4、胡乱<ジェイド>
「リリア様!!!!!」
ジェイドはぐらつき倒れ込んだリリアの身体を抱き留めると、すぐさま仰向けに抱き直して呼吸を確認する。
カーン カーン カーン
カーン カーン カーン
突然、大音量で鐘の音が周囲に鳴り響いた。
ジェイドは腕の中にリリアを抱えながらも、驚いて天井を見上げる。
すると、今まで一度も鳴ることがなく、装飾とばかり思っていた大神殿の大きな鐘が揺れながら、空気を震わせて鳴り響いていた。
ジェイドは何が起きているのか理解出来なかった。
ただ、自分の腕の中、温かく柔らかいリリアの身体を守るように力を込めて抱き寄せた。
「ジェイド。心配せずとも神子様は力を使い果たし、心地よい眠りの中に落ちただけです。安心しなさい」
耳をつんざく大音量の中、音と音との間に大神官がジェイドに優しく耳打ちする。
その言葉を聞いてジェイドは安心して身体から力を抜くが、そのすきに大神官は彼の腕からリリアの身体を取り上げると、祭壇の上へと横たえた。
それから、敢えてジェイドの視線を遮るように彼の目の前に立った。
「あの、リリア様をどうなさるおつもりでしょうか? 先程の王太子殿下とカレン様の会話についても……」
ジェイドは大神官に問うが、鐘の音が大きすぎるために彼まで声は届かない。
気が付くと、先程まで周囲に控えていた神官たちがリリアを取り囲むように立っている。
成人の儀に、このような段取りは無かった。
何の説明も受けていないジェイドは、彼らの行動を訝しむ。
ジェイドは不審に思いながら再び大神官の顔を見るも、彼はジェイドに向かって安心させるように柔らかい笑みを浮かべながらうんうんと頷くのみだった。
しかしジェイドは、幼い頃に何度もその表情に励まされてきた。
きっとリリア様は大丈夫。
ジェイドはこの時そう確信した。
その後、背後の扉が開かれ多くの神官たちが入ってくると、リリアを抱き上げて祭壇の間から出て行った。
気が付くと、いつの間にか鐘の音は鳴り止んでいる。
要領を得ないジェイドは、リリアが運ばれていった扉を暫く見つめていた。
「あの、これから一体……」
「ジェイド。そう心配せずとも、儀式は順調です」
大神官は笑顔で答える。
「そう、ですか」
「ずっと離宮にいたジェイドには、知らされていないことも多く不安でしょうが大丈夫です。全てが滞りなく進んでいますよ」
何が面白いのか、大神官はハハハと大きく口を開けて笑う。
「大神官様、そろそろ」
一人の神官が大神官に耳打ちする。
「ああ、すまないが、ジェイド。今からしばらくの間、離宮で待機していておくれ。後程国王から呼び出しがあるでしょう」
「……はい」
ジェイドは何が起こったのかいまいち分からなかったが、大神官に言われた通り一人離宮へと戻った。
離宮内はリリアの成人の儀に合わせて片付けられ、既に侍女たちの姿もない。
静かな建物内で、ジェイドは何となく寂しい気分に浸っていた。
いつの間にか降り始めた雨が、地表を濡らし始める。
しとしとと降り続く雨の中。
ジェイドが国王から呼び出しを受けたのは、すっかり日が落ちた頃だった。
通された謁見の間。
そこには国内の貴族の殆どがそろい踏みしており、ジェイドは驚いてすぐにこうべを垂れた。
「面を上げよ」
国王の言葉にジェイドは頭を上げるも、失礼のない程度に視線を下げる。
玉座には国王、その隣には王妃が座っており、更にその隣には王太子アレックスが立っていた。
ふと、謁見の間の最奥に妙な気配を感じて視線を向ける。
するとそこには、ひと際大きな魔黒石が鎮座しているのが見えた。
ジェイドは幼い頃、初めてあれを目にした日、恐怖のあまりその場で腰を抜かしてしまったことがあった。
魔黒石とは、その名の通り魔力を多く含んだ黒い石の事である。
原産地は魔国。
瘴気が濃すぎて近付けない孤島ではあるものの、比較的魔国に近いこの国の海岸には、頻繁に魔黒石が流れ着いており、その石を使った装飾品は他国へ輸出され、とんでもなく高い価格で取引されていた。
生まれた時から魔力の多かったジェイドは、魔黒石が含有する魔力量の多さに驚き、子供心に何か禍々しいものを感じてその石に近付くことはなかった。
「此度は神子の護衛、大儀であった」
国王がジェイドに告げると、彼は思考の海から戻ってくる。
「ありがたき」
「この10年のそなたの働きに褒美をつかわす。遠慮はいらぬ。好きな部位を望むがよい」
国王がそう言って2回手を叩くと、大小さまざまな壺を抱えた使用人がジェイドの前に並ぶ。
それから彼等は手に持っていたその壺を、ジェイドの前に綺麗に並べ始めた。
何となくではあるが、ジェイドはその壺から慣れ親しんだ何かを感じ取る。
しかしそれが何なのか分からず、じっとその様子を観察していた。
「さあ、どの部位にするのだ? 大きい方が、やはりその力は強かろうて」
「部位、ですか?」
国王の言葉にジェイドは首を傾げる。
その様子を見た王太子アレックスが、国王に耳打ちする。
「ああ、そうか。すまんかった、そうかそうか。万一のことを考え、そなたには告げておらんかったのだな。そうかそうか、おいお前、ジェイドにアレを見せてやれ」
国王が壺の近くに立っていた使用人にそう告げると、その使用人は頷いてジェイドに一枚の紙を手渡した。
ジェイドはすぐにその紙に目を通すも、そこには『指、足、手、内臓』などの身体の部位と各々の価格が書かれているだけで、それが何を指すのかさっぱり分からなかった。
ただ、その価格がやたら高いことだけは分かった。
「ジェイド、お前は聖遺骸を知っておるか?」
国王の言葉に、ジェイドは紙から顔を上げる。
「いえ、聖遺骸、でしょうか……?」
「聖遺骸とは、死しても尚そこから聖なる力が放出され、その周辺を浄化する力のある遺骸のことだ」
国王に変わり、王太子アレックスが説明を始める。
「浄化……。それは、神子様の祈りのような力なのでしょうか?」
「ああ、そうだ」
そう答えたアレックスの視線が、先程から何度もジェイドの前に置かれた壺を往復している。
「我が国は、魔国から吹いてくる黒風によって、かなりの被害が出ているのは知っておろう」
「はい」
「盛んになった魔黒石の輸出についても、最近滅多に海岸には打ち上がらず、死を覚悟しながら魔国に船で渡り、何とか採鉱している状態だ。しかし彼等は例に漏れず、やはり瘴気に侵されて死んでしまう」
「……存じております」
ジェイドは答える。
一攫千金をもくろみ、危ない仕事をする者たち。
その多くは貧民街の出身なのだが、それが国家事業の一つであるのだからたちが悪い。
玉座の後ろに置かれたひと際大きな魔黒石も、何人もの人が命を散らして取ってきた物の一つだった。
「現在我が国は、過去の愚かな争いのせいで多額の借金を抱えている。その上、黒風にも悩まされ、魔国に近い領地を持つ者は、厳しい生活を強いられているのが現状だ」
「はい。その為に神子様の、リリア様の祈りが必要なのだと」
ジェイドは誇らしげに答えた。
リリアは祈っていた。
この国の安寧を。
この国の平和を。
毎朝毎晩心を込めて。
ジェイドはその姿を側でずっと見守ってきた。
「足りないのだよ」
「え?」
鼻で笑いながら告げたアレックスの言葉に、ジェイドは驚いて目を見開く。
「確かに神子は豊かさをこの国にもたらした。しかし、今のままでははっきりいって足りない。もっともっと欲しいのだよ」
「なっ……」
ジェイドは絶句した。