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スマホを背負ったジャマイカな猫  作者: おふとあさひ
4/16

高校時代の暗澹


4.高校時代の暗澹


 猫の私。

 あくびをして出てきた涙を拭くついでに、頭から顔にかけて、毛づくろいをした。


 夕方、カーテンレールや、棚の上などを伝い歩いて、猫の身体能力の高さに感激していると、カラーボックスの上に、伏せられた写真立てを見つけた。


 ふと、青木君がこれを倒しているシーンが頭に浮かび、それが昨晩目にした光景であることを思い出す。


 私は、伏せられていた写真立てを咥えてひっくり返し、表を向けた。

 南国情緒の開放的な景色に囲まれた青木君は、彼女と思われる女と並んで笑っていた。自撮りだろうか、ぴったりと顔を寄せ合っている。


 えっ? うそ!?


 私は、何気なく写真立てを覗いただけなのに、見覚えのある顔を見つけて、息が止まりそうになった。青木君の隣にいる前髪をまっすぐに切り揃えた女……。

 彼女の名前は、佐原すず。高校の時のクラスメートなんだけど、私はこの女のことを好きじゃ無かった……というか、大っ嫌いだった。


――人間、須藤沙羅、高校生の時。

 私は、高校に入学して、どんな部活に入るか迷っていた。体育会系に才能が無いのは、中学の時に所属した陸上部で、身に染みてわかっていたし、かといって、文化部にもそれほど魅かれるものが無い。


 〝動物が好き〟というだけの理由で、生物部に入部したんだけど、そこに、佐原すずがいた。同じ学年の同じ生物部の新入部員。それが、佐原すずとの間にある、見えない腐れ縁の始まりだった。


 生物部では、動物の剥製制作や、内臓のホルマリン漬けなど、十五、六歳の乙女には、少々、ハードな活動が多かったけど、すずは、率先して参加した。

 みんなが気味悪がる作業に、喜んで取り組むすずのことを、私は、すこし引き気味に見ていた。


 白衣のすずは、白いマスクをして帽子をかぶり、両手にゴム手袋をはめた。

 すると、役割を決めた訳でもないのに、進んでメスを握る。

 保健所から、ほぼ無償で譲り受けたというアライグマを施術台に固定し、その腹を、躊躇することなく切り裂いた。


 顧問の先生から、内臓の一つ一つを取り出すように指示されても、全く嫌がる様子はない。むしろ、喜んでいるようですらあった。


 両手を血で真っ赤に染め、次々と臓器を切り出していく。

 肝臓を掲げて、それを凝視するすずは、狂気を纏っているようにしか見えなかった。


 すずのことを昔から知る女子に聞くと、すずには、猟奇的な兄がおり、その影響を受けているか、もしくは、そういう血筋かもしれないとのことだった。

 なんでも、噂では、すずの父は、地元の組の幹部だという。


 教えてもらった、すずの兄のエピソードは、センセーショナルだった。


 少し前、すずの自宅の周辺で、何匹もの野良猫が殺されるという事件が多発したとのこと。しかも、その殺され方は残酷で、一番ひどいのは、首を切り取られ、眼の見開いた猫の頭部が、公園の水飲み場に晒されたというものだった。

 近所では、普段から動物虐待を目撃されている、すずの兄の犯行ではないかという噂がたったが、結局、犯人は捕まらず、事件は闇の中。


 私は、疑いがあっても、ただの噂だから、信じないように心掛けた。

 でも、すずを見る目に、変化があったことは否めない。観察するうち、自分とは、違う人種に思えてきた。


 結局、私は、生物部のグロテスクさについていけず、高校一年の終わりごろには、生物部を退部する。

 高校二年では、すずと同じクラスになった。

 すずは、生物部で見せた猟奇的な一面を、普段は、まるで感じさせなかった。

 むしろ、正反対で、女子力が高い。

 生物部で、顔見知りだったこともあり、最初の頃は、よく、すずと一緒に行動した。


「彼氏がさぁ、ショートカットの方が好きって言うのよねぇ」

 すずは、肩までかかる巻き髪に、指を絡ませて、髪を切るか悩んでいた。

 たびたび髪型を変えてきたけど、眉毛の上で切り揃えられた前髪の印象は変わらない。ただ、校則で、髪染めは禁止されているはずなのに、すずの髪の毛は、以前より、茶色くなっていた。


「え? それでどうするの? 切っちゃうの?」

「そうね。彼のためなら、それくらいしてあげようかなって……」


 すずは、高校一年の時から、一つ上の学年の先輩と付き合っていた。自慢したいのか、すずから出てくる話題は、彼氏のことばかりだった。


「この前、彼とデートしてさ」

「彼ったら、バカなことしてさ」

「彼が、またさ」

 そんなことばかり話す、すずのことがウザくなってきて、私は、次第に距離を置くようになる。


 夏休みが明けて、すずがフラれたという噂が流れた。その頃には、私は、クラスの中心的なグループにいて、すずは、千林万知せんばやしまちという地味な女の子とつるんでいた。

 万知の目は垂れていたが、いつも一緒にいるすずが少しつり目のせいもあってか、垂れ目が強調されて、パンダのような印象だった。

 なぜか、万知は子分のように、すずに従っていた。


 時は流れて、高校三年生の秋。

 文化祭の後片付けも終わって、みんなが下校し始めた時、同じクラスで一番人気の山田に、声を掛けられて、校舎の影に連れて行かれた。


「ご、ごめんな、急に連れ出して……。オ、オレさ……」

「なに?」


 やばっ。こ、これは、告られるシチュエーションじゃないか。


 なんとなく、雰囲気は察した。緊張してきて、止めどなく湧いてくる唾液を、ゴクリと飲み込む。

「オ、オレ、沙羅ちゃんのことが好きなんだ。付き合ってくれないかな」


 やっぱり!


 けど、ド直球でそう言われると、さすがの私でも、顔面に血が上って熱くなった。ただ、同時に、いろんなクエスチョンマークが頭に浮かぶ。

 大学受験を控えた、この時期に、告白してくるのも非常識だし、私に気がある素振りも見せたことないし、そもそも、山田にはそんなことを言う資格はないはず。


「あれ? 山田、すずちゃんと付き合ってなかったっけ?」

 イケメンの山田は、苦虫を噛み潰したような顔をして、うつむいた。

 佐原すずは、女子の中では、目立つようなタイプでは無いけど、猫を想像させる顔立ちが男子受けするのか、高校入学以来、ずっと彼氏がいる。

 取っ替え引っ替えという表現が当てはまるくらいで、それだけでも評判が良くないのに、三年になって射止めたのが、クラス一のイケメン山田だったので、クラス中の女子から反感を買っていた。


「山田さ、涼しい顔して、毎日、すずちゃんと腕を組んで下校していたじゃない」

 私は、イケメンといえども、不忠な山田が許せず、断るつもりで言った。

「いや、実はさ……。すずとは、もう、別れたいと思っているんだ……」


 な、何それ!?

 堂々と、乗り換えだと宣言しているわけ?

 なんで、別れる前に、私に告白してくるのよ!?

 別れてから、出直してきなさいよ!


 心では、そう思っていても、いい人と思われたい私は、それを口にせず、黙って目を逸らす。


「あいつ、すごく拘束してくるし、嫉妬深いしさ。最近は、洗脳までしようとしてきて、もう耐えられないんだ」

「えっ? 洗脳?」


 思いがけず聴こえてきたパワーワードに、山田を見返すと、山田と目が合った。


「そう、洗脳されそうなんだ……」

 大きな瞳をうるうるさせた山田は、げっ歯類にも似て、とても愛らしい。

「すず以外の女子の名前をオレが口にすると、あいつ、徹底的に、その子の悪口を言って、オレの印象を操作しようとするんだ。それが、何日も続くから、うんざりする」

「それは、すずちゃんが、嫉妬してるだけでしょ? 洗脳っていうには、大げさじゃないの?」

「いや、大げさじゃない。すずは、すずの思い通りの印象になるまで、いろんな場面で、執拗に囁いてくる。もう少しで、沙羅ちゃんのことまで大嫌いになるところだったんだよ」

 ということは、山田が、私の名前を口にしたから、すずが嫉妬して、私の悪口を吹き込んでいたってことか。


「オレ、すずと別れたいんだけど、あいつ、別れてくれなくてさ。ちょっと、困ってるんだ」

 きっと、山田は洗脳されかけた反動で、私のことを好きになった気でいるだけなのだろう。

 裏事情が判明して、少し悲しくなった。けど、いい人でいたい私は、山田が心の内で望んでいることを読み取って、甘い言葉を吐く。


「そうなんだ……。それは大変ね。で、私に手伝えることがある? どうしたらいいの?」

「あるよ! ある! まず、オレと付き合ってよ。オレの彼女になってくれないかな?」

 最初から言うことを決めていたかのように、山田のレスポンスは早い。


「オレに新しい彼女が出来れば、さすがに、すずも諦めると思うんだ。だから、オレと一緒に、すずに会ってくれないかな?」


 すごく図々しいことを言っているのに、よほど自分に自信があるのか、山田は、澄ました顔で言い放っていた。



 私は、週末の公園で、山田と一緒に、佐原すずと会うことにした。木陰にあるベンチのそばで待っていると、すずは、万知を連れて現れた。


「山田君、急に用事って何? なんで、沙羅ちゃんもいるわけ?」


 何かを察しているのか、それとも、ただ不機嫌なだけなのか、すずの言い方は角立っている。


「そっちこそ、なんで万知まで連れてくるんだよ」

「万知は友達だよ。一緒にいてもいいでしょ?」


 冷たい空気は、秋風だけのせいじゃない。万知は、居場所が無さそうに、すずの背後に隠れた。垂れ目も含めて子供のパンダのようで、チラチラとこちらを窺っている。


 山田は、万知まで巻き込むことに気が引けたのか、黙ってしまって、話を切り出さなかった。沈黙が続くことにしびれを切らした私は、彼女に引導を渡す。


「すずちゃん、私ね、山田と付き合ってるの。ゴメンね」


「え? なんて?」

「山田はあなたのことが嫌いになったんだって。悪いけど、山田と別れてもらえないかな?」

「な、なによ、それ!? 沙羅ちゃん、正気で言ってるの? 山田君は、ずっと、私の彼氏よ」

「今まではね。だから、別れてほしいの」

「は? 何、わけわかんないこと言ってんの? ありえない」

「まじめに言ってるのよ。すずちゃん、ちゃんと、聴いて」

「山田君は、私の彼氏だよ? これからも、ずっと……。ねえ、山田君、そうでしょ? この子、おかしいよね?」


 すずは、すっかり動揺してしまっている。


「いや、すず……。沙羅ちゃんの言っていることは、本当だよ。オレ、沙羅ちゃんのことが好きになったんだ……」


 山田は、俯き気味だった。

 言いにくいんだろうけど、そこは、男として、ちゃんとケジメをつけなさいよ、ヤマダ!


「えっ!? 嘘でしょ? 私と付き合ってるのに、そんなこと言う? どうして? 何があったの?」

「何もないよ。ただ、オレがすずのことが嫌いになって、沙羅ちゃんのことが好きになったってこと……。それだけのことだよ」

「それだけのこと!?」

「そう、それだけ」

「マ、マジで言ってるの!? 信じられない! ひどい、ひどすぎるよ」

 すずは、口の両端が下がり、鼻が赤らんでいく。


「う、うそでしょ? 冗談だって、言ってよ、山田君!」


 山田は、顔を背けた。歯を食いしばっていて、何も言わないでいる。


「こ、こんなのって無いよ……。サイアクだよ……。ねえ、私、どうしたらいいの?」


 そんなの、決まっている。手を引けばいいじゃない……ただ、それだけだよ。


 そんなことを胸に秘めながら、すずをじっくりと観察する。後ろにいる万知が、すずの腕を引っ張って、この場から去ろうと促しているのだが、その万知の手をすずが振り払った。


「山田君、捨てないで。もう一度、考え直してよ……」


 まだ、すずは諦めていないようだった。


 どれくらい、すずの訴えを聴いていただろう。


 すずは、泣きじゃくって粘っていたけど、最後には、もはや戻れないと悟ったのか、拍子抜けするほど、あっさりと身を引く。


「わかったわ。もういい。山田君には未練も何も無いし、もう、どうでもいい。行こう、万知」


 山田の顔がほころんだ。私もほっと胸を撫でおろしたんだけど、それもつかの間、冷たい視線を浴びせられる。

「ただ、沙羅ちゃんは覚悟しておいてね」

「え? な、何?」

 私は、迂闊にも動揺してしまった。


「これは、略奪愛だからね。覚えときなさい」


 すずの赤く腫れあがった瞼の下の目はつり上がり、化け猫のようで、背筋が凍った。

 万知に慰められながら帰るのかと思いきや、気丈にも、すずは万知を引きつれるように、前を歩いていた。



 その後、山田と二、三度デートしたけど、話のテンポも、趣味も合わず、私の方から距離を取るようになった。結局、付き合っているとは言い難い関係のままで、フェードアウトする。


 私が、佐原すずに恐怖したのは、その後のことだった。すずは、どこからか、電話番号など、私の個人情報をゲットしてきて、いやがらせをしてくるようになったのである。

 メールやラインは、すぐにブロックしたけど、SNSや掲示板に、私のことを誹謗中傷する書き込みが続いた。毎日のように書き込まれ、精神的におかしくなりそうだった。


 陰湿で執拗ないやがらせは、大学入試が迫ってきても続き、耐えられなくなって、クラスの担任に相談した。けど、担任のボンクラ教師は、口ばかり達者で、対応するような素振りだけで、何もしてくれない。


 そして、ついに事件が起こる。


 自宅の前に、内臓を全て抜き取られて、ペシャンコになった野良猫が置かれたのだ。毛皮の絨毯のように広げられた異常な死骸の頭は、目が見開き、玄関の方に向けられていた。


 すぐに、警察に届け出た。

 すずの仕業に違いなかった。


 警察が捜査し、付近の防犯カメラを徹底的に調べてくれたけど、不鮮明な画像しかないという。

 お願いして、その映像を見せてもらった。

 上下黒いジャージを着た少年と思われる人物が私の家の前を走り去る。身なりは男子だが、逃げた時の走り方は女子のようだった。


 私は、そこに映っているのは、佐原すずだと主張した。

 けど、結局、警察は、すずを捕まえなかった。ただ、事情聴取くらいはしてくれたのだろう。

 なぜなら、それ以降、私への攻撃が、ピタリと止んだから――


 今、私は、猫。

 いまいましい当時の記憶は、消えることは無く、今思い出しても腹が立ってくる。

 写真立ての中で、仲良さそうに、青木君にくっついて、笑う女。それが、あの、佐原すずだということに、愕然となり、あんぐりと口を開けすぎて、アゴが外れるかと思った。


 夜になって、青木君が帰宅した。青木君は、ローテーブルの上にコンビニ弁当を広げて、缶ビールのプルトップを開ける。


「今日、須藤さんのこと、深川編集長と話しましたよ。もちろん、脳内転送されて、猫になってることは、言ってませんけど」


 私は、買ってきてもらったあたりめを噛みながら、青木君に視線を向けた。美味しそうに、ビールを喉に流し込んでいる。


「ひゃー! うめえ! 仕事上がりの一口目が、一番美味いですよね。須藤さんも、どうですか? 猫になっても、飲みたいんじゃないですか?」


 冗談なのか、本気なのか、缶ビールの飲み口をこちらに向けてくるので、私は、プイと首を振った。


 いらないわ。猫だし。


「須藤さんが刺された事件、まだ、進展が無いみたいですね。編集長は、須藤さんが追ってたスキャンダル事件の関係者が犯人じゃないかって、疑ってましたよ」


 青木君は、それを聞いてどう思ったのだろう。


 深川編集長も、私の容態なんかより、犯人捜しのほうに興味があるんだ……。二年前に彼氏を不慮の事故で亡くして以来、悲劇のヒロインだと言って、特に目を掛けてくれていたのに。まあ、編集長もマスコミの人だから、しょうがないんだろうけど。

 私は、背中のスマートフォンを床に降ろし、暗証番号を押して開く。


「にゃにゃっ! にゃあ、にゃにゃあ、にゃあーにゃ!」(秘儀! 高速肉球タップ入力法!)


 コンピュータで制御された精密機械のように、私の右前足が、スマートフォンの画面の上を動き回った。


 青木君の持つ箸から、から揚げがポトリと落ちる。

 それを食べようとしていた口も、あんぐりと開いたまま。私の秘儀に驚いたのか、青木君の目は点になっていた。


 まあ、それはそうよね……。

 今日一日の上達ぶりには、私自身も驚いているんだから。


 青木君は、放心したまま、自分のスマートフォンを手にした。

「『編集長は、私が書こうとしていた記事のこと、何か言ってなかった』って、届いたんですけど……。こ、これって、須藤さんが、今打った文章ですか?」


 私は、再び、高速肉球タップする。

『そうよ。質問に答えて』


「す、すごいですね、須藤さん……。一日だけで、こんなに速くスマホを扱えるようになるなんて」


『いいから、早く答えて』


「ああ、はいはい。須藤さんが追っていた、アイドルのスキャンダルのことですよね。三橋コウジでしたっけ? いやぁ、編集長は、何も言っていなかったですね」


 私は、国民的人気アイドルの起こした事件が、もみ消されたという大スキャンダルを掴んでいた。あとは記事にして公開するだけというところまで追いつめて、やっと念願が叶う、と思った矢先に殺されてしまった。


 この事件に関わる時、社会部の記者である私が、芸能人を追いかけることに深川編集長は、難色を示していた。けれども、私が組み立てた仮説を熱く語っていると、見る見る表情が変わり、ついには、「本当にそうなら、それ、面白いね。ぜひ、やってみてよ」と、快諾してくれた。


 襲われる直前まで、編集長には逐一報告している。

 きっと、深川編集長は、私の追っていた事件を引き継いでくれるはずなんだけど……。


 アドレナリンのせいなのか、右前足の動くスピードが増す。

『明日、会社に行ったら、早く記事にして、ネットで公開するように、深川編集長に頼んでくれない?』


 私の高速な動きに、青木君は、目をギラつかせていた。掘り出し物が出品されたオークションに参加するバイヤーのように。


「スマホを高速でタップする猫……。スクープ記事にしても、いいですか?」

 青木君は、私の華麗なスマホ操作の方に、心を奪われているらしい。


「にゃあっ!」

 早く、メッセージを読めと、私は勢いよく首を振り上げて、指示した。

「あ、ああ、すいません……。はいはい。読みました。明日、会社に言ったら、編集長に言ってみますね」


 青木君は、缶ビールを飲み干して、空き缶を潰す。

「編集長も、須藤さんが追っていた事件と、須藤さん自身が襲われた件は、関係があるんじゃないかって疑っていますから、記事を完成させて公開してくれると思いますよ。犯人があぶり出されるかもしれませんしね」


 青木君は、どっちの犯人のことを言っているんだろう?

 元々、私が追っていた事件?

 それとも、私を襲った犯人?


「やっぱり、須藤さんを記事にするの、無理ですよね……。でも、記事になったら、絶対、バズると思うんだけどなぁ。勿体ないなあ」


 青木君は、まだ、言っている。無理に決まってるし。


「スマホを背負ったジャマイカな猫が、じつは、高速で肉球タップが出来るって……面白いんだけどなぁ」


 青木君が冷蔵庫から、二本目の缶ビールを持ってきて、リングプルを上げる。その間も、私の肉球は、マシンガンのように動いていた。


『私は、静かに暮らしたいの。脳内転送されたこともバレるし、話題になりたくない』

「でも、須藤さん、人気者になりたいって、言ってたじゃないですか? いい人になって、誰からも好かれたいって」

 スマートフォンを見ながらしゃべる青木君の顔が、うっすらと赤らんでいた。しつこく絡んできて、ちょっと面倒くさい。


 私は、物心がついた頃から、他人の悪口を言うのも、他人のせいにするのも嫌いで、何が起きても、全て、自分の至らなさのせいだと思うようにしてきた。

 それを貫くことで、私はいい人だと思われ、人気者になることが多い。けど……。

「それは逆なんじゃない?」

 そう言ったのは、マキトだった。

 私の中には、いい人と思われたいという本心があって、そのために、他人を責めないで、自分で背負い込んでしまうのだと。

「そうやって、全部背負い込んじゃうのは、危険だよ」

 そうとも、マキトは言った。

 抱え込み過ぎてしまって、キャパオーバーして、精神的にまいってしまう危険性があるのだと。

 だからマキトは、私が就職活動をする際、ジャーナリストになるように勧めてくれた。溜まったストレスのはけ口として記事を書き、普段の生活との心のバランスを取った方が良いと。


『人間の時は、いい人と思われたかったのは事実ね。でも、今は猫だから、人気者になんか、なりたくない。ただの見世物になるだけだし、そんなの、イヤよ』


 猫になったし、もう、いい人と思われる必要は無い。

 ジャーナリストの仕事も無くなっちゃったから、ストレスはため込みたくないし。

 だいたい、珍獣として見世物になるなんて、まっぴらごめん。

 ただ、青木君には、嫌われたくないけど……。


『ここから追い出されたくないから、青木君だけには、好かれていたいけど』


 青木君は、二本目のビールをぐびぐびと飲んで、テーブルの上に荒々しく置いた。目がトロンとしている。

「あ、じゃあ、やっぱり、記事にさせて下さいよ。ボクは、その方が、須藤さんのことを、飼い猫として、好きになると思いますから」


 飼い猫として……。私は、飼い猫として、好かれるんだ……。まあ、そりゃ、そうよね。


『でも、記事にするのは、絶対にダメ。注目されたくない。なんか、みじめだし』

「みじめなんかじゃないですよ。最先端の医療技術で、ちゃんと法律でも認められた猫なんですから」

 面倒くささがマックスに達する。いくら温和な私でも、さすがにキレそう……。

「ましてや、訓練して、スマホを使いこなせるようになるなんて、立派じゃないですか!?」

 これまでにないほどの超高速タップがさく裂した。


『アオキ! 無理って言ってるでしょ。もう、この話は終わり!』


 青木君は、こぼれ落ちそうなほど目をむいて、金縛りにあったかのように動かなくなった。



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