59.拗れたものを解いて
「ディル」
自身の手当てを受けるため、ディルが手の空いた隊員を探していると静かな声に呼び止められた。
いつの間にか俯いていた顔を上げれば、そこにはどんな時も落ち着いた上司の姿があった。
「ルイツ、副長……」
「こちらへ。手当てのついでに、軽く報告でも聞かせて頂きましょうか」
そう求めるルイツに、ディルは目を伏せて首を振った。
「……すみません。少し、頭の整理をさせてください」
口を開けばおかしなことを言いそうだった。彼が望むようなまともな報告など、出来はしない。
是と言えないディルに対し、ルイツが頷くことなく口を開いた。
「なら、その整理に付き合ってあげましょう」
そう告げる彼の声音に呆れはなく、むしろ宥めるようですらあった。
ディルの感じている悔恨の念や不甲斐なさなど、ルイツには全て見透かされているのだろう。
報告や傷の手当てはただの建前で、初めからそちらが目的だったのだと気づき、ディルはますます顔を上げられなくなった。
そんな彼を、ルイツが昔のように連れて歩いていく。
医務室の隅の方、そこに置かれた椅子へと促され、ディルは大人しく腰を下ろした。
動かないで下さいねとの声と共に、湿った布がディルの頬に触れる。
流れた血と汚れが丁寧に拭い去られ、額に負った怪我には特徴的な匂いの消毒薬がつけられた。
その瞬間鋭い痛みが走り、薬が染みたのだと理解する。
一度の刺激が尾を引いて、傷が疼く。
だがこんなものとは比にならない痛みを感じているものが、たくさんいる。
問い詰めもせずただ待つルイツに、ディルは堪えきれなくなって口を開いた。
「……俺は……っ、愚かで、未熟です……。守るべきものに庇われ、冷静さを失い役目を放棄して……」
今迄も、死に触れてきた。
隣にいる者が、明日はいないかもしれない。
そんなことがあり得る場所で、それでも彼女は大丈夫だと思っていた。
砦の中で囲われて、傷つくことはないのだと。
それを容易に破れるほど、アルトが強い思いを抱き、信頼されている事を見ようとしなかった。
彼女を失う未来の形。
それが急に目の前に迫って動揺し、ディルは役目ではなく自分の望みを取った。
その判断も、そこに至った経緯も、全てディルの甘さが招いたものだ。
ルイツは言うまでもなく、隊員達に責められても仕方のないことだった。
ディルの深い懺悔が、その場に沈黙を生む。
その言葉を噛み締める間を持って、漸くルイツが口を開いた。
「そうですね……」
思案するように呟き、彼は再び手を動かし始めた。
傷に薬を塗り、当て布をする。そこへ手際よく包帯を巻きながら、言葉を続けた。
「責めることも、励ますこともしません。必要ありませんし、意味がないでしょうから」
(……それ、は……)
自分を責める以上に責められることがない。
その価値もないと放り出されたようであったが、十分だと言われたようでもあった。
元々ディルには自らの行いを赦すつもりなど更々ない。
それはどのような形であっても、抱えておかなければならないものだ。だから前者だとしても、受け入れる覚悟は出来ていた。
だが――。
手心を加えられる可能性を戸惑うようなディルに、ルイツは軽く溜息をつく。そして、揺るぎない事実だけを示した。
「まあ私の言う事をどう取っても構いませんが……ただ一つ、誰にも否定できないことを言っておきます。
――彼女は貴方を守れたこと、心からよかったと思っているでしょう」
そうして彼は、終わりましたよ、と告げて手を離した。
(……あぁ、そうだ)
アルトは、そういう子だ。
余計な思いを払って彼女を思えば、ルイツの言う通り、無事で良かったと喜ぶ姿が容易に想像できる。
ディルはそんなアルトに対し、二度とするなとは言えないのだろう。
身を張られることが辛いのに、彼女の希望と頑張りを否定して悲しませたくないと思ってしまう。
(それに、アルトはもう――)
どれだけ鎖で繋いで留めようとも、自らの願いのためならばそれを引き千切って駆けていくだろう。
ならディルは、彼女と同じ方を向いて走っていきたい。
――同じ道を、共に。
ただ守るだけではない、強い願いが胸に生まれ、ディルは僅かな間目を閉じて、再び前を向いた。
「……手当て、有難うございます。役目に戻ります」
言葉は少なく、けれど深く感謝し、ディルは立ち上がった。
情けなくはあるが、それでも自分は隊長なのだ。自身の隊員達の容体を確認し、被害状況を把握しなければならない。
そう切り替えて踵を返した時だった。
「ディル」
再び後ろから呼び掛けられ、ディルは何気なく振り向いた。
するとそこには、真っ直ぐにディルを見据えたルイツがいた。
「幸い貴方はまだ……何も失くしていない。強い意志があるならば、全てを手にしたままでいることも、何かを選ぶことも出来るはずです」
思いがけない言葉に、ディルは目を見開いた。
愚かだと嘆く身には贅沢過ぎる道。
それを示し、ルイツは問うた。
「もしそれが叶うなら。――貴方は何を望みますか?」
***
夜明け前に各隊の隊長を招集すると伝え、ルイツはディルと別れた。
(もう、大丈夫ですかね……)
ルイツがディルに言わせたのは、後悔の言葉。
それを口にしたところで、起きた事実は変えられない。だが、そうと分かっていても、吐き出さなければどうしても前に進めない時が、人にはある。
たった一言。
それを零すことすら、ディルにとっては難しいことだったのだ。
それほどまでに、自分のことを赦せずにいた。
(分からなくは、ありませんが……)
アルトの怪我のことも、立場のことも。
ルイツも自分がディルと全く同じ立場なら、そうなるだろう。
アルトの負傷は、砦にいる者ならば避けられないものだ。
ルイツもそれを分かっていて送り出した。けれど実際に重症を負って帰って来られると、とても堪える。
なぜ許可してしまったのか。
やはり留めておくべきだったのではないか。
ついついそんな事を考えてしまうのだ。
ルイツですらそうなのだから、覚悟もしていなかったディルの苦悩は計り知れないものがある。
(……『特別』だそうですからね )
彼と居る時の、アルトの幸せそうな顔を思い出す。
それが迷いなく向けられるほどに、ディルはずっと彼女に対して心を砕いてきた。
寄り添う事を諦めず、言葉にしない声を拾って、彼女が彼女らしくいられるように支え続けてきたのだ。
想いが過ぎて迷走することもあったようだが、それでも彼女の事を一番大事にしているのは、紛れもなく彼だった。
そしてこの砦の誰もが、そのことをちゃんと知っている。
彼らにしてみれば、大切な人が生死を彷徨う状況で、まともに役目を果たす方が難しいと答えるだろう。
ましてやディルはまだ若い。
つまるところさほど責めることはないのだが、ディル自身はそうではないらしい。
彼は役目を捨てた時点で自分が許せないのだ。
「……真面目ですねぇ」
「そう育てたのはお前だろ」
嬉しいような、溜息が出るような、そんな複雑な思いを抱えて呟けば、ルイツの後ろから予期せぬ突っ込みが入った。
「――団長」
「ったく。こういう時は走れる奴が走って、纏められるやつが纏めればいいんだ。それをぐずぐずと」
「……それで何とかなったら私は苦労していません。ディルの考えの方が普通なんです」
相変わらずの適当さに、ルイツは溜息をついた。
それはヴィランだから言えることだ。
彼が一言そうしろと言うだけで、全ての隊員が迷いなく従うだろう。
雑な割に肝心なところは外さないものだから、そんな風に揺るがぬ信頼を寄せられる。
固いなと呟くヴィランにまた溜息を返し、ルイツは意識を切り替えた。
隊員達の手当てを請け負っていた間に、今回の魔物に関して気になる話を何度も耳にした。その事について、団長である彼と話し合わなければならない。
「それで、どうでしたか?」
「お前が聞いた通りだ。動かざるを得ないと思う程には深刻だな」
「やはりですか……」
ルイツの唐突な質問に、ヴィランは淀みなくそう答えた。
執務室へと向かって歩き出す彼に続き、ルイツは勝手ながらと前置きしてある事を伝えた。
この事態において、彼の中ではいくつかの可能性が浮かんでいる。
だが情報が少な過ぎて、どれも推測の域を出ないのだ。ならば目立つ動きを見せて、『相手』の出方を伺うのも一つの方法かと考えた。
また、それに使う人材を彼らにすることで、別の問題も解決出来ないかとも期待している。
確実に結果が得られるという案ではなかったが、行動派のヴィランは気にすることなく頷いた。
「――成程。丁度良いだろう」
「ありがとうございます」
「捨てるには惜しいからな。かといって、大人しく飼い殺しにされるような奴じゃない」
全くライカの娘らしい、とヴィランは続けた。
現状を見る限り負傷した彼女に非はなく、誰もが同じ立場になり得ただろう。
ほとんどはそう理解しているが、やはり動揺が大きい者は居る。それで今後彼女と実践を共にした時、彼らの動きが鈍りかねないのは問題だった。
だから多少の冷却期間と、目に見える成果は必要なのだ。
「相方に関しては正直痛手ですけどね」
「別に俺は他の奴でも構わないが、不憫な隊員が生まれるだろうとは言っておく」
寂しさを我慢して任務に赴く姿を想像すると、むしろ組ませた隊員の方から替えてくれとの声が出そうだ。有無を言わさず引っ張って行けそうな者に心当りはあるが、残念ながら一般の隊員ではない。
「――全く、手のかかる子達です」
つくづくとそう思い、ルイツは文句を口にした。
すると彼の横で、素直じゃないと呆れたような声が零された。
更新できない間にもブクマしてくれる方がいらっしゃいました
(*´ω`*)わーい♪
……なんて喜んでいるのですが、次2つ、好みが分かれそうな話になります。
嫌われませんように。




