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スマホを背負ったジャマイカな猫  作者: おふとあさひ
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脳内転送

 甲辰山こうしんざんのふもと、星ヶ丘集落と呼ばれるのどかな山里は、『甲辰焼』の産地だった。地元で採れた陶石で作られる甲辰焼は、日本を代表する陶磁器の一つで、白磁が美しく、繊細な絵付けで、今も名を馳せている。

 開窯した江戸時代から、伝統的技法が受け継がれ、その作風は、現在に至るまで変わらない。


 集落には、狼煙のような煙をくゆらせた煙突が、いくつも並んでいた。それらの窯元は、それぞれに独自のギャラリーを併設し、甲辰焼の作品を販売している。最近は、西洋磁器がブームになったこともあって、若者が、甲辰焼を買い求めに来ることも多い。


「ねえ、おにいちゃん、これは? これがいいんじゃない?」


 集落の外れに建つ窯元のギャラリーの中で、若い女が、小さなツボを手に取った。兄妹と思われる男女は、八畳ほどしかない閉店の迫る店内で、かれこれ、十分以上も吟味している。


「なるほど……。大きさもちょうどいいし、見た目も高級感があって、いいかもしれないな」


 甲辰焼は、ヨーロッパの老舗高級磁器ブランドにも、引けを取らない、品質と品位があった。それに加えて、このツボには、これまでの伝統から逸脱するような、龍や鳳凰の装飾が施されていた。


「用途が、よくわかんないけど、これにしとくか? ヘヘヘッヘ」


 兄と思われる茶髪の男が、そのツボをレジに持っていく。


「はい、ありがとうございます」

 丸椅子に座っていた、兄妹と同じような年ごろの男が、立ちあがった。

 頭にタオルを巻き、いかにも陶工といういで立ちである。

 だが、笑顔は柔らかい。


「ああ、この香炉を選んでくださったんですね!? これ、オレの初めての作品なんですよ! ありがとうございます」


「あら、あなたが作家さん? それなら、話が早いわ。コレ、気に入ったんですけど、さらにあと五個とか、用意できますか?」


 妹の方が、身を乗り出した。

 少し吊り上がった目が、やけに鋭い。


「えっ!? 追加で五個ですか? そ、そうですね……。一か月ほど、お時間をいただけるのでしたら、準備できますが」


 レジの男にとって、自らの作品を複数個売るチャンスではあったが、複雑な甲辰焼の製作工程を考えると、そうとしか答えられなかった。


「そんなにかかるの?」

 兄妹は、小声で相談した。

 妹の意見に、兄が頷き、今度は、兄の方が口を開く。

「わかりました。一月後でいいですから、あと、五個ください。それと、これを木箱に入れてもらうことって、出来ますか?」

「木箱? そんなに、高級なものじゃないですけど?」

「贈答品として配るんです。出来れば、桐の箱に入れてもらいたいんですけど、可能ですかね?」

「そ、それは、構わないですよ。別料金、かかりますけど、それでよろしければ」


 答えを聞いて満足したのか、妹は外に出て、すぐ前の駐車場に停めてあった、BMWの白いSUVに乗り込んだ。

 近くに丁度いいサイズの木箱がなかったので、レジの男は、裏の工房に探しに行く。


 豪華な装飾のされた香炉は、カウンターの上にポツンと置かれたまま。

 入り口のガラス戸から注ぎ込む薄紅色の夕暮れを、不気味に反射していた。


1.脳内転送のうないてんそう


 酸素マスクを着けられた私、須藤沙羅すどうさらは、ベッドの上で人間としての一生を終えようとしている。数分前まで、身体のあちこちが痛すぎて、早く死にたいと願いながら、のたうち回ったけど、薬が効いてきたのか、ようやく落ち着いた。


 悔しくないかって言われれば、悔しい。だって、昨日まで、こんなふうになるなんて、想像すらしていなかったんだから。

 ただ、なぜか、心残りはあっても、誰かを憎むような感情は、湧いてこなかった。身体中を十か所以上も刺されたんだから、普通は、襲ってきた人を恨むのでしょうが、そういった感情がまるで無い。

 なぜかと言えば、顔がはっきりと見えなかったからかもしれないし、顔を見たとしても、そんな感情は生まれなかったかもしれないし、そもそも見たくなくて顔を背けちゃったからなのかもしれない。そのうちのどれかも、きっと原因の一部なのだろうけど、それよりも、恋人を失って、生きる希望をすっかり失っていたことの方が大きい。


「にゃあ。にゃあ」


 猫の鳴き声が聴こえる。

 この病室に、野良猫が入ってきたの? まさか、この病院は最先端の医療をする総合病院のはず。そんなにセキュリティが甘いわけがない。そんなこと、ありえないわよね……。


「にゃあぁ」


 やっぱり、聴こえる。空耳なんかじゃない。近くに、猫がいるわ。

 国立医療センターは、都心にあった。国費を存分に投入したこの病院は、次々に画期的な医療技術を確立し、その実績は、医療革新と呼ばれて、喝采を浴びている。海外からの注目も高く、まさに、日本のフラッグシップに位置付けられている病院だった。

 私は、酸素ボンベに繋がれて、強制的に呼吸をさせられているうち、わずかに瞼を持ち上げることが出来た。ぼんやりと病室の景色が見えてくる。


「にゃあ」

 猫の鳴き声のする方に視線を向けると、止血処置を施してくれていた年配の医師が、背中を丸めてパイプ椅子に座っていた。銀縁眼鏡を持ち上げ、目頭を指で押さえている。もはや、これ以上、手の施しようがないのだろう。

 私の方は、とっくに諦めているんだから、そんなに落ち込まないでって言いたかったけど、麻酔のせいなのか、口が動かない。


「にゃあ。にゃあぁ」

 医師はため息を一つつくと、足元にいた黒猫を抱き上げて、膝の上にのせた。

「にゃおーん」

 慣れた手つきで、頭を撫でている。

 その黒猫は、ジャマイカ国旗のようなボーダー柄のセーターを着せられていた。服のセンスは微妙だけど、そんなのを着せられているということは、この医師の飼い猫なのかもしれない。猫は、八割れの愛くるしい顔をしていた。


 瞳も大きくて、なかなかの美人さんじゃない。……って、そんなの、どうでもいいことなんだけど……。


 私は、二十五歳――思い返せば、短かったけど、満足のいく人生だった。幼い頃からずっと人気者で、高校時代の私は、クラス中の誰とでも仲良くできた。男子の友達も多くて、その内の何人かからは告白もされたっけ。

 クラス一のイケメンに告白された時の私は……と、思い出に浸ろうとしていたら、にょきっと医師が顔を出した。


「須藤沙羅さん、起きましたか?」


 アニメに出てくる、発明が得意な博士のような顔をした医師が私の名前を呼んだ。よく見ると、この年配の医師、どこかで見た覚えがある。たしか、何年か前に、よくテレビに出演していた。


 何かの、世界的権威だとかで紹介されてなかったっけ? それで、知り合いの誰かのお父さんだったような気がするんだけど。


 私の視界の中心にいるその医師が、眼鏡の眉間を上げる。

「見えていますか? きこえますか? 意思表示が出来ますか?」

 矢継ぎ早に質問をしてきた。私は、力を込めるが、アゴを少し引くことすら出来ない。

 ちょっとパニックになって、もがこうとしてみるけど、身体はどこも動かない。

 すると、伝えられない悲しさが涙腺を刺激して、瞳に潤いを与えた。


「ん? どうしたの? 何か言いたいのかな?」


 深いしわの入った医師の顔が歪む……。それを眺めていると、ふと、意思を伝えられるかもしれない、ある方法を試してみようと閃いた。


 瞳孔に意識を集中させて、銀縁眼鏡の向こうにある医師の目を突きさすように見る。

 私の意図を汲み取ろうとしてくれているようで、医師の顔が、じわじわと近づいてきた。


 そう……。そうよ、そう。もっと近くに来て。私の心の声を聴いて。


 医師は一度首を捻ったが、私がしゃべれないと分かると、私の前髪を上げ、年相応の広いおでこを重ねてくる。


 そう、それでいい。

(聴こえますか? 私の声が、聴こえないですか?)

 聴こえて、お願い。私の心の声を。

 医師のおでこは、私のおでこと、ぴったりとくっついた。

(ねぇ、聴こえていますか? 私が生きているうちに、してほしいことがあるの。私の望みを叶えてほしいの)

 医師の動きが止まる。

「うんうん、いいねぇ。まだ、意識はあるんだね。キミの想いがぐんぐん伝わってくるよ」


 や、やった! 聴こえたのね!?


 不思議な私の能力が、この医師にも通用するようで、胸が躍る。


(臓器提供がしたいの。それを書いたカードを持っているから。望みを叶えてほしいの)


「ドナーカードのことかな? それは見させてもらったよ。使えそうな内臓は、全て提供可で、眼球と聴覚器官も提供してくれるんだね」


 しっかりと、意思が通じた。


 私には、テレパシーの能力がある。前の彼、園田マキトと付き合っている時に、この能力に気付いた。


 毎週マキトと通っていたホテルのベッドの中で、おでこを重ねて、頭の中で、会話していた。私の(好き?)という問いかけに、マキトはいつも、(好きだよ)と返してくれた。


 そんなことが出来ることを面白がった二人は、少しずつ、おでこを離して、どこまでテレパシーが通じるか、試していたっけ。訓練したせいなのか、記録はどんどん伸びて、最後には、おでこを離しても、横に並んで歩くだけで、意思疎通がはかれるまで進化したっけ。


 おでこを合わることで意思を伝えられるのは、マキトに対してだけなのかと思っていたけど、そうではなかったみたいである。チャレンジしてみて良かった。


 医師が顔を上げて、ハンカチで、額の汗を拭いた。


「ほとんどの臓器は、刃物で刺されて傷ついているけど、心臓とか、腎臓とか、いくつかの臓器は、ご希望通り、活用させてもらうね。あ、それと……、眼球も」


 人の役に立てるということを知って、電気が走ったように、全身が痺れる。願いが叶いそうで、胸のつかえも取れ、安らかな気持ちになる。


 これで、心残りなく死ねる……。天国に行ったら、また、マキトに会えるのかな……。


 マキトは、バイクで事故って死んだ。

 警察が二年前に公表したのは、〝スピードの出し過ぎによるバイクの単独事故〟というものだったけど、私は、今でも、それは違うと確信している。


 ジャーナリストだった私は、その真相を追っていて、殺された。志半ばで、その点は、無念だけど、しょうがない。犯人を逃げ得させるのは悔しいけど、マキトは、この世にいないし、私も死ぬんだから、もう、あきらめよう。


 私の力不足が、いけなかったんだ……。


「……ということで、臓器提供者への特典が適用されますよ」


 白髪の医師が眼鏡の眉間を持ち上げ、にんまりと笑っていた。


 はい?

 どういうこと?

 臓器提供者への特典?


 私は、医師の言っていることが理解できず、一瞬、思考が止まった。

 医師はそれに気付いていないのか、私の額に、電線の繋がった小さな吸盤を貼り付け始めた。


「心配なさらずとも、大丈夫ですよ」


 な、何をしてるの!?

 吸盤は一つや二つではない。


「これまでに、脳内転送で失敗したことは無いですから」


 いくつもの吸盤を貼り付けると、医師は、私の頭を抱えるように、持ち上げた。

 そして、ワイヤだらけのヘッドギアを被せてくる。


「人間で慣れてしまっているから、いきなり全裸になったら、恥ずかしいでしょう? だから、服を着せているんですよ。羞恥心が取れたら、脱いでもらって結構です」


 は? 何を言ってるの?


 言っている意味が理解できないでいると、医師は派手な服を着た黒猫を抱き上げ、私の目の前に掲げた。


「にゃあ」


 愛嬌のある八割れ顔をした黒猫の鳴き声は、キーが高くてかわいい。


「よしよし、にゃんちゃん。かわいいでちゅねぇ」


 医師は、目尻を垂らして、猫に頬ずりをした。猫に対する愛情で溢れているようにしか見えなかったけど、やがて、冷めたように目が据わる。


「この猫ちゃんが、これからのあなたになるんですよ」


 医師が僅かに微笑んだ。神に背き、悪魔に心を売った博士のようで、その笑みは暗く淀んでいて、好感が持てるものではない。


 そういえば、数年前、延命措置に関する画期的な法律が成立したということが、メディアを大いに賑わせていた。うろ覚えでしかないけど、確か、意識を別の生命体に移して生きながらえることが、合法的に認められたとか……。


 そうか、この医師って、あの時、各局の特集番組に出演して、その意義や安全性について、熱弁を振るっていた人だ。




 病院のベッドの上。私は、人間としての一生を終えようとしている。


 ヘッドギアから出ている束になった電線は、モニタがついた冷蔵庫のような医療装置を経由して、隣のベッドへと繋がっていた。

 隣のベッドでは、麻酔を打たれて、ぐったりとした黒猫が横たわっている。装着したヘッドギアが、ジャマイカ柄のセーターと良く合っていて、黒猫の寝姿は、奇抜ながらも、どこかアンニュイ。


 まるで、レゲエ音楽のジャケットを飾るモチーフのようにも見えた。


「一般的に、脳内転送法と呼ばれているんですけど……」


 医師は、配線を一つ一つ辿って、正しく接続されているか確認していた。そして、手を動かしながら、私に対してなのか、ボソボソと話し出す。


「死に直面した人間の意識の転送を認める法律が、三年前に制定されたんですよ。ただ、倫理上、脳内転送できる相手は、殺処分の決まった保護ネコに限られてしまったんですけどね」


 全ての配線をチェックし終えたようで、医師が装置の電源を入れた。低周波のノイズが耳につく。


「脳内転送法は、延命を目的として、臓器提供の系譜上にできた法律なんです。だから、転送元となる人間の方も、救命が絶望的になった臓器提供希望者に限定されています」


 施術の準備が整ったのか、医師が覗き込んできて笑った。今度の笑顔は、明るくて暖かい。


「須藤さん、あなたは要件を満たしています。ラッキーですね」


 私は、意識と、脳内にある全ての記憶を、この猫の脳に転送されるらしい。


「どうせ、殺される運命の猫なんです。情をかける必要なんて、ないですよ。あなたが、このコの体を使って、生かしてあげてください」


 医師は、私の意思を確認することもなく、脳内転送をしようとしている。もし、聞かれたら、黒猫を憐れんで、私は迷っていたかもしれない。医師は、それを見越してなのか、独り言でも言うように、私の心を揺さぶった。


「須藤さん。せっかく貰えた権利ですし、命を大切にして、生きてくださいね」


 医師の瞳が潤んでいる。私に選択の余地を与えないのは、この人の優しさなのかもしれない。


「須藤さん、それでは、始めますよ」


 目を閉じると、意識が薄れていった。私は、猫になる……のか。



――数多いるアイドルの中でも、人気絶頂のグループで、センターを務めている三橋コウジが、慌てた様子で駆け出した。

「ちょ、ちょっと、三橋さんっ! こら、待って! 逃げないで!」

 ジャーナリストの私は、ヒールのある靴で三橋を追いかけながら、ポケットからスマートフォンを取り出して、カメラを起動する。

「今さら、逃げたって無駄よ! こっちには、証拠があるんですからねっ!」

 白昼の住宅街で、三橋は、走りながらフードを被った。背中がどんどん小さくなる。離されていく。手にしたスマートフォンを構えることなく、追うのを諦めた。三橋は、はるか先の角を曲がっていた。

 おおよそ、尻尾は掴めている。これは、芸能界を揺るがす、一大スキャンダルになるはずなのに――



「須藤さん、大丈夫ですか? 終わりましたよ」


 遠くの方から、男の声が聴こえる。

「無事、成功しましたよ。起き上がれますか?」

 見えていたはずの映像が暗がりに消えて、聞き覚えのある声が、年配の医師のものだと気付く。


 私は、夢の中にいたのか。


 恐る恐る、目を開けてみる。

 すると、ぼんやりとした視界の中に、人の顔が浮かんだ。やがてピントが合ってきて、額の広い白髪の医師の顔が結像する。


「やあ、大丈夫そうだね。体は動かせるかい?」


 ぎょっとして首をすくめた。

 その拍子に、隣のベッドに寝ている女性が目に入る。栗毛色に染めたショートボブがつややかに光り、横顔が美しい。


 私は、そちらのベッドに飛び移り、目を閉じたその女性の顔をのぞき込んで、まじまじと見た。

 夜の街にくり出す時にしていた、鼻筋を通す厚い化粧は、鏡を見ているようである。

 けど、目を閉じている女性の顔は、真っ青だった。

 血の気は失せて、息もしていない。だけど、間違いなく、これは……。


「そちらはもう、絶命してしまったんです……残念ながら」


 私だった。


「でも、脳内転送が間に合ったみたいだね。良かった……本当に良かった」


 見上げると、医師は額の汗を拭きながら、安堵したように、白い歯を覗かせた。

 騒がしく脈打つ心音は、立った耳でも捉えられるほど大きかった。それに呼応するように鼻息を荒くしていたが、冷静さを取り戻すに従い、徐々にテンポを落とす。ヒクヒクと動く鼻先に連動して、ピンと伸びたヒゲが視界の端で揺れていた。前足を伸ばして、耳を触る。


 私……猫になったのか……。


「未練があるのは理解しますが、どこかで断ち切らないといけないですよ」


 そ、そうよね……もう、猫なのだから……。私は、猫として生きて行かないといけないんだ……この体を提供してくれたコのためにも。


 ただ、これからの生活を想像すると、どうしても確保しておきたいものがあった。


「にやあぁん」


 私は、死体となった元の体の腰の辺りをまさぐった。確か、ポケットにスマートフォンを入れていたと思う。

「何? なんだい? 探し物かい?」

 医師は、私の思いを汲み取ってくれたのか、死体のポケットの中を探してくれた。

「ああ、あった、あった。これか。これが欲しかったんだね」

 医師は探り当てた袋の中から一本取り出して、私の口にあてがってくる。

 唾液腺を刺激する、かぐわしい香り……。


「ほら、食いなさい。キミは、あたりめが好物なんだね。ほら、食いなさい。ほら、ほら」

「にゃ、にゃーあん!」(ち、ちがーう!)


 この人は、何を言ってるの?

 まさか、天然じゃないよね?

 ひょっとして、ボケている?


 このシチュエーションで、私が、ポケットのあたりめを探していたわけがないじゃない!


 もう一度、死体に擦り寄って「にゃあん」と鳴くと、ようやく医師が間違いに気付いた。そして、死体からスマートフォンを抜き取って、私の着ている服の背中についている大きなポケットに、それを押し込んでくれる。


「そうか、スマホだったか……。役に立つのかどうかわからないけど、スマホがあると、安心感は増すもんね。どうか、この先も生き抜いて、また、気が向いたら、顔でも見せてくれないかな」


 医師はそう言いながら、あたりめの袋に輪ゴムを巻き、それも背中のポケットに押し込んだ。


 あ、あたりめも入れてくれた!?

 な、なんていい人なの!

 女心がわかってるじゃない!


 医師は瞳を潤ませて、私の額のたるんだ肉を、ワシワシと撫でてくれる。


(ありがとう。私は、行くわ。猫として、第二の人生……いや、猫生を大切に生きて行くわ)


 おでこを合わせていないから、この思いが伝わったかどうかはわからないけど、私は、頭の中で、思いの丈を医師にぶつけて、病室の出口に向かう。


「ああ、そうそう。それは、わたしからのプレゼントだから」


 振り返ると、医師が誇らしげな顔をして、仁王立ちしていた。私は何のことかわからず、首を捻る。


「それ。キミの着ているその服だよ。なかなか可愛らしいだろ?」


 私は、自身の格好を確認した。ジャマイカ柄のセーターを着ている……。


「さっきも言ったけど、いきなり全裸で生活するのは恥ずかしいでしょ? わたしの心遣いだけど、礼とかはいらないからね」


 こ、この人、なんて気遣いが出来る人なの……。


 私は、もう一度、自分の着ている服を確認した。


 ……っていうか、お尻は丸見えじゃない! 片手落ちだわ!


「じゃあ、気をつけてね。猫の世界で生きて行くのも大変だと思うけど、キミは器量よしだし、きっとどこかの人に可愛がってもらえると思うよ。お尻もかわいいし」


 やだ、見ないで! キャー。


 猫として再誕、須藤沙羅。心機一転、気持ちも新たに、病室を駆け出した。



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