75.ご褒美
「戻りました」
ディルがそう声を掛け副長室の扉を開くと、書き物をしていたルイツが顔を上げた。
「ああ、ご苦労さま」
そう労いつつ、彼はディルとアルトをじっと眺める。
上司の視線が刺さったアルトは、慌てて自身を抱えたままの腕をぽんぽんと叩いた。
入室前から下ろすよう頼んでいるが、中々手が緩まないのだ。
ディルは病み上がりだからと言うが、流石に彼らの前でこれは不味いと思う。
急くアルトに、彼は漸くあぁと呟き、抱えた身体をゆっくりと下ろした。
その勿体ぶった様子は、端から見ればものすごく離したくなさそうで、ヴィランもルイツも苦笑せざるを得ない。
「任地の変更は」
「必要、ありません」
照れ臭さの混じる機嫌の良い声音に、ルイツはまたくすりと笑った。
「そのようですね。では予定通りに――、アルト君」
「はいっ、すみません、ただいま戻りましたっ」
漸く向かい合う体勢を取れ、名を呼ばれたアルトは勢いよく頭を下げた。
一度逃げたことは、ばれている。
行動が思考と直結し過ぎる自身に反省しつつ、彼女は姿勢を保ったまま掛けられる言葉を待った。
すると不意にその視界が翳りを見せ、大きな靴が向かい合う。
相手が席を立ったことに驚き、顔を上げようとした――その瞬間。
「お帰りなさい」
迎えの言葉と共に、アルトの身体がふわりと包まれる。
「よく、頑張りましたね」
「――は、い」
穏やかな声音で労うルイツは、部下想いの良い上司だ。
だがその珍しい行動には、彼が持つ立場以上の心が乗っていた。
きっと謝るより他に、言うべきことがあるだろう。
そう感じたアルトは、ヴィランとディルが苦笑を浮かべて見守る中で、あの夜渋ったルイツに間違えないよう言葉を伝えた。
「はい、信じて行かせてくれて、ありがとうございました」
「……私は、すべき采配をしただけですから」
相変わらずの、管理者としての発言が彼らしい。
思わず笑ったアルトに、ルイツはしょうがない子だと零して身体を離した。
そうして一息つき、さて、と切り出した彼は一転して纏う空気をがらりと変える。
「今回の活躍で、アルト君にはご褒美があります。それから、私との約束を守らなかったことについてお仕置きがあります」
「……!」
褒賞と罰を同時に与えられ、アルトは受諾も拒否もできずに固まった。
褒められるのは嬉しい。
今回アルトがしたことを認めてもらえるなら、それに勝ることはない。
だが罰を受けることに心当たりがなかった。
(何だろう、何かしたっけ……!?)
悩んでいると、目の前で微笑むルイツからは得も言われぬ圧が放たれ始め、アルトは内心だらだらと汗を流した。
何のことかなどとは口が裂けても言えない。これは、分かりましたと頷くべきだろう。
緊張をもって了承を示したアルトに、ルイツが笑みを深めて追及する。
「ではまず、改善策を出しておいて頂きましょうかね」
「う……」
妥当な要求だ。
だが問題を誤魔化したアルトには難題だった。
ディルも困惑しているところを見ると、彼も知らないらしいと察する。
言葉に詰まる様子に、ヴィランがにやにやと笑いながらアルトの想起を促した。
「そういやアルト、隊服はどうしたんだ?」
「それは――……、あ」
リッツに預けたはずだと思い出し、アルトは自らの行いに気が付いた。
あまり、人前に出るのに褒められた格好ではなかっただろう。
「……緊急、事態……」
「それで増える気がかりを、誰が解決してくれるのでしょうね?」
目を泳がせて零された言い訳を、ルイツが笑顔のままで切り捨てた。
皆知っていたので大した問題にならなかったが、場合によってはあの大変な状況で更なる混乱を生んでいた。
アルトに言えるのはただ一つ。
「誠に……申し訳、ございません……」
「ええ本当に。貴女の抜け殻を預かった時、心の底からどうしてやろうかと思いました」
「うぅ……」
アルトが項垂れる一方、話の流れから彼女の行動を察したディルは、顔を引き攣らせつつ、嘘であってくれとの願いを込めて口を開いた。
「…………緊急招集には、既に狼姿で出ていたのでは」
「ないんです」
ルイツの断言を聞き、ディルは思わず天を仰いだ。
誰よりも傍に居ると自負する彼ですら、まともに拝んだことなどない。
今や思い出すのは血みどろで傷まみれの痛々しい姿だけだというのに、彼の預かり知らぬところで柔らかく無垢な肌が晒されていた。
彼は何かを抑えるように額に手を当て、ややあってアルトへと向き直る。
「――アルト。後でもう一度、二人で話し合おうな」
「は、はぅ……」
優しい笑顔なのに、纏う空気が静かに怒っているときのルイツのように冷たく感じ、アルトは思わず身を縮めた。
横からヴィランがほどほどにと宥めたが、言い方は割と適当で大した介入をする気はなさそうだ。
味方を無くし益々悄然とするアルトに、ルイツが追い打ちをかけた。
「それで隊服ですが、脱ぎ捨てるくらいならいらないようなので、返さないことにしました」
「っ、そんな……!」
砦で役立てる証を奪われる。
勢いでつい取った行動に対し、予想以上の代償だった。
アルトはこの世の終わりのような、悲痛な表情を浮かべて手を組んだ。
「ご、ごめんなさいっ。二度としませんから……っ!」
縋りつきたいのを堪えて、何とか許しを得ようと頼みこむ。
だが上司からは微笑みが向けられるだけで、何の言葉も返されない。
ますます泣きそうになりながらディルを見上げれば、彼はさっと顔を背けてしまった。
「残念だなぁアルト」
「ヴィラン団長ぉ……」
笑いを含んだ声音に、アルトはすっかり萎れた表情で応える。
それが可笑しかったのか、彼はとうとう声を立てて笑い、脇から何かを取り出した。
「代わりに、これでも着ておけよ」
そんな適当なと思いつつ、ぽいと投げられたものを受け取ると――。
「……え……」
「これが、ご褒美の内容だ。
――アルト。今日付けでお前を正式に騎士にする」
それは、真っ黒な隊服だった。




