58.自分に出来ること
ディルが砦に着くと、中は深夜にも関わらず人で溢れていた。
適当な間隔を空けて訓練場に座り込んでいるのは、副隊長に任せていた分隊の負傷者達だ。
先に帰還していたらしい彼らは、軽い傷の手当てを受けながら手足を曲げ伸ばしして、他に異常がないかを確認していた。
その間を、他の隊、他の部門の隊員達が忙しなく行き交い、抱えた薬や衛生材料を配っている。
手の空いている者全てが、自らのできることをして走り回っているのだ。
そんな中、ディルはなるべくアルトの姿を晒さないよう、壁伝いに移動し医務室を目指した。
何人かが気づいて驚いたようにディルの名を呼んだが、彼はガルドにしたように短い言葉で断って先を急いだ。
今のように負傷者が多い時、医務室は訓練場へと続く扉を一部解放している。アルトを抱えたままのディルは迷わずそちらの出入り口へと向かい、室内に足を踏み入れた。
その瞬間、血と、薬独特の匂いがディルを迎える。
中では訓練場にいるよりも重傷な者達が、宛がわれた簡易の寝台で処置を受けていた。
器材の音が響き、鋭い声音の指示が飛び交う。呻き声がして、余裕のない怒声が負傷者に向けられる。
ただの置物と化しているだけでは、手を貸してもらうことなど到底出来ないだろう。
とにかく指示を得ようとディルが口を開きかけた時、カーテンの引かれた寝台からある人物が出てくるのが目に入った。
「――ノーティス! 頼む、アルトが……っ」
思わず縋るように名を呼んで、ディルは彼の元へと足を向けた。
それでなくてもノーティスは多忙だ。
その上室内は慌ただしく、今の距離からでは気づかれないと思われた。
だが強く助けを求める声が届き、彼は足を止めて振り向いた。
そしてディルの抱えているものを見て瞠目し――すぐさま動いた。
「――ここへ」
一瞬にして表情を消した彼は、奥にある寝台のカーテンを引き、ディルをそこへと誘導した。次いで医務室内に向かって指示を飛ばす。
「カイル! 終われば来い。ヒース、すぐに洗浄の用意をしろ!」
この緊急時において獣族二人を割いた人選は、今のアルトの姿に配慮してのものだ。そして彼らはこの喧噪の中でも確実にその指示を拾うだろう。
ディルが指定された寝台へと進めば、ノーティスが空間を締め切りながら状況を尋ねてきた。
「一体何が」
「脇腹の裂傷と――恐らく毒だ。魔物の尾に弾かれて……っ、毒消しは飲ませてあるが、摂取したのは症状が出てからだ。それまでずっと……戦っていた」
血を吐くような思いで、その事実を口にした。
そうなった原因がすぐにディルの頭に浮かぶが、主観や感情、ましてや自虐的な情報など治療には不要だ。
溢れそうになる暗く見苦しい感情を押さえつけ、ディルは衰弱しきった身体を横たえた。
見下ろした彼女は変わらず瞼を閉ざし、よく音を拾うはずの三角の耳ですらぴくりとも動かない。くたりと寝台に身を預ける姿はひどく頼りなくて、傍にいて触れていたいと願わずにはいられなかった。
ディルが動けずにいるその向かいで、ノーティスは生気の失われた少女に強く呼び掛けながら首元に触れ、金の瞳を覗き込んだ。
状態の悪さを感じつつも、彼は焦ることなく観察を続け、彼女に掛けられていた隊服を躊躇なく剥ぎ取った。
そして露わになった身体の状態に、彼の眉間の皺が深くなる。
白い肌を赤く染め上げた汚れは大部分が渇いてくすんでいたが、ある部分だけは未だにじわりと鮮血が滲み出していた。
ノーティスはざっと全身を確認してから不要な部分を覆い隠し、最も深い傷を睨むようにして観察する。
腰の辺りから胸にまで及ぶそれは、創の辺縁が持ち上がり、肉が裂けたと表現する以外に言葉が浮かばない。
改めて見せつけられた酷い有り様を、ディルは歯を食いしばって受け止めた。
(――っ、何か……俺に出来ることは――)
そう思いかけたとき、器材の音とともに足音が近づいてきて、閉ざされていたカーテンが動いた。
新たに現れた人物はそこにある惨状に息を飲み、灰色の目を大きく見開く。
そして――。
「――アルト君っ!!」
叫ぶように、名を呼んだ。
その痛烈な痛みを孕んだ響きに、ディルは自分でも気づかないうちに足を一歩、引いていた。
「カイル、任せた。解毒薬は症状が出た後だ。機能は落ちているが、経過時間を思えば待てるだろう」
「っ分かり、ました」
簡潔すぎて文脈の途切れた情報だったが、カイルは正確に読み取りしっかりと頷いた。
そして呼吸を整えて落ち着きを取り戻し、ノーティスと入れ替わりにアルトの傍へと近づく。
カイルはとても優秀だ。
アルトの苦しみと向き合い、癒すことを望む彼にはそれを成し遂げるだけの力がある。
だからディルが手を貸せる事など、何もないのだ。
いつもの余裕さを消し去ったカイルは、ただ真っ直ぐに彼女を見つめている。そして傷ついた身体に触れる手は、労るというにはあまりにも優しすぎる気がした。
ディルはそれらを見ていることが出来なくて、とうとうアルトから目を逸らした。
「縫合だけはする。準備が整い次第呼べ」
その言葉にはっとし、ディルはカーテンを潜って出ていくノーティスの後を追った。
尋ねたいこともあったが、どうしてもあの場に居られなかった。
「――ノーティスっ。解毒は、できているのか?」
「……今しているところだろう。運よくなどと言うべきではないが、恐らく致死量ではない」
仮にそうだとすれば今頃死んでいる。そう続けたノーティスの言葉にぞっとした。
もし毒の量が多ければ。
ほんの僅かな差で、アルトは命を落としていた。
(――っ、くそ!!)
身の内で渦巻いていた感情が激しさを増す。それは自身に向かって牙を剥きながら、外に出たいと暴れていた。
だが、どこかでそんな事をしても意味はないとも理解している。
様々な思いがない交ぜになり立ち止まるディルに、振り返ったノーティスがその肩を掴んだ。
「――ディル、お前も汚れを落として傷の手当てを受けろ。その後に、すべきことがあるはずだ」
痛い位に力を籠められ、役目を果たせと告げられる。
「…………分かっ、た……」
ディルは、辛うじて了承を返した。
今の自分に出来る事は、それしかないのだ。
イラっとする方もいるかもしれませんが、見放さないで下さい。
必ずや浮上させます。
堪えられなくて前半を改稿していますが、流れは変わっていません。
ここまで読みづらい話についてきて下さって、本当にありがとうございます。m(__)m




