誓いのピアス
闇に消えそうになっていた番外編。
時系列としては、最終話からさらに暫く後くらい。
場面の切変わりが激しいです。
蒼天がどこまでも続いている。
渡る風は穏やかで、憂うことなど見当たらない。
なのに荷馬車が進むにつれ、アルトは知らず知らずのうちに口数を減らしていた。
目を閉じ、むくりと身を起こす。
仰向けで過ごすには、少しばかり心許なく感じたのだ。
内側を守るように膝を抱えて頬を載せれば、御者台から大丈夫かとの声が届いた。
相も変わらず、彼はアルトの機微に敏感だ。
それに込み上げるものを感じながら、静かに微笑んで見せる。
「はい、ディル様」
だから、先へ。
そう思って答えれば、それきりディルは問うてくることはなくなった。
アルトを惑わせないように、きっと気を遣ってくれたのだ。
***
始まりは、アルトの我儘だった。
終業後の僅かな暇、アルトは本を読んでいたディルに声を掛けた。
すると彼はすぐに顔を上げ、どうしたと問い返す。
浮かべられた微笑みがいつもより心に響くのは、アルトがこれから話すことのせいだろう。
「今度のお休みに……忘れ物を取りに行ってもいいですか」
「? ああ。構わないが」
答えるディルは不思議そうだ。
アルトが獣姿になれば、砦まではさほど時間はかからない。
それにあの部屋には大した荷物は置いていない。
だから彼がそういう反応になるのは当然だ。
アルトはぎゅっと手を握り、もう一度、口を開いた。
「……古い……、古い、ピアスです」
その瞬間、ディルの顔色が変わった。
一呼吸の後、彼はすっと立ち上がり、アルトの身体を包み込む。
「……分かった」
返事はたった一言だ。
だが腕に籠る力が強まって、望む答えを示してくれる。
決して一人で行かせはしない、と。
触れたところから、温かさが伝わる。
アルトはひとつだけ、目に溜まった雫を転がした。
***
身体が大きくぐらりと揺れ、咄嗟に手をついて姿勢を整える。
見れば荷馬車は動きを止めていて、見たことのある景色が目に入る。
御者台から降りたディルは、馬を繋ぐ場所の相談と挨拶のため先に中へと入っていた。
それを見送り、アルトも荷台から降りる。
ぐるりと景色を見渡して、健在であるその場所を見つめた。
両親と共に、最後に過ごした村。
アルトはその正面に立っていた。
目的は家に行くことであり、本当は村の裏から入った方が近く、人目にも触れにくい。
だがどうしても、きちんとした形でこの場に足を踏み入れたいと思ってしまうのだ。
震える手を握り締める。
本当は、怖い。
村の人に会うことも、眠った記憶を呼び覚ますことも。
でも同時に、その失くしたものの欠片に少しでも触れたいと望んでいる。
竦む足を叱咤して歩けるようにと力を入れていると、ディルの足音が耳に届いた。
その後に続いて、もう一人誰かが荷馬車に近づいてきている。
恐らく騎士ではないそれに、アルトは隠れることなく待っていた。
そして互いの姿が見えた瞬間、相手は一瞬驚いたように目を丸くする。
次いで会釈をしかけ――固まった。
「……アル、ト……?」
呆然としたような声だった。
まさかとでも言いたげだが、それも仕方のないことだ。
街での任務に赴く前、悩んだものの、結局アルトは髪を切らなかった。
どうにも体型が少し変化していて、もう短髪でいる方が違和感があったのだ。
村にいた頃は少年だったはず。
なのに、今では明らかに性別が変わっている。
相手にとっても予期せぬ邂逅であった上、有り得ないことが起きたのだから、驚くのも無理はない。
「お久し、ぶりです……」
アルトが礼を返せば、村長であった彼は顔を歪め、ああと漏らした。
深く傷ついたようなそれを見て、彼が長く、苦しんでいたのだと分かってしまった。
村の人達が悪いわけではない。
そう理解していても、アルトの中から複雑な気持ちは消えない。
でも、どれだけ彼らが後悔し、懺悔し、苦しもうとも。
アルトが怒り、恨み、責めようとも。
失われたものが戻ることは、決してない。
だからもう、いいのだ。
目を閉じて、大きく息を吸う。
「……あの、日……」
震えそうになる声を抑えつけ、アルトは言った。
「僕に出来なかったこと……ちゃんとしてくれて、ありがとうございました」
誰もいなければ、彼らを眠らせてくれなければ。
限られた大事なものを抱き続け、アルトの世界はあの場だけで閉じていた。
何もかもから目を瞑り、ともに朽ちていっただろう。
そんなことは、二人ともきっと望まない。
そう思えるようになっていた。
***
アルトの言葉を受けて、村長は地面に崩れ落ちた。
俯いて嗚咽を漏らし、何度君たちに救われれば気が済むのかと、苦し気に零す。
その深い悔恨を前に立ち尽くしていると、アルトの傍にいたディルが彼を宥めて立ち上がらせてくれた。
その後村長は荷馬車を請け負うと話し、アルトに向かって頭を下げた。
『最低限の手入れだけはと……それくらいしか出来る事がなくて、申し訳ない』と。
そしてその言葉通り、家は雑草一つ生やすことなく、変わらない姿で迎えてくれた。
なのに長く離れていたせいか、アルトは慣れない場所に来たような違和感を感じてしまう。
同時に底知れず沸く、怖れ。
目の前にした一枚の扉がとても重く、アルトは鍵を持ったまま固まった。
頭をよぎる記憶に、ぎゅっと目を閉じて下を向く。
乾く喉を唾を飲んで潤し、再び顔を上げて扉に鍵を差し込んだ。
取っ手を捻り、扉を開く。
その瞬間、埃っぽさと共に家に染みついた匂いがアルトに届いた。
(――……あぁ、やっぱり……)
何も、変わらない。
匂いですらも、まだここにある。
ここに居たことが、きちんと残っている。
そしてそんな風に全てが残っているだけに、そこにないものが一層強く感じられた。
がらんどうの室内を見て、アルトは暫し立ち尽くす。
触れたら壊れるとは言わないが、何一つ、乱すことが出来ない。
アルトと名を呼び微笑んで、おいでと言ってくれる姿がここにはあったのだ。
ふらりと、アルトの足が動く。
二人がいた空間に身を置いて、座り込む。
そうしてただ、座っていた。
***
どれくらい経っただろうか。
ふと、顔を上げる。
同時に自分が何をしていたか思い出し、背後を振り返った。
するとディルが扉に凭れて立っていた。
アルトが目を向けたことに気づいた彼は同じように顔を上げ、微笑んだ。
「おかえり」
「……ずっと……そこに?」
驚きを交えて問うたアルトに、ディルは首を傾げて何となく、と答えた。
その『何となく』に、どれ程の想いが詰まっているだろう。
もしもがあるとするならば、彼はきっと此処にいない。
それをちゃんと分かっていて、彼はアルトが過去を見ている間、この空間を決して侵すことなく居てくれた。
いつまで続くか分からないこの時を、ずっと静かに見守ってくれていたのだ。
アルトは少しだけ、俯いた。
「……ありがとう、ございます。お待たせしました」
立ち上がって呼び掛ければ、ディルは頷いてアルトの傍へと歩いてくる。
手の届く距離になった時、そっと目元を拭われて流れていたものに気がついた。
「……すみません」
「いい。俺の趣味みたいなものだ」
その言葉に、少し笑う。
目を細めた拍子に、また雫が零れ落ちた。
「……泣いてる僕を見るのが、ですか?」
「泣いてるお前を慰めるのが、だな」
誤魔化すように冗談を返せば、変わらない笑みが返される。
ならばそうして欲しい。
アルトはぎゅっと、ディルの身体に抱きついた。
温かい手が頭を撫でる。
その優しさに、また、泣いた。
***
ディルに甘えて落ち着きを取り戻し、ゆとりの生まれたアルトは改めて室内を見回した。
そしてある引き出しがある場所で目を留める。
ぽてぽてと近寄ってそこを開けば、懐かしい飾りが色を失うことなく主を待っていた。
その中から一組を拾い上げ、掌に乗せる。
耳に通す金具に、透明な石が一つだけ嵌ったもの。
それは久方ぶりに暗闇から掬い出され、応えるようにきらりと光を反射した。
収まりきらない記憶を握り締め、ディルの元へと足を向ける。
すると彼は再びその胸にアルトを迎え入れた。
そうして固くなった背を宥め、暖かさを分けてくれる。
ややあって身体を離したディルはアルトの頬に触れ、労るような目を向けた。
「しばらく……ここに居られるか?」
その問いに、はっとする。
「僕も行きます」
彼がこれほどまでに気を遣い、行こうとしている場所。
それが何処なのか、分かってしまった。
共にとアルトの請うような瞳に、ディルは優しく微笑んだ。
「……ありがとう」
それは、アルトの台詞だ。
彼がいなければ、ここまで来られたかも分からないのだから。
***
森を渡る風が梢を揺らし、さわさわと音を立てる。
留まれなかった葉が枝から離れ、ひらひらと飛んで行った。
アルトはその行方を目で追いつつ、ある場所で足を止めた。
見下ろす先には小さな石板。
それが立てられた場所には、木洩れ日が優しく降り注いでいた。
静かなそこを暫し見つめ、手の中にあるものをぎゅっと握る。
身につけられたらと思い、我儘を通してここまで来た。
だがいざこうして手にしてみると――つけようと、思えないのだ。
手を開き、そこに在るものに目を落とす。
なくなっていない。
零れていかない。
こうしていれば、ふたつともがこの手のひらに、抱え込めるところにあってくれる。
それを再び胸元で握り込み、目を閉じた。
(……僕は……、ちゃんと、生きて……)
そこまで思いかけて、アルトは止まった。
語りかけるには揺れすぎて、ゆっくりと息を吸い込んだ。
込み上げる感情をやり過ごそうとしていると、ざっと音がしてディルの気配が横に並んだ。
目を開けて見てみれば、彼はその場にすっと屈みこみ――。
「――彼女を守り、健やかに育てて来られたことに……心からの敬意を」
――そう、口にした。
深い想いのこもる声音と、面を伏せた真摯な姿に、堪えようとしていた涙が零れた。
ごめんねもありがとうも言えなかった。
だからだろうか。
ディルもそう、言わなかった。
ただ二人を敬い、アルトが居ることを認めてくれた。
流れる雫を拭い、目を伏せる。
不意に俯いていたディルが顔を上げ、跪いたままアルトを見上げた。
「アルト――いや、アリア」
黒い瞳がアルトを真っ直ぐに射抜く。
「改めて誓う。生涯、お前を愛し続けると」
唐突に贈られた言葉に、アルトは目を見開いた。
少しして、これは彼にとって大事な事なのだと察し、口を開く。
「――僕も……、ディル様のことが、ずっと大好きです」
精一杯応えたアルトに、ディルは微笑んで立ち上がった。
「お前の事を一人にする気は更々ない」
彼の手が耳に触れる。思わず頭を動かしかけると、そのままでと止められた。
耳元でしゃらりと音がして、居場所を知らせる鈴が外れる。
その後にひんやりとしたものが耳朶を通った。
「……もし遠く離れてしまっても、いつも傍で見守っている」
彼の手が離れていく。触れてみればそこには別の飾りが嵌っていた。
ディルが自身の耳朶を示す。
そこにはアルトの手の中にあるものとよく似た――透明な石が一つだけ嵌ったものがついていた。
この世で最も硬度の高いそれは、永遠を意味する誓いの印だ。
「――……そこは、絶対一人にしないって言うべきです……」
言っていることとやっていることが矛盾している。
誓うのならば、離れないと言って欲しい。
無茶だと分かって願うアルトに、ディルはただ、誠実だった。
「俺はお前に嘘は吐かない」
「――、酷い、です……」
本当にひどい。
甘い言葉で夢を見させるくらい出来ないものか。
そう思って詰っても彼は笑うばかりだ。
「副長曰く堅物だそうだからな。それに俺は我儘だから、絶対にお前を先には逝かせない」
「……っディル様の、馬鹿……」
言葉が出なくて、アルトはまたディルを罵った。
一人残る苦しさを二度と味わいたくはないのに、きっとアルトには、そうする彼を止められないのだ。
泣きながら俯けば、ディルはあやすようにアルトの身体を抱え上げた。
「好きに言え。お前が大事で仕方ないんだ。ただ、それを伝えたかった」
誰にか、聞かなくてもわかる。
アルトが言えない代わりに彼らを安心させてくれるのなら、もうそれで十分だ。
ありがとうの代わりに涙を零し、ディルの袖をきゅっと掴む。
「――……もう、戻りましょう」
そう告げれば、彼は静かに頷いた。
目礼し踵を返したディルの腕の中で、アルトはまた、と心の中で呟く。
次に来るときも、彼には傍にいて欲しい。
そうすれば、きっと今日よりもう少し話すことができるだろう。
そしていつか笑って言えるといい。
幸せでいるよ、と。
***
家路につく間、相も変わらず泣き虫になりながら、ディルの首にしがみ付く。
「……本当に、一人にしたくなくなるな……」
しみじみと呟く彼に、アルトはしゃくりあげながらも声を出した。
「じゃあ、そうならないように……してください……」
今日のアルトは我儘だ。
慰めるのが趣味なのだから、目一杯慰めて甘やかして欲しい。
また無理を言ったアルトに、ディルはそうだなぁと苦笑してさらりと答えた。
「なら早いこと、家族を増やそうか」
その意味するところに気づき、アルトは一瞬言葉に詰まる。
そして彼の肩に顔を埋めた。
「……それは、素敵な案だと思います」
賑やかで楽しく、そして辛いことは助け合って乗り越えていく。
そんな幸せを、彼と一緒に掴みたいから。
おしまい
何度も何度もすみません。
本っ当にここまでお付き合い頂き、ありがとうございました!<(_ _)>




