2.「セシル」は誰?
突然部屋に入ってきた男はセシルこ肩に触れ、強引に抱き寄せると、部屋にある天蓋つきのベッドにセシルを連れていき、覆いかぶさってきた。
「きゃっ........や、めっ!」
恐怖の中で必死に逃げ出そうともがくが、目の前の男が怖くて体がうまく動かない。逃げ出そうとすると手足に外に出られないギリギリの長さの鎖をつけられ拘束されてしまった。
男は「セシル、セシル」と名前を呼ぶが、その目はセシルを見ているようで見ていない。違う誰かを見てでもいるかのような遠い目は虚ろで、セシルは背中に流れる汗に気づかないフリをし蓋をした。
気持ち悪かった。
何もかも。
触れてくる手も、顔も。
何もかもが気持ち悪い。
ああ、またこの時間が始まるーーーー
男が異臭のする顔を近づけてきたのを最後に、セシルは考えることも抵抗することも諦め、その意識を暗い闇へと投げ捨てた。
光を無くし、くすんだ瞳でぼんやりとどこかを見つめ、されるがままに男の行為を受け入れるその姿は、まるで端か、端まで
精巧に作られた人形のようだった。
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男はドブリス・フォン・マイヤーという名前で、このセレスト王国の貴族であり、伯爵の地位をきづいていた。
ドブリスはセシルの実の父親であるが、セシルを娘としては見ておらず、セシルの母親であるセシル・フォン・グレイとして見ていた。
幼い頃から密かに、夜会で出会ったセシルの母親を想い続けていたドブリスだったが、セシルの母親はローエン侯爵家の長男との婚約が早々に決まり、ドブリスのセシルの母親に対する思いは届かずに終わった。
しかし、諦めの悪いドブリスはセシルの母親である「セシル」がローエン侯爵と結婚した後も付き纏い、ローエン侯爵からセシルを奪う機会を窺っていた。
そして、その機会は結婚から約二年後に訪れた。
ローエン侯爵家はドブリスがセシルに付き纏っていることを知っているせいか、ガードがかたく、なかなか手が出せなかった。しかし、ある日セシルが知り合いのお茶会に出席することがあった。
その時を逃すまいと、ドブリスは雇った暗殺者をお茶会にメイドとして潜り込ませ、セシルに渡す飲み物にだけ眠り薬を入れるよう仕向けた。
眠ったセシルを待機させていた馬車へと乗せ、マイヤー伯爵家へと連れ帰り、レンガでできた塔の檻の中へと閉じ込め、誰一人足を踏み入れることを許さなかった。
自身の妻が拐かされたことをすぐに見抜いたローエン侯爵は、何度もマイヤー伯爵家へと押しかけたが、ドブリスは「証拠もないのに言いがかりをつけるな」と、知らぬ存ぜぬを通し追い払った。
『セシルがここにいるのは分かってるんだ!ドブリス、お前が連れて行ったんだろう!』
『勝手な言いがかりはやめていただきたい。私はセシルという侯爵の奥方がどこにいるのかも存じ上げません。まして、私には妻と子どもがいる。今さら女など求めていないのですよ』
『くっ……!』
激しい言い合いが続きはしたが、ローエン侯爵はドブリスの嘘にそれ以上言い返すことができず、結局証拠がないためセシルを取り戻すことができないまま屋敷へと帰って行った。
ローエン侯爵が帰ったあと、塔の扉は開かれ、セシルは入ってきたドブリスを見るなり憎しみの目を向けた。
『ここから出して!私をあの人の元へ返して!』
ドブリスは憎しみを孕んだ瞳や怒声に怯むこともなく、セシルの乱れた髪を指に絡ませ、梳きながら、瞳から溢れる水分を音を立てながら舐めとった。
『やっ…….!』
『セシル、お前は私の子を産み私と愛を育んでいくんだ。あの男のことは忘れろ。私と共に生きるお前には必要ないものだ。私のことだけ考えていなさい。』
汚された額をゴシゴシと手で拭き取ろうとした瞬間、その手を強力に引っぱられてしまう。体勢を崩したセシルは、男の胸の中に倒れ込みそうになるのを咄嗟に押し返すことで回避し、キッと強い目つきで男を睨んだ。
『私はあなたなんかと愛なんて育まないわ!私が産む子どもも愛を育むのも死ぬまで一緒なのもすべてあの人よ!あなたじゃないわ!』
私はあなたのものじゃない、という言葉がドブリスの逆鱗へと触れた。
セシルの体を思い切り殴ったあと、、ベッドへ押しつけ服を破り、手足を縛りつけた。
泣きながらも女のセシルは抵抗できず、ドブリスは彼女の体を無理矢理手に入れた。
一度だけ、セシルは塔の外へ出ることに成功し、逃げられる機会を逃すまいと必死に手足を動かして走った。しかし、最後にはマイヤー伯爵家の私兵たちに発見され、あっけなく捕まり連れ戻された。それどころか、話を知ったドブリスが部屋へとやってきて、手足により頑丈な鎖をつけると、二度と檻から出られないようした。
それから一年後、セシルは白銀の髪にルビーのような赤い瞳をした女の子を産んだ。
産んだ子どもはドブリスには似ておらず、むしろ全体はセシルに、口元や目元はローエン侯爵に似ているとセシルは気づいたが、そのことは誰にも伝えず、心の中に閉まっていた。
子どもを授かった時、初めは子どもを堕ろそうと考え行動していたが、ドブリスが徹底的にそれを阻んだことにより、セシルは産まざるを得なかった。産んだ子が、ドブリスに育てられることに涙したセシルは心を病んだことが原因とされ、三年後に息を引き取った。
ドブリスはセシルの死を受け入れられなかった。発狂し酒と女に溺れ、ついにはセシルの部屋で自身を慰めていた時、その横で静かに寝息を立てている赤子が目に入った。
ドブリスは歪んだ笑みを浮かべると、「赤目」という名から母親と同じ「セシル」という名前を赤子につけた。
母親と同じようにセシルも二度と外へと出さないようにと塔の扉に鍵をいくつもつけ閉じ込めた。
そうしてドブリスは、ただ自分のそばには愛した「セシル」がいると思い込み、生まれたばかりのセシルを十年以上も閉じ込め続けていたのだ。