1-8 死にたくないから頑張ろう
探索者になったばかりの頃、こんな話を聞いた。迷宮の罠はどれも危ないが、中でも特に気をつけなければならない罠があるのだと。
その罠には絶対に引っかかってはいけない。踏み抜いてしまえば生還率が大きく減じ、場合によっては即死してしまうことすらもある。たった一回の失敗が生死に直結してしまう、凶悪極まりない危険な罠。
転移罠は、そんな罠の一つである。
「くっそ……。まずったなぁ」
罠を作動させてしまった私は、気づけば見知らぬ小部屋に一人で立っていた。それで私は理解した。あの罠こそが転移罠だったのだと。
転移罠はその名の通り、餌食にあった者を迷宮内のどこかへ転移させる。パーティメンバーを分断させる、迷宮屈指の凶悪な罠。運が悪ければ壁の中に転移させられ、身動きが取れずに窒息死してしまうことすらあるらしい。
「浅層で転移罠なんて聞いたことないんだけど……」
私はあの男の凶運を舐めていた。いくらなんでも転移罠に遭遇するなんて、可能性すらも考えていなかった。
だからと言ってアルタを恨もうとは思わない。この結果を引き寄せたのは私の油断だ。浅層の罠だと舐めてかかり、初見の罠に触れるという選択をしたこと自体が間違いだった。
小部屋に転移させられた私は、少なくとも最悪のパターンは引かなかったようだ。しかし決して楽観視できるような状況ではない。小部屋の中をぐるりと見回して、私はため息をついた。
小部屋の壁や天井を埋め尽くすのは、銀色に光り輝く水晶たち。
つまりここは、第一迷宮・洞窟のクレイドルが深層、水晶洞窟だ。
「あー。これ、私死んだわ」
周りに誰もいないので、一人称が素に戻る。投げやりにもなるだろう。なんたって深層だ。たった一人で深層に来てしまったのだ。
言うまでもなく、私の戦闘力では深層の魔物に太刀打ちできない。中層の敵ですら手こずっていたのに、深層なんて戦おうとすること自体が自殺行為だ。
魔物に出くわさないよう、息を潜めて歩けばまだ生還できるかもしれないけれど……。決して分の良い賭けではない。万が一見つかれば、その瞬間私の死が確定する。
深呼吸して気持ちを落ち付ける。こういった状況に陥った時、どうすればいいかは探索者になったばかりの頃に散々学んだ。
「まず、無闇に動かずに状況確認。この場所は安全か。見覚えはあるか」
独り言をつぶやいて意識を切り替える。周りを見渡しても小部屋内に魔物はいない。少なくとも、この部屋は安全のようだ。
水晶洞窟の内部は特殊な水晶で埋め尽くされている。この水晶は周囲の地形に存在する成分に応じて発色が変わる性質がある。同系色の水晶はまとまって発見されるため、水晶の色に見覚えがあれば現在位置をある程度割り出すことができそうだ。
壁から生えた水晶を持ち込んだピックで採取する。とても純粋で、多くの魔力を宿した、美しい銀色の水晶だった。
「やっぱり見たことない色だ。探索中に見つけたこともないし、迷宮図鑑にもこの色の水晶は載ってなかったような」
赤水晶や黄水晶なら見たことはあるが、この小部屋を埋め尽くす銀水晶は見覚えがない。となると、考えられる可能性が一つある。
この場所は、迷宮内の未探索地区なのではなかろうか。
迷宮に未探索の地区があることは決して珍しいことではない。迷宮は広大で、危険で、未知に溢れている。比較的探索が進んでいる第一迷宮でも、人の手が届いていない場所などいくらでもある。
通常ならば、未探索地区の探索や新素材の発見は探索者として大手柄だ。情報を持ち帰れば報酬も出るし、探索者ギルドからの評価も上がる。しかし遭難している現状においては、未探索地区に助けが来ることは絶望的だという意味合いの方が大きかった。
「これもう絶対死んだでしょ……」
救援は望めない。自力で脱出しようにも、私一人では深層の魔物に抗う術はない。詰みというやつだった。
なんとも嘆きたくなる状況だが、こういった状況のために先人たちはとても役に立つ格言を残してくれていた。今こそこの言葉を唱える時だろう。
探索者に神はいない。
目の前に立ちふさがる困難は、己の力で切り開かなければならないのだ。
「くっそー……。絶対に生きて帰ってやるからな……」
考えろ。探索者の最大の武器は剣でも魔法でもなく、頭脳である。私たち人類はこれを武器に地上世界を制覇し、この迷宮においても化け物たちと渡り合ってきたのだから。