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スマホを背負ったジャマイカな猫  作者: おふとあさひ
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飼い猫になりたい


2.飼い猫になりたい


 病院を出ると、夜も更けていた。


 小洒落たショップが立ち並んで、昼間は若者で賑わっている街なのに、人はまばらにしかいない。

 でも、閑散としていたことは、却って好都合だった。医師にあんなふうに言われてから、スースーするお尻が気になって仕方がない。誰かにお尻を見られていると思うと、恥ずかしくて、歩けなくなるところだった。


 私は、ビールケースが積まれた路地裏に身を潜め、背中のスマートフォンを咥えて、ポケットから引き抜いた。


 スマートフォン……。猫でも役立つかしら……。


 見上げると、ビルに挟まれて細長い夜空だったけど、幸運にも、その中に丸い月が浮かんでいた。だから、街路灯が無くても、路地裏は意外と明るい。


 とはいえ、野宿なんて、イヤ。住むところを見つけないと。誰か、私を飼ってくれないかしら……。野良猫になんか、なりたくない。


 猫になった私は、一斗缶の上に置いたスマートフォンをタップする。


 おっ、肉球でもわりと違和感なく、反応するじゃん。


 ひとまず安心して、あたりめを一本、口に入れた。ガシガシと噛むほどに味が染み出す。

 エッ!? クソうまいんですけど。

 味覚が変わったのか、猫になって、さらに、あたりめが美味しくなった気がした。


 咀嚼音をたてながら画面をスワイプする。と、最新の着信履歴に、会社の後輩である青木君の番号があった。すぐに折り返したいところだけど、猫なので、音声通話はできない。

 仕方なく、メッセージを打つことにして、文字をタップする。反応は良く、パパパと文字が並んだ。

 ただ、肉球が大きすぎて、正確に打てていない。思った文字に変換するのに、何度もやり直した。

 何分ぐらい、かかったんだろう。


『元気?』


 そう打ち込んだところで、思うようにメッセージを打ち込めないイライラがピークに達して、その三文字だけを送信した。

 疲れ果ててしまっていた。長い溜息をつき、月の出ている夜空を見上げた。


 綺麗だなぁ、満月かなぁ。


 そういえば、もうすぐスーパームーンだって、ニュースでやっていたっけ。それで、こんなに大きく見えるんだ。月と地球が、一年で最も近づいているのね、今。


 地球に近づいたり、離れたりする楕円軌道を回る月。

 でも、決してぶつからない。宇宙の神秘だね……


 なんて物思いにふけっていると、本題を思い出す。


 それはそうと、住むところを探さないと。


 保護猫を紹介するサイトや、猫好きが情報交換するサイトなどを巡る。すると、想像以上に、世の中には、猫好きが多いということを知り、一筋の光明が差した。これなら、すぐに、私を飼ってくれる人が見つかるはず。

 猫を飼いたいと考えている人たちに、どうやってアプローチしようかと、頭を悩ました。


 しゃべれないから、打つのに時間はかかるけど、サイトに投稿するしかないわよね……。それで、どんなふうに、投稿すればいいんだろう。


 猫、譲ります……いや、誰から? ってなるわよね。

 私は、猫。私を飼ってください……いやいや、信じるわけないか。

 じゃあ、他には? うーん……。


 いくら考えても、良い解が見つからず、どんよりと落ち込んだ。

 仕方なく諦めて、スマートフォンを背中に戻す。

 ビールケースにもたれて、なおも味が出続けるあたりめを噛んだ。

 乾燥していたはずのイカは、唾液の水分を得て、弾力を取り戻していた。


 鼻孔の奥を刺激してくる匂いは、噛めば噛むほど強くなっている。

 静寂の中、クチャクチャとはむ音だけが、ビルのはざまにこだました。


 これから、どうしたものか……困ったなぁ……。なにせ、一人でキャンプすらしたこと無いんだから、野宿なんて絶対に無理。できない……っていうか、したくないし。


 やっぱり、飼い猫になって、安定した生活がしたいな……。誰か飼ってくれないかな。


 見えない未来の不安に苛まれていると、視界の端で、青白い光が、二粒、キラリと光った。考えごとをしていて、気づかなかったけど、闇の中をすぐ近くにまで、何かが迫ってきている。


 ま、まずい……。


 路地の奥に目を凝らす。


 げっ!


 暗闇の中から、いかついサバトラ柄の猫が顔を出した。

 片目は潰れかけていて、耳も破れて、百戦錬磨の風貌である。私なんかよりも、一回りも、二回りも大きいそいつが、のしのしと近づいてきた。


「ぎゃおぅーん」


 猫の鳴き声だったかもしれないけど、私の脳内には、はっきりとそう聴こえた。

 堂々として貫録のある歩き方から察するに、この辺りを支配するボスなのだろう。


 あたりめは美味しいけど、この状況はまずい……。けど、怖くて体が動かない。


(ごめんなさい。ここは、あなたの縄張りだった? すぐに出ていくから、許してくれない?)


 念じてみるけど、サバトラ柄のボスは、何も感じていないようだった。舌なめずりをして、品定めをするように、ギラつく目を動かしている。


「がるるる……」

 こ、こいつはひょっとして、女としての私を狙っているの!?

(お願い! 見逃して!)

 念じてみるけど、やっぱり効果はゼロ。


 さあ、どうしよう。もはや、神に祈るしかないわよね。


 私は、目を閉じて、これまでよりも強く念じる。

(神様、助けて! お願い!)

 あれ? どこかで、同じような体験をした? これって、デジャブ?


 荒波が押し寄せるように記憶が蘇り、今置かれたこの状況に、後に付き合うことになる園田マキトと出会った時の鮮烈なエピソードが重なっていく。あれは、確か、まだ、私が大学生だった時……。


――人間、須藤沙羅、二十歳。

 私が大学二年生で、まだお酒の嗜みに慣れてない時。

 友達の家で遅くまで盛り上がって、はしゃぎすぎちゃったことがあった。


 友達は、「泊まっていってもいいよ」と言ってくれたんだけど、すっかり酔いが回って、いい気分だった私は、それを断った。


「大丈夫、大丈夫。酔い冷ましのためにも、少し、外を歩きたいしね。こっから駅までは、近いでしょ」


 少しふらつきながら、駅まで歩いた。そして、シャッターの下りた改札前で、初めて終電を逃したことに気付いて、唖然とした。


 ヤバッ……。どうしよう……。


 少し焦ったけど、酔いを醒ますほどじゃない。むしろ、全身に回ったアルコールが、活性化していた。


 私の一人暮らしのアパートまで、二駅ほどしかないんだっけ。


 頭の中がすっかり単細胞化しちゃったのか、楽観的な思考だけに支配されていく。

 よし、気分も上々だし、歩いて帰ろう。

 その判断が、まずかった。初めは線路沿いの大通りを歩いていた。けど、膨れるように大回りしていることに腹が立ち、裏道に入り、抜け道を探す。最短距離で帰ろうとカクカクとこまめに曲がっているうち、公営団地に隣接する公園の前に出た。中を通れば、だいぶ近道になる。


 ひっそりとしていて、街灯も無い公園に、一瞬躊躇したけど、血中アルコールの威力は恐ろしい。

 きっと大丈夫という、何の根拠も無いお花畑的な発想で、公園に入る二段の石段を上った。静かな上に、木が生い茂っていて、団地の灯りも届いていない。


 しばらく行くと、闇の中に、気配を感じた。嫌な予感がした。


 誰かいる。

 一人じゃない、たむろしている……。


 危険を察知して駆け出したけど、遅かった。

 見るからにヤンキーだとわかる集団に声をかけられ、すぐに囲まれてしまう。

 腕を掴まれ、木々が茂る中へ連れ込まれそうになったけど、私は、恐怖で声が出せなくなっていた。


(誰か助けて)

 頭の中で念じてみる。


 しかし、夜中の公園には、ヤンキー集団の他には、誰も見当たらない。もはや、神様に祈るしかなかった。


(神様、助けて! お願い!)


 ヤンキーたちの悪魔のような笑い声、何匹ものカエルが、少しずらして喉を鳴らす音、遠くの幹線道路で鳴っているクラクション。

 色んな雑音が、一瞬、止んだ。


 そして、突然、神様が現れたのかと見紛うほどの、強烈な光で照らされた。

 続けて、カエルの声よりも鈍くて重い、ブロブロというエンジンの音がした。

 光はどんどん強くなる。


 バイクが、近づいてきているのだとわかるのに、さほど時間は、かからなかった。


「おい! お前ら、何をしようとしてるんだ!? やめてやれよ!」


 オフロードバイクから降りた白いヘルメットの男が、ヤンキーをかき分けて、私の腕を掴んだ。

「あぁ!? なんだ、てめえ!」

 白ヘルメットは、ヤンキーから私を引き離して、彼の背後に隠してくれた。私は、白いオフロードバイクが白馬に、白ヘルメットの彼が王子様に見えた。


 ヤンキーたちは、彼を取り囲んだけど、ヘルメットを脱がない彼は動じない。

「そこを、どけよ。帰るから」

「あぁ!? 頭、おかしいのか!? 帰すわけねぇだろ? 生きて帰れると思うなよ、コラァ!」


 一触即発の中、遠くの方から、マフラーが外れたバイクのようなけたたましいエンジン音が聴こえてきた。

 一台ではない。何台もつるんだ暴走族のような爆音である。それらが、近づいてくる。


「お前らこそ、どかないと、どうなるか、わかってんだろうな?」


 無数のヘッドライトが揺れている。

 明らかに、こちらに向かってくる。

 ヤンキーたちがたじろぎ、道が開いた。


「お前ら、今日は、大人しく諦めろ。……散れ、早く」


 彼、園田マキトは、ヤンキーたちにそう言い捨てて、後部座席に私を乗せた――




 猫の私、須藤沙羅。

「ぎゃおぉぉんっ!」という、耳をつんざく怒声で、我に返る。


 暗がりから出てきた何かが、私を追い越して、サバトラ柄のボスに飛びかかった。


「ぎいやぁぁん! にぃやおん!」


 サバトラ柄のボス猫に襲い掛かったのは、上品な毛並みの白猫だった。

 けれど、あっけなく跳ね返され、コンクリートに打ちつけられている。


「……グルグルグル」


 それでも尚、白猫は、勇敢にも立ち向かおうとしていた。

 真っ白な毛並みは逆立ち、アゴが地面に着くほど頭を沈めて、戦闘態勢をとっている。


 た、助かった……。


 私を助けに来てくれたのか、ただの縄張り争いなのかはわからないけど、どちらにせよ、念が通じたようで、私は安堵した。


 い、今のうちよね。もう少しの間、戦っていて……お願い!


 戦う二匹に気付かれないように、じりじりと後ずさりする。


 白猫には申し訳ない気持ちが湧いて、後ろ髪を引かれるけど……。ごめんなさい。私は、争いごとが嫌いなの。


 乱闘が、遠くに見えるところまで下がって、戦いの結末を見届けることなく、角を曲がって逃げた。


  ♰


 アーケードのある商店街は、とっくに終電の無くなったこんな時間でも、あかりが灯っていた。行くアテは無いけど、暗がりでじっとしているのが怖くて、商店街の中を歩く。


 なんなの、さっきのあれは?

 猫界ではそこら中で、あんな乱闘が起こっているわけ?

 こんなの、絶対イヤ。

 争いに巻き込まれたくないし、そもそも、争い事を見たくもない。私は平和主義者なの。

 誰のことも憎まないし、恨まないから、私を争いに巻き込まないで。


 商店街には、人っ子一人歩いていなかった。落とし物を探すように、街路灯で照らされた路面の上に、視線を漂わせる。


 やっぱり、野良猫として生きていくなんて無理だわ。

 すぐにでも、暖かいおうちに入りたい。

 ベッドで寝たい。愛してくれる飼い主と一緒に暮らしたい。


 人間の時の私は、寂しがり屋だった。たぶん、育った環境が、私の性格をそうさせたのだと思う。


 私が中学生の時、父の浮気が原因で、母が家を出ていった。

 父子家庭となってからも、私が父と会話することは少なかった。朝、父は、私よりも早く家を出て、帰宅するのは、いつも、私が眠った後。日によっては、家に帰って来ないこともあった。


 私が、父と一緒の屋根の下にいる必要性を感じられなかった。

 だから、大学進学と共に家を出た。

 父の収入は、それなりにあったようで、都内で一人暮らしをすることに対して、全く反対されなかった。

 毎月、仕送りもしてくれた。


 大学在学中に、父は二十歳も若い女性と再婚した。

 私は、面識の無い、姉のような年頃の再婚相手を、母親として受け入れることが出来ず、実家に帰らなくなった。


 そのまま、都内で就職した時、父から縁を切ろうと言われた。お互いにとって、そうする方がいいのだと。


 私は、将来、マキトと一緒になると決めていたから、この先は、何の支障も無いだろうと、父の申し出を受け入れた。


 でも、恋人だったマキトは〝あんな事故〟で死んじゃって……。


 今、猫の私には、頼れる先が、思い浮かばなかった。

 ペット用品を扱っている店を見つけて、その前で立ち止まる。

 すでに閉店していたけど、ウインドウに、猫用の服が飾ってあった。セーラー服のようなものから、シックなものまである。


 こんな服を、着てみたい。

 誰かに、こんな服を買ってもらいたい。


 私は、店の窓に自分の姿を映した。


 ジャマイカ……。


 イケてない服に、これから先の不安も重なって、気持ちがへこみ、涙が出そうになる。



 シャッターが下りている店が多いけど、一軒だけ、煌々とあかりの灯っている店があった。店の前に黒い車が停まっているのは見えていた。けど、近づいてみると、それが警察車両であることに気付く。

 店の窓には、『こだわりの本格キャンプ用品を入荷しました』と書かれた紙が貼ってあり、奥の方に、制服を着た二人の警官と、赤いエプロンをした男がいた。

 赤いエプロンの男は、ガラスケースを開けて、飾られていた切れ味の良さそうなナイフを取り出し、制服警官に渡す。警官たちは、ナイフの柄の部分を確かめながら、何やら会話をし始めた。


 店の前にパトカーが停まっていたから、強盗にでも入られたのかとも思ったけど、そんなに深刻そうには見えなかった。

 そのキャンプ用品店の前を通り過ぎ、アテも無く歩いていた時、ブルンブルンと背中が震えた。

 背負っていたスマートフォンが、バイブレーションモードだったのだろう。

 グスグスと鼻をすすりながら、スマートフォンを咥えて地面に置き、確認する。


『須藤さん、生きていたんですか? 助かったんですね? 今、どちらに居られるのですか?』


 後輩の青木君からのメールだった。

 それは、私が『元気?』と送ったメールへの返信……。


 私が勤めていたのは、雑誌社として創業しながら、IT化の潮流に上手く乗って成長したWEBメディア企業だった。

 社会班の記者として第一線に立って、取材に明け暮れていた二年目に入社してきたのが、青木君であり、つまり、青木君は私より、一つ年下……。


 名案が閃く。


 たしか、青木君は猫が好きで、いつか猫を飼いたいって言ってなかったっけ?


 私には、学生気分の抜けない青木君をビシバシと指導して、一人前の記者に育てたという自負がある。彼は、今も私には頭が上がらないはずで、きっと、頼んだら、私を飼ってくれるに違いない。


『今から行ってもいい?』


 私は、肉球の太さに苛立ちながら、なんとかメッセージを打ち込んで送信した。


 前に一度、鍋パーティをやろうと、同僚と一緒に、青木君の家に押し掛けたことがあった。区役所前の駅を降りて、裏道に入ってすぐのアパートだったから、ここからでもそう遠くない。

 猫でも、歩いて行ける距離のはず。


 私の記憶力はすばらしかった。

 見覚えの無い神社を通った時は不安だったけど、角を曲がって見えた薄紫色の外壁は、目指していた青木君のアパートで間違いなかった。


 弾けそうな胸の高鳴りを抑えて、三階まで外階段を一気に駆け上り、ドアの前に立った。


 モダンなマッドブラック色をしたドアは、青木君には似合わないような高級感が漂っている。

 息を整え、はるか上に見えるインターホンを目がけてジャンプする。


「はーい。どなたですか?」


 一発で、上手くボタンが押せた。

 インターホンのスピーカーから聴こえたのは、青木君の声で間違いない。


「にゃあん。にゃおん、おん」(須藤沙羅です)

 通じるわけないか……。


「シャアー。シャアー。シャアー」

 カリカリと鉄扉を掻いて、(出てきて、私に気付いて)と念じる。

 すると、部屋の奥から、こちらに向かってくる足音が聴こえた。


 よし、これで飼い猫になれる。


 私は、清楚な雰囲気を出すために、三つ指をつくような格好をして、かしこまって待った。


「誰? 誰かいるの?」


 チェーンロックをつけたままドアがあいて、青木君が顔を出した。

 辺りを見まわして、最後に足元の私に気付く。


「あれ? 猫?」

 愛おしく見つめる私と確かに目が合ったけど、興味なさそうに、速攻で、ドアを閉められた。

「ギャアー! ジャアー! シャアー!」(コラ、気付けよ、アオキ!)

 まくし立てるように、ドアの塗装が剥げるほど、激しく搔きむしる。


 ガチャ。

「なんだよ、まったく。なんなんだよ」

 青木君がしゃがんで、目線の高さを合わせてきた。

 俳優とアイドルを足して二で割ったような、相変わらずのイケメン顔が、鼻先に近づいてくる。


「どっから来たんだ?」

「にゃあ」(私よ)


 青木君は、じぃーっと、私を観察する。

 そして、ようやく事態を察したようで、おもむろに口を開く。


「迷子にでもなったのか? ……ジャマイカ」


 ちょっと! どこまで勘が鈍いのよ、青木君!

 昔から、ちっとも変わらないわね!

 ……で、聞き流すところだったけど、私の名前、ジャマイカじゃないから!

 勝手に命名しないでくれるぅっ!


 抗議の目で睨んでいると、青木君は、頓狂な顔をして、私の背中に手を伸ばしてきて、ポケットの中のものを抜き取った。


「あれ? 何、コレ?」


 そうだった。

 それがあったわ。忘れてた。

 それを見せれば、説明が早い。


「キミは、あたりめが好きなんだね、ジャマイカ」


 そっちじゃないって、アオキ!


「……って、そんなことはいいか。それより、なんで、キミがスマホを持ってるんだ?」


 青木君は、あたりめの袋とスマートフォンを持ち替え、私の目の前に、スマートフォンの画面を向ける。

 興味津々なのか、勢いよく青木君の鼻息がかかる。


「ひょっとして、暗証番号とか、打てたりするの?」


 スマートフォンには、ロックを解除する画面が表示されている。

 私は、肉球で数字をタップする。


「えっ、えっ、マ、マジ? マジで!? 嘘でしょ!?」


 私は、暗証番号を打ち終えると、続けてメーラーを開いた。


「ちょ、ちょっと、マジか!? スゲーな、ジャマイカ!」


 今や、青木君の中では、私は、ジャマイカ。

 何度かタップミスをしたけど、なんとか、さっき送ったメールを開くことに成功する。


『今から行ってもいい?』という、メッセージ画面。

「にゃあ、にゃにゃあー」(はい、コレを見て)


 私が見上げると、ぽかんと口を開けていた青木君と目が合った。

 青木君は、私を凝視したまま、スマートフォンをゆっくりと顔の前まで持ち上げる。

 メール文を見た青木君の顔色が、みるみる変わった。まるで、幽霊を見てしまったかのように、血色が無くなっていく。


「キ、キミは、ひょっとして……」

「にゃあん。にゃおん、なん」(須藤沙羅よ)

「ま、まさか……そんな……」

 青木君が、青ざめていた。


 六畳のワンルームに似つかわしくない、六五インチもあるでっかいテレビは、相変わらず、存在感がある。

 私は、鍋パーティをやろうと押し掛けて以来、一年ぶりに青木君の部屋に入った。前に来た時よりも幾分か、片付いている。

 テレビの横には、何に使っているのか分からない、豪華な装飾のある小ぶりのツボがあった。これはこれで、懐かしい。


「そういえば、何年か前に、脳内転送の法案が可決されて、話題になってましたよね。それなんですかね?」


 冷蔵庫から牛乳を取り出して、マグカップに注ぎながら、青木君が独り言のように呟いた。


「にゃおん」(そうよ)


 青木君がこちらを向いて、少しの間、固まる。猫語を理解しようとでもしたのだろうか。


「……いや、でも……。そうは言っても、脳内転送された猫は、家族に引き取られるっていう話じゃないですか。その辺りの話は、報道されないんで、真偽は知らないですけど」


 青木君は眉間にしわを寄せて、小さなローテーブルの上に、私のスマートフォンと牛乳の入ったマグカップを置いた。

 私は、すかさず前足をテーブルの上に乗せ、マグカップに鼻を寄せて、匂いを嗅ぐ。


「飼い主も決めないで放り出されたなんて、ひどいですよね。だとしたら、制度の欠陥なんじゃないですか」


 確かに、そうかもね……。ただ、あの医師も苦汁の決断をしたんだと思うわ。私は、家族と疎遠で、連絡先も知らなかったんだから。


 私がぺろぺろと牛乳を舐めていると、青木君が胡坐をかいた。

「ところで……本当に、須藤さんなんですよね?」

 青木君は、口を半分開いている。

 胡散臭そうにひそめた眉の下で、猜疑心で溢れる眼をこちらに向けてきた。

 魔術のタネを見抜こうとしているのか、下アゴを突き出して、すりこぎのようにゴリゴリと動かす。


「にゃおん」

「これまで、取材したことも無いですし、実際に人間から脳内転送された猫なんて、初めて見ましたから、ちょっと信じられないんですよね」

 これは魔術でも、エンターテインメントのショーでも無いの。私は、本物よ。信じて。どうしたら、信じてもらえるの……。


「もしキミが、ただの、野良猫だったら、ボク、すごく恥ずかしいことをしていることになるんですけど。勝手に、先輩と思いこんで、野良猫を部屋に入れて、敬語で話しかけて、ただのバカみたいになるんですよね……」


 マルチ商法に引っかかったり、変なツボを買わされたり、青木君は、確かにバカ……。

 きっと、部屋のサイズに合っていない、このバカでかいテレビも、店員に言いくるめられて買わされたんだわ。

 でも……。

 青木君は、確かにバカだけど、今回、私を招き入れた判断はあっているのよ。自分を信じて。


「やっぱり……、信じられないんですけど」


 青木君が、斜に構えて、目を細めた。私のことをただの野良猫じゃないかと、完全に疑っている。

 ジリジリと間を詰めてくるのは、私を捕まえて、外に追い出そうとでも考えているのかもしれない。


「シャアアー」

 私を捕まえようと伸ばしてくる青木君の手を狙って、右前足を振り抜いたが、空を切る。


「な、なんだよ、怖いなぁ、ジャマイカ」


 何よ、ため口!? それに私、ジャマイカなんて名前じゃないしっ!


 怒りに任せて、ローテーブルの上に飛び乗ると、勢い余って、青木君にぶつかりそうになった。

 あぶないと肝を冷やすや否や、妙案を閃いて、そのまま青木君に顔を近づける。


「ちょ、ちょっと、なにを……」


 青木君のおでこに、私のおでこを重ねる。


(青木君、信じて。私は須藤沙羅よ。信じて。お願い)


 幸いにも、青木君は動かなかった。思考が停止したのか、眠っている魚のように、口をぽかんと開けて、視点の定まっていない目をしていた。


(急で申し訳ないんだけど、私をここで飼ってくれない? 住むところがないの)


「えっ? どういうこと? 何、コレ?」


 私のテレパシー能力に驚いた青木君が、のけぞって、頭を避けた。

 私は、そんな青木君に飛び乗り、再び青木君の額におでこをぶつける。


(青木君、猫を飼いたいって言ってたわよね? 入社当初は、ずいぶんと世話してあげたわよね? 私には恩があるわよね?)


「ちょ、ちょっと、待ってください」

(私のお願いを聞いてよ)

「ちょっと待ってくださいって!」


 青木君が、私を持ち上げて、フローリングの床に下ろした。

「な、なんなんすか、コレ? テレパシーか何かっスか?」

 コクリと頷く。

「キミ……あなたは、本当に、須藤さん……なんですか?」

 また、コクリと頷いた。

「い、いや、本当ですか? マ……マジで!?」

 何度も言ってるじゃない。

 私は、ローテーブルに飛び乗り、その勢いのまま天板を蹴って、青木君にダイブした。頭がぶつかった瞬間、ゴチンと鈍い音が鳴る。


(ねえ、青木君、青木君の家で、私を飼って)

「ちょっ、な……」

(お願い。じゃないと、私、また死んじゃうかも)


 青木君が、私の体を両手で支えて止まった。

 そして、ゆっくりと私のおでこから額を離す。


「す、すいません……。まずは、拭かせてもらえますか?」

 私が蹴とばしてしまったらしく、マグカップが倒れて、テーブルの上に牛乳がこぼれていた。


「路上でメッタ刺しにされて、病院に運ばれて重体だっていうニュースが流れてたんで、心配してたんですよ」


 青木君は、私のスマートフォンをティッシュで拭いた後、テーブルにふきんを置いて、こぼれた牛乳をしみ込ませた。


「犯人は誰なんですか? 顔は、見られたんですか?」


 私は、視線を落とす。


「そうですか……。犯人が誰かわかってないんですね……」


 犯人のことなんて、今さら、どうでもいいの。刺された時のことを、思い出してしまって辛いから、それ以上、言わないで。


「須藤さん、誰かに恨みでも買われたんじゃないんですか? 心当たりとか、無いんですか?」


 青木君が立ち上がって、ふきんを流しに持っていく途中、カラーボックスの上の写真立てを伏せた。私は、話題を変えたくて、ローテーブルの上のスマートフォンをタップし、電子マネーのアプリを立ち上げる。

「にゃあ」


 戻って来た青木君は、アプリの残高を見て、目を見開いた。残高が五十万円もあるので、そうなるのも当然だろう。


「えっ!? めっちゃ、入ってるじゃないですか!?」

(これ全部、あげるから、お願い、私をここに住まわせて。私を飼って。お願い)

 私は、ローテーブルの上に立って、青木君と額を合わせていた。


「こんな部屋でよければ、いいですよ……。でも、その電子マネー……本当に、全部、もらっちゃって、いいんですか?」

(猫では、電子マネーを使えないしね。いろいろ騙されたりして、お金に困ってるんでしょ? 無駄使いしないように、少しずつ送金するから、使っていいよ)


 青木君との交渉が成立して、私は、その日から、青木君の部屋に住まわせてもらえることになった。



 次の日の朝、まとわりついたバスタオルをほどきたくて、もがいていると、ローテーブルの天板に頭をぶつけて、目を覚ます。


「おはようございます」


 ほあぁと、あくびをしながらテーブルの下から這い出して見上げると、潤んだ世界の中に、スーツ姿の青木君を見つけた。


「よく、眠れたみたいで、よかったです」


 髪型もバッチリときめて、やさしく微笑みかけてくれている。

 差し込んでくる朝日に照らされて、すごく眩しい。

 ただ、おでこが、少し赤らんでいるのが気になった。


「ボクは、一睡もできませんでしたよ。じゃあ、そろそろ……。おっとっと、その前に……」


 青木君は、一度はリュックを背負おうとしたけど、何かを思い出したのか、それを下ろして、テレビ台の前に正座する。

 ちょうど、龍と鳳凰の模様がついた小さなツボを真正面にして、頭を下げた。


 な、何?


 青木君が頭を下げたまま、静止している。

 口元だけが動いていて、何か呪文のようなものをブツブツと唱えているみたいけど、内容まではわからない。

 一分ほど経つと、ようやく頭を上げた。


「今日も一日、良い日でありますように」


 パンパンと二度、柏手を打ち、引き締まった表情のまま、青木君が立ち上がった。

「よしっ! じゃあ、今度こそ、会社に行ってきますね」


 リュックを背負って、青木君が玄関に向かう。

 私も後を追いかけて、見上げると、ドアを開ける青木君と目が合った。


「じゃあ、行ってきます」

「にゃあ」

 ドアが閉まり、カチャリと、外から鍵がかかった。


 あのツボに話しかけてた……。

 ツボにある御利益とか、信じているんだ……。


 ふあぁあと、大きなあくびが出た。

 短い廊下を引き返して、部屋に戻る。


 私だって、ぐっすり眠れたわけじゃない。

 一度、殺されてるし、青木君の部屋に初めて泊まって、ドキドキしながら夜を明かしたんだから。

 青木君は、アイドルだよと紹介されても、違和感が無いほどのルックスをしている。私の恋人だった園田マキトとも、どことなく顔立ちが似ていて、そのためだろうか、初めて会った時から親近感がわいていた。


 出来ることなら、マキトが生きている間に、二人を会わせたかった。

 マキトは、きっと、ちょっと間の抜けた青木君のことを、弟のように可愛がったに違いない。


 私がスマートフォンを探して歩き回っていると、それが壁のコンセントに繋がれて、充電されているのを発見した。


 青木君……。

 ちょっとバカで、おっちょこちょいだけど、こういう気が回るところがいいのよね、キミ。

 私は、スマートフォンの電子マネーアプリを立ち上げ、青木君に千円送金した。


 チャリン!



 カーテンを噛んで引き開けた。

 閉じていても、部屋の中は明るかったけど、カーテンを全開にしたことで、掃き出し窓からは、容赦なく、陽光が降り注いでくる。


 私は、窓際に置いてあるオレンジ色をしたゴミ箱に入って、日光浴をした。

 ポカポカとして、眠くなってくる……。


 あったかい……気持ちいい……。……いや、いかん、いかん。このまま眠っちゃ、もったいない。


 これからの生活を想像して、今すべきことを考えてみた。


 意思疎通をはかるのに、いちいち、おでこを合わせるのは、面倒だよね。しかも、青木君は、もしかしたら、猫アレルギーのケがあるのかもしれない。今朝、おでこが真っ赤になってたし。何とか、チャットとかで、スムーズにやり取りが出来たらいいんだけど……。


 ゴミ箱を倒して、中から這い出す。

 コロコロとゴミを吐き出しながら転がるオレンジを尻目に、充電中のスマートフォンに近づいた。

 私は、前足の大きな肉球をしげしげと眺める。


 ぷっくりとしてかわいいけど、タッチパネルにはむいてないわよね。

 そうなんだけど、この肉球を使いこなすしかないことも事実。

 やるしかないわ。


 そう決意し、頭の中で、目標を掲げた。


 フリック入力を駆使し、女子高生並みのスピードでメッセージを打ち込む。


 完成したなら、〝高速肉球タップ入力法〟と名付けよう。

 まずは、肉球タップの練習がてら、ネットニュースを検索して、自分が襲われた事件を調べてみた。


『六銀駅近くの繁華街の裏通りで、午後十一時頃、帰宅途中のOLが、鋭利な刃物で刺されるという傷害事件が発生しました。犯人は現場から逃走し、まだ捕まっておりません。

 被害者の須藤沙羅さん(二十五歳)は、胸部や腹部を中心に、十か所以上刺されており、救急搬送され、集中治療室で手当てされているとのことです。現在も尚、意識不明の重体で、予断を許さない容態が続いています。

 現場は、駅に抜ける生活道路ですが、夜間は街灯も少なく、人通りもほとんど無いということです。犯行に使われた凶器も、まだ見つかっておらず、現在までのところ、犯人逮捕につながるような、有力な手がかりは何も見つかっておりません。

 怨恨と通り魔の両面で捜査が進められているとのことです』


 記事は、昨日の日付のまま、更新されていなかった。

 私が死んだことも、脳内転送されたことも載っていない。大きな事件が頻発しているから、仕方のないことかもしれないけど、当事者の私からしたら、記事の扱いの軽さが、やるせなかった。


 不満のはけ口を、ニュースのコメント欄に求めて、肉球に苦戦しながらも、私見を打ち込んでみる。


『記事の扱いが雑じゃない? もっと、大きく扱ってもいいし、更新もすべき。今、被害者の女性は、どうなっているの?』


 時間がかかったけど、書きたかったことは、書けた。すると、すぐに他の閲覧者からの反応がある。


『いや、記事の扱いは、こんなもんでしょ。どうせ、怨恨で、被害者の方にも非がある事件だろうし、よくあるやつだよ。被害者が死のうが、全く興味無いし』


 な、なによ、コイツっ! オマエは一体、何様なの!? 達観してるつもり?


『それと、被害者の女性が可愛そう。そんなにメッタ刺しにしなくても、よかったんじゃない? めっちゃ、痛かっただろうに』


 私は、イラつきながらも、話題をずらして、被害者にフォーカスして、投稿した。すると、また、同じ閲覧者から反応が。


『いや、事件の真相がわからないから、なんとも言えないな。バックに暴力団がついた反社がらみの案件だってことだし。被害者の女は、尻軽の相当なアバズレみたいで、女の方に原因があるらしいよ』


 ひ、ひどい、誹謗中傷……。

 噂だけで、知ったかぶりして、事件を語るってどんな神経!?

 しかも、全部、間違った情報だし。

 被害者……つまり私の性格や生活を勝手に妄想して、私の方に原因があるんじゃないかって広めるの、やめてくれる!?

 こいつ、許せないっ!


 私は、この閲覧者にやり返そうと、次に投稿する文章を打ち始めた。

 頭に血が上り、何度もタップミスを繰り返しながら、抗議文が出来上がっていく。


 なぜだろう。

 平和主義者と自覚していたけど、私のコメントに対するリプライを読んだら、突沸するように、攻撃的な気持ちが湧いた。

 相手の顔も見えないし、自分の顔も見られない状況だからだろうか。確かに、このシチュエーションは、ジャーナリストとして活動していた時と似ていて、闘志がみなぎってくる。


 常識が無く、心も無い一般人との、お互いに一歩も引かない投稿の応酬は、二時間ほど続いた。

 感情的になっていて気が付かなかったけど、入力速度が格段に上がったようで、とてもスムーズにやり返せている。


『もう、不毛な議論は終わり。今でもまだ、ムカついているけど、あなたには、感謝しておくわ。だって、私、フリック入力がめちゃくちゃ速くなったから』


 最後に、そう投稿して、一方的に議論を終息させた。

 私は、背中のポケットから、あたりめの袋を出して、まさぐる。思ったほど残りは無く、最後の一本を咥えた。達成感で満たされながら、青木君にメールを打つ。


『あたりめが無くなっちゃったから、帰りに買ってきてくんない? ヨロシク』


 難なくメッセージを打てていることに感動して、全身が震えた。

 私は、電子マネーアプリを立ち上げ、あたりめの代金として五百円を青木君へ送金した。


 チャリン!

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