7.旅立ちの決意
眩しさを感じ、アルトは瞼を持ち上げた。
どうやら、眠っていたらしい。ぼんやりと周囲見渡すと、そこは見慣れない場所だった。
体を持ち上げると、鈍く痛む。それと同時に、背からずるりと何かが滑り落ちるのを感じた。
――なんだろう。
そう思って振り向くと、薄手の毛布が落ちていた。
それに鼻を近づけて匂いを嗅ぐと、アルトの脳裏に傍にいてくれた騎士のことが蘇る。
そして漸く、昨日までのことを思い出した。
(……あぁ……残されてしまったんだなぁ……)
視線を彷徨わせると、布地の汚れが目についた。
アルト自身、自らの血と魔物の血でかなり汚れている。恐らく野営に使うものだろう、簡易な毛布にも汚れが移ってしまったらしい。
これでは返すにも問題がある。
――一度、家に帰ろう。
なぜか素直にそう思えた。
身に纏う衣服を持たないアルトは、仕方なく狼姿のまま毛布を咥えて歩き始めた。
***
ずいぶん走ったものだ。
荒れ狂う気持ちはもうなく、空虚な気持ちだ。何もない、という表現が一番しっくりくる。
何かが欠けたような気持ちのまま、アルトは川で喉を潤しながらひたすら歩き続けた。
再び日が落ち始め、あの夜走り続けた結果、狼の徒歩で丸一日かかる距離まで辿り着いていたことに気がついた。
すっかり暗くなった頃漸く村に着き、アルトは魔物の森がある裏側からそっと足を踏み入れた。
村に帰ると、何となく気持ちが強張って固くなるのを感じる。
傷つきたくない。そして、傷つけたくない。
そう願い、アルトは誰の目にもつかないよう、村の中を進んだ。
間もなく空っぽの家に着き、中に入ったアルトは暫し立ち尽くした。
俯けば咥えた毛布が目に入り、再び顔を上げた。
後で洗うつもりで部屋の隅にそっと置き、まずは自身の汚れを落とすことにした。
人の姿に身体を変え、湯を沸かす。
不意に視界にふさふさとしたものが映り、頭に手をやる。するとふかふかとしたものに触れ、耳を掴んだ感覚がした。
変化に失敗したのだと気づき、アルトは溜息をついた。
このままでも洗えないわけではない。
「――っ」
沸かした湯を身体に掛けるとぴりりとした痛みを感じ、思わず身を竦めた。
恐らく転んだ時のものだろう、四肢に細かなかすり傷が幾つも出来ていた。
幸い浅くすでに出血は止まっていたので、清潔にしていればそのうち治るだろうと放置した。
身体を拭いて服を着て、次は借りた毛布を洗った。
咥えて帰ってきたので、血どころか唾液でぐっしょりと濡れていたが、破れたりはしていなかった。
毛布を干し終え、ぼんやり座っていると、家に染みついた家族の匂いがじわじわとアルトの心を締め付ける。
目を閉じて、逃げるようにうっすらと残った騎士の匂いに集中する。
どうでもいいと自分自身が投げ捨てた命を、拾って寄り添ってくれた、優しくて温かい手の感触を思い出す。
そうすると少し落ち着いた。
そのまま、アルトは再び眠りに落ちていった。
次の日、アルトは空腹で目を覚ました。
日はすっかり登って、家の中も温かくなってきている。
もう5日くらい食べていなかった。
久しぶりに、家にあるものを口にした。
アルトが何となく鏡を覗くと、獣耳を生やした白銀の髪の小さな少年が疲れた表情こちらを見ていた。
(あぁ……、そうだった……)
体の力を抜いて、人の姿を意識する。目を開いたときには、ふかふかとした獣耳は引っ込んでいた。
そのまま、表情の動かない鏡の中の姿をぼんやりと見つめる。
(また痩せた……かな)
中性的な顔立ちであるが、細身で小さいことが年齢と性別を分からなくしていた。クレストとライカが居たので他の人と話すことも少なく、少年であると思わせることができていた。
でも、これからは。
アルトの代わりに話してくれる人はいない。
ライカが言っていた、『アルト』として過ごせなくなる時もいつか来るのだ。
きゅっと手を握りしめ、鏡を見つめる。
見返した瞳の奥に、不意に暗い色を見つけてどきりとする。その暗さに、あの夜魔物と対峙した時沸き上がった強い感情を思い出す。
吐き気するほど真っ黒な、それでもとても強い感情。
両親との狭い世界で生きてきたアルトにとって、初めて感じた憎しみだった。
黒い感情の波を静めるように目を閉じる。
今向かって行っても、結果はきっとあの時と同じ。
まだ、弱い。
だから――強くなりたい。
ここを出て、何者にも負けない強さを身に着けたい。
魔物にも、人間にも、同族にも。
クレストとライカが望んだように、アルトが自分の道を進むために。
そう強く思い、干していた上着を手に取った。
この家とは違う、新しい匂い。
それがアルトを導いてくれる気がした。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
流れとしては、ようやく上向いてきました。
遅筆につき限界が来たので、この辺りで更新間隔がのびます。
すみません。少なくとも週一では更新したいと思います。