65.面影
アルトが入室を促せば、ジーナは申し訳なさそうな表情をして顔を見せた。
「ごめんなさい、こんな時間に」
多忙な彼女が自由になる時間など限られている。それを理解しているアルトは、ふるふると首を振った。
「どう、して……」
「ディル様が昨晩あったことを知らせに来てくれたのよ。それで色々と話をして……」
それはジーナにとっては頭痛の種にしかならないような情報で、受けた支援も素直には喜べないものだった。
もはや状況がその段階まで来ていることを受け入れざるを得ないからだが、それは病床の人間に語る事ではないだろう。
また、正式な辞令が下りるまでは言えないことも含むため、ジーナは曖昧に濁してアルトの傍へと近寄った。
「どうしても気になっちゃって。長居はしないから」
そう気遣い微笑む彼女に、アルトはまた首を振った。
わざわざすみません、と続けようとすると、ひんやりとした手が額に触れて言葉を止める。
同時に、頭に残ったままの耳が大きく動いたのを感じた。
「大丈夫? 冷たかったかしら」
「今は、すごく熱いので……気持ちいいくらい、です」
不安げな声に否定を返すと、ジーナの手が何かを確かめるように頬へと降りてくる。
一瞬の冷たさの後に得られる心地良さに、アルトは懐くように擦り寄り火照った顔を冷やした。
「待ってて。冷やすもの持ってくるわ」
熱の移った手が離れ、ジーナが部屋を出て行く。暫くして戻ってくると、彼女はアルトの額に湿らせた布を乗せてくれた。
頭を溶かすような熱が和らぎ、息をつく。
閉ざした目から雫が零れ、髪を濡らした。
「……泣いていたの?」
「多分、熱のせいで……」
嘘ではないその答えに、ジーナはそう、とだけ返し、涙の流れた痕を拭った。
慈しみをもって目尻に触れた手は細く繊細で、アルトはうっかりと彼方にあった記憶を呼び寄せてしまう。
(――――……)
相手にとっては不本意な重ね合わせは人を不快にさせるだけだ。
だから何も知られないように目を閉じていた。
乾いた目尻にまた新たな雫が伝っても、熱がそれを許してくれる。
そう、思っていた。
ジーナが口を開くまでは。
「……ごめんなさいね……」
唐突な謝罪に、アルトは怪訝な顔をしてジーナを見上げた。
「私は貴女の、大切な誰かに似ているのね」
思わず、目を見開いた。
「――どうして」
「何となく、かしら……」
否定も忘れて尋ねれば、ジーナからは理由のない理由が返される。
そして辛い思いをさせていなかったか、とアルトを思い遣る様子に、彼女がもうずっと前からそれに気づいていたのだと分かった。
(……こんな事なら早く、言っておけばよかったな……)
気に病ませていたことが申し訳なくて、熱で鈍った思考を働かせ、アルトはジーナを傷つけないような言葉を探した。
「僕の方こそ……ごめんなさい。あの、怒らないで下さいね……。ジーナさんは少し、母様と……雰囲気が似ているんです」
綺麗な長い、黒髪だった。
いつも全力でアルトを可愛いと抱き締めて、狼姿になれば今度は伸し掛かって頬を舐めようとする。
アルトはジーナに抱き締められると、少しだけ――ほんの少しだけ、ライカの事を思い出した。
(……でも、)
失くしたものがどれだけ恋しくとも、今こうしてアルトを癒そうとしてくれている人を見ずにいる事など、どうして出来るだろう。
面影を求めてしまう自分を、許してくれた人がいた。けれどそれに甘えて、目の前のものを蔑ろにしていいとは思わない。
それに立ち止まるのは、きっとアルトには向いていない。
だから、ジーナに微笑んだ。
「……間違えたりしません」
ジーナはジーナで、ライカはライカ。
誰の代わりでもなく、どちらもアルトにとって大事な人だ。
アルトがそう答えると、今度はジーナが目を丸くした。するといつも綺麗な彼女が少し幼く見え、アルトは思わず笑みを零す。
「……ありがとう、ジーナさん。貴女が来てくれて、嬉しい」
それだけ伝え、また目を閉じた。
***
眠ってしまったアルトを見下ろし、ジーナはほっと溜息をついた。
相変わらずの遠慮がちだが、最後にはすみませんではなく、ありがとうと言って貰えた。
(……本当に、変わったのね……)
馴染みの黒髪の騎士から今回の経緯を聞いたときにはとても驚いたが、逆を言えばそれを許されるほど、彼女は信頼されたのだ。
仲間を大事にする砦の騎士達は、捨て身を許すような者達ではない。
だから彼女が深く負傷したのは、皆がそれを覚悟で送り出したから。
きっと彼女自身が生きて、そして生かしたいと強く望んだのだろう。
(初めはあんなに、危ういと思ったのに……)
ジーナがアルトと会った切っ掛けは、珍しくも貴重な、弟の頼み事だ。
『気にして欲しい子がいるんだけど』
弟はどちらかと言うとジーナが構いすぎたせいで、自分の干渉を受ける子を憐れんでいる。
そんな彼の心境の変化が気になったジーナは、秘する弟に立場を分からせ――得た詳細な情報に思わず溜息をついた。
『煩いくらいがちょうどいいと思う。姉さんそう言うの得意でしょ。頼んだから』
逃げる弟の背を見送り、ジーナはすぐさま仕事を調整して空けた時間に街へと繰り出した。
そうして出会った、少年のような姿の女の子。
期待以上の人材に、頼み事も忘れて全力で構ってしまったのだが――。
それはごく一瞬だった。
ジーナを映すアルトの目にどこか寂しさと後悔の色が見えた。
直感で、彼女が自分を誰かと重ねたと分かった。
(大切な人だろうとは思ったけど……お母様だったのね)
ジーナが関わることで傷を抉りかねないとは考えたが、会えばどうしても構ってしまう。
この子は、怪我をしている。
悲しい出来事が脅威となって、深く刺さって抜けないでいる。
どれだけ時間がかかっても、大切に思えるものを、そして大切にしてくれる人を増やさないと、きっと簡単に崩れてしまう。
そう、感じたから。
(けどまぁ、私の出る幕なんてなかったわね)
会えない間に道を作ってしまったアルトの強さに、ジーナは苦笑する。
その強さと願いはあらゆるものを変えていく。
今回ディルから聞いた決意のように。
これからも、きっともっと変わるだろう。
こんな状況ではあるが、ジーナはその変化が少し嬉しくもある。
(『アルトが戻ったら』、か……)
この先、彼女との付き合いは深くなる。
今更だろうが、この機会にたくさん構おう。
そう心に決めて、ジーナは白銀の髪を撫でた。
はて、何故この看病がディルではないのでしょう。
今更そんな事を思ってしまいました。




