69.我慢の形
カイルは『生きていて』でも、『目が覚めて』でもなく、『戻ってきたから』良かったと言った。
本人は何気なく言ったようだったが、アルトは過去に一度だけ彼がその表現をした事を覚えている。
忘れはしない。
とても痛かった時の事だから。
だからそれに相応する感謝を返しただけだ。
それなのに。
「なんで詰られないといけないんでしょう……」
アルトが理不尽を訴えると、カイルは漸くのろのろと顔を上げ、恨めしそうな目を彼女に向けた。
「肝心なことが頭に入ってない癖に、そんなことを覚えてるからでしょ」
それだけ言い、彼はまた何かを抑えるようにして俯いた。
そんなこと扱いされたのはアルトとしては不本意だったが、いつになく余裕がなさそうなカイルの様子に口を噤んでしまう。
仮に空気を読まずに言えたとしても『肝心なこと』の内容も分からない現状では、反撃を受け言い負かされる事は確実だろう。
(……えと……どうしよう)
先程よりも遥かに重い空気になり、アルトは困ったように眉を下げた。
現状を打破すべく、ここは『馬鹿ですみません』と言って笑い飛ばしてみようか。
だがそれで冷めた目を向けられるとかなり辛い。
そんなことをぐるぐると考え、アルトがよしと心を決めて口を開きかけた時。
「ねぇ、」
「はいっ! 何ですか!?」
呼び掛けられ咄嗟に声を上げると、その勢いに驚いた彼が若干引いた。
「――そんなに意気込まれると言い辛いんだけど」
「あ、えっと。すみません」
気まずげに零された訴えに、アルトは慌てて謝った。
そうしてじっとカイルが語り出すのを待つ。
ややあって漸く形になったそれは、アルトにとって予想外のものだった。
「……あのさ、我慢ってどうやったら上手くなるの」
零された疑問に、アルトは思わず答えに詰まり、黙り込む。
それに簡単に答えられる人は中々いないだろう。
戸惑うアルトを余所に、カイルは珍しく素直な様子で首を傾げた。
「だって君得意でしょ?」
「そんなことないですけど……」
思い返せば、砦に来てからアルトは大して我慢していない。
ディルの傍で望みを許され、やりたいことをやっている。
(でも、そうだなぁ……)
アルトは自分の思う『我慢』の形を思い浮かべる。
「……僕は、我慢って何かを得るためにするものかなって、最近思うんですよね」
例えば辛い、しんどいといったことは、その波がただ過ぎるのを待つだけだと思っていた。
でもそれは、苦しみの先にある穏やかな自分を信じ、得ようとすることなのだとそう思う。
諦めたら終わってしまう。
だから、その先を思い続けられるなら、泣いても叫んでもいいのだ。
「多分、得たいと思う気持ちが強い方が、沢山我慢できるんじゃないでしょうか。……って言っても、大変なことに限るんですけどね」
残念ながら、アルトは嬉しいとか好きだとかは全く我慢できない。
ディルを困らせるからと懐くのを我慢してみたが、結局上手くはいかなかった。
恐らく、今そこに在るものを手放したくないと心の奥底で願っているのだと思う。
「――喜びや幸せは、やっぱり声に出さずにはいられなくて」
そう言って、アルトはふわりと微笑んだ。
カイルはそれを眩しそうに見つめ、息をついてから口を開いた。
「あぁ、そういえば君はそういう子だったよね。……うん。そう、だよね……」
「いえあの、他の人ならもうちょっと何かわかるかもしれませんよ……?」
真剣な顔で呟く様子に、アルトははっとして言い添えた。
彼が何に悩んでいて、何を耐えようとしているのかアルトには分からないが、こんな偏った意見で大事な事を決められると困るし、責任はとれない。
なので他の見解を聞いてから決断して欲しかったのだが、彼女の思いも空しくカイルはさっぱりとした様子で顔を上げた。
「ううん、もういい。何か色々振り切れた。結局どっちもどっちだし、ならもう思うようにしてみようかなって」
そう言って、彼はからりと笑った。
(は、早い……)
弱っているように見えたのは一瞬だ。
一晩中悩んだり、5日も浮き沈みしたアルトとは大違いだった。
「ごめんね、病人なのに随分困らせたよね」
早々に復活した彼は、すぐに他人に目を向ける。
偶には自分のことを優先する時があってもいいのではと思ったアルトは、否定でも肯定でもなく、上手くこの場を締められるような言葉を探した。
そうして一つの――ある意味では皮肉を思いつき、口を開く。
「いえ、そうですね……珍しい姿が見れて面白かったと言ってみましょうか」
にやりと笑ってそう言えば、カイルは目を瞬いた。
次いでふっと口許を緩め、アルトの言い回しを指摘する。
「何処で覚えちゃったの、そんな嫌味」
「どこでしょうか、意地悪な人とよく話すからですかね」
「――なら、もっと染まってみない?」
含みのある返答に、カイルは甘く笑みを深めて誘い文句を口にする。
だがアルトはそれに流されることなく、にっこりと笑って手を振った。
「素直でいなさいって父様に言われたので、これ以上はやめときます」
「それは残念」
そう言いながら彼はくすりと笑い、身を引いた。
「さて、そろそろ失礼するね。結構長居しちゃったし。君はあともう少し休んで、元気になって帰って来て」
「あ、はい。ありがとうございます」
別れの挨拶に感謝を返せば、カイルは頷いて立ち上がった。
そして部屋から去り際、そうだ、と何かを思い出したように声を上げて再びアルトを振り返る。
アルトがきょとんとして見返すと、カイルが悪戯っぽい笑みを浮かべて口を開いた。
「あんまり脱ぎ散らかすと、次は着せてあげないから。――それじゃあまた、砦でね」
「……へ?」
ぱたんと閉じた扉を見つめ、アルトは暫し呆然としていた。
回復力ダントツ。
我慢についてはあくまで個人の見解ですので(´`;)




