぶりがよく分かる。あたしから離れた菊子様は、身震いを抑えるように自分を抱えた。
「菊子様、落ち着いて。
一体、何を言ってらっしゃるの? 菊子様はエドと駆け落ちしたんですよね?」
菊子様はバツが悪そうに俯くと、やがて決心したように顔をあげた。
「そういうことにしているのね。詳細はわたくしの口からは絶対に言えないの。
でも、あなたを守るために一つだけ言います。
その髪結いは信用してはなりません。」
その瞬間、菊子様の美しい顔が苦悶に歪んだ。
あたしは後ろから何者かに鼻と口を布で塞がれ、悶絶した。
やだ、変な匂い・・・。
目の前が真っ暗になる前にずっと探し続けていた金色の腕毛が見えた気がしたけど、あたしは最後の晩餐に菊子様の像を脳裏に焼き付けながら倒れた。
※
気がついたあたしは、路地で目を覚ました。
「大丈夫か?」
新一の声に立ち上がろうとすると軽いめまいがして、よろけてしまう。
薬を盛られたみたい。
「菊子様は?」
「俺が近くの交番に通報してからここに来た時には、お前だけが倒れていた。
薄々気づいてはいたが、菊子様の逃亡を手伝っている輩が複数人いるようだな。」
悔しがる新一。
あたしは菊子様の残した言葉が頭に引っかかって、新一と目を合わせられなかったの。
『髪結いを信用するな』って、どういう意味?
菊子様は何を隠していらっしゃるの?




