6、神殺しの王
神は、自らの姿をかたどり、自らに似せて人を造った。
神は人を愛している。
神は言う。人こそが『善』なのだと。
しかし世界が『善』ばかりでは、その均等は崩れてしまう。
そこで神は考えた。
そして、世界のバランスを取るべく『悪』を造った。
その『悪』の象徴が『魔族』である。
神は、自ら造ったにもかかわらず魔族を忌み嫌った。
そして神は、魔族を海に浮かぶ孤島『魔国』へと閉じ込めた。
彼等の死骸が積もって出来たものを『魔黒石』という。
青々と木々が生い茂る森の中。
時折湖面をはねる小魚の水音と、鳥の声しか聞こえない静かな場所に、この場に似つかわしくない程の大きな神殿が建っていた。
ここは、この国の主神の本尊が祀られている神聖な場所。
その為、神官以外がおいそれと近付くことはなかった。
この神殿の最奥には、神子が祈りを行う『祈りの間』が存在する。
そしてここ最近、その祈りの間で主神の本尊に向かい、神子が一心に祈りを捧げていた。
期間にしておよそ7日。
神子は飲まず食わずで祈りを捧げているのだが、その身体はカラカラに干からび、祈る声はもはや掠れてほとんど聞こえなかった。
神子の精神はすでに崩壊していた。
しかし彼女は祈らなければならなかった。
この国の安寧の為に。その命を散らしても。
それがこの国の王からの命令であり、神子の使命だった。
「見つけた」
突然祈りの間に地を這うような低い声が響き渡り、神子の前に1人の男が姿を現す。
神子はそれに気付いてはいたものの、もはや反応することさえ出来ぬほどに衰弱しきっていた。
その男は金色の長い髪を持ち、身体からはまるで炎のように眩い光と漆黒の闇が交互にゆらゆらと湧き上がっている。
そして、その瞳はまるで血のように赤黒く光っていた。
彼は魔族の長『魔王』であり、別名『神殺しの王』とも呼ばれていた。
魔王はしばらく神子を観察した後、その様子に既に手遅れだと悟り、神子の腹に手を突っ込んだ。
「逝け」
魔王は呟く。
神子は余りの衝撃に前のめりに倒れ込み、口から大量の血を吐き出す。
しかし魔王は躊躇することなく、神子の腹からまるで内臓を引っ張り出すように、一気に何かを引き摺り出した。
『ぎゃああああああああああああ』
祈りの間に、神子のものではない甲高い声が響き渡る。
神子が祈りを捧げる際、神は自らの力を行使させるべく身体の一部を神子に下ろす。
そこを掴んで引っ張り出せば、神をそのまま地上まで引き摺り下ろすことが出来る。
そのことを魔王は知っていた。
つまり先程の悲鳴は、突然地上へと引き摺り下ろされた神が驚愕の余り発した声だった。
魔王は自ら引き摺り下ろした神を、無言でじっと観察する。
光を纏った美しい神は、魔王の圧に恐れおののき身体から目もくらむような光を放つ。
神から放たれた光が空中で鋭い刃となり、魔王目掛けて襲い掛かった。
しかしその刃が魔王の身体に到着した瞬間、跡形もなく砕け散り、光の粒子が辺りを包んだ。
『なっ!』
神は驚愕する。
魔王は攻撃されたことなど特に気にも留めていなかったが、この神が、自分が長年探し求めていた神ではないと気付き、怒りの余り力任せに神の身体を地面に叩きつけた。
『ぎゃああああああああああああああ』
「お前ではないが、ついでに殺しておこう」
魔王は神の頭部を鷲掴みにすると、力任せにまるで熟した果実のように握りつぶしたのだった。
それから魔王は両手に神と神子を持ち、ズルズルと引き摺りながら神殿の入口から外へと出る。
するとそこには、髪も瞳も真っ黒い男が1人、彼の帰りを待っていた。
名はグレイ。
魔族であり、魔王の右腕とも呼ばれている男だ。
「我らが王よ。それが探していた神ですか?」
グレイの問いに、魔王は首を横に振る。
「そう、ですか……」
グレイは残念そうに眉を下げた。
「まあ良い、グレイよ。お前が喰らうがいい」
魔王はそう言うと、持っていた神と神子をグレイの前に放り投げた。
「え?! 宜しいのでしょうか?」
グレイは驚いて、地面に無残に転がる2人の身体を見る。
頭部を潰されてはいるものの、神の身体は未だぴくぴくと痙攣するかのように動いている。
一方神子は既にこと切れており、ピクリとも動いていなかった。
「ああ、好きにするがよい」
「ありがとうございます!」
グレイは魔王から与えられた餌を見て嬉しそうに笑うと、文字通り彼等の身体にかぶりついた。
魔族は瘴気から発生する。
しかし彼等も、人と同じように衣食住を必要としていた。
彼等が神によって閉じ込められ続けた、海に浮かぶ孤島『魔国』。
まるで湧き水のようにあふれ出る瘴気から生まれる彼等にとって、その島は小さすぎた。
魔国内は増え続ける魔族同士が争い、互いに喰らい合う。
いつの間にか魔国は死の大地と化していた。
しかしここから出ようにも、神の張った結界に阻まれて出る事が叶わない。
魔族は光、特に浄化の力に弱い。
光の象徴である神に立ち向かうことなど、到底不可能だった。
魔族は神を憎んだ。
しかしどうすることも出来ず、怒りと憎しみだけが募っていった。
しかしある日突然現れた1人の男は、不思議な事に魔族でありながら光魔法を行使することが出来た。
彼には光の力は一切通用しない。
その男は自らの特性を生かし、世界中の神を殺して回った。
しかもその男は、魔国という小さすぎる島から魔族を開放し、人の大陸へと魔族を招いた。
魔族たちは次第に彼に心酔し始める。
そうして気が付くとその男は魔族の頂点に君臨しており、いつの間にか『神殺しの王』とまで呼ばれるようになっていた。
さて、神を殺すとどうなるのか。
加護が消える。
つまりその国の主神を殺せば、国を覆っていた加護が綺麗さっぱり消えてしまうのだ。
加護により国に近付くことが敵わなかった魔族たちは、その機会を逃すことはない。
主神を失った国々は、その後魔族たちによって蹂躙され始めた。
こうして現在、人の住む大陸の約半分を魔族が支配するまでになっていた。
「そろそろお前も、光の力を手に入れることが出来ただろう」
魔王は、食事を終えたグレイに問う。
「はい」
グレイは興味深そうに自分の手足を観察すると、その変化に驚きを隠せない様子だった。
光の力は、通常魔族には毒となる。
しかしそれらを食わせ続ける事により、その身体に光への耐性を付けることが出来る。
特にグレイは、魔王の側近の中でもとび抜けて能力が高く、魔王の右腕とまで言われている。
そんな彼は、先程神と神子を喰らうことにより、光への耐性に加え、光魔法までも習得していた。
「神などどこにでもいる害虫、いや寄生虫に等しい。光など取るに足らない。恐れる事など何もない」
「ありがとうございます」
自分の弱点を完全に克服したグレイは、感謝の意を込めて魔王に向かって頭を深々と下げる。
その姿を見た魔王の瞳は、先程の赤黒い色とは違い、いつの間にか濃い紫に変わっていた。
「引き続き神の気配を感じたら、すぐに知らせるのだ」
「勿論でございます」
この世界には、信仰の数だけ無数に神が存在する。
しかし、高位の神になればなるほど地上に顕現することは殆どなく、捕まえることが非常に困難だった。
唯一神子が祈りを捧げる時、神が身体の一部を地上に下ろすことが分かってから、魔王指揮の元、魔族たちは世界各地に散り、神子の存在を探し回っていた。
「ああ、そういえば、まだ確定ではございませんが、先程私の部下からそれらしい気配を感じたとの報告を受けました」
「……」
魔王の瞳が、再び赤黒く光る。
かれこれ数百年以上。
魔王は気が狂うほどの長い年月をかけ、地上に顕現している神を探し、殺し回っていた。
しかし、今まで会ったどの神も、魔王が探し求める神ではなかった。
そして今日、ようやくグレイの部下によって朗報がもたらされた。