57.零れ落ちそうなもの
「おいアルト! しっかりしろ!」
ディルが必死で呼び掛けても、支えた身体は僅かの反応も返さない。四肢と同様、あるべきではない耳と尻尾が力なく垂れ、衰弱を示していた。
瞼を閉ざしたまま、静かにその身を預ける様子はまるで――。
到底受け入れられない成り行きが頭を過ぎり、心臓がどくりと音を立てる。
「っ頼む、目を開けてくれ……!」
血の気が引いていくのを自覚しながら、ディルは吐き出すように懇願した。
突然目の前に現れた喪失の未来。彼はそれから逃れるように繰り返し名を呼び、華奢な身体を揺さぶった。
隊服で包んだ血塗れた身体には、月明りだけでも分かる程深く大きな傷がある。その所為で、彼女は僅かに動くだけでも激しい痛みに苦しめられていた。
悲鳴を押し殺し苦痛に耐えようとする様は、耐え難い程にディルの胸を抉ったが、今の彼女は顔を歪める事すらしないのだ。
それがまた、『終末』を予期させる。
「――っ、アルト……!」
堪えきれず、ディルは弱り切った身体を強く抱き締めた。
傷に障ると分かっている。
けれど、願いも叫びも届かない。
せめて腕に閉じ込めておかないと、零れて消えてしまいそうだった。
(俺の、せいで……!)
アルトはただの人間には分からない何かを感じ取り、余裕のない状況でも解毒を促し皆を守ろうとしていた。
それなのにディルはアルトを守れず、挙句の果てに庇われた。
結果彼女は深く傷つき痛みに苦しんで、そして毒に侵されている。
――気が狂いそうだ。
何故だと叫び、嘘だ、嫌だと喚きたい。
焼け付くような苦しみがディルを襲ったが、アルトの苦痛はその比ではないのだ。辛いと感じる資格などないと歯を食いしばり、ディルは荒れ狂う感情を抑え込んだ。
抱いた身体から、鼓動が聞こえる。
息もしている。
だがどれ程の血を流し、どれ程毒が回ったのか、ディルには分からない。
大きな狼である獣姿と違って、小さく華奢な少女の姿はとても弱々しく、毒にも傷にも耐えられそうになかった。
(早く、手当てを受けさせないと……!)
冷静に、今すべきことをしろと繰り返し、ただ嘆くだけの身体を無理矢理動かす。
周囲を見回せば、漸く最後の一体を仕留めたところで、ヴィランがすぐさま負傷者の搬送を指示していた。
ディル程度の負傷者は沢山いて、歩けるものは複数で歩けない負傷者を搬送すると決まっている。そして立場上、ディルはヴィランと共に帰還する隊員を纏めなければならない。
今にもその息を止めてしまいそうなアルトを、誰かに任せて。
(――――……)
力の抜けた身体を抱え直し、立ち上がる。
それと同時にディルの後ろから馴染みの声が聞こえた。
「ディル様! 怪我は……――!?」
ガルドの言葉は、ディルの腕からだらりと下がる細い足を見た瞬間、途中で途切れた。
「……悪い。――団長!」
愕然とした様子のガルドにそれだけ告げ、ディルはヴィランを呼んだ。
すると彼は振り返るなり眉を跳ね上げ、怒声を返した。
「――! 足を止めるな! 運べる重傷者から搬送しろと言ったはずだ!」
「っ、頼みます……!」
許されたことを感謝しながら、ディルはヴィランの脇を抜けた。
自分の隊がどうなってもいいとか、他人任せにしたいと思っているわけではない。だが、今走らないと耐えられない。
もし手を離してしまったら、二度と触れられないような気がした。
(明日話そうと、約束したのに……っ)
まだ何も聞いていない。
伝えたいことも伝えていない。
(頼むから、どうか――)
遠くへ行かないでくれ。
お読み頂き感謝です。
ディルの頑張り所ですが……
すみません、また少し更新開きますm(__)m




