5、慟哭<ジェイド>
「我々は常に考え続けていた。必要な浄化を手に入れ、黒風に悩まされない方法を。国の借金を減らし、更に豊かになる方法を。その答えを、大神官が見つけ出してくれたのだ!!」
アレックスの言葉に、謁見の間にいた貴族たちが一斉に大神官の方に視線を向ける。
すると彼は一歩前に出て、誇らしげに笑いながら腰を折った。
「大神官は、神子に関する古い文献を見つけ出してくれた。そこには、神子は死しても国を守る守護神となり、その屍には浄化の作用があると書かれていた。我々は歓喜した。もし、神子がうっかり事故で儚くなったとしても、引き続きこの国の安寧と浄化は約束されるのだからな。だがここで、大きな問題が浮上する。ジェイド、何だか分かるか?」
アレックスはジェイドに問う。
しかし当のジェイドは、とても話すことなど出来る状態ではなかった。
目の前に並べられた壺。
先程感じた懐かしい何か。
ジェイドは先程からのアレックスとの会話で、その中身が何であるか想像出来てしまったのだ。
ジェイドの身体はカタカタと小刻みに震え、暑くもないのに全身がびっしょりと汗で濡れる。呼吸が浅くなり、自分の鼓動の音がやたらと大きく聞こえた。
「まさか、そんな、そんなまさか……」
ジェイドはぶつぶつと独り言を繰り返しながら、目の前の壺に震えながら手を伸ばす。
「浮上した大きな問題。それは、神子の身体がたった一つしかないということだ。そこで我々は再び考えた。そうして多少浄化の力は減るものの、身体の部位をいくつかに分けることを思い付いたのだよ!!」
「部位を、いくつかに、ワケ、ル……」
高揚して顔を赤らめるアレックスとは反対に、ジェイドの顔色は紙のように真っ白だった。
「そうだ。分けた部位を皆で分け、国中の領地にそれぞれを保管する。そうすることで自ずと領地は浄化され、豊かになっていくのだ。ちなみに魔国に採鉱に行く者に神子の髪を一房渡したところ、瘴気にやられず無事に帰ってきた。聖遺骸の力は実証済みだ」
「……………………神子を、殺したのですか?」
ジェイドは、自分の一番近くにあった壺の表面を指でなぞりながら掠れた声で問う。
「殺した? これは人聞きの悪い。神のおひざ元に返したのだよ。何も知らない神子は、誰が見ても幸せに生き、幸せのうちにお亡くなりになった。きっとこれから、この国は更に豊かになるだろう。私も名ばかりの婚約者より、愛するカレンとはれて婚約出来る。良いこと尽くめではないか」
さすがにこの場にカレンはいないものの、アレックスは国王と王妃の方を向き、満足気に頷き合った。
「どうして……どうして今日なのですか? リリア様にとってこんなにもめでたい日に……」
ジェイドは苦悩の声をあげる。
「だからだ」
「え……」
「『神子が幸せに生き、幸せに死ぬ時、その国に更なる豊かさと安寧がもたらされる』という言葉をお前も聞いたことがあるだろう。成人を迎えた今日、神子は離宮を出て自由になり、将来に胸躍らせた。間違いなく、今までで一番の幸せの絶頂だっただろう」
確かにジェイドはこの言い伝えを知っていた。
しかしそれにしても、余りにもリリアが不憫すぎる。
ジェイドの瞳からとめどなく涙が流れ落ちた。
「それに、もし神子が天寿するまで国が養うとなると、余りにも金がかかり過ぎる。離宮の維持費も馬鹿にならんのだ。金が無限に湧いてくるわけではないのだからな」
アレックスはうんざりと息を吐いた。
「て、天罰が下りますぞ! 神子様を殺すなど!! あなたの婚約者だった御方でしょう?!!」
不敬など関係ない。
ジェイドは叫びながらアレックスを睨んだ。
「天罰などと。そのようなもの、どの文献にも載っていない。むしろ、これこそが神のご意思である。私の婚約者にしたって、神子に充足感を与える為だけの表向きの話しだ。私には別にちゃんとしたカレンという婚約者がいる」
アレックスがそう言うと、国王と王妃は何が面白いのか声を上げて笑った。
周囲の貴族たちも、それにつられて笑い合う。
その中には、リリアの親であるカルディア伯爵もいた。
「もう良い、ジェイド。いい加減にいたせ。後がつかえておるのだ、とっとと好きな部位を選ぶがよい」
国王は呆れたように壺を指差した。
ジェイドは、涙を流しながらも血の気の失せた表情で周囲の貴族たちを見る。
その中に、自分の父親を見付ける。
彼は高揚した顔で、ジェイドがどの壺を選ぶのかじっと待っていた。
周囲の貴族たちも、自分の番を今か今かと待ち望んでいる。
彼等は皆、聖遺骸の入った壺を買う為にここに集まった者たちだ。
神子の聖遺骸を領地に置くことにより、周辺を浄化し、より良い領地づくりに励む。
彼等はそのことに、一切の疑問を抱いていなかった。
そして、離宮でリリアの側にいた侍女たちの家も、褒美として希望の部位を貰えることになっていた。
ジェイドの耳に、ブチっと何かの切れる音がはっきりと聞こえた。
「ふざけるなぁああああああああああああああああああ!!」
ジェイドは腰から剣を抜き取ると、アレックス目掛けて切りかかった。
「ひいっ!?」
「うわああああああ!!」
「止めぬか!!」
突然のジェイドの奇行に、謁見の間は阿鼻叫喚となる。
ジェイドは剣から滴り落ちる血をものともせずに、目についた者から順に叩き切っていった。
王城の護衛騎士たちがすぐに駆けつけるも、剣術大会に優勝する腕を持ち、魔法にも精通するジェイドに敵うわけもなく、切りかかられた王侯貴族や護衛騎士、使用人たちはなすすべもなく無残に切り捨てられていった。
静かになった謁見の間。
気が付くと、ジェイド以外、その場に誰一人として立ってはいなかった。
どれが国王なのか、どれが王太子なのか分からない。
ただただ死体だけが、無残に折り重なっていた。
「ようやく静かになりました。さあ、リリア様。一緒に離宮に帰りましょうね」
ジェイドはほっと息を吐くと、持てるだけの壺を抱えて離宮へと戻った。
何度も何度も離宮と王城を往復し、その間にすれ違う人々をことごとく殺しながら、ジェイドはようやく全ての壺を離宮へと運び終えた。
それからジェイドは、壺から1つ1つの部位を取り出してベッドの上に並べ始める。
途中、ひと際大きな壺の中から、リリアの頭部が出てくる。
その表情が眠ったように安らかだったことだけが、唯一ジェイドの救いだった。
「ああ、リリア様、リリア様……ずっとお守りすると、約束したのに……うぅううう、リリア様……」
ジェイドは、リリアの頭部を抱き締めながらすすり泣いた。
なぜ、なぜ?! なぜ!???
ジェイドは絶望する。
誰よりも何よりも愛しいリリアの死を。
この国の、神子に対する仕打ちを。
あの時、大神殿でカレンが放った言葉をもっと真剣に聞いていればよかった。
すぐにリリアを連れて逃げ出せば良かった。
そうすれば、もっと違う結末を迎えられたかもしれない。
ジェイドは後悔の念に苛まれる。
ジェイドはカレンが苦手だった。いや、大嫌いだった。
どこで見初められたのか、ある日を境に彼女は頻繁にジェイドに宛てて手紙を送りつけ始めた。
会って話がしたい。私の護衛騎士になりなさい、と。
ジェイドはその手紙を受け、自分は神子の護衛である為、あなたの護衛騎士になることも、会うことも出来ない。
これは王命により決められたことなのだと断りの手紙を送った。
しかし彼女は諦めなかった。
私の方があなたの主に相応しいと綴り、終いにはリリアの悪口まで書く始末。
ジェイドは困った。
無視しようにも、相手は神子の実の妹。
無碍にできるはずもなく、仕方なく呼び出された日、渋々カレンに会うも、ジェイドは彼女の言葉を聞き流し、何とかその場を辞することに成功した。
そもそも彼女は嘘しか言わない。
自分こそが真の神子であるとか、リリアは性格が悪いのだとか。
それゆえジェイドは、カレンの言葉を一切信用していなかった。
成人の儀の最中、大神殿で彼女の声が聞こえた時も、ジェイドは正直話半分に聞いていた。
話し相手が王太子だったことには多少驚きはしたものの、話の通じないカレンに合わせて会話しているのだろうと考えた。
そもそも神子を殺すなど突拍子もない話である為、とても信じる事など出来なかった。
またいつもの虚言なのだろう、と。
しかし、周囲の様子に違和感を覚えて何となくリリアの顔を見ると、丁度彼女が微笑みながら聖水を飲み込むところだった。
知らなかった。
ジェイドは本当に知らなかったのだ。
まさか神子を殺す計画が進められていたなど。
誰からも聞かされていなかった。
教えられていなかった。
「ああ、申し訳ありません申し訳ありません申し訳ありません。あなたを助けられなくて。あなたを守ることが出来なくて……ううううううう」
ジェイドは涙を流しながら彼女の顔に飛び散った血を綺麗にふき取ると、無残に切り刻まれた切り口全てに、彼女の好きだった白い花を敷き詰めた。
「リリア様。少し待っていて下さい」
ベッドの上に綺麗に並べられたリリアに向かってジェイドはそう告げると、離宮を出て王城に戻り、謁見の間にある魔黒石の前に立った。
恐ろしい程の魔力の内包を感じる。
ジェイドは震える身体を抑え込み、力いっぱい魔黒石に向かって剣を振り下ろした。
ガキンッ!
しかし魔黒石は、ジェイドの剣を弾き返す。
それでもジェイドは諦めなかった。
ガキンッ!
ガキンッ!!
ガキンッ!!
「力を、力を、力を、力をよこせ! 力をよこせぇえええええええ!!!!」
何度も魔黒石を叩き切っているうちに、次第に表面が削れ始める。
砕け散った小さな黒い破片が、モヤとなって辺りに漂い始めた。
ガキンッ!
ガキンッ!!
ガキンッ!!
「よこせよこせよこせよこせ!! この国の人間全てを殺せるように、もっと私に力をよこせぇえええ!」
ついに砕け始めた魔黒石から、禍々しい魔力が吹き出し始める。
ジェイドはそれをもろともせずに身体で受け止めた。
「もっとだ、もっと、もっとだ!! もっともっともっともっともっとぉおおおおおおお!!!」
瞳孔が開き切り、鬼の形相でガンガンと何度も魔黒石に刃を入れるジェイドの姿は狂気に満ちていた。
雨の中、時折遠くの空で稲妻が走る。
ジェイドは濡れることも厭わずに空を見上げた。
今、ジェイドの胸に溢れてくるのは怒り、絶望、焦燥、悲しみをぐちゃくちゃに混ぜたようなどす黒い感情だった。
しかしそんな彼の顔には、そのどれとも違う表情が浮かんでいた。
歓喜。
歓喜。
歓喜。
「ああ、リリア様。これで王城と大神殿にいる者を全て殺しましたよ!」
にっこりと微笑んだ顔が、稲光に映し出される。
その顔には大量の返り血が飛び散っていた。
ジェイドは少し離れた場所に建つ、雨の中でも燃え続ける王城と大神殿に視線を向ける。
ジェイド自身多少負傷はしたものの、大神殿、王城にいる誰一人逃すことはなかった。
数刻掛けて殺し回った後、それぞれの建物に火を放った。
「ああ、いけません。リリア様に叱られてしまいます」
ふと我に返ったジェイドは、離宮に戻って血と雨に汚れた服を脱ぎ捨てて風呂に入る。
そうして身綺麗にした後、リリアが眠る部屋へと急いだ。
「リリア様。ただいま戻りました。一人にして申し訳ございません」
ジェイドはリリアの髪を一房取ると口付ける。
「明日からはまた、王都民を殺して回ります」
ジェイドは屈託なく笑うと、大量の血を吸った剣の手入れを始めた。
「王都民の後は、各領地を回りましょう。無礼にもリリア様の恩恵を受けるだけ受けて見捨てた王国民を、最終的には皆殺しにしましょうね」
ジェイドはふふふと笑うと、リリアの眠るベッドの側で、床に座った状態で剣を抱え込んで目を閉じる。
数刻眠って空が白み始めた頃、リリアの頬に口付けると、ジェイドは静かに部屋を出て行った。
そんな日々を三日ほど過ごした後、王都周辺には死体以外の人間は存在しなくなっていた。
静かな王都でジェイドは1人空を仰ぐ。
柔らかい風が頬を撫でる。
突き抜ける青空の下、二羽の鳥が眼下の街の惨状など知る由もなく悠然と飛んでいった。
夜になれば眩い程の星々が輝き、心地よい虫の音が聞こえる。
朝になれば日が昇り、草木は朝露に輝く。
風は花々の甘い香りを乗せて通り抜ける。
人以外何も変わらない日常。
神子が殺されたというのに、天罰のひとつも起こらない。
ジェイドは落胆し、そして神すらも憎んだ。
こうしてジェイドは、絶望と怒りの中で完全に闇へと落ちていった。
それでも決して、リリアの身体を手放すことはなかった。
それからのエレーナ王国は悲惨だった。
至る所でジェイドが殺し回った死体は放置され、腐っていく。
砕けた魔黒石からあふれ出た瘴気が上空に溜まり始めると、次第に大きな渦となり、そこからどろどろと異形の者が落ち始める。
こうして渦から落ちてきた異形の者が、放置された死体を喰らい、新たな異形を生み出し始める。
この日、魔国と人の大陸が魔黒石によって繋がり、異形の者が人の大陸に初めて姿を現すことになる。
それから幾年の時が流れただろうか。
ジェイドは、変わらず今もあの離宮に住んでいた。
彼の腕の中にいるリリアの頭部は、まるで眠っているかのように美しいままだった。
「愛しています、私のリリア様」
彼女に口付けるジェイドの姿は、もはや人のものではなかった。