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スマホを背負ったジャマイカな猫  作者: おふとあさひ
3/16

マキトと私


3.マキトと私


 私は、オフロードバイクの後部シートにまたがり、園田マキトの腰に手を回して、飛ばされないように抱きついている。マキトのぬくもりを感じて、体の芯まで温かい。


 いつの間にか、猫から人間に戻っていた。


 バイクは、宙に浮き、不気味な紫色の空を、コウモリに囲まれながら走る。

 観光地に立っている、散策マップのような景色を眼下に眺めていると、「次はどこに行きたい?」と、マキトが聞いてきた。


「どこでもいいよ。どこでもいいから、私を連れて行って。私を置いて行かないで」

 ずっと、このままでもいい。ただ、マキトのそばから離れたくないだけ。

「なんだよ、それ」


 マキトは、呆れた声を出して、スロットルを回した。

 滑るように、夕空の中をバイクが進む。尾骨に伝わってくるエンジンの振動が懐かしかった。

 鼻歌を歌いながらバイクを運転するマキトに、しっかりと掴まる。


「ねぇ、マキト?」

「ん? なに? 何か言った?」

「マキトは、本当にあんな山道で、単独で事故を起こして、死んじゃったの?」


 私は、事故を知ってから、ずっと信じられないでいた。警察がそう結論付けたことに、納得できていない。


「ハハハ、何を言ってるんだ、沙羅」

 マキトが振り返って、白い歯を見せた。


「ちょ、ちょっと、マキトっ! 前を向きなさい。また、事故っちゃうよ!」

「大丈夫、大丈夫だよ。沙羅は、オレの運転技術を知ってるだろ? オレは、元スタントマンだぜ。それに、あの事故の真相も分かったんだよな? 調べてくれたんだろ?」

「え? な、なにが? マ、マキト……私が調べてたこと、知ってるの?」

「知ってるさ。早く、世間に公表してくれよ。ずっと待ってるんだぜ」


 ご、ごめんね、マキト。私もそうしたかったんだけど、その前に死んじゃったの……私……。

 殺されちゃったんだ。

 私は、ぎゅっとマキトを抱きしめた。


   ♰


 はたと目が覚めると、私は、猫。青木君の部屋で、オレンジ色をした円柱状のゴミ箱に抱きついていた。

 陽の当たる窓際で寝転んでいたら、いつの間にか眠ってしまっていたみたいである。


「ふ……ふにゃぁあ……」


 なんで、こんな夢を見たんだろう。

 きっと、天国のマキトは、まだ、悔しい気持ちのままでいるんだ。

 単独事故で死亡したなんて、誤った情報で処理されたことが許せないんだ。

 なんとかして、真実を世間に知らしめることができたら、いいんだけど。


 私は、日の光を浴びながら、再び目を閉じる。自然と、マキトとの思い出が蘇ってきた。


――人間、須藤沙羅、二十歳。

 真夜中の公園で、ヤンキーから救ってくれたマキトと、連絡先を交換した。後日、お礼を兼ねて食事会に誘ってみると、マキトに対する印象が、百八十度変わる。


 マキトは、見た目はやんちゃっぽいけど、中身はすごく真面目だった。両親を大切にしていて、仕事に熱くて、聖人君子のような一面も持っていた。


 小銭は、コンビニの募金箱に寄付するし、災害があればボランティアとして駆けつけるし、定期的に献血もするし、ドナー登録までしている。


 マキトは、元々、役者を目指して、スタントマンの仕事をしていたけど、バイクに乗って爆風に巻き込まれるシーンで、左の大腿骨に三本もボルトを打ち込むような大怪我をしたことがあって、それを最後に引退してしまったらしい。


 そのあとは、しばらく放浪の旅に出たみたいなんだけど、ある日訪れた窯元で、陶芸の魅力にどっぷりとはまってしまった。


 今は、陶芸家の卵として、修行中だと教えてくれた。


 時間が経つにつれ、私はマキトの人間性に惹き込まれ、会話が弾む。


 初めて食事したその日、私達は、意気投合し、付き合い始める。

「今度、オレの仕事場に、来てみる?」


 付き合い始めて半年くらい経った頃、マキトのバイクの後ろに乗って、マキトの仕事場である『甲辰焼』の窯元に、連れて行ってもらえることになった。


 道すがら、後部座席でマキトに抱きついている私が、問いかける。

「ねぇ、マキト。ずっと、聞きたくて聞けなかったことがあるんだけど、今、聞いてもいい?」

「なに? 別にいいけど」


 私達のオフロードバイクは、都会の喧騒を抜け、田舎道を走っていた。田植えが終わったばかりの水田は、澄んだ湖のように、空の雲を映している。


「マキトと、初めて会った日さ。真っ暗な公園で、ヤンキー集団から、私を助けてくれたでしょ? あの時、なんで、公園に入ってきてくれたの? 私の『神様、助けて』っていう願いが、マキトに通じたの? マキトは、何か、感じた?」


「まぁ……まあ、そうかな。感じたって言えば、感じたかな……」


「本当にっ? マキトの後に、たくさんのバイクが続いてたけど、あれも、マキトの仲間だったの?」

「ははは……。そうだよ……って、言いたいけど、実は、そうじゃない」

「えっ? 違ったの? たまたまだったってこと?」

「あー、そうか……。ちゃんと、説明したこと、なかったね。たまたまっていうのも、ちょっと、ニュアンスが違う。奴らは、来るべくして来たんだ」

「来るべくして? どういうこと?」


「実はあの時、オレは、暴走族に因縁をつけられて、追いかけられていたんだ。それで、オレは公園に逃げ込んだんだ。沙羅の念に引かれてだったんだろうなぁ」

「うそ。それだったら、嘘だね」

「あ、バレた?」


「当たり前じゃない。マキトがオフロードバイクだったからでしょ?」

「正解。さすが。そうなんだ。奴らのバイクじゃ、小さな段差も乗り越えられないと思ったんだ。だから、石段を乗り越えて、公団の公園に逃げ込んだってわけ」


「なんだ、じゃあ、たまたまなのね」

「ま、そうだね。偶然、沙羅が、暴行されそうになっているのを見かけて、それで、助けだしたんだ」

「そ、そうだったんだ」


 山あいに入ったせいか、空気が冷たく感じる。せせらぎも聴こえてきた。


「そうさ。だから、沙羅を助け出すのを急いだし、助け出せた後は、さっさと逃げ出しただろ? うまいこといったよ。後のことは分からないけど、沙羅を襲おうとしたヤンキー集団と、オレを追いかけてきた暴走族がぶつかればいいなって、願いながら、必死で逃げたね」


「そうだったんだね。でも、経緯はどうあれ、嬉しかったし、カッコよかったし、マキトには感謝してるよ」


 清らかな小川の向こうに、いくつもの煙突が並ぶ集落が見えてきた。

 どこか懐かしさを感じるその街並みを抜けると、集落の外れに、マキトの仕事場があった。


 マキトは、窯元に併設されたギャラリーの駐車場に、バイクを停める。

 工房の中には、誰もいなかった。普段はお師匠さんがいるらしいけど、今日は休み。マキトは、休みの日でも、たまに工房に来て、練習しているらしい。


「まぁ、ひとえに陶磁器と言っても、産地で作り方は、異なるんだよ」

 私は、ろくろを使って作るのかと勝手に思っていたけど、違った。

 マキトは、板状の粘土を型に押し当てて、半球状にしていた。それを二つくっつけて、小さなツボのような形にして、整えている。


「形ができても、二週間乾燥させて、素焼きをして、その後で、やっと下絵がつけられるんだ。それで、釉薬ゆうやくを塗って、本焼き。ヒビが入ったりするから、最後に窯を開けて見るまで、ずっと、気が抜けないんだよね」


 マキトは、そう言いながら、球体状のツボに、粘土をつけたしている。

 ヘラのようなものを使って、ツボの隅に、なにかの造形を作っているようだった。


「なんだか、わかる? わかんないよね? 完成したのを見せてあげるよ。ちょっと来て」


 私は、マキトに手を引かれて、工房の裏側にある部屋に入った。

 窓も無くて、真っ暗な部屋。マキトが、壁をまさぐって、電気のスイッチを入れる。

 部屋の壁一面に、ぎっしりと陶磁器が並んでいた。

 マキトは、棚の中から、一つを取って、渡してくれる。


「香炉といって、香を焚くものなんだ。これ、オレの最初の作品なんだけど、どう思う?」


 手に取った香炉という小さなツボには、龍や鳳凰の装飾があって、植物の絵も繊細に描かれていた。小ぶりな割には、存在感が半端なく、古の王宮から見つかった美術品のように、荘厳で神々しい。


「裏面も見てみてよ」


 香炉を裏返すと、裏印があった。

 四角に囲まれて、『園マ』と書かれている。


「オレの陶印だよ。初めて押したんだ。かっこいいだろ?」

「ほ、本当だ……」


 私は、想像を超えてきたマキトの作品に、感動と興奮が入り混じった感情が湧き、なぜか、涙腺を刺激された。


「沙羅? どうしたの? オレの作品、イマイチだったかな?」

「い、い、イヤイヤ、スゴイよ。凄すぎる……。でも、これ、本当にマキトが作ったの? 本当に? 凄すぎて、圧倒されてるんですけど」


「ハハハ。そんなに、褒めてもらえて、うれしいよ。これ、正真正銘、オレの初作品なんだけどさ、いきなり大きな引き合いがあったんだ」


 棚に目を移すと、同じ形の香炉が、棚の一段を独占していた。

 皿やカップなど、他の作品に比べると、その数は群を抜いている。

「師匠も、この香炉の出来栄えを褒めてくれたし、大量の注文が入ったことも、一緒になって喜んでくれたよ。今まで、迷惑ばかりかけていたけど、少しは恩返しできたのかな。ハハハ」


 マキトは、目を垂らして、照れくさそうに笑いながら、ズボンのポケットからスマートフォンを出した。

「あ、電話だ。ちょっとごめん。お客さんからだから」

 マキトがスマートフォンを耳に当てて、部屋から出ていく。


 マキトが戻ってくるのを待つ間、棚の作品を見学した。

 香炉以外は、全て師匠の作品なんだろうけど、その中のどれ一つとして、マキトの作品には、敵わないような気がした。


 棚の側面にかかっているクリップボードを手に取る。作品の在庫票のようで、入出庫を管理しているようだった。

 入庫される数も、出庫される数も、マキトの香炉が圧倒していた。作るそばから売れていくことが、手に取るようにわかる。


「はい、わかりました。はいはい。ちゃんと、納期通りに納めますので。ありがとうございます」

 電話をしながら、マキトが戻ってきた。嬉しそうに眉尻を下げ、スマートフォンをタップして切る。


「オレのパトロンさんだよ」

「パトロン?」


「ああ、大得意のお客さん。佐原さんっていうんだけど、その人、どんどん、注文をくれるんだよ。今の電話でも、十個、追加注文をくれたよ」

「え? 買ってくれている人って、個人なの? 商社とかじゃなくて?」

「ああ、会社では無いみたいね。個人事業でもしているんじゃないかな。これまでも百個以上、買ってくれたし」

「ふーん。追加で注文が入るって、スゴイね。よく売れてるんだ」


 この日、私は、生き生きと働くマキトを知れて、マキトに対する理解が、より深まったような気がした。



 それからもマキトは、大学生の私をバイクの後ろに乗せて、色々なところに連れて行ってくれた。


 名所を巡って、地元の名産品で作った名物料理を食べて、地域の人たちと触れ合い、同じバイクツーリストとの一期一会を楽しむ。

 オフロードバイクだから、車では入れない、未舗装の山道にも登れた。野性の動物に遭遇したこともあれば、誰も知らない秘境の温泉に二人で入ったこともある。


 いつしか、ツーリングデートの最後に、ホテルで休憩する工程が入った。毎週のように、マキトに抱かれて、悦に浸る。


 ある日、情事も済んで、ホテルのベッドでグダグダしていると、ふいにマキトがテレビを点けた。その日のロードショー番組は、人気アイドルの三橋コウジが主役を演じるアクション映画なのだと言った。


「この映画、オレがスタントマンとして出てるんだ。この映画を最後に、スタントマンを引退したんだけどね」


 主演の三橋が、窃盗団に追われて、首都高速をバイクで疾走する。

 遠巻きからの映像に切り替わると、バイクの前に回り込んだ窃盗団の車が、壁面にぶつかって大破し、主演の三橋に扮したマキトが避け切れずに、バイクと共に、宙に舞った。


 大炎上する車の炎を背景に、爆風に乗ったマキトが、ゴロンゴロンと、アスファルトの上を回転し続けていた。


「これで、左足の大腿骨骨折。ボルト、三本よ。あばらも五本いっちゃったし」

「ひ、ひどい……」

「だよな? 無茶させるよな、全く」


 マキトは、呆れるように鼻から息を吹いた。嫌な思い出なら、見なきゃいいのにって思ったけど、マキトの表情を見ると、そうでもないことに気付く。


「でも、この作品は、一番、思い出深いんだ。自分の中でやり切った感がある。実際、当時所属していた事務所にも、問い合わせが殺到したそうだよ」


「へえ、どんな問い合わせ? 死んでないのか? あのスタントマンは大丈夫か? っていうような?」

「いやいや、そんなんじゃなくて、あれは誰だ、次の映画で使いたいっていう問い合わせさ」

「へえ、すごいじゃん。じゃあ、もっと続ければよかったんじゃないの? 有名人になれるチャンスだったかもしれないのに」


「おいおい、無茶言うなよ。足にボルト三本を打ち込むケガをしたんだぜ? さすがに、もう、これ以上は、無理だって、怖くなったよ。どうせ、次は、もっと過激なのを求められるだろうし」


 マキトは、辞めるきっかけになったことも、喜んでいるようだった。


「心のどこかで、もう辞めたいと思っていた気がするよ」と言いながら、テレビの電源を切る。


 この業界は、どんどん要求がエスカレートしていくから、付き合いきれないと、マキトは、笑いながら語った。


 私が就職してから、最初の誕生日――二十三歳の誕生日――を迎えようとしている頃、初めて、行き先をリクエストした。


「えっ? 東京ディズニーランド? そんな近場でいいの? いつでも行けると思うんだけど」


 マキトは、もっと遠くへツーリングする旅行を計画してくれていたようだけど、私がゴリ押しする。


「いつでも行けるけど、連れて行ってくれたことがないでしょ? たまには、普通のカップルがするような、デートがしたいのよ」


 誕生日に、いつもと違うデートをしたいというのは、本心だった。

 別に、いつものツーリングデートが嫌いになったわけじゃない。マキトに運転ばかりさせるのは、申し訳ないという気持ちがあったこともある。


 マキトは、当初、私の提案を渋っていたけど、デートの当日になったら、私以上に満喫していたように思う。

 文明からこぼれ落ちた土地で育った子供のように、見るもの全てに感動し、はしゃいでいた。もちろん、私も久しぶりのディズニーランドを目一杯楽しんだし、二人にとって、最高の思い出になったことは間違いない。


 二十三歳の誕生日は、とても大切な思い出になった。


 それから一か月も経っていないある朝、マキトがバイクで転倒して、意識不明の重体だと連絡があった。


 すぐに、病院に駆けつけ、教えてもらった集中治療室へ向かうと、暗い廊下に人影がある。ガックリと首を垂れたマキトのご両親が、寄り添いあうようにベンチに座っていた。


「マ……マキトの、お母さん?」


「あら、沙羅ちゃん、来てくれたのね……ありがとね……」


 のっそりと顔を上げたマキトのお母さんは、擦れた声だった。


「マ、マキトは? 中にいるんですか?」


 私は、マキトの容態を知りたくて、集中治療室の中を覗く。何人か、看護師さんが作業をしているけど、ベッドには誰も寝ていないように見える。


「マキトはここにはいないの。ゴメンね……。もう、運ばれていっちゃったの」

 私は、意味がわからなかった。

「えっ? マ、マキトは、ここに、いないんですか?」

 マキトのお母さんが、口元にハンカチを当てて頷く。


「ど、どういうことですか!? 意識不明の重体なんですよね? 集中治療室にいないって……」

「沙羅ちゃんが、こんなに早く来てくれるとは思わなかったから……。もう少し、待ってもらえばよかったね……」


 お母さんは、隣のお父さんの胸に顔を埋めた。


「ごめんな、沙羅ちゃん。マキトは、もう助からないと診断されたんだ。可能性を聞いたら、ゼロパーセントだと言われてしまったよ」

 マキトのお父さんが、代わりに答える。


「た、助からない? 可能性がゼロ?」


「そう、ゼロだって……。意識も戻らないって……」

「そ、そんな……」


「マキトは、ドナーカードを所持していたみたいなんだ。だから、臓器の摘出手術を受けに、連れて行かれたんだ……。移植するには、心肺が完全に停止する前に、取り出さないといけないみたいでね。だから……」


 お父さんは、右手でお母さんの頭を撫でながら、沈んだ目をして、こちらを見上げた。


「今頃、手術室で、移植する臓器を取り出されているはずだよ。それは、マキトが望んだことなんだ……」


 私は、声を出せなかった。


 もう、マキトに会えないんだ……。


 実は、一縷の望みを持って来た。


 ひょっとしたら、話せなくても、額を合わせて、メッセージの交換くらいは、出来るんじゃないかと。


 そして、私が呼びかけたら。

 最期まで諦めないでと、呼びかけたなら。

 たとえ助かる見込みが無いような状態でも、奇跡が起こるんじゃないかと。


「マ、マキトはね……ずっと、心優しい子だったから……。いつも、世界の役に立ちたい、誰かの役に立ちたいと言って、生きてきたから……。だから、死んでもなお、誰かの役に立とうと、臓器提供を希望したんじゃないかなって思う……」


 お母さんの言葉が心に沁みる。

 同じようなことをマキトから何度聞いたかわからない。

 口癖のように、いつも言っていた。


 私は、マキトのそんな献身的で利他主義っぽいところにも、魅かれていたんだけど……。


 でも、最期くらい、恋人に会いたいから、臓器はそのままにしておいてって、もうちょっとだけ生きさせてって、わがままを言ってもよかったんじゃない?


 私は、集中治療室の窓ガラスから、手を離し、へなへなとその場に頽れた。


 会いたかったのに……。お別れを言う前に、逝っちゃうなんて、マキト、ちょっとひどすぎるんじゃない? ちょっと、潔過ぎるんじゃないの?


「沙羅ちゃん、マキトの思いを受け入れてあげて……。きっと、あの子も、できれば、最期に沙羅ちゃんに会いたかったと思うんだけど、それを待ってちゃ、移植を待ってる人たちが……救える命が、救えなくなちゃうかもしれないから……」


 将来も含めて、パートナーは、マキトしか考えられなかった。


 マキトがこの世からいなくなったという事実は、私の中で、私の存在価値をゼロにした。


 もう生きている意味なんて、ない……。


 父とは縁を切られちゃったけど、マキトがいるから、毎日を楽しく生きてこられたのに。


 マキト……なんで、私を置いていくのよ。


 私はこの先、どうやって生きて行ったらいい?

 何を生きがいにしたらいいのよ!


 足を折って、廊下に突っ伏していた。

 涙が溢れてきて、手を伝い、廊下に落ちる。

 手が、びしょびしょに濡れても、涙が止まらない。


「さ、沙羅ちゃん、大丈夫?」


 マキトのお母さんが、背中をさすってくれていた。

 心配させて申し訳ないとは思ったけど、マキトを失った悲しみは、止みそうにない。


 もう、死にたい……死にたいよ……。

 死んだら、また、マキトに会えるのかな?

 天国で一緒になって、楽しく暮らせるのかな?


 私も、死んだときには、マキトに倣って、臓器移植をするね。

 そしたら、マキト、私のこと、褒めてくれる?

 私も最期まで人の役に立てることを考えるから、マキト、私のことを忘れないでね。見守っていてね。天国で待っていてね。


 ひとしきり泣いた。

 体中の水分が、涙となって出たような気がする。

 知らず知らずのうちに叫んでいたのか、喉が痛くて、息をするのも苦しい。

 顔上げて、ポケットからハンカチを出して、涙を拭いた。マキトのお母さんが、心配そうにこちらを見ている。


「ゴ、ゴメンなさい……。ひ……一つ……、一つ、聞いても、いいですか?」

 私は、ハンカチを畳んで、両目を覆った。知っておきたいことがあった。


「何?」

「マ、マキトは……、ど、どうして……死んじゃったんですか? どこで、どんな事故に遭ったんですか?」

「ああ、事故のことね……。警察からは、バイクの単独事故だって、聞いたわ。昨日の夜中、スピードを出し過ぎて、転倒しちゃったみたい……」


「え……。マ、マキトが単独事故を?」

 鼻水をすんすんとすする。想像とは違う原因に胸が騒ぐ。


「ええ、そうなの。マキトは最近、仕事のことで、イライラしていたから、運転も荒っぽくなっちゃったのかな」


 確かに、マキトは、最近になって、お得意さんと揉めていた。マキトの処女作である香炉の転売について、騙されたとか言っていた。


 それで、運転が荒っぽくなったって言われれば、そんな気がしないでもないけど、死亡事故までは想像できない。スタントマンが出来るほどバイクの運転の上手いマキトが、単独事故を起こすなんて、にわかには信じられなかった。


 マキトのお母さんに、事故を起こした場所を教えてもらって、病院から駆け出した。

 タクシーを拾って、事故現場に向かう。

 衝動的な行動だった。


 道の端にパトカーが止まっていて、道路を掃いている警官がいたので、事故現場はすぐにわかった。

 そして、現場に降り立ち、絶句する。


 そこは、運転の上手いマキトが事故するような道では無かった。

 車がすれ違うのがやっとというくらいの山道ではあったけど、カーブは緩やかで、見通しも良い。

 いくら、事故をしたのが夜中だといっても、この道をマキトが一人で転んで、ガードレールに突っ込むことなんて、考えられない。


 マキトが突っ込んだと思われるポイントには、いびつに曲がったガードレールに、黄色いテープが何重にも貼られていた。テープの隙間から覗くレールは、真っ黒に焼け焦げている。

 私は、ガードレールに近づき、その先の崖を覗きこんだ。

 すでに、事故を起こしたバイクは撤去されていたけど、油の焦げた匂いがする。


「ご家族の方ですか?」

 ほうきを持っている制服警官に声をかけられた。


「す、すみません、近づいちゃいけなかったですか?」

「いえ、大丈夫ですよ。現場検証は終わっていますから」


 再び、道路を掃除し始めた警官は、早く帰りたいのか、散らばった事故の残骸を荒々しく掃いた。テールランプの欠片のような、赤色のプラスチックが、崖から下に落ちていく。


「ちょ、ちょっと、待ってください!」

 警官は、何か? というような、とぼけた顔をこちらに見せる。


「ど、どんな現場検証をされたんですか?」

「ど、どんなって言われても、いつもと同じですよ。もっとも、今回は、肝心の二輪の方が、ガソリンに引火して丸焦げになっちゃいましたから、そっちからは調べようが、なかったんですが」


 警官は、ほうきで掃く手を止め、制服の袖で汗を拭った。

「え? じゃあ、何を調べたんですか?」


「調べるも何も、ブレーキ痕が残っているのは、事故を起こした二輪のものだけなんです。他には、ブレーキの跡が無い。しかも、二輪は、正面からガードレールに突っ込んでいるんです」


「え? じゃあ……」

「スピードの出し過ぎによる、単独事故ですね。ぶつかられたり、跳ねられたりしたら、こんな状況にはなってないですよ」


 言葉を失った。


 そ、そんなわけが無いじゃない……。


 けど、現場検証の結果を覆すような証拠は何もない。


 私の直感だけが、警察の判定は間違っていると、アラートを上げていた。


 アスファルトに残っているタイヤ痕を眺める。筋状の黒い跡は、都心の方から伸びてきていた。ということは、マキトのバイクは、仕事場である甲辰焼の窯元へ向かって、走っていたことになる。


 夜中の事故だと聞いたから、てっきり、帰宅途中に起こしたのかと思っていたのに、方向が真逆である。


 夜中に、窯元になにか用事でもあったのかな?

 それとも、何かを思いだして、仕事場に戻ろうとしたのかな?


 警官は、パトカーのトランクを開け、中にほうきをしまった。チラリとこちらに会釈して、助手席に乗り込む。

 赤色灯を回さずに走り出すパトカーを眺めながら、私は、道に迷って知らない場所で立ち尽くす子供のように、途方に暮れた――



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