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スマホを背負ったジャマイカな猫  作者: おふとあさひ
7/16

セカンドラブはブルーラブ


7.セカンドラブはブルーラブ



『須藤さんと一緒に回っていた時……』の文字が、やたらと印象的に映って、猫化してしまっている私の思考を当時の記憶へとリープさせた。


――人間の須藤沙羅、二十四歳。

 今から半年前、柚子からの吉報を待っていた。

 吉報とは、もちろん、事故の動画が入手できそうだという連絡。だけど、待てども待てども、連絡が無い。


 その頃、私は悩んでいた。取材もほとんどできていなかった。


 弱気になっていた。

 暴漢に襲われて〝次はやっちゃうぞ〟と言われたことが、頭から離れない。どんな目に遭わされるのか、想像するほどに、取材しないといけないという気持ちが、萎えて行く。

 諦めて、忘れようという保身が働く。


 一方で、真相を知りたい、暴かないといけないという思いも相変わらずあって、日々葛藤していた。


 焦りもあった。

 このまま、言われた通りに大人しくしていたら、編集長から、いつ取材中止を宣告されるかもしれない。そうなったら、全てが終る。


 それでいいの?

 後悔しない?


 あんな犯罪まがいな手段で、警告までしてきたってことは、裏があるのは自明である。それなのに、脅しに屈して諦めるなんて、報道記者として失格ではないか。

 私の中でたぎる熱い思いは、私の背中を押し、やがて決意する。


 襲いたいなら、襲ってきなさい。

 それも含めて、私は暴露してやるわ。


 私の中の、ジャーナリストとしての、正義感に火がついた。

 青木君にお願いして、三橋コウジの行動パターンを調べてもらった。それが、青木君と行動を共にし始めるきっかけだった。


「須藤さん、一応、こんな感じでまとめましたけど、どうするんですか、こんなこと調べて」


 私は、青木君からペラ紙を受け取る。三橋は売れっ子だけあって、びっしりとスケジュールが埋まっていた。


「ありがとう。助かったわ。ちょっと、三橋コウジが隠している事件を調べていてね」

「へー、そうなんですか? 三橋が事件を起こしたなんて、初めて聴きましたよ。芸能班記者のボクでも知らないことを、よくご存知ですね」

「まあね。ちょっと、個人的にもかかわりがある事件だからねー」

「ちなみに、その事件って、どんなのですか? 聴かせてもらってもいいですか?」


 私の脳裏に稲光のようなものが一閃し、妙案が浮かんだ。椅子をくるりと回し、青木君を正面から見上げる。


「ねぇ、青木君、事件に興味があるの?」

「ま、まあ、そうですね」

「これからも、手伝ってくれるんなら、教えてあげる。きっと、大スクープになるわよ」

「えっ? まだ、手伝うこととか、あるんすか?」

「あるわよ、いくらでも。だいたい、まだ本人に直撃取材できて無いわけだし」

「えっ? 三橋本人に直撃インタビューしようとしてるんですか?」

「そうよ」

「そんなことまでするって……、確証が持ててるってことですか?」

「もちろんよ。だから、行動パターンを調べてもらったんじゃない」

「そ、そうなんですね。じゃあ、お手伝いすることって、その直撃取材をするために何かを……」

「一緒に、三橋を張り込んでくれない?」

「い、一緒に?」

「一人じゃ、心許ないし」


 それは、本心だった。

 一人だと、また、暴漢に襲われるかもしれない。


「それって、交換条件ですか?」

「そりゃそうよ。こんな大スキャンダル、易々と教えられないわ」


 青木君は、少し悩んだようだったけど、興味を抑えきれず、交換条件を飲んでくれた。



 その日の夜、三橋がよく利用するという焼き肉店に、青木君と二人で来ていた。

 高級焼き肉店だと言うだけあって、どの席もブース状に仕切られていて、中の様子が分かりにくい。


 私たちは、客の出入りが見える入り口近くの席に陣取っていた。青木君には、日中、疑惑の事件について、説明してある。

「須藤さんと二人きりで食事なんて、初めてだから、なんだか、少し、緊張しますね」

 青木君がジョッキを置いて、タンをレモン汁につけて口に運ぶ。


「あれ? 二人で夕食するの、初めてだっけ?」

「そうですよ」

 青木君が、またビールに口をつける。


「……っていうか、青木君、なんでビール飲んでるのよ!?」

「えっ? 焼肉っていえば、ビールっしょ?」

「ちょっと! 今日は、ただの食事じゃないのよ。わかってる?」

「わかってますよ。三橋への直撃取材でしょ?」

「わかってんじゃない。じゃあ、なんで?」

「今日、本当にここに現れるかどうかは、わかんないわけですし、例え現れたとしても、夜中かもしれませんし……。気長に待ちましょうよ」


 なに、そのスタンス? 手伝いに来ているという意識はある?


 私は、苛立ちを紛らわせようと、焼き上がったカルビを網の上で叩いて、油を落とす。

「須藤さんも、飲んだらいいじゃないですか? 就業時間じゃないですし、美味しいですよ」

 カルビをたれに浸けて、口に放り込む。

 青木君は、グビグビとジョッキを空け、たまたま通りかかった店員に、おかわりを注文した。


 自分勝手な、青木君を見ていると、ストレスが溜まってくる。

 このままじゃいけない。やばい、爆発しそう。

 全身の血液が頭に集まってきた私は、ウーロン茶を飲み干して、ドンっとテーブルに置いた。


「すいませーん! 私にも、生ビールくださーい!」


 若い女性店員が、「あいよ」と言って、厨房に入っていった。


 夜の十一時を回って、店内も空きテーブルが目立ち始めていた。


「ゼ―んっっっ……ぜん、来ないじゃない、三橋コウジ。ちょっと! どうなってんのよ、青木君!?」


 すっかり満腹になってしまい、お酒の注文を繋いで居座っていたけど、そろそろ限界みたい。


「そ、そんなことで、ボクを責められても困ります。このお店によく来るっていうだけで、今日、三橋がここに来るとは、言ってませんから」

「あー! 今、青木君、開き直らなかった? ガセネタ持ってきておきながら、なに、その態度」


 酔いも回ってきちゃったかも……。


「須藤さん、今日は、ちょっと、飲みすぎですって。そろそろ、ソフトドリンクにしたら、どうですか?」

「何? 自分は、爽やかな色したカクテル飲んでおいて、私にはお茶でもすすっとけってこと?」


 冷酒の空き瓶が五本、テーブルに転がっていた。青木君との時間が楽しくて、飲み過ぎたのかもしれない。


「酔っぱらい過ぎですって。もう、出ましょう。三橋が現れなかったのは、やっぱり、ちょっと申し訳なく思いますんで、ここはボクが払っておきますから」


 青木君が、伝票を手に取って、立ち上がる。

「おっ! 奢ってくれるの? いいの? 青木君、おっとこ前ねー。いよっ、太っ腹!」


 苦笑いを見せつつ、青木君がレジに向かった。

 青木君を見ていると、マキトを思い出す。性格は全然違うんだけど、しゅっとした顔に面影がある。


 マキトを失ってから一年半が経ち、人恋しさは、日に日に増している。

 そんなことをぼんやりと考えながら待ったけど、いつまで経っても青木君は戻って来なかった。


 支払いを済ませて、そのまま帰っちゃったのかしら?

 私を置いて!?


 イヤな予感がして、レジに向かう。

 すると、青木君がレジの前で、何度も財布を開け閉めして、目をギンギンに光らせていた。


「ちょっと、青木君? 何しているの?」

「あ、ああ……須藤さん……。すいません、ちょっと、カードが使えなくて……」

「え? どういうこと? この店、カード使えないの?」

「い、いや、そうじゃなくて、ボクのカードが……」

「は?」

「預金残高が足りなくて、今月の引き落としが出来なかったみたいで……ボクのクレジットカード、止められちゃったみたいなんです……。現金の持ち合わせも無くて……」


 ちょっと、アオキ!

 何してんのよ、さっき男前だとか褒めて、損したわ。


「そうなの……。じゃあいいよ。ここは、お姉さんが、払ってあげるから」

「え? いいんですか!?」

「いいよー。その代わり、今度デートした時は、驕ってねー」


 私は、スマートフォンの電子マネーのアプリを立ち上げ、店員に提示する。


 デートなんてワードをさらりと言っちゃったけど、青木君、気付いたかな?

 後ろをチラ見すると、青木君は、頬を真っ赤にして、頭を掻いている。


 頬が赤いのは、お酒のせい?

 それとも……照れてる?


「あ、青木君、どうなの? 返事は?」

 酔っているせいなのか、答えを確かめたいという気持ちを抑えきれなかった。


「あ……あ、はい……っていうか……」

「な、何よ? ダメなの?」

「い、いえ、あの……デートは何度でもいいんですけど、驕るっていうのが、できるかどうか……」


 チャリン。


 店員が、私のスマートフォンに表示されたバーコードを読み、支払いが完了したようだった。


 数日後、実家に帰っているという情報を掴んで、白昼の住宅街で、ついに三橋を見つけた。

 人通りの少ない歩道を歩く三橋の背後から近づき、軽く肩を叩く。


「三橋コウジさんですよね? 私、WEBメディアで記者をしています、須藤と申します。少し、お話しを聞かせてもらってもいいですか?」


 三橋は、警戒心に満ちた眼差しを向けてきたが、何も言わずに、歩き続ける。

 柚子に頼んで混ぜてもらった合コンの時、顔を合わせているので、何かしらの反応をされるかもと心配していたけど、そんな様子はなかった。


「率直にお聞きしますけど、三橋さん、昨年、甲辰山の星空ロードで、事故を起こしていますよね?」


 三橋の目尻が、ピクリと動いた。

 前を向いて、無視を決め込んでいるつもりでも、耳から入ってしまう情報は、止められないのだろう。聴こえているのであれば、好都合である。一気呵成に畳みかける。


「原付バイクに追突しましたよね? でも、その場から逃走した……。それって、少なくとも、救護義務違反と報告義務違反にあたりますよ? ぶつけたお相手の方々は亡くなられています。知っていましたか?」


 三橋の歩くスピードが速くなった。

 この場から逃れたいに違いない。

 でも、今日は、絶対に逃がさない。


「しかも、飲酒運転をされていましたよね? 直前まで、会食していた六銀通りのお店も、もう、突き止めています。これって、危険運転致死罪が、適用される事案ですよ。大変なことをしちゃっていますよ? 認識していますか!?」


 三橋は、競歩の選手のように、肩を揺らしながら高速で進む。

 引き離されないように、食らいついていたけど、脛の筋が張ってきて、痛くなってきた。


「事務所に連絡して、もみ消したつもりですか? でも、逃げ切れないですよ。私が、記事にして、公にしますから。飲酒運転の危険運転致死罪なら、時効は十年です。まだまだ、時間はたっぷりあります。逃げ切れると思わないでください」


 三橋が、苦々しく、口角を歪めた。も

 はや、動揺を隠しきれなくなってきているみたいである。


「今からでも、遅くないですから、自首したらどうですか? 罪を償う気持ちは、ありませんか?」


 まだまだ、言いたいことが山ほどあるのに、少しずつ、三橋との距離が開く。そして、標識のある角を曲がったところで、三橋が駆け出した。


「ちょ、ちょっと、三橋さんっ! こら、待って! 逃げないで!」


 私は、ヒールのある靴で三橋を追いかけながら、録音していたスマートフォンをタップし、動画撮影モードに切り替える。

「今さら、逃げたって無駄よ! こっちには、証拠があるんですからねっ!」

 三橋は、走りながらフードを被り、背中がどんどん小さくなった。


 突撃取材したけど、コメントを取れなかっただけでなく、動画すらろくなものを撮れずに、逃げられてしまった。

 ヒールのある靴を履いていたのも、運が悪い。せっかくのチャンスを逃したショックは大きかった。



 その日の夜、私は、青木君を居酒屋に誘った。

 今夜は、三橋を待ち伏せするわけではない。三橋に、直接接触したことで、暴漢を差し向けられるかもしれず、怖くて、一人で帰りたくなかった。

 ただ、青木君には、取材が上手くいかなかった愚痴を聞いてもらいたいと言ってある。


 お洒落とは言えない居酒屋だけど、私が隠れ家的に利用しているお店だった。

 元有名ホテルのシェフが経営しているというだけあって、出てくる料理は、どれも美味しい。SNSで、この店の料理を絶賛している人をよく見かける。

 いつも注文しているメニューをオーダーして、青木君とビールのジョッキを合わせる。


「ゴメンね、急に誘っちゃって。迷惑だった?」

「いいえ、全然大丈夫です。晩飯をどうしよっかなぁって、考えていたトコだったんで、むしろ、グッドタイミングでした」

「そう。じゃあ、良かった」


 ビールに口をつけると、すぐにタラモサラダが運ばれてきた。

「このお店は、どの料理もおいしいよ。今日は驕るから、いっぱい食べて」

「あざーっす」

 陽気な声を上げて、青木君が割りばしを割る。上の方で裂けてしまって、綺麗に割れていないようだったけど、青木君は気にしていない。長さの違う箸を器用に使って、料理を口に運んだ。


「うん、うん、うん……。うまいっ! このポテサラ、めっちゃ、上手いっすね」

 自分が褒めてもらえているようで、嬉しい。ポテサラじゃなくて、タラモサラダなんだけど。


 その後も、ブラックオリーブのブルスケッタとか、チーズと桜エビのチュイルとか、香ばしネギのナムル風とか、この店オリジナルの料理が並ぶ。どれも美味で、口に入れては、頬が落ちそうになった。どうやったら、こんな味付けができるんだろうと、感動を覚えながら、次々に口に運ぶ。


 一通り料理を堪能したら、私は箸を置いて、三橋のことを話題にした。

 直撃インタビューのチャンスだったのに、逃げられてしまったこと。

 あとちょっとのところまできているのに、決定的証拠を捕まえきれない恨めしさを嘆く。


 青木君は、舌鼓を打ちながらも、視線はまっすぐ私に向いていた。頷きながら、共感してくれている。


 胸の内がスッキリするまで、散々、こぼし、気持ちが少し楽になった時、青木君が私の様子を窺うように、上目遣いをしてきた。


「須藤さん、ボクからも、一つ、質問してもいいですか?」

 青木君のジョッキは、ビールから、ハイボールに変わっている。


「いいよ。なに?」

「須藤さんは、なんで、三橋コウジを追いこむことに、そんなにこだわっているんですか?」


「え……。なんでって、悪いことをしたんだから、罰を受けてもらわないといけないっていう思いは、普通でしょ? 当然じゃないの?」

「いや、そういうことじゃないんですよ。須藤さんの行動が、ちょっと行き過ぎてるっていうか……」


「何よ? はっきり言って」

「だって、社会班の須藤さんが、芸能人の三橋の件で、そんなに執念を燃やすなんて、ちょっと、おかしいんじゃないですか?」

「そう? そうかな、変かな?」

「変ですよ。いくら、大スキャンダルだって言っても、畑違いの須藤さんが、そんなに熱くなるなんて異常です。何かあるんですか?」


 そうか。編集長には伝えていたけど、青木君には言って無かったんだっけ。


 あの事故で亡くなったのが、私の彼氏だったってこと……。


「須藤さん、過去に三橋に遊ばれたりしたんですか? それを恨んで、復讐でもしようとしているんですか?」

「バカ。何を言ってるの? 勝手に変な妄想しないでくれる? そんなこと、あるわけないじゃない。何も無いよ」


 青木君が、チーズのたっぷりとかかった、フォンデュ風やきとりを口にしながら、私のことを疑うような目で見ている。


「ただ、犯罪を起こした人間が、のうのうと変わらない暮らしをしているのが、許せないだけ。それは、ジャーナリストとして、絶対、許しちゃいけないことなのよ。わかる?」


 青木君のことを箸で指しちゃったことに気付いて、すぐに引っ込める。マナーの悪さが出てしまうのは、私の悪い癖みたいなもので、わかってはいるんだけど、酔うとやってしまう。


「そ、そうなんですね……。ちょっと理解しきれてないですけど」

 青木君は気付いてないようで、並んだ料理に、箸が止まらないでいる。


「理解できないかな? 正義は、ジャーナリストにとっての憲法みたいなものよ。いや、聖書かもしれない。絶対に守らなきゃいけないことなの。だから、悪事を暴いて、正義を貫くことは、ジャーナリストの使命なのよ」


「そうなんですね、勉強になります。だって、ボクはまだ、そこまで熱くなる取材をしたことがないですから」

「そうなのね。じゃあ、青木君は、これからも私の背中を見ていないとダメね」

 私も、チーズのたっぷりかかった焼き鳥を口に運んだ。


「背中ですか? お尻じゃなくて?」

 お尻? え!?

「バカ。何言ってんの?」

「だって、背中見たって、なんの感情もわきませんし」

「それ、本気で言ってんの? 私を見習いなさいって、ことよ」

「あ、なんだ、そういうことですねー」


 ちょっと呆れた。

 青木君は、照れたように笑っているけど、冗談で言ったのかな?

 私のお尻を見るって……。ひょっとして、これまでも見てたってことない!?

 ヤダ、なに、このコ!?


 青木君との、楽しい時間は、あっという間に過ぎる。

 ラストオーダーが終っても、店員に促されても、私は、帰りたくなくて、青木君との会話を楽しんだ。


 どんなやり取りをしていたのか、覚えていない。

 店員に追い出されたのか、青木君に誘導されたのか……。

 気付くと、お店の外にいた。店員が出てきて、閉店時間が過ぎたのか、シャッターを半分閉める。


「須藤さん、飲み過ぎですって。ちゃんと、帰れますか?」


 腕時計を確かめると、とっくに終電が無くなっている時間だった。私は、自動販売機の前で、スポーツドリンクのボタンを押す。


「らいじょうぶらって。酔ってないかーら。わたしはー」


 ちゃんと話そうとしても、舌が回っていない自覚はある。

 振り返ると、心配そうな顔をした青木君が、私のバッグを抱えて棒立ちしていた。

「なんれ、アオキくんが、わたしろバッグをもっれるのよー」

 青木君からバッグを取り戻そうとして、振り払われ、よろよろと転びそうになる。


「須藤さん、しっかりしてください。送っていきますから、帰りましょう」

「……そうなの? りゃあ、送ってよ。ほら、送ってちょうらい!」


 私は、青木君をつかまえて腕を組むと、ふらつかないように、身体を寄せた。青木君から、柔軟剤のいい香りがした。



 うっ……。


 胸やけがして、目が覚めるとすぐ、吐き気をもよおした。

 私は、ベッドから起き上がって、トイレへ行こうと……。


「え? え? ……あ、あれ?」


 見覚えの無い部屋に、思考が崩壊して、頭の中が真っ白になった。

 何が起こっているのか、まるで思い出せない。

 でも、今は、それどころではない。


 ドアというドアを開け放って、ようやく、トイレを発見し、便器に嘔吐した。

 トイレの中、何分くらい同じ体勢でいただろう。

 一時間以上いたかもしれない。

 胃が空になるほど吐いて、ようやく楽になった。


「須藤さん、大丈夫ですか?」

 背後に青木君が立っていた。居酒屋にいた時の服装のまま。私は、洗面台で口をすすぎ、気持ちを落ち着かせる。


 ここは、ホテル?


 自分の服装を確認するが、乱れていない。

 私の服装も、居酒屋にいた時のまま。


「須藤さん、飲みすぎですよ。三橋を逃してしまったストレスはわかりますけど、そこまで飲まなくても……」


 ストレス? それだけじゃない……飲み過ぎた理由は。


「あ、青木君、ご、ゴメンね……。な、なんか……」

 私が近寄ろうとすると、青木君は右足を一歩引いた。


「ボ、ボクは、なんにもしてませんよ。ここに入ろうって言ったのも、本当に、休憩した方がいいと思ったからです。ほ、本当です!」


 青木君が、ブルブルと右手を振る。いやらしい気持ちは、これっぽっちも無いと言っているかのように。


 青木君……。

 そんなに、否定しなくてもいいんじゃない?

 ちょっと否定しすぎじゃない?


「ボ、ボク、これでも、彼女いますし!」

 青木君は、そう言い放って、一歩、二歩と、後ずさりする。


 な……なんだ……。

 そ、そうなんだ……。

 そ、そりゃ、そうよね。


 青木君、抜けてるところはあるけど、まあまあイケメンだし、彼女くらい、いたっておかしくないよね……。


 私は、自分の思慮の至らなさを痛感し、ため息をつく。そして、気付くと、フラフラと青木君へと近づいていた。


「ちょ、ちょっと。や、やめてください。ボク、その気は、本当に無いですから……」

 青木君は、腰を抜かすように、ソファに腰かけた。


 な、何よ、それ?

 それじゃ、まるで、嫌がる青木君を、無理に私が誘ってるみたいになるじゃない!?

 青木君にその気が無いのは、十分に伝わってるから、もう……いいよ。


「あ、青木君……違うの」

 私は、崩れ落ちるように、キングサイズのベットに倒れ込んだ。

「と、とにかく、色々ありがとね……迷惑かけてゴメン……」

 頭がガンガンとしていて、まだ、全快には、ほど遠い。


「わ、私は、もうちょっと眠ってから帰る……。青木君は、先に帰ってて、いいよ」

 気を失うかのように、意識が遠のいた。



 起きたら、朝になっていた。

 とっくに電車は動いていて、今日が土曜でなければ、通勤ラッシュが始まっている時間帯である。

 ソファに寝ている青木君を発見して、叩いて起こし、部屋を出る。


「青木君……、ゴメンね。迷惑かけちゃって……」

「そ、そうですね……。昨日はちょっと飲み過ぎですよ」

 二日酔いのせいかもしれないけど、青木君の一言一言が、気に障る。


「昨日はたまたまよ。寝不足だったから悪酔いしただけ。いつもなら、あれくらいで悪酔いなんてしないわよ」

 片眉を下げた青木君は、その表情が、そうかなぁと疑っている。

「飲みすぎないように、気をつけましょうね。ボクがいる時はなんとかしますけど、下手したら、トラブルに巻き込まれますよ。ボクは、心配です」


 あ、青木君……なんて優しいの?

 私なんかの心配をしてくれてるの?


「次に一緒に飲む時は、飲み過ぎに、注意してくださいね、須藤さん」


 つ、次って……。

 次もあるの?

 懲りてない?

 また、食事に付き合ってくれるの?

 薄暗いホテルの廊下を歩いて、青木君が、出口を開く。


 キキー!

 ホテルを出るなり、甲高いブレーキ音が轟いた。

「あっ! ちょっ……」

 先を行く青木君が、飛び退く。

「えっ!?」

 こちらに向かって、背中からジャンプしてくる青木君を、咄嗟に受け止めた。けど、勢いは抑えきれず、私ごと壁際に持って行かれる。目の前をすごい勢いで、影が過ぎた。


「きゃっ! 何!?」


 ブレーキ音が鳴りやまぬ中、女性が乗る自転車が横滑りして、そのまま転倒した。私は、青木君と抱き合うような形になって、よろよろとふらつき、壁に背中をぶつける。


「す、すいません!」

 青木君が、誰かに謝った。

 私に対してなのか、転んだ女性に対してなのかはわからない。

 横倒しになった自転車の女性は、サテンのように光るシャツに、太いパンツをはいていた。


「だ、大丈夫ですか!?」

 青木君は、焦った様子で、女性に近づく。

 私も、彼と腕を組んでいるので、引っ張られるようにして、ついていった。


 どちらが悪いのかは、よくわからない。青木君は、飛び出したというほどのことはしていないように思えた。


「いたたたた……」

 女性は、すぐには立ち上がらず、膝を押さえている。

「ケガはされてませんか? 立てますか?」

「あ、はい……だ、大丈夫です……。こちらこそ、すみません」

 膝を押さえながら、立ち上がろうとする女性に、青木君が手を差し出した。

「だ、大丈夫ですから……」

 女性は、それを断って、自転車を起こす。朝日が眩しくて、私は、腕を組んでいない方の手を額にかざした。


 女性は、太いカチューシャをして、髪はチリチリだった。

 トータルコーディネイトはイカしてて、いかにも意識高い系のようだったけど、物腰は柔らかい。


「こ、こちらこそ、スピードを出してしまって……すいません。大丈夫ですから……」

 サドルにまたがり、再び漕ぎ出そうとする女性は、闇を覗くように俯いたが、垂れた目尻は、最近、どこかで見た覚えがあるような気がした。


「マ……マチ?」


 青木君が、そんなことを呟くと、女性が振り返り、二人は、目を合わせているようだった。

 私は、青木君と腕を組んで、抱きつくような格好のまま、顔を背けた。

 知っている人かもしれないという不安が、咄嗟にそうさせた。


「すいませんでした」

 女性は、そう言って顔を伏せ、再び自転車を漕ぎだした。

 大通りに出て行く。


「知ってる人?」

 青木君を見上げて訊いた。


「いや、たぶん、人違いだった」


 私のおでこは、青木君のアゴのあたりにある。


 青木君って、意外と背が高いんだ……。

 私、ヒールを履いているのに、こんなに差があるなんて。


 青木君からは、ほのかに柔軟剤の香りがした。


「そう」


 ホテル街の朝、いかがわしい関係の男女が歩く中、私は組んでいる腕をそっと離した。


 本当は、ずっと組んでいたかったけど、たぶん、青木君は、それを望んでいないだろうから。


 その後、私達は、ほとんど会話をすることなく、駅まで歩いた――


 猫の私が、ため息を吐く。


 今となっては、半年前のあの時が、人間として、青木君に一番近づいた瞬間だったんだと思う。その後、二人で、三橋の周りを取材したり、待ち伏せしたりしたけど、あの時ほど接近することは無かった。


 そして、今思えば、ホテルを出た時に、青木君にぶつかりそうになった女は、千林万知だった。あの時は、思い出せなかったけど、特徴的な、あの垂れ目は間違いない。


 万知は、働いているアパレルショップに通勤する途中で、私達と出くわしたんだ。


 ぼんやりと眺めていた、『須藤さんと一緒に回っていた時……』と打たれた青木君からのメッセージを閉じる。

 路地裏にある室外機に背もたれ、後ろ足を使って、器用にスマートフォンを支えていた。


 そういえば、あの頃の思い出って……。


 スマートフォンを操作し、保存してある写真を探したが、青木君が写っているものは無かった。

 青木君との食事会は楽しかったけど、彼には彼女がいるし、デート気分だったのは、私だけ……。


 ここ二年、そもそも撮った写真が少ない。旅行にも行っていないし、いい思い出がそんなに無かったんだと、つくづく思い知らされた。

 さらに思い出を遡ると、マキトの写真で画面が埋め尽くされる。マキトが笑顔でいる。


 街でも、高原でも、海でも、キャンプ場でも、そして、東京ディズニーランドでも。


 大学二年の時、ヤンキー集団から救ってくれたことをきっかけに付き合い始め、三年も付き合っていたんだから、思い出も多かった。


 忘れられるわけがない……。

 きっと、この先もずっと……。


 スマートフォンをタップして、画面を消した時、ふと、気配を感じて、後ろを振り返る。


 えっ!

 だ、誰!?

 何っ!?


 室外機の上に、白い猫がいて、こちらに首を伸ばしていた。

 背後から、私のスマートフォンを覗きこんでいたようである。


 ウソでしょっ!?

 な、なんなのよ、この猫!?


 急いでスマートフォンを背中のポケットに戻していると、白猫は室外機から飛び降り、私の前に立ちふさがった。


 な、何……あ、あれ?

 あ、あなたは、確か……。


 白猫は、毛並みが上品で、前に会ったことがある。

 猫になった日、商店街の裏の路地で、地域のボスから救ってくれた、白猫。


 白猫は、野良猫なんだろうけど、目鼻立ちは整っていて、猫界ではモテそうなイケメンである。ただ、いくらイケメンでも、こちらを睨みつけながら、じりじりと近づいてくるのは、少し怖い……。


「にゃあぁぁ!」


 急に鳴かれて、私は、心臓が飛び出そうになり、逃げるように駆け出した。


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