1-1 追放されたけど元気でやってます。
世の中の天才を一箇所にかき集めて火炎瓶を投げ込んだら、どんな炎が上がるのだろう。
誰しもが一度は思い描くそんな空想を慎ましやかに胸に秘めて、私ことルーチェ・マロウズは、特別な才能に恵まれることなく平凡に生きてきた。
才能がないのは悪いことではない。野心を持ち合わせなければなおさらだ。非才の身を甘んじて受け入れていた私は、身の丈以上の幸福を求めようとは思わなかった。
そんな才能も夢もない平凡な人間が、天才の前に立つのは不幸なことである。
ましてや天才たちに囲まれてしまうなんて、あってはならないことだった。
*****
アルザテラ大陸の地底には、広大な迷宮が広がっている。
神話の時代から存在していたと謳われる大迷宮には、地上よりも何倍も濃い魔力が満ちている。魔力とは万物の母とも呼ばれる万能かつ柔軟なエネルギーだ。そんなエネルギーが満ち溢れる迷宮内には、他に類を見ないほどに危険で強靭な生態系が築かれていた。
大迷宮は世界有数の危険地帯だ。地上世界を制覇した私たち人類でも、迷宮内で生き抜くことは非常な困難を伴う。
それでも人々は迷宮に挑む。ある者は富と名声を、ある者は強者との戦いを、そしてある者は迷宮で待ち受ける未知なるロマンを求めて。
迷宮に挑み続ける命知らずの馬鹿どもは、探索者と呼ばれていた。
「こんちはー」
探索者ギルドの扉を開くと、静かなロビーが出迎えてくれた。
探索者たちの互助組織こと探索者ギルドは、大陸の各都市に支部を持つ。ここ、迷宮都市ガレナリアも例外ではなかった。
ガレナリアは迷宮を中心に発展した都市ではあるが、ギルド内の人気はそこそこと言ったところだ。朝夕には探索者たちでごった返すこの場所も、昼過ぎのこの時間帯は比較的空いている。
どれくらい空いているかと言うと、受付のお姉さんが堂々とカウンターに突っ伏して午睡を貪るほどであった。
「こんちはー?」
「んぁ……。客? 眠いんだけど……」
「スノーベルさん。起きないとまた減給されますよ」
カウンターから身を乗り出してスノーベルさんを揺り起こす。いくら人気がないと言え、この勤務態度はいかがなものなのだろう。いつものことと言えば、いつものことなのだけど。
「なんだ、ルーチェじゃん。こんな昼間っからどしたの?」
「僕の名前、ルークですけど」
……この人、今日は本当に寝ぼけてるな。
もう二年の付き合いだというのに、スノーベルさんはいまだに私の名前を呼び間違える。ここではルークと呼んでほしいとお願いしているのに、いつまで経っても覚えてくれない。
私の名前はルーチェ・マロウズ。十六歳。性別は女。探索者になったのは二年前のことだ。
二年前、平凡な村娘だった私は口減らしのために捨てられた。村を出て一人で生きていかなければならなくなり、なんとか日銭を稼ぐために始めたのが探索者稼業だ。
当時十四才の少女だった私が迷宮に潜ろうなど、誰がどう見ても自殺行為と言うだろう。あの時応対してくれたスノーベルさんも、良識ある大人として私の探索者登録を遠回しに拒否しようとした。
しかし、それ以外に生きる術を持たなかった私は、たとえ命がけでも探索者にならなければならなかったのだ。
そこで苦し紛れに使ったのがルークという偽名だ。性別は男で、年齢は実年齢より二つ上という設定にした。きっとバレバレだったと思うが、なんとかスノーベルさんを説き伏せて私は探索者になることができたのだ。
そんなわけでここにいる私はルーク・マロウズ。十八歳の男性探索者。一人称は僕で、身長は百五十一センチである。
……いくら嘘をついたって、背丈ばかりはどうにもならない。生まれ持ったものにつくづく恵まれない人生だった。
「はいはい、ルークくんね。男の子なのに今日もちっちゃいねー。牛乳飲む?」
「業務をサボって寝ていた件、ギルドマスターさんに報告しますよ」
「いいわよ、別に。どうせあいつも寝てるから」
このギルド、腐敗してやがる……。
まあ、ここのギルドの職務怠慢は今に始まったことではない。これでこの人、やることはちゃんとやってくれるのだ。スノーベルさんの目も覚めてきたところで、私は本題を切り出した。
「今日はパーティの脱退手続きをしにきました」
そう、脱退だ。つい先日、私は所属していたパーティを抜けることになったので、その手続きをしに来たのだ。
「はあ、脱退? どしたの急に。あいつらと喧嘩でもした? 話なら聞くよ?」
「いえ、話し合いの結果です。合意の上で追放処分となりました」
「ふうん……? 詳しく聞いたほうがよさそうね」
スノーベルさんにはお世話になっているけれど、馴染みの顔だとこういったところは面倒くさい。興味本位で根掘り葉掘り聞かれてしまう。
今日は事務手続きをしにきたはずなのに、私が通されたのはギルド備え付けの酒場であった。どうして探索者ギルド内に酒場があるのか。それは彼女らギルド職員たちが、仕事をサボって酒を飲むためだともっぱらの噂である。
「私、蜂蜜酒にするけど。ルークは何飲む?」
そして、その噂は事実だったりする。
「スノーベルさん、まだ仕事中ですよね。お酒飲むんですか」
「心配しなくても今日はお姉さんのおごりだぞ」
「誰が支払いのことを心配しましたか。レモン水で」
この人の業務態度は今に始まったことではない。せめて仕事はちゃんとやってほしいと祈りつつ、私はこれまでの経緯を話すことにした。
「一言で言っちゃうと、僕、お荷物だったんですよね。だから捨てられちゃいました」
「酒がまずくなりそうな話ね」
「本気で帰りますよ」
「わかったわかった。ちゃんと聞くから」
始まりは二年前のことだ。私は同時期に探索者になった仲間たちと意気投合し、パーティを結成した。探索者界隈ではよくある話。ただひとつ珍しかったのは、何の因果か私以外の四人が、揃って妙な経歴を持っていたことだった。
一人は偉大なる探索者の一人息子。
一人は名門医術校を主席で卒業した貴族の娘。
一人は大魔術師に才能を認められた見習い魔術師。
一人は物心ついた時から戦いに明け暮れた戦争孤児。
そして私は、なんら訓練を受けていない平凡な村娘だった。
出自の違いは才能の違いに直結し、才能の差は実力の差に直結した。凄まじい速度で才能を開花させていく仲間たちに対して、私一人が何の才能も持ち合わせていなかった。
私とて努力はしたのだが、いかに訓練に励めど成長速度は人並み程度だ。戦闘以外の形で何か貢献できないかとあれこれ試しても、器用貧乏に磨きがかかるだけ。そうこうしている間にも仲間たちとの実力差はどんどん開き、ついには戦力外通告を受けてしまったのだ。
「それで結局、追放されちゃいました。僕としては脱退でよかったんですけどね」
脱退ではなく追放という形になったのは、責任の所在がパーティ側にあるということを明確にするという意味合いがあった。
個人からの申し出でパーティを脱退した場合、ギルドが管理している探索者個人の実力評価にマイナスの査定が入ってしまう。それを避けるため、彼らは追放処分をもって私に落ち度がないことをギルド側に意思表示したのだ。
追放されたという悪名も多少はつくかもしれないが、探索者とは良くも悪くも個人主義で実力主義だ。脛に傷持つ者なんて珍しくもない。一回の追放くらい、そう気にするようなものではなかった。
「あー、それで追放ね。そういえばルークくんって、最近探索者ランクに昇格したばかりだっけ? そんな矢先に脱退なんてしたら、降格も視野に入っちゃうわね……」
「ですね。そうなると仕事も減っちゃうので、正直助かりましたけど」
「任せときなさい。ルークくんを追放した奴らには、がっつりマイナス査定いれてやるから」
「それをやめてほしい、っていう話をしに来たんですよ、今日は」
追放処分となると、今度はパーティ側にマイナス査定が入ってしまう。ただ、私もそんなことは望んでいない。
今回の場合、別にどちらが悪いという話ではないのだから。
「本当にいいの? パーティの仲間たち恨んでない? 憂さ晴らしがしたいなら喜んで手を貸しちゃうわよ?」
「しませんよ。よくそんな臆面もなく懲戒ものの言葉が言えますね」
「お姉さんはね、人間たちの闇の感情が大好きなの。自分の仕事よりも」
「シンプルに性格が悪い」
「そうよ。そうでもなきゃ受付嬢なんてやってらんないわ」
この人、本当にイイ性格してんなぁ……。
彼女の名誉のためにフォローをするが、出会ったばかりの頃のスノーベルさんはそれなりに人の心を持っていたのだ。それが無法者揃いの探索者に散々手を煩わされた結果、今ではすっかりやさぐれてしまわれた。
「まあ、その……。本当にやめてくださいね。あいつら、いい奴らなんですよ。彼らには夢があって、それを成し遂げるだけの才能があった。僕にはそのどちらもなかった。だからこうなっちゃいましたけど、それでも友情ってやつは成立しましたから」
実力に差はあれど、私たちは探索者としては珍しいくらいに仲良くやれていたのだ。最後には追放という形になってしまったが、私ははじめて組んだ仲間が彼らでよかったと思っている。
「僕には夢も才能もありませんが、それでもみんなの夢を応援したいと思うので。だからきっと、これでよかったと思ってます」
パーティを抜けた後でも足を引っ張ってしまうなんて、私だってごめんなのだ。
そう説明すると、スノーベルさんはにこにこ笑って私の頭を撫ではじめた。
「何するんですか」
「頭を撫でているのよ」
「状況説明を求めているわけではないです。やめてほしいと言っています」
「一体何食べたらこんないい子に育つのかしらねぇ。あやかりたいものですこと」
「多分、スノーベルさんとは違うものですよ」
頭をわしっと掴まれた。
「いたいいたいいたい」
「一言多いわ」
「ごめんなさいごめんなさい、離してください」
解放された頭を抑える。自覚してるなら改めればいいのに、とは口にしなかった。これ以上虎の尾を踏むような真似はするまい。
「まあでも、なんていうか。ルークくんも運がなかったわね」
「運、ですか?」
「だって君、まだ三年目でしょ? 三年目で探索者ランクなんて、普通だったら結構なハイペースよ。他のパーティだったら十分に活躍できてたはずよ」
「あはは……。それはまあ、そうかもしれないなって思います」
繰り返しになるが、私だって頑張ったのだ。ただ、私の仲間たちが天才だらけだったというだけで。
才能も夢もない平凡な人間が、天才たちに囲まれてしまうのを不運と呼ぶのならば、私はまさしくそれだった。
「君も決して悪くはなかったんだけど、あのパーティに所属しちゃったのが運の尽きねぇ。あのレベルの天才が四人も集まったパーティなんて見たことないわ。しかも天才同士喧嘩せずに仲良く協力して上を目指すなんて、どんな英雄譚よ」
「まったくです。たった二年の間でしたけど、ついていくのはそれはもう大変でしたとも」
「あいつらそろそろ第二迷宮に挑むなんて噂も流れてるけど、あれ本当? 探索者三年目で第二迷宮到達なんて、ちょっとした記録になるわよ」
「本当ですよ。僕の代わりになる人材が見つかったら、すぐにでも挑むと思います」
私がやっとの思いで探索している第一迷宮よりも、第二迷宮は格段に難易度が上がると聞く。私の実力では間違いなくついていけないだろう。それも考えると、ここらが潮時だったのだ。
「私のかわいいルーチェちゃんを追放しておきながら、なんて生意気なやつらだ」
「そう言わないでください。あと、僕の名前はルークです。いい加減覚えてください」
「そうだったそうだった」
スノーベルさんは他人事のように笑う。無論、故意犯であることは疑う余地もない。この人に私の本名が知られてしまっていることは痛恨の極みである。
「それで、ルークくんはこれからどうするの?」
これからのことについては、一つ考えていることがあった。
「せっかく追放されたので、しばらく単独でやっていこうかなと思います」
「パーティは? もう組まないの? いいとこ紹介するよ?」
「いえ、一人でも第一迷宮の浅層なら探索できますから。またパーティを組んで深い場所に行くのもいいですけど、僕の場合だと単独で浅瀬を巡ってもそこそこ稼げると思うんですよね」
なまじ器用貧乏なだけに、私は一人でも探索も戦闘も採集もそこそこできる。難易度の低い階層ならば、パーティを組まずとも探索者としてやっていけるだろうと考えていた。
「それに、一人のほうが気楽じゃないですか」
もっとも、一番の理由はこれである。
フルパーティともなると色々と面倒なのだ。メンバー全員の予定をすり合わせて、念入りな準備と作戦を用意した上で、万全のコンディションを整えて迷宮に潜らなければならない。迷宮に潜る頻度は良くて三日に一回。それでいて、報酬はメンバーの数だけ頭割りである。
それでも深くまで潜れる分、パーティの方が全体の稼ぎは良いのだけれど。好きな時に好きなように潜れる単独の魅力は捨てがたいのだ。なんとなく頭が痛いから今日の探索は途中で切り上げる、なんてこともできてしまうのだから。
「単独だと深いとこまで行けないし、実績にも繋がりにくいから、探索者ギルドとしてはオススメしないけれど……。本当にいいの?」
「いいですよ、実績なんて焦って追いかけるものじゃないですから。それよりも、溜まりまくってる単独向けの依頼を回してください。なるたけ美味しいやつで」
「それは正直助かるわね。浅層の素材採集依頼とか、パーティでやるには稼ぎが悪すぎて誰も受けてくれないのよね」
きっと、こういった隙間産業的な立ち位置が私には合っているのだろう。
いくら探索者としての経験を積んだと言っても、私はやはり村娘なのだ。名声なんてもの、とてもじゃないが私には縁遠い。暮らしていけるだけのお金を稼ぎながら気ままに暮らしていけるなら、それが一番だと思っている。
「ルークくんは夢がないなー。まだ若いんだから、もっと大きな野望を持ちなさいよ。迷宮に眠れる遺宝を探しに行くだとか、強大なモンスターを倒すだとか。迷宮の謎を解き明かしに行っちゃいなさいよ」
「あのですね、僕はパーティを追放された身です。夢に敗れて現実を知る時が来たのです。夢の残滓を啜るように浅い階層を這い回って、みみっちく稼ぐのがお似合いなのですよ」
「若いくせにジジくさい」
「なんとでも言ってください」
無論、冗談だ。私たちはくすくすと笑いあった。
私は最初から迷宮に夢なんて抱いていない。十四才だったあの頃の私が、なんとかしてお金を稼ぐために選んだのが迷宮探索者だ。夢や野望なんかよりも、安心安全な生活の方がよっぽど私好みである。
それだけの話だったのだけれど。
「お前。今、パーティを追放されたと言ったか?」
突然に現れたのは、ローブを着た男だ。
背の高い男だった。私が座っているので見下される形になるが、立ち上がったとて私よりも数段背は高いだろう。目深にかぶられたフードの奥には、煤けた金の髪と、ぎらぎらと輝くサファイアブルーの瞳が覗いていた。
何よりも目を引くのは男の顔だ。顔立ちこそ端正ではあるが、男の首筋から左頬にかけて、黒い痣が克明に刻み込まれているのが見えた。
「なあ、お前」
どこか彫刻めいた印象を与える男は、私を見下ろしたままに口を開いた。
「追放された者同士、パーティを組まないか」