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スマホを背負ったジャマイカな猫  作者: おふとあさひ
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いとしくて、憎くいから ~彷徨うセレナーデ~


9.いとしくて、憎くいから ~彷徨うセレナーデ~



 人間、須藤沙羅、二十五歳。


 人間として、最後に青木君と食事をしたのは、私が殺される三週間前だった。

 会社の最寄り駅にあるイタリアンのお店は、平日の夜でも混んでいた。

 ピザやパスタが中心だけど、アヒージョやパエリアまであって、イタリア料理に縛られない豊富なメニューが、界隈のOLに人気となっている。


「ちょっと、ボク、トイレに行ってきますね」


 私は、サングリアを飲み干して、青木君の背中を目で追った。

 青木君が、トイレのドアを開けて、中に入るのを見届けてから、バッグから『須藤沙羅より』と表に書いた手紙を取り出す。


 椅子に置いてあった青木君のジャケットのポケットにその手紙を入れた。

 家に帰ってから、読んでね、と祈りながら。


「おまたせです」

 青木君は、席に着くなり、おしぼりで手を念入りに拭く。


「うん、じゃあ、もう、出よっか」

「あれ、もういいんですか? 須藤さんらしくないですね」

「どういう意味よ?」

「だって、今日は、あまり飲んでおられないんで……」

「そんな、のんべえみたいに言わないで。行くよ!」

 私は、伝票を手に取って、レジに向かった。



 その次の日から、私は敢えて、青木君を避けるようにした。職場でも、声をかけないし、仕事が終わっても、食事に誘わなくなる。


 そんな変化があっても、青木君は、何も気にしていない様子だったので、てっきり、手紙を読んでくれたのかと思っていた。

 だから、私としても、あんな手紙を書いた手前、恥ずかしすぎて、もはや、青木君には近づけない。



 私は、寂しさを紛らわすため、仕事が終わると、夜の街にくり出した。

 路上で声を掛けられるがまま、入店したホストクラブでは、想像以上に楽しく過ごせた。そこにいる間は、仕事のことも、青木君のことも、すっかり忘れさせてくれる。



 気付くと、次の日も、その次の日も来ていた。

 指名をするほどじゃなかったけど、我ながらはまり込んだんだと思う。


 相手をしてくれる、どのホストさんたちも優しくて、会話がとても上手。

 もちろん容姿も良い。

 それだけじゃなくて、みんな、頭も良くて、どんな話題になっても、どれだけ引き出しを持ってるのっていうくらい知識が豊富で、とても魅力的に映った。


 中には、シャンパンタワーとか、お金のかかりそうなメニューを勧めてくるホストもいた。けど、きっぱりと断っても、嫌な顔一つせず、引き続き、巧みな話術で盛り上げてくれた。


 仕事を早々に切り上げて、デパートの化粧室でメイクをし直す。

 夜ごと、化粧が濃くなっていった。


 一週間が経ち、ホストクラブの帰りに、青木君を見かけた。

 たぶん、こんなに夜遅くまで、残業をしていたのだろうと想像した。

 私は、声を掛けずに、後をつける。


 青木君は、ショーウィンドウのような大きなガラス窓のある、こじゃれたバーに入っていった。


 バーの入口を素通りする時、青木君の残り香を吸い込む。

 きっと、何の匂いも残っていなかったんだろうけど、いつもの柔軟剤の香りがしたような気がした。


 酔いはまだ、覚めていない。覚めてないけど、酔いのせいじゃない。

 私は、まだ青木君のことが気になっているんだ……。


 気付くと、涙を流していた。

 職場では、気にしないように意識をしていないと、つい、青木君を目で追ってしまっていた。

 だから、取材と称して、外出をすることが多くなった。


 三橋だけでなく、牧瀬にすら直接取材することが出来ず、周辺をインタビューして得た情報しか集められない。

 自分の不甲斐無さに辟易して、落ち込むこともあれば、いつまで経っても、ちっとも努力が報われないことに苛立つことも多くなっていた。そんな荒んだ心を癒されたくて、また、ホストクラブに通った。


 ほどなくして、預金が底をつく。あっという間だった。


 もう、ホスト通いもできないよね……。


 これが最後と決めて訪れたホストクラブで、隣についてくれたのは、初めて見る細面のホストで、少し、やんちゃそうだった。というのも、客商売だというのに、こめかみに絆創膏を貼って、口元に最近できたと思われる生々しい痣があるのだ。

 髪は茶色がかったロン毛で、アゴがシュッと尖っている。胸には油性ペンで『ケイヤ』と書かれた名札をつけていた。


 お金が無いから、今日が最後なのという話をしていると、ホストのケイヤは、耳元に手をあててきた。


「お金を稼ぐ方法を教えましょうか? お金があれば、これからも、ここに通えますよ。ヘヘヘッヘ」


 細面のケイヤは、いやらしい笑みを浮かべている。


「えっ? な、何? どういうこと? ちょっと、ヤバいやつなんじゃないの? イヤよ、そんなの、やんないから」


 信じちゃいけないと、直感が働いた。


「いいえ。合法の商売ですよ。買いたい相手に、売ってあげればいいんですよ。ただ、それだけです。ただ、あまり乗り気じゃないのなら、聞かなかったことにしてください」


 イヤならやらなくていいというケイヤの態度は、妙に真実味を帯びている。


「ちょっとだけ、興味はあるんだけど……。どんな話なのか、もう少しだけ、聞かせてもらってもいい?」

 私は、話だけ、聞くことにした。


「まわりに、お人好しで、騙されやすいかたはいませんか? そのかたが、今後、あなたと関りが薄くなるような人であればベストです。そういう人を紹介してください。それだけです」


「え、え、えーっ? どういうこと? さっぱり分かんないんだけど」

「オレの知り合いに、営業販売のプロがいましてね。そいつが売るものを、紹介してくれた人に買ってもらうんです。それだけです。意外に簡単でしょ? ヘヘヘッヘ」

「え? そ、それって……押し売り?」

「いやいや、とんでもない。納得して、買ってもらうんですよ。そのかたは、騙されたとは思わないし、後悔もしないと思いますよ。知り合いのプロは、それくらい、売るのが上手いんですよ」


 ちょっと、信じられないわ。

 なんだか怖いし、知り合いが買わされるところも見たくないし……。

 やっぱり、この話は無かったことにしよう……。


「あ、あの、せっかく教えてもらったのに、残念だけど……」

「あ、そうそう、上手くいけば、あなたには五十万円、支払われるみたいですよ。いい話でしょ。ヘヘヘッヘ」

「えっ? ご、五十万円!?」

「そうです。ただ……ただですね、紹介してもらうだけではダメなんです」

「え? 他にも、何かしないといけないの?」

「ええ。と言っても、大したことじゃないんですが。その方の個人情報も、教えていただかないといけないんです」


 個人情報……。

 やっぱり、なんだか胡散臭い。


「どなたか、いませんか? 個人情報を知っているぐらいの仲で、今後の付き合いが薄くなって、お人好しで騙されやすいような人……」


 パッと頭に思い浮かんだのは、青木君だった。

 青木君との関係を吹っ切るのにも、ちょうどいいかもしれない。

 可愛さ余って憎さ百倍って、ことわざもあるくらいだし。

 ただ、気がかりな点はあった。


「で、でも、その人がお金持ってなかったらどうするんですか? お金なかったら買えませんよね?」

「大丈夫です。消費者金融を紹介しますので、そこで借りてもらいます」

「借金させてまで!?」


 青木君、大丈夫かな……。

 ただでさえ、生活が苦しそうだったけど……。


「あくまでも、ご本人の意思で、ですよ。強制はさせません。納得の上で……です」


 ケイヤは、私が迷っていることを見抜いている。


 ケイヤのことを信じていいのかな?

 それとも、断って、青木君に未練を残したまま、この先も過ごしていかなきゃいけないのかな。

 やっぱり、それは嫌だな。

 これで吹っ切れるなら、吹っ切りたいよ。


 うん。ここで情にほだされちゃダメよね。青木君への思いを、吹っ切れる、せっかくのチャンスなんだから。


「じ、じゃあ、お、お願いしよう……かな」

「わかりました、すぐに、段取りしますよ。ヘヘヘッヘ」

「で、でも……な、何を、売るんですか? 借金してまで、欲しくなるものって、なんですか?」


 細面のケイヤは、再び、私の耳元に手をあててきた。小さな息遣いまで聴こえてくる。


「買ってもらうのは、ツボです。豪華な装飾がされているので、とても価値があるように見えるんです。ヘヘヘッヘ」


 ホストのケイヤが、歯をむき出しにして笑う。


 ヘヘヘッヘという下品な笑いも鼻につくし、歯並びがガタガタで、その色も黄土色に変色しているケイヤには、ちょっと引いた。


 ケイヤに指定された、カジュアルレストランのオープンテラスで待っていると、高級ブランドのスーツを身にまとった男が現れた。

 エラは張っているけど、頬はこけている。髪をテッカテカにオイルでオールバックに固め、四十を超えているはずなのに顔にはシワもなく、肌がツヤツヤとしている。相当、メンテナンスに気を配っているのだろう。


 パッと見た印象よりも筋肉質なのか、見るからにゴージャスな腕時計をつけている手首は太かった。


 大きな紙袋を空いた席に置き、男は、椅子に座る前に名刺を差し出してきた。

「お世話になります。本日は、お申し込みいただき、ありがとうございます。私は、こういう者です」


 受け取った縦型の名刺には、河合幸福商事、代表取締役社長、河合三針(さんしん)と書かれている。

 この男が、ケイヤの言う、営業販売のプロなのだろう。

 名刺には、携帯電話の番号も印刷されていた。


「あ、あの……。私は、名刺、持ってきてないですけど」

「そんな……、全然、結構ですよ。ささ、おかけください。早速、始めましょうか。事前に、お願いさせていただいたモノは、持ってきていただけましたか?」


 私は、会社のサーバーから印刷した、青木君の個人情報を河合に渡した。

「えっ?」

 河合は、書類を見るなり、驚いている。

「どうか、されましたか?」

「い、いえ、何でもありません……」と言って、河合は、青木君の個人情報に目を通す。


 私は、いつもの癖で、河合の名刺を、スマートフォンで撮影し、名刺管理アプリに登録した。本人を目の前に、失礼だったかもしれないと、上目で確認したけど、河合は別に気にしていないようである。


「いいですね。これで、大丈夫です。あとは、私に、任せておいてください」


 スゴ腕営業マンだと聞いている河合は、早速、青木君の携帯電話に電話をしようとしたけど、私は、その手を掴んだ。


「どういう段取りなんですか? 少しくらい、教えてもらえませんか?」


 無礼だと怒鳴られることを覚悟して訊ねたんだけど、河合はあっさりと、教えてくれる。


「霊感商法って知っていますか? それみたいなものです」


 そう言うなり、隣の椅子に置いた紙袋から、桐の箱を取り出し、テーブルの上に置いた。結んである紫色の紐をほどき、中から、小さなツボのようなものを取り出した。

 河合は、私の前にそれを掲げて、にやりと笑う。


「このツボを買っていただきます。このツボの力は絶大で、ツボを持っていれば、必ず、幸せになれるんです」


 私は、河合が掲げるツボをしげしげと眺めた。

 取手のようなところに、鳳凰や龍の装飾が施されている。


 このツボを、どこかで見たことがある。


「ちょっと、見せていただいてもいいですか?」


 私は、河合の返事を待つことなく、奪うように小さなツボを手に取る。

 ツボの正面に描かれている色鮮やかな植物は、絵画のようですらあった。

 装飾も含めて、著名な作家がつくった霊宝のようで、見るものを畏怖させる圧倒的な存在感がある。

「裏面も見てみてよ」と、かつてのマキトの声が、耳の奥にリフレインする。


 ツボを裏返すと、四角に囲まれた『園マ』という裏印があった。


「こ、これって……」


 私は、言葉を失った。このツボは、マキトが、処女作として製作した、香炉に違いなかった。

 かなり売れたとは聞いていたけど、こんなところで目にするとは、思ってもみなかった。


「どうかされましたか? このツボには、霊魂が宿っていて、常に霊気を出していますから、あんまり雑に扱わないでくださいね。呪われちゃうかもしれないですからね」


 河合の口調は丁寧だったけど、私からツボを奪い返す動作は、荒々しいものだった。


 ツボは、マキトが製作したもので間違いない。

 マキトはとっくに死んじゃったのに、どこから、こんなものを手に入れたのか、不思議に思った。


 さらに、霊気とか、呪われるとかいった、おどろおどろしいワードの羅列に、マキトの無念の死亡事故のイメージが重なって、背筋に冷たいものが走る。


「こ、これをいくらで売るんですか?」


 恐怖心を和らげたいという防衛本能が働いたのか、俗な質問が口をついた。

 河合は、それには答えず、襟を直して、軽く手を広げた。


「私を見てください。全然、お金には困らないようになったし、ツボを買って以来、良いことしか、起こってないんです」


 えっ?

 なんなの、この営業マン?


「わ、私に買わせようとしているんですか? 私は買いませんよ」


 聞いていないのか、河合は、これまでに起こった奇跡を語り始める。社長令嬢の彼女が出来て、結婚までして、会社では出世頭になって、購入した株は、ことごとく値上がりして……。


「な、何を言っているんですか? 全部、嘘なんでしょ?」

「私が話していることが、本当かウソかなんて、関係ないんですよ」

 買ってくれる相手が、本当だと信じることが重要なのだと、河合は言った。


 さらに続ける。

「ツボは、誰でも買えるものではないんですよ。選ばれた人にしか、売りません。誰が選ばれるのかは、ツボが決めるので、私は、ツボの指示に従って話を持ち掛けているだけなんですよ」


 いかにも詐欺師らしいトークだった。こんなので騙される人など、いるのだろうか。


「信じ込ませるために、個人情報を提供してもらったんです」


 河合が言うには、知らないはずの個人情報は、ツボから教えてもらったことにするらしい。イカサマ占い師か、二流のマジシャンのようである。


「そ、そんなので、騙されるんですか?」

「百パーセント、騙されますよ。借金してでも、欲しくなるんです。だって、それ以上の価値があって、将来を約束してくれるツボなんですから」

「それ以上の価値って、いったい、いくらで売るつもりなんですか?」

「ははは。人生が好転するツボなんです。やることなすこと、上手くいく、幸せをもたらしてくれるツボなんです。価値は計り知れないですよ」


「ちょっと、そういうのは、もういいですよ。教えてもらえないんですか? だったら、もう、いいです」


 私は、あからさまに膨れた。

 少しは気にしてくれたのか、河合は、ポリポリと頭を掻き出す。


「しょうがないですね。特別ですよ……」


 河合が身を乗り出して、口に手をかざす。


「……二百万円です」


 に、にひゃくっ!?


 びっくりしすぎて、私は、椅子から滑り落ちそうになった。



 その後、河合は、すぐに青木君の携帯に電話を掛け、同じカジュアルレストランに呼び出した。

 河合は、ツボ売りのプロなのだが、青木君を含め、この店にいる人は、誰もそうとは気づかないだろう。河合は、顔だけ見ると、人が良さそうで、とても他人を騙すようには見えなかった。


 私は、店の一番奥の席に退避し、見つからないようにして、二人の様子を窺う。

 青木君は、河合の話を真剣な表情で聞いていて、時折、感心するように頷いた。


 すっかり騙されているようである……あんな、話に。


 十五分も経たないうちに、青木君は河合に連れられて、店を出ていった。おそらく、消費者金融に連れていかれるのだろう。


 私は、そのままカジュアルレストランに残り、食後のドリンクを注文した。ポットサービスの紅茶を選んだのは、しばらく時間がかかると思ったから。


 けど、二杯目を注ぐ前に、私のスマートフォンが震えた。


 チャリン。


 電子マネーアプリに、五十万円が振り込まれていた。



 二十五歳の人間だった私。

 吹っ切りたかったり、後悔したり……行ったり、来たり、いつまでも振れる心。


 翌朝、起きたところで、何もやる気が出ず、会社に電話する。

 如何にも元気の無い声で、編集長への伝言をお願いした。

 体調不良で休むということを。


 後悔しても、もう遅いことは分かっているんだけど、営業マンの河合に言いくるめられている青木君の姿が瞼に焼き付いて、胸が痛い。

 たら、れば、を考えてもしょうがないんだけど、私がもう少し強くて、ホストクラブに通わなくても、精神的に安定出来ていたなら、青木君を騙さずにすんだのに……。


 その次の日の朝、鏡の前に立ち、泣きはらした顔を眺めた。とても会社に行けるような状態ではない。

 そしてまた、会社に電話する。


「あ、あの、社会班の須藤ですけど……。今日もまだ、体調が優れなくて、休みにさせてもらいたいので、深川編集長に、そう伝えていただけますか?」


 電話が遠いのか、向こうの声が、あまりよく聴こえなくて、受話器を強く耳にあてる。


「須藤さんですか? 伝言は承りましたけど、今、少しお話できますか?」

 青木君の声だった。


 えっ、えーっ!? あ、青木君!?

 ちょ、ちょっと、な、何?


「ちょっとだけ、お話させてください」


 は? 話って何?

 何? なんなのっ!?


「本当は、会ってお話しをしたかったんですけど……。昨日から、ずっと、話したかったんですけど、須藤さん、休まれていたんで……」


 ひょっ、ひょっとして、ツボ売りの営業マンを差し向けたのが、私だって、バレちゃった?

 や、やだ。

 青木君、私は、話をしたくない。


「もしもし? 須藤さん? もしもし、聴こえていますか?」


 一方的に電話を切ろうかとも思ったけど、〝切〟ボタンを押しかけた人差し指は、止まった。


 迷っていた。

 今、切ったとしても、何も解決しない。

 むしろ、問題を先送りにすることになってしまう。

 同じ会社に勤めている限り、いつまでも逃げ切れるものじゃないと気付き、腹をくくる。


「あ……はい。き、聞いてるよ……。ちょっと体調が優れないから、手短にしてね。要件は何?」


 どくどくどくどくと、動悸がする。耳を研ぎ澄まして、次に出てくる青木君の言葉を待つ。


「ご相談したいことがあるんです。ボクが生きてきた中で、最大のピンチなんです。ボ、ボクは、いったい、どうしたらいいのか分からなくて……」


 やっぱり、二百万円も出して、ツボを買ったことを後悔してるんだ……。

 そりゃ、そっか……。大金だもんね……。


「こ、これは、須藤さんのせいでもあるんですよ」


 や、やっぱり、バレてる!?


「ボクは、彼女のことが好きなんです。別れたくないんです」


 な、何?

 急に何を言い出すの? 恋バナ?

 青木君、恋の相談をしてきてるの?


「だから、今の彼女に、問い詰められた時は、本当に、後悔したんです。ボ、ボクは、どうしたらいいのかわからなくて……。彼女、すごい剣幕で怒ってくるし……」


 ああ、そういうことか。

 ツボを買ってしまったことがバレて、彼女に怒られたんだね……きっと。


「こんなことを、関係者の須藤さんに相談するのも、どうかと悩んだんですけど、他に相談する人がいなくて……」


 青木君は、泣きそうな声だった。

 私が首謀者だって、なんでバレたんだろう?

 あのイカサマ営業マンの河合がバラしたのかな?

 それとも、実は、あのケイヤとかいうホストと青木君が知り合いだったとかかな。


 どちらにしろ、私のことを、相当恨んでいるはずなのに、何?

 青木君のこの態度。


 相談とか言って、こんなに下手に出てくるっていうことは……、本気で、お金を取り戻したいってこと?


「無理な相談だということは、わかってるんですけど……なんとか、彼女の怒りを鎮めてもらえないかと……」


 そ、そんなこと、私に頼む?

 青木君への思いを吹っ切るために、私は、あなたを嵌めたんだよ?


 受話器の向こうで鼻をすすっている音がする。

 涙を流す青木君を想像して、私の心は、揺れた。

 泣き落としは、きっと、私を動かすための、青木君の作戦なのだろう。

 でも、そうはわかっていても、青木君の声を聴くと、救ってあげたいという気持ちが、芽生えてくる。


 ポツポツと、たゆみなく浮かんでくる罪悪感を、もぐらたたきのように叩いて打ち消してきたのに。

 自己肯定をし続けていたのに……。


「ね……ねぇ、須藤さん……。お、お願い……お願いできないですか?」

 青木君は、完全に泣いていた。


 なんとかしてあげられるのは、私しかいない……か。

 だとすると、やっぱり……ツボを返して、返金してもらうようにするしかないよね、それなら……。


 クーリングオフ、出来るのかしら。

 ただ、私が受け取った分は返すけど、全額返金っていうのは無理だよね。

 私の方から頼んだんだから、いくらかの手数料は持っていかれるだろうな……。

 どうしよう……でも、全くお金が戻ってこないよりは、マシか。


 私は、決意した。

「いいよ。わかった。やれるだけやってみるね」


「えっ!? ほ、本当ですか!? お、お願いできるんですか!?」

 青木君の声が裏返った。

「だって……その役目、私しかできないでしょ? 私が何とかしてあげないと、青木君、困るんでしょ?」

「そ、そうなんです……そうなんですよ! ありがとうございます! とっても嬉しいです!」


 現金なヤツである。

 そんな、単純な思考回路しか持たない青木君だから、最後まで、憎み切れないのよね。


「そ、それで……なんか、考えている方法があるんですか? もし、手立てがあるなら、早くやってほしいです。超、急いでるんです。ボ、ボク、マジでヤバいんです」


 青木君の声が上ずっていた。

 こんな声を聞くのは、初めてである。


「ちょっ、ちょっと、なんで、そんなに急いでるのよ?」

「彼女、本当に怒ってるんです。きっと、何か恐ろしいことが起こるような予感がするんです」


 そんなに、フラれることを恐れているのね。

 本当に、彼女のことを愛してるんだ……。

 ちょっと、悲しいけど。


「わかったわよ。私に任せといて」


「あ、ありがとうございます! 恩に切ります! お休みのところ、すみませんでした」


 青木君は、いつもの、明るい声色に戻っていた。


 スマートフォンの名刺管理アプリを立ち上げ、スゴ腕営業マンである河合の名刺を表示する。

 きっと、ここに書かれている河合三針という名前は偽名だろうし、電話番号もデタラメの可能性は高い。


 それでも、私は、その番号にコールした。

 思い込みは良くない。可能性がゼロでない限り、チャレンジするべきだというのは、働き始めた時から、ずっと持ち続けている私の信念でもある。


 〝現在使われておりません〟という、機械的なメッセージを聞くのだろうと覚悟していけど、意外にも、呼び出し音が鳴った。


 少しだけ、光明が差したのかもしれないと期待して、応答を待つ。が、数分待っても、電話は繋がらなかった。



 夕方になり、シャワーを浴びて、夜のメイクをする。

 普段より、派手な服を着て、家を出た。

 最寄り駅を下りて、通い慣れたホストクラブへと向かう。


 少し気が重いけど、ツボを返却できるように、あのケイヤとかいうホストと交渉しないといけない。

 そう意思を固めて入店した。だけど……。


 ホストクラブに、ケイヤはいなかった。

 聞くと、ケイヤは、もう辞めてしまったらしい。


 あの日に、初めて面接に訪れて、仮採用をして一日働かせたけど、それっきり、こなくなったという。


 仕事にむいていそうでもあったし、正式採用するこが決まったことも伝えていたのに、不思議な男だったと、ナンバーワンホストは首を傾げた。一日分のバイト代も受け取りに来ないから、お金には困っていなかったんだろうね、と笑うホストに、ケイヤの連絡先を知らないか訊ねる。

 わからないと言われた。

 当然だろう。たとえ、知っていても、そんな個人情報を、客に教えるわけがない。

 私は、これ以上、ここにいてもしょうがないと、適当なところで切り上げた。


 酔いが足りていないので、飲みなおそうと街をうろつく。

 今の気分にあった、好みの店を探すうち、大きなショーウィンドウのような窓のあるバーが目に飛び込んできた。


 ここは、確か、青木君が入っていくのを見たことがある店。

 ひょっとしたら、ここで飲んでいたら、青木君が来るかもしれない。

 そんな期待を胸に、初めて、そのバーのドアを開けた。


 前金制でドリンクが注文できて、外観でイメージしたよりも、リーズナブルなお店だった。そのせいか、客層は若者が多く、平日なのに繁盛している。

 カウンター席で、三杯目に注文したモスコミュールを飲んでいると、ふと、思い直した。


 今、青木君に会えたとして、何を話すのだろう。

 まだ、お金を取り戻せてないし、それどころか、河合には連絡が取れないし、頼みのケイヤは、行方すら分からなくなってしまっている。


 こ、これって、八方ふさがりなんじゃない!?

 む、むしろ、青木君に合わす顔が無いんだ、私……。


 男どもが、私をチラ見してきた。最初は、店の雰囲気にそぐわない、派手な服や、濃い化粧のせいかとも思って小さくなっていた。

 しかし、それだけじゃないと分かったのは、何人かの若い男の子から声を掛けられたから。


「ねえ、おねえさん、一人? 俺たちと一緒に飲まない?」

 私も女として、まだまだいけるらしい。ただ、私の方には、興味がまるで無く、そんな若人どもを、ことごとくあしらった。

「一人で飲みたいの。あなたたちには、興味がないわ」


 これから、どうやってお金を取り戻したらいいのか、いろいろ考えたけど、何も思いつかないまま、終電時間が近づき、バーを出た。


 コンビニで、あたりめと缶チューハイを買い、あたりめを肴に飲みながら、駅に抜ける近道を歩く。


 街路灯はあるけど、意味をなさないほど弱々しい。

 その上、立っている間隔も広く、路上はほぼ闇に包まれているようだった。


 ポケットに入れていたスマートフォンが震えた。


 取り出して見ると、青木君からの電話だった。

 タップして出る。


 ツー、ツー、ツー。


 出るのが遅かったのか、すでに切れていた。

 そんなに、時間がかかった覚えは無かったけど。

 かけ直そうか少し迷ったけど、用事があるなら、またかかってくるだろうと思って、やめる。


 こっちのミッションは空振りだったし、この先、上手くいくようなアテも無い。話せることがない……というか、むしろ今は、話したくない。


 ポンポンと、肩を叩かれた。

 私は、まだ、スマートフォンをポケットにしまおうとしている最中だった。


 ズン!


 反射的に振り返ると同時に、お腹に痛みが走る。


 ズン! ズン! ……ズン!


 もう、二、三度、お腹に衝撃を受けて、チューハイの缶を落とした。

 缶チューハイは、中身を吐き出しながら、道を転がる。


 突然すぎて、何が起こったのか、分からない。私の前にいる人間は、前かがみになって、またぶつかってきた。


 ズン、ズン、ズン……。


 私は膝から頽れる。

 夜空の全ての星が、流れ星になったかのように、スローモーションで動く視界。

 黒い影は、誰なのか、顔が見えない。


 でも、その人間は、まだ、私のことを刺してきていた。

 必ず殺すという、すごい殺意を感じる。


 刺されるたびに、漂う匂い……。

 私の頭の中では、解を求めようと、超高速で思考が巡った。


 きっと、もう、時間切れなんだね。


 手立てが無くなっちゃったことも、どこかで察知したのかもしれない。


 私の化粧が濃くて、衣装が派手で、私が私だと分からなかったんだ……。

 だから、電話をかけて確認したんだね。


 アスファルトに後頭部を強打して、意識が薄れていく。


 星の動きが止まった。

 月がとても大きい。


 もうすぐスーパームーンだって、ニュースでやっていたっけ……とても綺麗……。



 最期の呼吸で、嗅いだことのある柔軟剤の香りを吸い込んだ。


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