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とはいえ、である。
現在ペィティリアの眼前にいる無作法者は、常ならば完璧超人とも言えるほど洗練された高貴なお方だ。そんな基礎的な作法を知らないとは思えない。
……いや、裏を返せば『高貴なお方』だからこそ自分がその立場になった時のことを失念していたと考えることも出来るのではないだろうか。
天下の王太子殿下が手ずからお茶を振る舞う機会など、後にも先にも今日しかないに違いない。
さらに言えば、そういった状況が想定され、そのための教育が帝王学などの一環で施されたとは考えにくい。故に『忘れた』と考えるのは自然である。
彼は『振る舞われる立場』には慣れていても『振る舞う立場』になったことがなかったのだから、少々の無作法は仕方がないのかもしれないではないか……。
ーーー想定外な状況におかれた時、周りが見えなくなる頭でっかちなペィティリアの取り留めない思考は、ごりごりごり……という謎の音によって遮られた。
なんだなんだと音のする方へ視線を向けた彼女は、いよいよ頭痛に耐えかねて頭を抑え、ともすれば殿下に聞こえかねないような大きなため息をつきかけた。
というのも、麗しき背中に隠れ全てを見ることは叶わないが……どうやらクゥラムズ殿下は、小さな石臼のようなもので茶葉をひいているらしい。
すべてが見えていないのをいい事に現実逃避してしまいたいのだが……悲しいがな事実である。
無礼を承知で言わせていただきたい……『馬鹿なんですか?』と。
いや、たしかにお茶会の冒頭ペィティリアは聞いた。
『今日のお茶の淹れ方は特殊なのだ』と、たしかに彼が言ったのを聞いていた。聞いていたは聞いていたのだが、どこの誰が石臼で茶葉を挽くところから始めると思うだろう。
どうりでペィティリアにお茶を淹れさせないはずである。
いやはや、思わぬ所で彼の奇行の答え合わせが出来たものだ……まったくもって嬉しくはないが。
そも、現在の時刻は黄昏時でそろそろ夜になると何度心の中で唱えればペィティリアは報われるのだろうか。
……口にすら出ていないものが報われるはずがないという至極真っ当な意見は置いておくとして、ここまで来ると彼はわざと彼女を部屋に帰すまいとしているかのようでないか。
(まぁ、そんなわけはないだろうけど……)
これ程までに状況証拠の揃った現場において、それでもペィティリアはその可能性を認めようとはしなかった。
それどころか、その可能性に思い至った自分に失笑したのである。
しかし、もし仮に彼女がこの件の当事者でなければ間違いなくペィティリアはこう言っただろう……。
『それ、貞操の危機じゃね?』と。
しかし、現在当事者である彼女はそれはないと高を括っている。それが俗に言う正常性バイアスという状態であるということに彼女は気付けない。
だが、彼女がこう考えてしまうのはそれだけが理由ではないのは確かであった。
ペィティリアとクゥラムズ殿下は正しく『政略結婚』である。
そして、彼らが共に過ごしてきた期間はそう短くはないが、ただの一度たりともそういった雰囲気になることがなかったという事実は確かに存在している。
とはいえ、彼らは妙齢の男女であり、時は夜へ差し迫っているという……万が一が起こるとも限らない状況である事には変わりない。
にもかかわらず、彼女が先程から心配しているのは『我が身の貞操』ではなく『両者の外聞』であった。
それは別に、『彼女が自分の価値を軽視している』だとか『その可能性に思い至っていない』などといった理由ではない。
では何故、『夜になろうかという時間に部屋へ留めようとする許嫁』に対し、ペィティリアがこれ程までに警戒していないのか……。
彼女と彼の関係を正しく理解してもらうには、イララマの歴史と国内情勢について少々話さねばならない。