#11 仮面舞踏会、前日
舞踏会の会場は、公爵邸の二階の南露台側にある舞踏室と談話室と食堂の三室の仕切り扉を開放した、百帖ほどの広い空間だった。
それもそのはず、参加人数はおよそ百人弱と聞いたわ。
あたしが女中だった時は年に数回、二十人前後の小さな舞踏会を開くことがあったけど、ここまで盛大に公爵家主催で会を執り行うのは、恐らく初めての試みじゃないかしら?
普通なら会館や帝国ホテルでやる規模よね。
しかも、今回は目もとが隠れる仮面をつけて踊る仮面舞踏会。
凝った趣旨の演出に前評判は高く、外国人の来賓よりも邦人の人数の割合が高いんですって。
う~ん。
顔が見えない人と踊って、何が楽しいのかしら。
葛丸様もだけど、上流階級の方の考えることって、たまにアレよね。
そのため、前日から公爵家はてんやわんやの大騒ぎ。
聞けば、新しい使用人たちは落ちぶれた伯爵家から丸ごと引き抜いてきた人材なんだというけれど、前代未聞の大仕事に屋敷のあちらこちらで阿鼻叫喚の光景が広がっていた。
可哀想ッ!
当主の一声でやったことのない仕事をやる人の気持ちが、あたしには痛いほど分かるから‼
長年の習慣で、思わずあちこちを手伝ってしまいそうになるのを皆にやんわりと止められて、あたしは手持ち豚さん・・・じゃなくて、手持ち無沙汰になってしまった。
犬養三兄弟も多忙なようで、午前中の皇妃教育が終わると、午後は自由時間になったのよ。
これは・・・。
これはチャンス到来よ♡
いよいよ旧公爵邸にエドを探しに行けるわッ!
あたしはいちお公爵家ではアイドルだから、うろちょろしてたらすぐに新一にチクられてしまう。
だから女中に変装をした上に、頭に深くほっかむりをして行動をすることにしたの。
え・もとに戻っただけで変装してないじゃないかって?
チッチッチ、甘い。砂糖より甘いわ。
灯台下暗しなのよ!
この状況下において、女中ほど隠密に向いている職業はないわ。
だって、蟻が足もとにウジャウジャ居ても、その中の一匹の個性を探そうなんてひとはいるかしら?
あたしが奉公しているときは菊子様以外に名前でなんて呼ばれたことないし、なんなら屋敷の人たちはエプロンを着た女はみんな【女中】って名前だと思っているんじゃないかな。
人間って、見ているようで見てないのよ。
忙しい時は特にね。
※
あたしは旧公爵邸の洋館の正面に直接入れるイングリッシュ・ガーデンを突きぬけるルートは避け、遠回りだけどぐるっと一周回って、洋館の裏にあるご本宅・和館の庭から侵入することにした。
ちなみに華族は洋館を応接室、和館を家族の団らんの場所にしていることが多いのよ。
ずいぶんと広い敷地じゃないかって?
そうね一万二百坪くらいあるらしいから、そりゃ大邸宅が三軒と庭園も二つもできるわよね。
だから使用人が百人居ても毎日の管理が大変だし、それを入れ替えるのはどれだけ愚かな行為だったのかは想像がつくでしょ。
和館には華族の庭には珍しく『土俵』がある。
大旦那様が当主の時に、皇室の方が訪れた時だけ力士を呼んでいたからよ。
あたしも、遠巻きに相撲を見た幼い記憶があるわ。
その土俵を通り抜けると旧公爵邸の裏口に入れる。
和館には大旦那様と奥様がいらっしゃるから、もしエドが居るとしたら今は使用人とお雇い外国人の寮になっている洋館だと思う。
あたしの読み通り旧邸宅も使用人でごった返していた。
掃除をしながら裏口から侵入するあたしに目をかけるものなど、誰一人として居なかったわ。
それならそれで、ちょっと寂しいけどね・・・クスン。
※
お雇い外国人の寮になっている棟の一階は、客室と書斎、大食堂や大広間がある。
二階は居間と寝室だから、この時間はあまり人の出入りが少ないはず。
あたしは洗濯場に直行すると、新しい敷布をまとめて籠に入れて、2階への階段を登った。
途中、踊り場ですれ違った女中が、ハッとして足を止めた。
「ちょっと、あなた!」
まずい!
あたしはその場でピョコンと飛び上がりそうになった。
「敷布交換は、後で私がやろうとしてたのよ。
助かったわ。」
そう言い残してバタバタと階段を降りて行った女中の背中に会釈すると、あたしは急いで階段を駆け上った。
ひえぇ。
心臓が破けるかと思ったわ。
敷布には必ずそこに寝た人の体毛が残るはずだから、金色の腕毛を持つエド探しにはてっとりばやいと思ったのだけど、万がいち二階で見つかったら逃げ場がないから、背水の陣なのよね。
寝室に向かう通路にはいつも扉が開け放たれている居間もあるから、ここも気を引き締めて通らなければ・・・。
ドキドキしながら誰も居ない居間を無事に通り抜け寝室のある通路に出ると、その通路の突き当りまで走って行ったあたしは、一番奥にある一室にすべり込んだ。
ふぅ~。
とりあえず、計画通りに運んでいるわ。
ひと部屋に寝台は六台。
十室分あるから六十人分の敷布を見るということね。
息を整えてから、あたしは敷布を一枚ずつ剥がして、丁寧に検品した。
毎日やっていたことだから、こういうのは得意なの。
ほら、人毛ってたとえ一本でも落ちていたら不潔に感じるわよね。
普段から細やかに物を注視しながら仕事をしているから、エドの毛は見逃さない自信があるわ。
でも、十室あるうちの八室には収穫も痕跡もなくて、あたしは焦ってきた。
あんなにフサフサなのに、落ちないはずがない。
まさか、あたしみたいに庭園の横にある納屋にでも寝泊まりしているのかしら。
最も居間に近い二室に近づいた時、前方からガヤガヤとした複数の男性の話声と階段を上がる足音がして、あたしは慌てて近い方の部屋に飛び込んで扉を閉めた。
ああ、あたしったらお馬鹿さんね。
扉を閉めない方が誰が来たか分かったのに。
エドって流暢な日本語を話すから、複数人と会話していても全然違和感がないのよ。
とりあえず先に部屋の検品をしようと振り向いた時、まさかの先客がいることに気がついたあたしは大きな声をあげそうになった。
「ッ・・・⁉」
「静かに。
私は怪しい者ではありません。」
口にあてがわれた手のひらから白檀の香りが漂っていて、あたしは思わずクンクンとその素敵な匂いの元を探ってしまった。
目の前には流行りの大島袖の着物に黒の二重外套、中折れ帽を目深に被った男が困り顔であたしを見ている。
黒くて太い眉の下に大きな丸い黒い瞳、筆で書いたような滑らかな鼻筋にボテッとした赤い唇。
かなりの小さな童顔で成人男性には見えないけど、体格はがっしりしているし上背もある。
「こんなことしてすみません。
でも、お願いです。
私の用事が済むまで、ここにいてほしい。」
こんなハスキーな低音で耳元に囁かれたら、誰だって大人しくしているわよ。
なんならずっと横にいさせてほしいくらいだわ。
あたしから目を離すと、男は扉に耳をピタリと当てて廊下の様子を窺っているようだ。
待って。
素敵な香りの色男だからついよろめいてしまったけど、普通に考えたらこの男は誰なのよ?
来賓なら新館に案内されるだろうし、使用人には居ない出で立ちよね。
もしかして、この男は窃盗とか強盗の類なんじゃ・・・。
そう思って口を塞がれながら至近距離でしっかりと見てみたんだけど、なぜだろう、殺気立ったものが一切感じられないのよ。
むしろ気品すらある佇まい。
うーん、不思議な人よね。
「よし、行こう。」
男は静かに開けた扉から廊下にあたしを連れ出した。
へ? ま、待って。
何であたしも連れて行くのよーッ⁉




