67.懐かしい空気
アルトが療養生活を送り始めた日以来、夜は必ずジーナが病室を訪ねて来るようになっていた。
忙しい中でここまで訪ねてくるのは手間だろうと気遣うと、彼女は事も無げに告げた。
『実家に帰るのに何の問題があるの?』
それに家主がいない方が使用人が楽じゃない、と続けたジーナに、アルトは続く遠慮の言葉を失くしてしまった。
今いる病院が誰の家だったのかを今更ながらに知り、驚いたというのもある。
だが一番は、気を遣わせないような自然な答えで、アルトの傍にいることを望んでくれたのが嬉しかったからだ。
正直なところ、いつも笑顔で現れて、甘いお見舞いを口に入れてくれるジーナには随分と助けられていた。
そうこうして寂しさを紛らわせながら日々を過ごし、アルトが街に来てから五日目。
熱はすっかり下がり、傷の痛みはあるものの身の回りの事が出来るようになっていた。
単純な事だが、行動派の彼女にとってはそれだけで気分が上昇する。
ここ数日の浮き沈みに恥ずかしさを覚える程度には活気を取り戻し、アルトはいよいよ室外へと足を踏み出した。
戻って来た嗅覚を頼りに、傷を庇いながら知己を探して廊下を進む。
そして階下へ降り、ある大部屋の前に立つと――。
「――みろ、この傷も治ったぜ。こりゃ俺の方が復帰が早いな!」
「そんな小っさい傷が消えたぐらいで何だってんだ。抜糸の日取りが決まってるこっちの方が早いに決まってるだろ」
「ああもう、骨もくっつかないうちから騒がないで下さいよっ。傷に響くじゃないですか!」
――大変、盛り上がっていた。
かなり出づらい雰囲気ではあったが、目的を達成しないと部屋を出てここまで来た意味がない。
アルトはそっと扉を開け、窺うように少しだけ中を覗いた。
すると流石に騎士と言うべきか、その瞬間、部屋の中にいた全員の視線が彼女に集中する。
「っあの、お久しぶり、です……」
圧迫感を感じ、身を引きがちになりながらもアルトが挨拶をすれば、静まり返った場が沸いた。
「うおぉ! アルトじゃねぇか!」
「よかった、歩けるようになったんだなっ」
彼らはアルトの顔を見るなり破顔し、彼女の回復に喜びを見せた。
その心からの笑顔に、またアルトの胸にじわりと『嬉しい』という気持ちが広がっていく。
不安や寂しさで固くなっていた身体が解れ、頬が自然と緩んだ。
「はいっ。ありがとうございます!」
「よっしゃ、こっちへ来い」
精いっぱい元気よく返事をすれば、両足に固定具を填めた隊員が笑みを深めてアルトに手招きをした。
アルトが頷いてその傍へと近づくと、彼はまるで犬にするように白銀の頭をぐりぐりと撫でまわす。
その扱いは粗雑だが不快ではなくて、アルトは目を細めて受け入れ、されるがままに大人しくしていた。
「狡ぃ」
「順番だ順番。年功序列だと思え」
周囲の隊員から文句が漏れ出し、アルトのすぐ傍からは宥めるような声がする。
そのやり取りに疑問符を飛ばしながら目の前の隊員を見上げると、何でもないと返ってきた。
「――それにしてもなぁ、一時は本当に大丈夫かと心配したぞ。ディル様は寝てるだけだって言ってたが、お前荷車に乗せられても全然目開けねぇから」
「う、すみません……」
「これからはちゃんと気をつけろよ。そうだな、俺の骨がくっつくまでにまた強くなっとけ」
戻ったら見てやるからな、と言って笑い、彼はまたアルトの髪を掻き混ぜた。
お互いそうなるには、少し時間がかかるだろう。だがその温かい約束を必ず果たしたいと願い、アルトは微笑んで頷きを返した。
「はい、待ってます」
すると周囲の隊員も便乗し、各々が戻るまでに彼女がなすべき課題を出してくる。
その中には団長を倒すという無茶なものまであり、焦ってそれを却下するアルトに、また隊員達から笑いが起こる。
(あぁ、この空気――)
まるで砦で過ごす日常に戻ったような感覚を覚え、楽しくなったアルトはうっかりと軽口を叩いた。
「絶対、あっと言わせてやりますから。何なら今からでも訓練しちゃおうかな」
その瞬間。
「駄目に決まってるでしょ、このお馬鹿」
後方から厳しい突っ込みが飛んできた。




