#20 ペットなんかじゃない
「良かったね、お嬢さん。お肉がたくさんついていて!」
開口一番。
聴診器を外した白髪の老医師が、晴れやかな顔で寝台の上のあたしにそう告げた。
「あたし・・・階段から落ちたわよね?」
「そうだよ。」
「えっと、怪我くらいはしてるでしょ? 打撲とか、骨折とか。」
「擦り傷くらいで無事ですね。」
「このふくよかな体型のせいだと?」
「普通ならただじゃ済まないだろうけど、貴女は何の異常もないですよ。
その体にまとわりついているぷよぷよしたお肉が緩衝材になったのかもね。
じゃ、そういうことです。」
そう切り上げると、涼しい顔で老医師は部屋の扉をバタンと閉めた。
やぶ医者め。
心のケアはどうしてくれるのよッ!
体が無事なのは良かったけど、あの老医師と話した内容には、なぜか胸の中がモヤッとするわ。
※
昨日の記憶をたどっていると、新二が部屋に入って来た。
「気がついて良かった。
老医師が問題はないって言ってたけど、本当に大丈夫なのか? 」
「ええ。お肉が緩衝材になったらしくてね。」
老医師の言葉をそのまま伝えると、新二は「ブフッ。」と吹き出した。
そして、涙が出るほど笑い転げて最後は床に崩れ落ちたの。
「そんな都市伝説みたいなこと、ある・・・?」
あるのよ。目の前にいるじゃない。
「ほんっとに笑える。ほんっとに天然記念物。
あんたと居ると愉快だな。」
フン。ほっといてよ。
どうせなら、腹がはちきれて動けなくなるまで笑い続けるといいわ。
※
「あの時ね、あたしは階段から誰かに突き落とされたのよ。」
いつものように顔のお手入れをしてくれた新二に、あたしは整理した記憶を話してみた。
「それは裏が取れている。
あんたが突き落とされた瞬間を、複数の人たちが目撃しているんだ。」
犯人は誰なのよ?
「残念ながら【女】ということ以外には、有力な情報はないんだ。
あの時、階段にはたくさんの人が居たからしょうが無いね。
でも、踊り場に居た十五人のうち【女が六人】いたということは、俺たちが突き止めた。」
「六人? それはあたしが知っている人?」
「昨日、挨拶くらいはしたんじゃないか?
伯爵家の峯岸櫻子、子爵家の水戸麗子、男爵家の鹿園梅子の三人だ。
それと、それぞれの女中が一人ずついたらしい。」
「櫻子って、あの新一にしつこくつきまとっていた肉食令嬢よね?」
「そうそう。
あんたを見失った後、兄上はあの人に追い回されてタジタジだったんだぜ。」
「まさか・・・あたしと新一がダンスをしていたのに嫉妬して突き落としたとか?」
自分に正直な人だと思ったけど、そんな陰険な雰囲気には見えなかったわ。
「調査中だけど、いずれ劣らぬ華族のご令嬢たちだ。
徳川家との親交も深いから一方的に疑うわけにもいかず、時間がかかりそうだ。」
そういえば、階段から落ちる時に手に何かが引っ掛かったような・・・。
あたしって、いつも気を失う前に手がかりを掴むのよね!
めげない・泣かない・凹まない・転んでもタダじゃ起きません♪
あたしをだるまにして売ったら、喜ばれるかしら?
そう思って手に握っていたものを確かめると、小さな青い羽だった。
うーん。大した物ではなさそうね。
でも、どこかでこれに似たものを見たような・・・。
その話を新二にするか迷ったのだけど、新一の名前が出たことで、あたしは一番聞きたかったことを新二に聞いた。
「新一は、怒っているかしら?」
ずっと、心に引っ掛かっていた。
あたしがいつも暴走して、新一に迷惑をかけていること。
「兄上は、あんたが階段から落ちたと聞いた時、泣きそうだったよ。」
は?
あの新一が⁉
あたしが絶句して数秒後、新二がたまらず噴き出した。
「オイオイ、冗談だっての。真剣に受け取るなよな。」
「からかわないで!」
あたしはイラついて枕を新二目がけて投げつけたのだけど、反射神経の良い新二にあっけなく受け止められてしまった。
クッソ、ムカつく。
まあ、よく考えたら新一があたしのために泣く訳ないか。
枕を寝台に戻した新二は、あたしのすぐ隣に腰掛けた。
それは膝同士がぶつかるくらいの距離で、あたしは少し身を引いた。
やだ、色男が近すぎるわ。
「でもまあ、あながち嘘じゃない。
いつも冷静な兄上が取り乱しているところは、初めて見たから。」
驚いて新二を見ると、至近距離で目がバッチリ合ってしまった。
「興味があるな。」
言葉に詰まっていると、新二の大きな手が伸びてきて、あたしの顔にかかるおくれ毛をよけながら囁いた。
「どうやって兄上の関心を引いているの?」
そして、両手であたしの頬を包むように固定した。
これじゃ、目を逸らすことすら許されないわ。
一体、新二ったらどうしちゃったの?
普段がぶっきらぼうで可愛げがないだけに、ギャップのある態度をされると・・・キュンキュン萌えちゃうわよ~!
その時、部屋の扉が『コンコン』とノックされたの。
新二が立ちあがったので、あたしはホッとした。
ふう、危ない。理性がぶっ飛ぶところだったわ。
「噂をすれば、だな。」
新二は舌打ちすると、新一をまねき入れた。
「どうかしたか?」
新一が眉間に眉根を寄せてあたしと新二を交互に見比べた。
「別に。彼女は兄上が怒ってないかが心配なんだって。」
新二は下を向きながらボソっと言い残すと、足早に部屋を立ち去ってしまったのよ。
おのれ新二よ、大きな爆弾を残して行ったわね・・・!
「俺が、かめを怒る? 」
新一がキョトンとしてあたしを見た。
「だ、だって。昨日は大変なことをしてしまったから。
きっと怒られると思って、心の準備をしていたのよ。」
「それは例えば、
その一、何も言わずに俺の前から忽然と消えた。
その二、いつのまにか見知らぬ男と密着してアホ面でダンスをしていた。
その三、ダイエットをしていたのに、食事をたらふく食べた。
その四、挙句の果てに階段から落ちて気を失っていた。
の内のどれのこと?」
全部よ全部!
十分わかっいてるじゃない。
改めて列挙するなんて、意地悪だし最低ね!
でもよく分かったわ。
新一の関心事は、毎回あたしをからかうことなのよ!
今回はあたしが軽率だったから我慢するけどね。
「謝ります。
ごめんなさい。許して下さい。」
頭を深く下げたあたしは新一の口撃に備えていたのだけど、頭の上に降って来たのは意外な言葉だった。
「・・・何でお前が謝るんだ。」
そうして、逆に新一があたしに向かって頭を下げたのよ。
あの新一があッ!
「俺の方こそ、ごめん。約束したのに。
お前を守ってあげられなかった。」
嘘でしょ。
あたしは、あまりの事態に戸惑いを隠せなかった。
あの皮肉屋で自信家でいつも偉そうな態度の色男髪結い師が、あたしに向かって謝るなんて・・・。
「俺はもう、二度とお前の側を離れない。」
膝の上で握った拳の血管が青く浮いてきて、新一が本気で悔しがっているのが痛いほど伝わった。
あたしは皮肉と美しさに隠された【本当の新一】を、ちゃんと見ていなかったのかもしれない。
自然と涙があふれてきて、あたしは鼻をすすった。
嬉しいのに、涙が止まらない。
どうして?
その親指で涙を拭ってくれながら新一がいつものようにあたしを茶化した。
「泣くな。
涙と鼻水で、せっかくのメイクがぐちゃぐちゃだ。」
「だって、新一が泣かせることを言うから・・・。」
「俺のせいにするな。」
言葉の情なさとは裏腹に、新一の表情は柔らかく温かい。
あたしは、もう少しだけ新一の心に踏み込んでみることにした。
「お詫びに新一の言う事をひとつだけ聞くから、何でも言って。」
わーん、素直になるって恥ずかしい!
でも、こうでも言わないと、あたしの気持ちが収まらなかったのよ。
新一は少し考えた後、つぼみから花が咲くようにふわっと微笑んだ。
「お前を俺のペットにするよ。」
ペットぉ⁉
「そうして、首に鈴をつけるんだ。
そうしたら、お前が居なくなっても鈴が鳴る方に迎えに行けば、すぐに居場所が分かるだろ。」
「は・・・? 犬や猫じゃあるまいし!」
「言うことを聞いてくれるんだろう?
呼び名もかめじゃなくて、【ポチ】とか【タマ】にするべきだ。
いいよな、ポチ。」
そう言いながらあたしの頭を撫でる新一の眼差しは慈愛に満ちていて、それがペットを見つめる御主人様だとしても、ドキドキせずにはいられなかった。
あーあ。
やっぱりいつもの新一だわ。
心を開いたらもう少し仲良くなれるかも、と思ったあたしが馬鹿みたいよね。
でも後日、本当に大きな鈴が付いた御守りを無理やり持たせられる羽目になるとは思わなかった。
わーん、あたしは淑女なのよ、人間よ!
謝るから、ペット扱いはぜぇっったいにしないで~‼




