61.かなわないこと
既定の用紙に筆を走らせながら、微かに聞こえる呼吸の音を聞く。
カイルは上司から受けた提案に甘え、アルトの寝台の傍で経過記録をつけていた。
今回の治療に関する報告書も作成したが、それは既にカイルの手元にはない。
ノーティスがルイツに呼ばれた際に、話し合いの参考になればと渡しておいた。
魔物への対策は、様々な視点から得られた情報を併せて作り上げられてきた。隊員達が受けた傷や毒から見えてくるものも、重要な足掛りになるのだ。
(……それにしても……)
書類を置いて、カイルは目を閉ざしたままの相手に目を向けた。
解毒薬を摂取した時間から考えると、そろそろ毒が抜け切っても良い頃だ。
毒による負荷で覚醒後も身体が眠りを求めるだろうが、一度目覚めてさえくれれば少しは警戒を緩められるのだが……。
「……ねぇ」
呼び掛ける言葉が、カイルの口をついて出た。
「そろそろ……起きない?」
小さな顔を覗き込み、問いかけた。
だが案の定反応は得られず、静かな呼吸だけが返される。
(……本当に、手がかかるんだから……)
カイルは溜息をついた。
そう、初めは厄介なだけの存在だった。
魔物と戦う砦において見習いなど実質戦力にはならず、むしろ訓練や世話で隊員達の負担が増えるだけだ。
やむを得ない経緯があるとはいえ、性別から始まり問題ばかりのそれに、面倒事が増える匂いしかしなかった。
そして間違いなく、揉め事は起きていた。
だというのに、何故かそれは徐々に隊員達から認められ、訓練を続けていく。
医務室にも顔を見せることはなく、そのうちノーティスが怪我を隠していないかと落ち着かなくなったくらいだ。
やむを得ずカイルが様子を伺う事になり、そこで紆余曲折あってきちんと話してみれば――それは思った以上に、馬鹿だった。
怪我をしているくせに自覚が薄く、人の機嫌ばかりを気にかける。それ故に捨て身の姿勢が中々抜けず、平気な顔で走り出す。
カイルからすれば、危なっかしい事この上なかった。
仕方なく気にするようにしていたら、いつの間にか気になるようになってしまっていた。
(いつになったら……安心させてくれるのかな、君は)
人形のようにそこに『在る』だけの姿に、手を伸ばす。
「アルト君……」
そっと頭に触れ、撫でた。
それは別の人が彼女を構う時の、決まった行動だった。
カイルが触れたのは一度だけだ。彼に嫌われたと誤解して、傷つき泣いたあの時だけ。
(代わりには、ならないだろうけど……)
彼女の事を呼ぶべき人は、他にいると分かっている。
けれど、今はカイルしかいない。
自分の声で、何度呼べば戻って来てくれるだろう――そう思っていた次の瞬間、動くことのなかった長い睫毛が震えた。
薄い瞼の下から、魅入られる程綺麗な金の瞳が現れる。
(――!)
目が覚めた。
それは今しがた願ったばかりの、当たり前の経過だ。
なのに奇跡でも起きたような驚きを感じて、カイルは言葉を詰まらせた。
何かを見ようとするでもなく、彼女はただゆるりと瞬きを繰り返す。ともすれば再び瞼を閉ざしてしまいそうな様子に、彼は慌てて呼び掛けた。
「っアルト君!分かる!?」
強い声に反応して、焦点の合わない目が彷徨った。
その動きは緩慢で、中々思うようにカイルを見つけてはもらえない。
それがとても、もどかしい。
アルトの瞳が漸くカイルを映そうかという時――力尽きたように瞼が落ちた。
「アルト君!!」
ひやりとして、カイルは思わず華奢な肩を揺さぶった。
目は開かない。
けれど獣耳がぴくりと動き、傷に障ったのか彼女の顔が僅かに歪んだ。
今までと違い、外界からの刺激に反応を見せるアルトは、確実に回復へと向かっていた。
それが頭に浸透した途端、カイルは一気に力が抜けた。
ずるずると崩れ、寝台の傍に膝をつく。
(……良かっ、た……)
ノーティスと自分の見立てが同じで、問題ないと分かっていた。
それでも泣きたいくらいに安堵している自分がそこにいる。
ずっと、心のどこか見ないようにしてきた部分で、今の一瞬を強く――望んでいたのだと思い知らされた。
立場を超えて願ったそれが何処から来るものかなど、気づきたくはない。
彼女は『彼』が大好きで、カイルは初めの印象が最悪だった。だからそこそこ仲の良い同族程度にしかならないと知っている。
そう、彼女の特別は彼だけ。それは間違いない。
間違いないのに――。
(――っ、どうして)
痛いのも、苦しいのも嫌いだ。
なのに、胸を締めつける想いがそれを求めろと吠えている。
その声を、走り出そうとする心を握り潰すように、カイルは自身の手を強く握り締めた。
――――この想いには、絶対に名前を付けない。
既に痛む胸を抱えながら、それでもカイルは拒絶した。
それが決して叶わぬものだと――確信しているから。
好みの分かれる話2。
最近心折りすぎですみません。m(__)m




